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最近の記事
09/30 日本映画3本鑑賞
09/12 映画「神様のカルテ」と医療費問題
09/06 「武陵源」旅行 PART 8
09/04 「武陵源」旅行 PART 7
09/01 「武陵源」旅行 PART 6
外部グログ

院長のブログ

日本映画3本鑑賞

 最近映画3本を観た。このところ歯科医師会の会務が忙しくて中々映画鑑賞に時間が避けなかった。観たのは「探偵はBARにいる」、「僕たちは世界を変えることができない」、「日輪の遺産」である。
最初の「探偵はBARにいる」は映画の舞台が札幌ススキノである。かって札幌に住んで、たまにススキノで飲んだことのある私には映画のストーリーよりもススキノの町並みが懐かしくそちらに気をとられていた。ストーリーはまあまあである程度楽しませてくれた。
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 次ぎ観た「僕たちは世界を変えることができない But, we wanna build a school in Cambodia.」この映画は2008年に自費出版された現役医科大学生葉田甲太の体験記が元になっている。ストーリーはパンフレットによれば、「ありきたりな毎日に物足りないものを感じていた医大生コータは、ふと手にした海外支援案内のパンフレットに触発されカンボジアに屋根のある小学校を建てることを決意、人材や資金集めに奔走する。しかし視察で訪れたカンボジアでは厳しい現実を目の当たりにし、帰国後もさらなる困難が待ち受けていた・・・・・。」と書いてあった。
 映画の中ではカンボジア内戦の話も出てくる。ポルポト時代の200万人とも言える虐殺の話、その資料館の生々しい展示物には目を覆いたくなる。いまだに続く地雷除去の現場、エイズ患者の話などが織り交ぜられていた。映画の中にこの正月に行ったアンコールワットやベンメリア遺跡、シェリムアップの街などが出てきてこれも懐かしく観た。映画に出てくる子供達の目は私が行った時写した子供の目に似ていた。
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            澄んだ目を持つカンボジアの子供
彼らが資金集めに高級クラブで開くイベントでのはしゃぎようと、現在のカンボジアの人びとの生活とのギャップには違和感を覚えた。日本がいかに恵まれているか見せ付けられる思いがした。
 その次に観た「日輪の遺産」は中々見所があった。大分前からロードショウが始まっていて、そろそろ修了が近づいていたが何とか間に合った。
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この映画のメッセージはパンフレットに書いてあるように「いつかこの国が生まれかわるために」で、「太平洋戦争開戦から70年。日本は今、終戦直後同様に復興のスタート地点に立っている。我々日本人がいかに揺るぎない信念を持ち、困難を乗り越え、成長を遂げたのか。日本人としての矜持を改めて見つめ直す、勇気と希望のメッセージが込められている・・・・」と書いてあった。
マッカーサーの財宝900億円(現在の貨幣価値で200兆円)を祖国復興の軍資金として隠匿する極秘命令を3人の軍人と勤労動員として20人の少女達(12~13歳)が呼集される。腕力よりも、彼女らの懐疑心を持たぬ純粋さが選ばれた。御国のため、それとは知らずに財宝隠しに加担する少女達、頭に巻いた鉢巻には「七生報国」が書かれている。7回死んでも7回生き返りお国のために尽くすと言う意味だが、現代では通用しないであろう。しかし今から70年前には全国民にとってこれが当たり前で、国が自分達のために何かしてくれるのでなく、自分達が国のために尽くす、この気持ちがあったからこそ、終戦後、日本はいち早く立ち直れたのかもしれない。最近の国会中継などを見ると自立心とは反対に国に依存する体質が余りにも多いように感じる。忘れかけた「日本人の心」を思い出させてくれ、本当に良い映画を観たと思った。

2011年09月30日

映画「神様のカルテ」と医療費問題

 先日映画「神様のカルテ」を観た。美しい地方都市・松本の内科医として働く栗原一止(くりはらいちと)通称イチは寝る間もない程の忙しさで働きまわっている。昼間の勤務が終わればそのまま夜間救急医となり、翌日そのまま日勤をするいわゆる36時間勤務が常習化している。現役医者が書いたデビュー作品でありその内容は現代の医療の病巣をえぐり出す。
 そんな一止の前に大学病院から見放された末期がんの患者が現れる。パンフレットから引用させていただければ、ずっと心の中におもりがあるような生活を送って来た一止はそんな患者と向き合う中で、命を救うこととは?人を救うこととは?という医者の在り方、人間としての在り方を見つめ直していくことになる。厳しい言葉をかける同僚、答えを簡単にくれない上司。心に突き刺さる一言をくれる友人。何があっても支え続ける愛妻・ハル。そんな多くの人たちとのふれ合い。そして、一止はそんな中から“ある決断”を下す・・・・

