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最近の記事
09/20 敬老の日に思う
09/06 干天の慈雨
08/21 8月15日に思う
07/31 今年2度目の札幌出張
07/23 炎天下の草取り
外部グログ

大先生(元院長)のブログ

敬老の日に思う

 明日、9月21日は敬老の日である。私の住んでいる新浜では毎年日比崎地区社会福祉協議会が75歳以上のお年寄りに日比崎小学校6年生の生徒さんのお手紙を添えて1人1,500円分の商品券を配ってくれる。私も家内もありがたく頂いた。
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 歯科医院のある三成地区では今は判らないが、以前私が町内会の役員をしていた頃はお年寄りによる歌や踊りなどの演芸大会が小学校の体育館で催され、出席されているお年寄りにお弁当が配られ、欠席した場合は各家庭までお弁当を持って行っていた。
 ところで先日9月16日の中国新聞に100歳以上の人が10万人を超えたと報道されていた。そして女性が9万4298人で87.6% 男性が1万3379人で12.4%を占めているとのこと。
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それにしても調査を始めた1963年にはたったの153人しかいなかったのに驚くほどのスピードで毎年増え続け長寿になってきたことがわかる。まさに人生100年と言われるのに納得。
平均寿命は女性が87.33歳、男性が81.35歳とのこと。女性の方がやはり長寿であることを示す数字である。私は両親がどちらも88歳で旅立ったのでそこまでは生きていたいと思う。
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 さらに7月16日の中国新聞一面トップは『「老々介護」75歳以上同士37% 単身高齢者最多933万人 25年厚労省調査』の見出しが出ていた。
その中で同居する配偶者らが在宅で介護する世帯の内、介護を受ける人と世話をする人が共に75歳以上の割合は37.1%に上った。22年の前回大規模調査から1.4ポイント上昇し過去最高だった。また65歳以上の高齢者で1人暮らしのひとは933万人を超え、過去最多を更新した。人口が多い団塊の世代が75歳以上になり「老老介護」が一段と深刻化。介護疲れによる共倒れや単身者の孤立が課題になっており、支援体制の充実が急務となる。』と書いてあった。
 私は家内共々団塊世代の75歳以上の二人世帯である。まだ介護保険は利用していない。何とか自立しながら生活をしているが最近お互いに動きが鈍くなったと感じている。特に家内がよく口にする様なった言葉に、「お父さん私が先に逝ったらどうするの、家のことは何にもできないでしょう」と言われる。昭和の典型で「男は仕事で金を稼ぎ女は家庭を守る」というやり方でやってきている。そのため私ができる家事はほんの僅かで、お風呂を入れること、自分の部屋の掃除、トイレの掃除はできる。数年前に家内が膝関節の人工関節置換術を受けて入院後、食後の後片付けとして茶碗、皿や鍋の洗い物はするようになったがそれ以外は殆どしない。電子レンジも温めくらいしかできないし、電気釜でご飯を炊くのも水加減を知らない。
一軒おいて隣がスーパーなので夕方遅くなっていけば値引きされた弁当などがあると思っている。しかし毎回そんなものでは体に悪いので少し炊事ができるようにしなくてはと思うがなかなか一歩が踏み出せない。ホウレンソウなどの野菜を洗ってゆでて切って鰹節をかけて食べることは出来る。カレーライスも多分作ることは出来る。しかし料理のレパートリーを増やすことは大事だと思う。そろそろ家内に頭を下げるかな。
 最近「看取り難民」という言葉を聞いた。2030年には41万人が「看取り難民」になるとのこと。介護施設や介護職員の不足などが上げられている。
 尾道市には7つの地域包括センターがありその中に各圏域ネットワーク(医療・介護連携)会議が組織されている。北部圏域は一番広い範囲(美ノ郷町、原田町、御調町)をカバーしている。私は副会長を拝命しているが、来月9日にこの会議が開催される。そこでのグループディスカッションのテーマが今回は「看取り」である。よく勉強してこようと思う。

2026年09月20日

干天の慈雨

 7月8日に梅雨が明けて夏本番となったがここ尾道ではほとんど雨が降らなかった。家庭菜園をしている者として毎日の水やりは大変である。9月2日の中国新聞27面に写真入りで『周防大島雨なき8月  観測史上初 特産ミカン変色被害』という新聞記事が掲載されていた。その記事の中に生口島(尾道市)6.5mmと出ていた。
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 生口島は同じようにミカン栽培が盛んで友人が水をやるのに大変だと言っていた。
 私の日記に毎日天候を書き込むようにしているが拾い出してみると「7/8 梅雨明け、7/25 5分ほど雨降る、7/29 一時小雨ぱらつく、8/12 時々雨、翌朝道路乾いていた」とあり、雨の記載はたったの3回であった。そして一昨日9月3日お昼前にいよいよ待ちに待った本格的な雨が来た。まさに「干天の慈雨」である。
 ただこの2か月の間に熊本地震があり、雨に関しては千葉県での大雨。石川県中能登地方、富山県氷見市、そして福井県と所を変えながら線状降水帯が発生し家屋の倒壊、床上・床下浸水、土砂崩れ、川の氾濫などが頻発した。収穫間際の稲田に水が入り稲をだめにしている様子がTVのニュース映像で流れるのを見ながらどうしてここ尾道には雨が降らないのだろうと恨めしく思っていた。被害にあわれた方には本当に申し訳ないが、少しその雨を尾道に回してくれれば良いのにと思っていた。それにしても日本中がお天気に散々荒らしまわされている感じがする。
 ところで私は毎年サツマイモを植えて育てているがなんと今年はサツマイモの花が咲いた。 びっくりしてネットで検索してみると花の咲く条件が書いてあった。
それによると『サツマイモの花は朝顔に似た淡いピンク色のラッパ型で花びらが5枚、中心がやや濃いピンクで、日本では条件がそろわないと咲きにくい珍しい花』だとのこと。そういえば小学生のころ見たことがあるとかすかな記憶があった。
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『サツマイモは短日植物で日照時間が一定以下になると花芽が形成される。日本の夏の長い日照条件では花が咲きにくく沖縄以外ではあまり咲かないと言われている。
それ以外ではストレスがかかると咲きやすいと言われており、干ばつ気味の場合、赤土でマルチを張っての栽培で肥料は少なく、降雨量も少ない場合、ネズミにかじられたり、病気にかかった場合』などと書いてあった。
 まさに今年は雨がほとんど降らない、マルチ栽培をしている、猛暑日が続いて高温の日が多かったことが影響してストレスをかけていたのではないだろうか。
それにしても一昨日からの雨は今のところここ尾道では本当に恵の雨である。今日の朝のニュースでは屋久島や宮崎あたりが大変だと放送されていた。秋雨前線と居座り続けている台風24号がどのように影響するのか心配なところである。これ以上災害が広がらないことを祈るばかりである。
雨が止んだらいよいよ大根の種まきをしなくてはと思っている。