 末期がんの患者が「最後にこんな幸せな時間が待っていたなんて」と漏らす言葉、心を救う内科医「一止」の行動に感動し、医療人たるものかく有るべきとも思った。
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ところで現代の医療は多くの矛盾を抱えている。
 先ごろ日本大学医学部付属練馬光が丘病院が2012年3月をもって撤退すると発表した。同病院は東京23区内で年間9万7000人の入院患者を受け入れ、年間1万9000人もの救急患者の診療を行っていた大学病院である。東京都内の地域医療の要であった大学病院が実質的な破綻状態に陥り、積み重なった赤字額は20年間で140億円に達すると言われている。この病院の病床稼働率は80%を超え、他の人件費比率などの経営指標には問題もなく、外来も混雑して行列が出来る状態であった。
それなのに何故か
保険点数に問題があると分析されている。「医療機関の部門別収支に関する調査」によると、内科系では100円稼ぐのに109円のコストがかかり、また産婦人科では100円稼ぐのに118円の費用が要る。つまり逆ザヤが出るためと報告している。
 

 また9月10日の日本経済新聞電子版に大企業の会社員とその家族が加入する健康保険組合(全1458組合)の2010年度決算は、医療費増加で4154億円の赤字となった。全体の28%に当たる415組合が保険料率を引き上げたものの、過去最大だった09年度に次ぐ赤字額となったと報じていた。そして全体の76%の1115組合が赤字となった。この原因を高齢者医療制度への拠出金の増加と、10年度に診療報酬がひき上がったためだと分析していた。
このままでは健保組合の多くが解散する恐れが出てくるかもしれない。


 また現在人工透析をしている患者はおよそ30万人と言われている。患者一人当たり人工透析にかかる費用はおよそ月40万円、年間480万円となる。
ざっと計算するとその総額は1兆4400億円となる。一方、2010年度の総医療費は36兆6000億円である。日本の人口は1億2800万人であり、透析患者数は総人口に対して0.23%であるが、ところが透析にかかる医療費はおよそ4%(3.93%)を使っていることになる。しかも透析する人の負担は月1万円から2万円で、年額12万円〜24万円である。よって468万円〜456万円は国民が出した保険料と税金でまかなわれている。


 この3件の事例は現実問題であり、どれも死活問題を含むが、患者の命を救うために全身全霊を傾けようとしている栗原一止とのアンバランスは何なのだろうか?

2011年09月12日

「武陵源」旅行 PART 8

 夕食は日本食のレストランであった。残念ながらお店の名前は忘れた。店の雰囲気は日本料理店らしく見えた。しかし若い女性従業員が浴衣を着てサービスをしていたが、その着かたが、なんともだらしなく残念であった。
 また料理に関して言うと、刺身は冷凍ものだし、驚いたことに塩焼きの秋刀魚も出たが、3人で1匹、お寿司も盛り合わせなのだが各種2貫づつで、3人で分けて食べろと言う。どうやら中国料理は盛り合わせたものを皆でつつくのでその感覚で出してくるらしい。最初驚いて文句を言ったが、言葉が通じるものではない。茶碗蒸しも出てきたが、こういうところで日本料理の味に期待するのが間違いである。中華料理に飽きてきているので、目先が変わったのだと思うしかない。
ホテルに到着後、明日は帰国と言うことで早々に片づけをして寝る。家内の足は余り変化無し。
 朝起きてホテルの窓から街中を覗くと結構長沙市は都会である。人口は200万人位らしい。朝食後湖南省博物館に行く。
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 長沙市内(ホテルの窓から)                 湖南省博物館
 飛行機の出発時間も有り、博物館見学は40分ほどであった。この博物館には馬王堆古墳より発掘されたおよそ2,000年前のミィーラが展示されている。
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        博物館の案内パンフレット(中国語)
 このミィーラについては発見されたとき随分とセンセイショナルに報道された記憶がある。1972年に発見され、当時の新聞記事によれば、「エジプトなどのミィーラのように干からびたものではなく、皮膚には弾力性があり、胃の中にはマッカウリの種があり死んで間もないものだと思えるような状態だった」と記載されていたのを今でも鮮明に覚えている。そのミィーラに御対面できて凄く感動した。随分と上手に古墳に保管したようだ。目玉や舌は内臓の腐敗ガスのせいか飛び出していたが、復元模型の顔からすると結構美人ではなかっただろうか?
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 復元された埋葬者                       一番外の棺
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発掘調査時の写真                       解剖時の写真
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2000年前のミィーラ                        副葬品
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 棺から出てきた食事                 当時(2000年前)の習俗 
 こういうところの見学はもう少しゆっくりと見学したいものである。
その後長沙空港から上海虹橋空港に向かう。虹橋空港から浦東国際空港まではバス移動である。
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 上海湖東空港                       一路広島空港へ   
上海からほぼ定刻に飛び立ち20:20頃広島空港に降り立つ。
無事帰れてほっとする。Sさんは、初めての海外だったが大いに満足されていた。
Sさんの奥様には終始家内に付き添って助けてくれて大いに感謝である。
 翌日家内は病院に行き精密検査の結果、膝にたまった水を抜いてもらった。家内にとっては散々な旅行ではなかったのだろうか?
次回行くチャンスがあれば良いのだが。