2026年09月06日

8月15日に思う

 今年は終戦81年であった。12時前からNHK・TVの前にいて12時の時報と同時に1分間の黙祷をした。そのあと天皇陛下のお言葉を拝聴した。そのあと出かけたが尾道西消防署の前を通ったら「国旗」と「尾道市旗」が半旗で掲揚されていた。なんと素晴らしいことかと思ったが尾道市総合福祉センターの前を通った時旗は通常の形で掲揚されており少しがっかりした。ほかの公共施設がどうだったのかは知らない。でも願わくは全部の公共機関は半旗にしてもらいたかった。
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 私は戦後生まれであり戦争のことはよく知らない。大正7年生まれの父親は徴兵されマレー戦に出兵していたが戦争のことはあまり私に話してくれなかった。私がかすかに覚えているのは真珠湾攻撃が始まった時刻にはすでにタイ国に上陸をしていたこと。
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 そしてそこから現在のマレーシア北部を経由して自転車部隊(銀輪部隊)としてシンガポールに向かったこと。そしてシンガポールの英軍基地に攻撃を加えたが要塞が陥落する2〜3日前私の記憶では2月11日の紀元節の日にイギリス軍の砲弾が父の近くで炸裂しその砲弾の破片が胸を突きささり重傷を負って野戦病院に担ぎ込まれた。しかし負傷者であふれており1日ほど土間に捨て置かれ、呻き声を出していたとのこと。次の日たまたま知り合いの衛生兵がいて手当てをしてもらい、病室のベットに横たわることが出来たとのこと。さらにその時の破片の一部、長さ1センチくらいのものが肺に残っていると聞かされていた。私が40歳の頃レントゲン写真を見せてもらったことがある。死ぬまで残存していた。ただし火葬したとき父親の灰を見たが見つけることは出来なかった。そしてこのレントゲンを元に後年重度身体障害者に認定され医療費は1回200円の恩恵にあずかっていた。
 傷が回復した後、南方に転戦していた原隊に復帰したが食糧が無く、トカゲやヘビを食ったという話は聞いたことがある。そして無事日本に帰還を果たしたとのことであった。昭和18年に私の母親と結婚して私がこの世に授かった。父親が戦死していれば私はこの世に生まれてこなかった。おかげで我が家では全国戦没者慰霊祭には直接関係しなかったが、私は日本国のためにがんばり、犠牲になられたた軍人、軍属、一般市民には深く哀悼の意を表したい。
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 なお父親が亡くなった後、実家の片づけをしていたら本棚に中国新聞編集委員、御田重宝氏による現代史出版会、徳間書店発売の「人間の記録 マレー戦」という上下2冊の本があった。1977年10月10日発行である。前編の本の表紙の写真は銀輪部隊の写真であった。
私はまだ読んでいないが父親はこの本を読みながら自分たちの行軍の様子を振り返っていたのかもしれないと思った。
 もう一つ父親が話していたのは昭和20年8月15日の終戦の日の事である。当時両親は久保町にあった日立造船の川端寮に住んでいたが、私の両親とOさん御夫妻が寮を出て向島の宇立にあった安保医院の使用されていない病室を借りて住むことになりその病室を数日前から片付けていた。当時日立造船には米英の捕虜がいた。その人たち数名を借り受けて片付けに当たらせていたが天皇陛下の終戦の詔勅をラジオで聞いてこれは捕虜を働かせることはまずいと思い、すぐに工場へ連れ帰ったということを聞いていた。私の記憶にあるのはこの程度である。
 終戦後81年一度も戦争をしないで平和に過ごしてきたが、果たしてこの平和が永続するかどうかは判らない。日本の東には中国(620発)や北朝鮮(57発)、北側にはロシア(4,400発)、そして東側にはアメリカ(3,700発)といずれも核兵器を持って事あればと虎視眈々と日本は狙われている。少なくとも中国、北朝鮮、ロシアはすでに狙いを定めいつでも発射出来るように準備していると思う。今は兵器を使わないでもサイバー攻撃とかいった超限戦でも日本はやられる。日本が核兵器を持つとなれば国民の多くが反対するであろうし、アメリカも反対に回るであろう。また戦争になったときどれくらい国民が日本を守るために立ち上がるのであろうか?
そうかと言って何時でもどうぞと丸腰でいることが良いのか?私は少なくとも日本国を守れるようにある程度は準備が必要ではないかと思う。願わくはこれからも戦争をしないで済めば良いなと思う。

2026年08月21日

今年2度目の札幌出張

 7月25日に北海道医療大学歯学部同窓会理事会が札幌で開催され出席をした。
広島空港を10:50発のJALで出発、新千歳空港に着いた時随分と涼しいと感じた。スマホで検索すると20℃であった。広島空港を出るときは熱中症アラートが発令されており30℃であったので驚く。新千歳駅ホームには日本ハムファイターズの球場がある北広島のFビッレジの宣伝がしてあって驚く。
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 理事会は通常年2回、4月と7月に開かれる。コロナ以前は2回札幌に出向いていたが、コロナで2回ともZOOM理事会となっていた。しかしやはり対面でしたほうが良い事になり最近は4月をZOOMで7月は対面となった。私は9年前から副会長を拝命している。理事は一応各地から来られるがやはり地元北海道が多い。
 今回は8月に同窓総会が開催されるので令和7年度の会務報告並びに会計決算、令和8年度事業計画案並びに予算案審議を行った。
理事者の中には今年4月に歯学部長なられた14期生のI先生もいらっしゃって、大学の様子や学生たちのことについても色々話を聞かせてらった。大学にも少子高齢化の影響が出てきている。また大学は28年度に北広島に移転するが工事の進捗度なども聞いた。同窓会としては大学がますます発展をしていくのを少しでもサポート出来ればと思う。その後会場を移して懇親会が開かれお互いの近況などについて話をしたりして盛り上がる。
 散会後、札幌駅近くの「ソラリア西鉄ホテル札幌」ホテルに戻る。このホテルの利用は初めてである。地下一階に大浴場があり、ゆっくり足を伸ばしたりしてくつろげた。
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 翌朝6時前に起きだして北海道大学構内を散歩する。 気温は18℃ですがすがしい。正門のところに北海道大学創立150周年の横断幕が掲げてあった。構内は緑が多く本当に憩いの場と言っても良い風情である。構内を流れるサクシュコトニ川の横を歩きクラーク像見て北に歩き出す。道の両側に各学部の校舎がある。
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 構内はこの早い時間帯にも係わらず多くの人がジョギングをしたり、散歩をしたりしていた。なおこの通りは2021年東京オリンピックのマラソンコースであり選手は3回この通りを駆け抜けた。
 南の端から北の端まで歩いて帰りはアドミッションセンターから裏側の道を歩く。途中北海道大学恵迪寮の寮歌(都ぞ弥生の雲紫に・・・)の歌碑を見つけた。何回か北海道大学構内には来ていたが初めてである。
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 歩きながら初めて北大に来たときのことを想い出した。昭和41年広大の2年生の夏休みに、同級のT君と二人でザックを背負って北海道旅行をしたときである。当時T君の兄上が北大に在籍されており下宿に一泊させて貰い、夜は居酒屋で日本酒の「千歳鶴」を美味しい美味しいと言いながら飲んだことを想い出した。思えば今から60年も前の話である。
 ホテルに帰り朝食のためレストランに行くと満席であり60番の札を貰い待つこと35分、多くの人は観光客で中国語、韓国語などが聞こえてくるし日本語はほとんど聞こえない。欧米人の姿も見えなかった。やっと食事にありつくがバイキングスタイルなのでお皿に色々取ってくるのが大変。窓際の席で外を見ながら食べたが丁度北海道庁の蓮池が見えていた。
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 10時にチェックアウトをして、道庁の赤煉瓦の建物を見る。昨年までは改築中で見ることが出来なかったが、綺麗になっていた。大通公園に出てお花など見ながらテレビ塔の方に歩き、時計台を見て札幌駅に向かう。気温は23℃であり涼しい。尾道の暑さを思うとぞっとする。10:48の快速エアーポートライナーにて新千歳空港に向かう。
 昼食は昨日も利用したJALの出口横にある「天丼てんや」で「大江戸天丼」1310円を食べた。その後、飛行機のチェックインをしてからお土産を買う。出発までまだ2時間ほどありラウンジに行く。前回は3階のラウンジを利用したが今回は4階のラウンジを利用してみた。窓がないので外の景色は見えないが広くてゆったりして静かで良かった。
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 この日は関東などで大雨が降っていたせいか飛行機が随分遅れているようだった。広島便は少し遅れたが無事飛び立ち一路広島空港に向かう。窓の外は一面雲で地上はあまり見えなかったが岡山を過ぎてから少し見えだし、尾道上空では我が診療室はよく見えなかったが三美園入り口付近迄は見えた。広島空港につくと駐機場にはまだ飛行機が出発していなくてその飛行機が出るまで誘導路上でしばらく待たされるハプニングがあったが無事帰りついた。