2011年09月06日

「武陵源」旅行 PART 7

 食後、予定では土産物屋とそこにある砂絵博物館を見る予定であったが、現地ガイドの「彭徳」さんが、天門山に行くことを勧めてくれた。
 パンフレットによると、『天門山は市街南部3kmの所に位置し、海抜1528.6m、張家界市で最も高い峰で、張家界市のシンボルマーク的山である。余りにも険しいため、よじ登るには桟道に頼るほかはない。高さ1000mの絶壁を穿つようで、高さ131m、幅57m、奥行き20m余りの天門洞は特に珍しい。1999年ここで行われた世界スーパー飛行コンクール(天門洞飛越)で、数人のスーパー飛行士が初めて天門洞の飛越に成功した。』と書いてある。
2年前にロープウェーが設置され行き易くなっているとのこと。
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    天門山索道入り口                 パンフレット
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 天門山の説明                     民家の頭上を越えていく
 1人6000円のオプションだが歩かなくても良いし、時間が無いので下車しないでロープウェーに乗ったまま往復すると言う。足を痛めた家内もいけるということで急遽ツアーの全員が行くことになった。
乗り場は街の中にあり、ロープウェーは民家の頭上を通り、張家界駅の上を通りながら山の頂上に向かう。片道7455mで、高度差1279m、往復1時間かかった。
 日本では民家の上を何のガードもなくロープウェーを通すなんてことは考えられない。中国だから出来ることかもしれない。
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 遥か向こうの頂上まで続く               2階ベランダで干していた
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 遥か長沙市を望み九十九折の道              天門洞
ロープウェーから見る景色は素晴らしく、張家界市が一望でき、途中農家の庭先にトウモロコシを干しているのが見えたり、九十九折の道に驚く。また切り立った山肌の直ぐ側をスリ抜けていくのにスリルを感じた。6000円は少し高いと思ったが乗ってみてリーズナブルと思った。
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   切り立った岩山を抜けて                 ひまわりの種
 下山してバスで今夜のホテルがある長沙市に向かう。およそ300キロメートル離れている。高速道路は途中から上り線を封鎖し道路工事をしている。そのため、下り線が分離帯無しの対面交通である。速度制限もなくビュンビュン飛ばしている。案の定途中で事故車を見た。2回ほどパーキングエリヤでトイレ休憩。
 今回は一度も土産物屋に寄らなかったので、パーキングエリヤの売店でビールのつまみに良いという事でひまわりの種を買った。
夜8時過ぎにやっと長沙市に付く。続きはPART 8

 

2011年09月04日

「武陵源」旅行 PART 6

 続いて同じ公園の中にある黄石寨(こせきさい)風景区の観光に向かう。片道900mのロープウェー(片道3分)で標高1092mの展望台に上がる。パンフレットによれば「黄石寨に行かなければ張家界に行ったとは言えないといわれる絶景」と書いてある。今日のロープウェーはあまり待たないで直ぐ乗れた。
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 このロープウェーは床が透明版で下を覗き込むことが出来る。高所恐怖症の方は少し怖いかもしれない。上からは森林公園の全体の景色が見渡せたがパンフレットで説明されているほどではなかった。
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 足下の風景                        展望台より望む
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 断崖絶壁の下に街が                  なたで割ったとの伝説
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                            建設ラッシュの張家界市
 ここでもミャオ族の女の子が観光客の求めに応じて写真を取らさせている。
たまたま衣装の柄をカメラに収めようとした人がいたので、後ろから写真が撮れた。一通り見てバスで下山。
ところが家内と待ち合わせた場所に行くがさっぱり姿が見えない。この人ごみでしかも海外となると探すのが大変。添乗員の方も少し焦っていた。朝分かれるときに携帯を持たせていたので添乗員の方に電話してもらうが通じないとのこと。少し慌てた。Sさんの奥様もあちこち捜してくれた。公園の入り口まで引き返してやっと見つける。
 訳を聞くとまたバスで移動するのでトイレに行っていたとのこと。電話も先ほど通じたとのことやれやれである。海外まで携帯を持ってきていて良かった。予定より30分近く遅れて出発。
 昼食は張家界市で取るとのこと。今までいたところは張家界郡なのだそうだ。張家界市は人口20万程度でどんどん開発されてきているようで町が凄く新しくあちこち建設ラッシュであった。現在ビルを建てている現場の足場も竹ではなく鉄パイプの足場である。昔香港で見たときは全部が竹の足場で驚いたことを思い出す。かなり近代化されている感じがした。
 昼食は開業百年の老舗「火宮殿」湖南飲茶を食べたが、今回の旅行で一番美味しく量もあった。当然30元でビールを頼みのみながらの食事楽しかった。
続きはPART 7へ

2011年09月01日

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