2026年07月31日

炎天下の草取り

 さいだ歯科医院は7月18日から20日まで3連休であった。私は旅行の予定もなく、ひたすら家庭菜園の周りの草取りを行った。梅雨が明け、連日の猛暑日で毎日熱中症警戒アラートが発令されていた。
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 顔や腕に紫外線予防のクリームを塗って朝8時15分過ぎから作業を開始したのだが40分もすれば汗びっしょりですぐに水分補給を行い10分ほど日陰で休憩をとる。眼鏡をかけているのだが、下を向いて作業をするので眼鏡のレンズの上に汗が落ちてきて溜りよく見えなくなったりする。
 草のほうはすこぶる元気で結構根を張っている。むしり取ったりはできない。そこで昔ながらのテンガ(天鍬)で削り取る必要がある。私のテンガは昔から有る形状の物ですがインターネットで調べたら今は色々の形状の物が売られているのに驚く。次回からは少し考えて新しいタイプの物も利用するのもありかな。
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草を削り取るのに結構力がいる。通常は右手を主に使うが、草の根がしっかり張っている物では右手に左手を重ね同時に引く。肩の関節が痛くなるし、親指に負担がかかり、小指と薬指にまめができる。
 また草を取るのに中腰になったり、地面に膝をつけたりして削り取ったりするので身体のあちこちが痛くなったりする。そしてクマゼミが「わっしょい・わっしょい」と鳴き出すと余計暑く感じたりする。日頃はクーラーの効いた診療室で仕事をしているのであまり気がつかなかったが、この度、外で働かれる人の大変さを身をもって感じた。
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 削り取った草はできるだけ土を払い、前にホウレンソウやチンゲン菜を植えていた場所に使い古したマルチのビニールを敷きその上に投げ捨てる。この草も3週間くらい干していると枯れるのでこれは焼却して畑に草木灰として利用する予定である。
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 以前道路と畑の境をきれいにしたとき、土建屋さんが境界部分に砂利を敷き詰めたためそこでは草は小石と小石の間から生えてきている。テンガで削り取ることが出来ず、テンガの先を小石と小石の間に差し込んで1本1本抜取ったりする。莫大な時間がかかった。
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 ところで熱中症対策の水分補給に昨年は500mlのペットボトルに入った「10倍濃縮熱中対策水液」が一瓶冷蔵庫に残っていたのでそれから50ml取り出し用意した空のペットボトルに入れ、更に450mlの水に入れて冷蔵庫で冷やしたものを何本か用意して持って行き、院長室の冷蔵庫で冷やしておいて飲んでいた。また今年は「クエン酸ゴールドプラススティク」という商品が販売されておりを購入した。コレは500mlの水にスティック1本14グラムを溶かして冷蔵庫で冷やして飲む。ただしこの製品は1日1本分が限度なので今回のように長時間草取りをしている場合は水分が不足する。そこで昨年購入しているペットボトルタイプも併用した。ただしこれらを飲むとしばらくは良いが10分ほどすると口の中に甘みが残り、かえってのどが渇いた感覚になる。それでさらにお茶や炭酸入りの水も飲むことになった。そしてまた時折塩分チャージタブレットを口に入れたりした。結局5〜6時間の草取りで摂取した水分は1.5リットルほど飲んでいたことになる。しかも飲むたびに日陰で15分くらいの休息を取っていた。
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 今思うと良く3日間も炎天下で草取りが頑張れたものだ。熱中症にもならなくて済んだことは幸いであった。夏野菜の収穫も出来て良かった。

2026年07月23日

大学のホームカミングデーに参加して

 私が卒業した北海道医療大学にはいわゆる小・中学校にあるPTA組織に似た「北海道医療大学父兄後援会」という組織がある。お預かりした大事なお子様の勉学や困りごとの相談など御父兄と緊密な連携のもと学生生活が安心して送れるようにしていく趣旨で33〜34年前にできた。当時は全国に沖縄、九州、中・四国、関西、関東、東北支部があった。その後北海道内に4支部が設置され現在全国10支部の組織になっている。
 私はたまたま長男が在学していたこともあり立ち上げの時から中・四国支部長を拝命している。当時は薬学部と歯学部しかなく、東北は薬学部の1期生のM先生、歯学部1期生の私と他支部は学生のご父兄が担当されていた。
 6月19日に全国支部長会議があり札幌に出張した。私は昭和53年に大学に入学したがその時は妻と3歳、1歳の二人の息子を連れて北海道に渡り、最初の2年間教養課程は釧路の近く音別町で学びその後札幌の隣町、当別町に引っ越した。7期生以後は教養課程も当別校舎となった。
 この度の出張には家内を同伴し、家内は30年振りに当時仲良くしていたお友達と再会できて良かったようだ。
 支部長会議では大学の現状や学生の国家試験結果、来年度の入学試験の日程さらには2028年に北広島市の日本ハムファイターズのエスコンフィールド横への移転の話などを聞いた。また毎年10月〜11月にかけて各学部の先生方と事務局が全国の支部を周り、ご子弟の成績や生活状態、ご父兄の心配事などについて懇談する一大イベントの地区別懇談会についても説明を受けた。中・四国支部の懇談会は10月17日(土)と決まった。
 学園経営にも少子高齢化の波が押し寄せていることを痛感した。会議後、懇親会があり理事長、学長、学部長をはじめ他学部の先生方や各支部の先生方といろいろ話ができた。
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 翌日、当別校舎を訪れホームカミングデーの行事に参加した。卒業生のご家族の同伴もOKということで家内を連れていく。昭和59年3月に卒業してから2回ほど大学を訪れたが懐かしかったと同時に多くの学部や学科が作られたことにより建物も多くなって道に迷いそうであった。
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 大学の現状を学長が話された後、YOSAKOI ソーランに出場したチーム「桜雅」の演舞が披露された。その後中央講義棟の10階に案内してもらい、広々とした畑などが一望できた。
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 その後学生食堂で学食をごちそうになる。メニューは前もって3種類の中から選んでメールにて知らせておいた。鶏のから揚げ・みそ汁・ご飯であった。
 食後は各学部に分かれ実習室や講義室を案内してもらう。講義室では中央列一番前の右端が学生時代の私の定位置であったのでそこで学部長(14期生のI先生)のお話を聞いた。実習室はとても懐かしく指導医に小突かれながら頑張った記憶が甦った。
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 その後学内では大学祭「九十九祭」が開催されており見て廻る。この大学祭には父兄後援会の各支部がその地域の名産などを出品し、その地区出身の学生が来場者に販売している。中・四国支部は毎年島根県の名産「赤天」出品して、学生が赤天バーガーなどに加工して販売していた。
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 丁度、理事長も来ておられ、3期のF先生、4期のT先生と一緒に記念写真を撮って貰った。
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 午後3時前に会場を後に札幌市内のホテルに帰り、18時に同期のF先生ご夫妻と一緒に札幌駅前のビル内にあるお寿司やで食事をしながら懐かしい話に花が咲いた。
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 翌日10時過ぎにチェックアウトし新千歳空港に向かう。お土産を買い、クレジットカードで入れるラウンジが4階にあることを教えて貰い、そこでゆっくり飛行機の離着陸を見ながら過ごす。到着便が少し遅れたことより15分遅れて出発。途中本州上空は厚い雲でおおわれて雲以外何も見えず。広島空港着陸少し前に雲の間から地上が見えた。
ほぼ定時に広島空港に到着し、無事家に帰り着いた。

2026年06月29日

鼠径部ヘルニア手術顛末記

 昨年10月頃、脚の付け根いわゆる鼠径部両側に丸いコロコロした物が触れる様になった。痛みも無くなんだろうなと思っていたが気にしなかった。ところが3月の終わり頃から時折、痛みの様な物が感じられ、家内に何か出来ているようなのだが何だろうと聞いたところそれは脱腸ではないかという。所謂、「鼠径ヘルニア」であるらしい。それで近くの「かかりつけ医」のF先生のところに行き、JA尾道総合病院への紹介状を書いて貰った。
 4月30日にJAの外科を受診し間違いなく鼠径部ヘルニアと診断された。担当の先生からヘルニアは自然に治ることも、薬で治療する方法もなく手術しか無いことを伝えられた。そして手術としては腹腔鏡手術で、おへその場所に穴をあけそこから腹腔鏡(カメラ)を入れ、さらにおへその左右に鉗子などの器具が入る穴をあけて、ポリプロピレン製のメッシュを筋膜の弱い部分(ヘルニア)の内側に挿入し、ヘルニアの穴を内側から補強する手術だと図を描きながら説明を受けた。
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 また「鼠径部ヘルニア手術を受ける前に」というパンフレットもいただいた。中にヘルニアの起きる種々の原因が記されていたが、私の場合年を取ったことによる筋膜の老化ではないかと思った。6月1日入院、6月2日手術と決まり、術前の検査を受けて帰宅した。担当医の先生によると最近鼠径ヘルニアの患者さんが多いとのことであった。
昨年の9月10日から9月19日まで右腎臓癌の部分切除術を受けJA尾道総合病院に入院してから1年も経たないうちにまた入院とは情けない。今回は癌などの重篤な病気でないので少し気が楽である。
 6月1日、朝10時前に家内の運転する車でJAに到着。今日は少し駐車場が空いていてスムーズに駐車出来た。入退院センターに行き色々書類を提出。その後、全身麻酔下で手術を行うために麻酔科で診察を受ける。特に問題は無かった。病院の食道で昼食を済ませ13時に入院センターに行き掛かりの人が病室まで案内してくれた。
6階B棟656号室であった。昨年は5階のA棟であったが今回はB棟のため海は見えないが山の緑が綺麗で久山田の陽光台団地や国道184号線沿いの栗原町の家並みが見えた。
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 病室で担当の看護師から入院後のタイムスケジュールや、入院のしおり、麻酔の副作用としての「せん妄」の説明を受けた。また薬剤師さんから夜21時に下剤を飲むこと、手術後の痛みなどに対する鎮痛薬服用の説明を受け、さらに手術場の看護師さんからも説明を受けた。
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台風6号が近づいてきており明日は雨の様である。9時に消灯し眠りにつく。
 6月2日、4:30に目覚める。6時に起床、体温36.5℃、看護師が来て血圧測定、今日は朝から食事無し。8時からは水を飲むのも禁止となった。廊下を10周し、シャワー浴をした。9時前に担当医のN先生、F先生が個別に来て今日頑張りましょうと応援してくださった。
 おへそを切開するために看護師さんがおへその垢をきれいに取ってくれた。さらに別の看護師が来て綺麗になっているかの確認をしていた。
 11時30分手術室に向かう、家内がエレベーター迄見送ってくれた。手術台に上がり手足を固定された後、麻酔薬を注入され2〜3分で意識がなくなった様だ。
術後病室に戻ったようで、17時30分頃意識が徐々に戻ってきた。うとうとしながら過ごしたが台風6号の風雨が強く夜中0時頃が一番強かった様だ。眠ろうとするが手足や身体に色々の器具が装着されていて身動きが出来ない。同じ姿勢で横たわっているので、腰と背骨が痛くとうとう一睡も出来なかった。病気や、年老いて寝たきりになるといことはこんなに辛いのかな?
 6月3日、夜中じゅう寝れず1時間おきに看護師さんが来て水を飲ませてくれる。身体が痛いと言って少し体位を変えて貰ったがどうにもならない。5時半に採血される。6時過ぎに血圧、体温測定をして貰う。
8時頃全粥の朝食が出てなんとか完食した(37時間ぶりの食事である)。9時前に担当医の先生が傷口を見に来て「問題ない」と言われホットした。その後看護師さんがきて、酸素濃度測定器、心電計、血圧計のカフ、両足のマッサージカフを外してくれた。腰と背骨があまりにも痛いので麻酔の点滴を追加して貰う。これによりだいぶ楽になったし、寝返りも打てる様になった。
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その後看護師さんと手をつないで尿バックを持って廊下を歩いたが無事歩けたので導尿管をぬいて貰った。その管をぬくときの痛みは半端ではなかった。その後痛みは徐々に和らぐが4日間くらい続いた。15:40頃家内がアイスクリームとプリンを持った来てくれた。それにしても「おなら」は出るのだが、「便」はまったく出ない。
   診療室裏の家庭菜園野菜は台風でどうなったのか気になった。
 6月4日、6時半起床、夜中に一度トイレにいく、鼠径部は動くといたい。切開部はそうでもない。N先生が朝様子を見に来てくれた。体を動かしたり歩くように言われ、廊下を午前中10周し、午後にも10周した。合計で3.8kmであった。明日退院することが決まった。それにしてもまだ便がでない。看護師さんにそのことを言ったところ、担当医に報告して下剤が7日分処方された。
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 6月5日、2時頃から目が覚めとろとろしていた。看護師さんにまだ便が出ないと言うがなにも反応がない。これで丸4日以上「糞詰まり」である。
9時過ぎに家内が迎えに来てくれて10時に会計でお金を払い無事退院する。しかしとうとう便は出なかった。
ここでお話は終わりではない。続きがある。

 家に帰ってきたが少しお腹が張って痛くなってきたがトイレに座っても便は出てこない。手術後はあまり腹圧を掛けないようにと言われておりお腹に力を入れることが出来ない。それでコレは摘便しかないと判断し右人差し指に油を塗って肛門の中に指を突っ込んだ。中に堅い便の塊がいっぱいある。30分ほどやって少しは塊が取れた。しかし何時もの様に便はでない。立ち上がると下痢便の様な物が少しづつ勝手に出て来る。肛門はポコッと飛び出しており、肛門を締めることができない。トイレのシャワー温水「おしりソフト」のキーでしかも一番緩い水圧にして洗うが、歯を食いしばるほど痛くて仕方が無い。下痢便様のものが私の意思に反して少しずつ垂れてくる。
 大人の紙おむつをして少し横になり様子をみるが、起き上がるとまたさっと垂れてくる。それでJA尾道総合病院に電話をしてみたところ、主治医は現在手術中で対応できない、近くの医院で見て貰ってくれとのこと。ところがかかりつけの医院は5月30日をもって閉院され行くあてがないと返答し、もう少し待つと言って電話を切った。15:30頃JAより電話があり、手術が終わったので診てくれるとのこと、家内の車でJA尾道総合病院に駆け込む。担当のF先生が見てくれて、痔が出ている様だといってキシロカイインジェリーを塗って肛門を押し込んでくれた。大腸に4日分以上の宿便が溜まっているので出して欲しいとお願いしたところ浣腸をすることになった。看護師さんが薬剤を入れ5分ぐらい我慢して出さないでくださいと言われたが入れて30秒ぐらいで私の意思に関係なく便が勝手に吹き出してくる。10分ほどで収まってきたのでおしりを拭いて貰い新しい紙パンツに交換して貰う。
 6月8日に再診の予約をして処置室を出て帰りかけると急にもよおしてきてトイレにかけこむが少し間に合わなかった。しかしそこでトイレに座って少し経ったところで急に便意を催した。少し力を入れたところ「どばっ」と残っていた便が全部出た感じですっきりした。JAから院外処方箋を貰い肛門内に入れる塗る薬と腸の運動を活発化する飲み薬を出して貰った。本当にとんでもない1日であった。なお6月6日、6月7日と便は垂れては来ない、排便も少しずつある。

2026年06月10日

農作業漬けのGW

 「さいだ歯科医院」は完全週休2日制である。つまり日曜、祝日の他、基本的に毎木曜日が休みである。今年のGWは4月29日が昭和の日で翌日30日は木曜日で休み、5月3日から5月6日までがGWの休みであったが「さいだ歯科医院」は7日が木曜日ということで休み。つまり5連休であった。ただ残念ながら私はどこにも行く予定がなく毎日畑仕事に追われた。僅かな家庭菜園のため収穫すると次の野菜類を植えることになる。
 4月25日(土曜)に早生のタマネギを収穫した。今年はできが良くて大きな玉が出来ていた。翌、日曜日雨の予報であったがなんとか午前中は保ったので肥料を蒔き耕耘機をかけて畑の準備をする。この時点でGWの天気予報は雨マークが多く出ていた。
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 29日昭和の日に朝8時から14:30まで何をどこに植えるか算段し区割りをして畝を作りトマトとキュウリの予定地にマルチを張った。翌30日は終日雨であった。5月2日土曜日の昼休みにイケカク種苗店に行き、ナスビ5本、キュウリ6本、シシトウ2本、ピーマン2本を購入、仕事終了後畑に植えた。トマトは岩子島のI様からミニトマトの苗を少しいただくことになっていたのでそれまで待つことに。
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 5月3日朝は雨がふってなかったので8時ころから畑に行き、ジャガイモ畑の草取りをする。我が家の畑は古い家を壊してできた跡地に真砂土を入れて畑にしたために小石が多い。草をとると土が湿っていて根っこに土がついてくる。これをそのまま捨てたのではだんだん畑の土が無くなっていくので、何時もの様に抜いた草をステンレスの丸いふるいに入れ、少し草がたまるとふるいをゆらし、土はその場に残し草と石に分けて草を捨てる。ふるいに残った小石は畑の隅に捨てる。これを繰り返すためにジャガイモ畑の草取りに4時間以上かかる。途中少し雨が降ったり止んだりしたが何とか終わらすことができた。
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 4日は午後から畑に行きモロヘイヤとオクラの種を植える。その後3月22日に植えたホウレンソウ畑の草取りをする。秋に植えると草もそんなに生えないし、虫もそれほどいないが春の今時分は草がどんどん育ち青虫もいて葉っぱを食べている。
草をとりながらホウレンソウを間違って引き抜いたり、傷つけないように細心の注意を払いながらやった。0.7m×4.2mの畑の草をとるのに4時間掛かった。ほうれん草は思ったほど育っていなかった。
 翌5日朝、ホウレンソウ畑の隣のチンゲン菜畑の草取りを行う。ところで5月5日は、ここ三成地区では子供のお祭りである浦島神社の浦島さんがある。
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これはこの地方にも浦島太郎の伝説があることによるようである。毎年神輿を引いて町内を回り、「さいだ歯科医院」の駐車場で休憩をし、水分補給などをすることになっている。今年も駐車場にやってきたので子供や御神輿、付き添いの親御さんをお迎えした。参加している子供がたったの9人であり台車に乗せてやってきて「わっしょい」・「わっしょい」と掛け声をかけてくれた。休憩が終わった後見送りまた草取りを行う。
やはり4時間ほどかかる。チンゲン菜は草に隠れて良く解らなかったが昨日のほうれん草と違い多くの株が青虫にやられていた。そのあとジャガイモに化成肥料を施肥した。
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 翌6日には岩子島のI様からミニトマトの苗を5本いただいた。それでイケカク種苗店に行き。中玉4本とミニトマト2本の苗を購入して昼から畑に行き植えた。
 翌7日は世間では仕事が開始されているが「さいだ歯科医院」は木曜日で休診お休みである。朝いつものようにウオーキングをしている時、道端で草取りをしていたお年寄りを避けようとして足を滑らし転んで左の膝を擦り剥いてしまった。骨折などはないのだがズボンを引き裂いてしまう。
夕方畑に水やりに出かけた。そしたらねぎの花のところにアゲハチョウとおぼしき蝶が蜜をすいに来ている。形はアゲハチョウと思えるが見たことのない青緑色をしていてとても綺麗であった。
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写真を撮り帰ってインターネットで調べたらアオスジアゲハのようであった。インターネットによると日本には20種類ほどのアゲハチョウが生息しているのだとか。このアオスジアゲハは本州・四国・九州・沖縄に生息しているらしい。それにしても本当に綺麗であったし、ねぎの花にも蜜があることをこの蝶に教えてもらった。
無事GWも終わった。

2026年05月11日

日研71同期会に参加して

 4月といえば日本では新入社員の入社式が全国的に行われる。私も今から55年前(1971年4月1日)に茨城県日立市の小平会館で日立製作所の入社式に臨んだ。1,500名近くの大卒男子社員で本社採用であった。当時中学・高校・及び女子の大卒は各事業所採用というシステムであった。今は一緒ではないかと思う。その後10日ほど研修を受け正式に各事業所に配属された。私は日立研究所第4部に配属となる。同期は全部で44人であった。そして日立研究所1971年入社同期会、通称「日研71同期会」が結成され、年に1〜2回飲み会が行われていた。

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 しかし私は7年間しか日立製作所には在籍しないで歯科医になったので当分行方知れずということになっていた。同期の誰かが「さいだ歯科医院」のHPを見つけて連絡をくれた。そして2008年2月1日に研究所のすぐ下にある日研クラブでの同期会に出席をした。30年ぶりの再会で会った。その後何回か同期会に出席した。前回はコロナ前で、長野県上田市の別所温泉にある同期のY君の実家の温泉宿で会ったのが最後で今回は入社55年目、皆と初顔合わせをしてから55年たったということになる。
 4月17日の朝、新尾道駅9:18の「こだま号」に乗り、福山で「のぞみ号」に乗り換え品川まで行く。途中山頂に雪の残る富士山を見た。品川からは常磐線の特急「ときわ号」に乗りかえて水戸に向かう。途中懐かしい駅の名前がいっぱいあって昔を思いだす。そう言えば昔、常磐線は上野駅の20番線が始発駅であったが今は品川駅になっているのに驚く。利根川を過ぎたころから左手に筑波山が見え出しこれも懐かしい。土浦付近迄は畑などは見当たらず住宅地が広がり随分と開発されているのに驚いた。土浦を過ぎると線路沿いにレンコン畑が見えてきて懐かしかった。
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 14:45に無事水戸に到着。駅すぐ横の「JR東日本ホテルメッツ水戸」にチェックインをした。ところで最近の新幹線や特急列車では車内販売がなく、昼食を食べ損なっていたのでホテル横のコンビニで「あんパン」を買って食べる。その後15:34水戸発の列車で同期会が行われる勝田にむかう。6分ほどで到着。駅前の居酒屋「いろはにほへと勝田店」に向かう16時開始だったが私が一番乗りだった。その後みんながやってきて総勢10人になる。幹事のT君に聞くと連絡先が判るのは23人とのこと。何人かは他界し、後は不明とのこと。日立を辞める時送別会を開いてくれた同じ4部のM君には48年振りに会った。面影が残っておりすぐに名前を思い出す。どの顔も年齢を刻んで味わい深い顔であった。
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 飲みながら一人ずつ現状を報告しあった。まだ働いている人、病気をしたとか、奥様をなくして一人で生活している人などがいて驚くことしきり。2時間ほど飲みながら楽しく過ごして散会となる。2年後くらいにまた集まろうという話になった。是非とも参加したいものである。私を含めて三人が水戸に戻ることになり、他の人たちは日立市や東海村などに住んでいるためここで別れた。水戸駅に着いたがまだ19時過ぎだったので駅構内の居酒屋でもう少し3人で飲んで話しをした。ホテルに戻り早めに床につく。
 翌日は水戸12:27発の特急「ひたち号」に乗って帰るため少し時間があり、水戸市内を歩いて散策した。駅前の水戸黄門さん銅像を見たり、水戸黄門神社、二の丸角櫓、大手門、弘道館を見たが朝早くて中には入れず外から見た。
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 弘道館の隣が三の丸小学校で塀に弘道館建学の精神が掲げられていた。「教育によって人心を安定させ 教育を基盤として国を興す」忠(誠実さ)恕(思いやり)仁(人間愛)、水戸市立三の丸小学校 とあった。
 さすが水戸学発祥の地である。校門で生徒を迎えている先生がいらっしゃったのでその先生に「素晴らしい校是ですね」といったところ、「弘道館の場所ですから」と返事が返ってきた。日本全国このような方針で教育をしていただくと今のように荒んだ国にはならないであろう。ところでなぜか水戸では土曜日だというのに小・中・高の生徒達が登校していた
 その後国道50号線に沿って歩き偕楽園に行く。常盤神社側の東門から入る。 まだ時間が早かったが受け付けの職員さんに聞くとOKとのこと、しかも9時前なので入場料はいらないとのこと、少し得をした感じ。
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 梅も桜も終わり、邸内つつじが咲いてきれいであった。今回は土手を降りて常磐線の脇まで行ってみた。その後歩いてきた道を帰るが、幕末に藩校「弘道館」を開かれた徳川斉彬公の銅像が道端に飾ってあったりした。またカラーマンホールが2種類あった。
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 ホテルまで帰り荷物をかたづけて11時前にチェックアウトをした。駅の売店でお土産を買い、吉野家の牛丼を食べて昼食とした。12:27水戸発の特急「ひたち号」に乗り品川に向かう。この「ひたち号」には驚いた。水戸を出発すると次の停車駅は上野であった。昔の特急と同じだが昨日の特急「ときわ号」は昔の急行列車とほぼ同じ停車駅であることに気が付いた。終点品川で降りて14:19発の「のぞみ号」で岡山に向かい、岡山で「こだま号」乗り換え無事18:23新尾道に到着ほっとする。それにしても9時間で水戸から尾道まで帰り着くのには正直驚かされた。それでも老体の私には少しきつい旅であった。

2026年04月23日

米ぬか酵素風呂に入る

 毎月購読している「致知」4月号に生涯現役というインタビュー記事が連載されている。
今回は『素直で明るくあたたかく』と題して92歳の健康同情コスモポート代表吉丸房江さんのことが記されていた。
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少し転載させて貰うと
「自身が立ち上げた健康道場で、約50年にわたり訪れる人を健康へと導いてきた吉丸房江さん。90の坂を越えたいまも年齢を感じさせない若々しさで現役を貫いているが、かつては自身の将来に希望を見出せない時期もあったという。
運命を変えた転機と独自の健康哲学を交えて、幸せな人生を築く心得を伝授していただいた。」
(─吉丸さんは、健康道場コスモポートを主宰して、訪れる人の健康づくりのお手伝いをなさっているそうですね。)
(吉丸) 
約50年前に、健康な日々を重ねたいという一心から、福岡県糸島市前原町に設立しました。
お越しいただいた方には、おがくず風呂に入っていただいて体をしっかりあたためてもらいます。直径5メートル、深さ1・5メートルのお風呂に檜だけのおがくずが千俵入っていましてね。
そこにコスモ酵素を浸透させて自然発酵させ、ガスも電気も使わないで中心温度を七十℃まで上げ、首まですっぽり入ってもらいます。すると遠赤外線効果で骨の髄まで体があたたまるし、体内の循環がよくなって老廃物が出てくるのです。
(─とても気持ちよさそうですね。)
(吉丸) 
檜のエキスは素晴らしい浄化力を持ち、香りで脳をリラックスさせます。檜ってほとんど日本にしか生育していなくて、昔から檜のお風呂に入れば無病息災って言うくらい素晴らしい木なのです。
それから、がんは体をあたためることが大事。生活習慣病になる人は基礎体温が低い人が多いのです。基礎体温が一℃上がったら免疫力が70%、人によっては百%上がるという人もいます。そして基礎体温が高い人はがんや伝染病になりにくいのですよ。おがくず風呂で体を芯からあたためてもらうと、疲れや不調が緩和されて元気になって帰っていかれるのです。
(─吉丸さんご自身もとてもお元気そうですね。今年92歳をお迎えになるとはとても思えません。)
(吉丸) 
元気だけが取り柄ですからね(笑)。「何を食べてるの?」ってよく聞かれるけど、私は梅干しが大好き。それからご飯とお味噌汁。特に梅干しは万能薬だから、自分で毎年100キロ漬けています。私が梅干しの効能を話し始めたらあなた、きょうは帰れなくなるわよ(笑)。
それから私は、畑もちょっとやってるの。蒔いた種が芽を出すと嬉しいし、檜のおがくずを肥料にしてるから、育った野菜はキラキラ光ってる。「ご自由にお持ち帰りください」って、玄関に置いておくの。」と書かれていた。

 この記事を読んで「檜のおがくず風呂」という言葉に興味が湧き、こんな記事が載っていたよと家内に見せたところ、尾道向島にも似たような風呂がある。しかも家内の中学時代の同級生の娘さんがやっているという。そこで家内にどんな風呂か体験かたがた観に行って貰った。それは生の米ぬかを発酵させた物で、丁度鹿児島県の指宿にある砂湯のような感じだという。そしてものすごく良かったというので。二人で「お宿ぬく湯 元気酵素風呂 尾道」に出かけてみた。
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パンフレットに「米ぬか酵素風呂」についての説明があった。
「米ぬかが発酵するときの自然熱を利用して身体を温め、自然治癒力を高めて健康な身体づくりへとお手伝いする入浴方法です。発酵熱は60℃前後まで上がりますが、体感温度は40℃前後で心地よい温かさです。当店では全国でも珍しい生の米ぬかを100%使用しているため匂いも少なく、美容効果も高いのが特徴です。是非一度ご体感ください!」とあった。
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 酵素風呂の効能として免疫力向上、デドックス、体質改善、美容効果、ダイエットなどが上げられている。使用済みの米ぬかは肥料として再利用するとのこと。
入浴前に風呂の入り方について説明をしてもらい浴衣に着替えて浴場に行く。
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 入浴するとき少し熱めをお願いした。係の方が身体全体にしっかりと米ぬかを乗っけてくれた。結構重さを感じた。更にタオルで包んだ米ぬかを目の上にも置いてくれた。最初はそれほどでもなかったがだんだん暑くなり12〜13分位が限度で終了した。
身体についた米ぬかを払い落とし、シャワーをして上がった。身体の芯まで温まって身体が本当に軽くなった感じがした。聞くと開業して3ヶ月だという。家内は結構はまったようだ。
これからはお客様が増えるのではないだろうか。

2026年04月05日

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