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映画「荒野に希望の灯りをともす」を観て

 先日3年ぶりに映画を観に行った。この映画はパンフレットによれば「アフガニスタンとパキスタンで35年に渡り、病や貧困に苦しむ人々に寄り添い続けた、医師・中村哲の21年間継続的に記録した映像から、これまでテレビで伝えてきた内容に未公開映像と現地最新映像を加え劇場版としてリメーク。混沌とする時代の中で、より輝きを増す中村哲の生き方を追ったドキュメンタリー。」とあった。
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 彼の活躍は何度かTVで観たことがあり、2019年12月4日に彼が何者かの凶弾で命を奪われたとニュースが流れたとき「えっ」と声が出て何でと思った記憶がよみがえる。
 私が毎月購読している「致知」2020年6月号に中村医師を応援していたペシャワール会会長の村上優医師(中村医師の2年後輩)へのインタビュー記事『「天、共にあり」中村哲医師の遺志を受け継がん』が掲載されていて中村哲医師の活動をある程度認識していた。
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 その記事の中に村上優医師と中村医師が1979年にパキスタンを訪れたが、ソ連のアフガニスタン侵攻で国境が封鎖され通行許可書が取れなかったり飛行機が欠航になったりして1ヶ月くらい山の中に閉じ込められた。そこで何もすることがないので毎日満天の星空を眺めながら夜な夜な、医療のことから人生のことまで語り明かした。その時、『中村医師は「命は不平等である」と言う言葉を発っせられた。僅か数十円の薬が買えずに亡くなって行く人たちを目の当たりにし、つくづく「命というのは不平等である」との思いを抱かれたのでしょう。それを何とか解決しなければいけないと強い口調で言われていた姿は、今も鮮明に覚えています。』と有った。これが中村医師の活動の原点であるようだ。
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 映画のパンフレットから引用させて貰うと「パキスタン、ペシャワールのハンセン病棟で始まった医療活動は、やがてアフガニスタンの山村無医地区に広がって行く。しかし2000年、アフガニスタンを大干ばつが襲った。農業は壊滅し、飢えと渇きで瀕死の人々が中村医師の元に押し寄せたが、医療で支えるのは限界であった。そして起こった9.11アメリ同時多発テロと、それに続くアフガニスタン空爆。その時、中村は誰も想像しなかった決断をする。用水路の建設だ。大河クナールから水を引き、乾いた大地を甦らせるというのだ。果たして、医師に用水路建設など出来るのか。無謀と言われた挑戦が始まった。
 専門家がいないまま始まった前代未聞の大工事は、苦難の連続だった。数々の技術トラブル、アフガン空爆、息子の死・・・。中村はそれらの困難を一つ一つ乗り越え、7年の歳月をかけ用水路は完成、用水路が運ぶ水で、荒野は広大な緑の大地へと変貌し、いま65万人の命が支 えられている。」
 今回の映画を観て深く心を打たれた。中村医師が語った言葉が朗読され画面に字幕として挿入され目で追っていくたびにすごいな、すごいなと思い時に目頭があつくなった。
パンフレットによれば「彼らは殺すために空を飛び、我々は生きるために地面を掘る」という言葉が出た画面では、空に戦闘ヘリが飛びかう中、地上では中村医師達が用水路の建設に励んでいた。中村医師の話では機銃照射もされたとか。
 彼の生き方・行動を観ながら自分がいかに小さく身勝手に生きてきたかと反省させられる。それと同時に江戸時代荒廃した600以上の村々を復興させた二宮尊徳翁と中村医師が重なった。世界中グローバリズムがはびこり「今だけ金だけ自分だけの世の中」では考えられないことであり、日本人として本当に誇れる人である。今日本では中村医師の生き方が中学や高等学校の教科書で取り上げられているとか。同じ日本人として中村医師のことを誇りに思うと同時に損得や打算も無くこのような平和活動をしている人であっても、最後殺されるというのはあまりにも理不尽である。
 多くの先進国が途上国を支援するときお金を出すだけのケースが多い。この場合は多くの資金援助は賄賂などで大半消え、現地に届かないことが多いと聞く。しかし中村医師達の場合はペシャワール会が集めた日本からの寄付金を直接中村先生達の現地組織に送金しているのですべてが現地に届くのでは無いだろうか。
ぜひこの映画は国会議員や政府のかたがたに観ていただきたいと思う。

2023年01月14日

2022年から2023年へ

 今年の年越しは例年と少し違った。というのも11月21日の早朝ウオ−キング時に、つまずいて転倒した。その際右手小指の脱臼と手首の捻挫をしてしまった。小指の方は思い切り引っ張ったところなんとか元の位置に戻った。近くの整形外科に行きレントゲン写真を撮ってもらったが骨折は無いとのことであった。その日はそれほど右手は腫れなかったがその翌日になるとぱんぱんに腫れ上がり、私自身は「ふくよかな女性の手だ」と冗談ぽくいったら、従業員の衛生士さん達から「赤ん坊の手だ」と言われた。それから日々の仕事は大変で、歯を食いしばりながら年末まで仕事をした。今日1月4日現在でもまだかなり腫れていて、じゃんけんぽんの「ぐう」が思い切り握れないし、ペットボトルの蓋が開けられない。また箸を持って食事をするときも痛みをこらえながらしている。受傷後どれくらいで完治するのであろうか。
 それに加えて12月23日頃から鼻水と咳と発熱があり24〜25日と床に伏せっていた。幸い熱は下がったが咳・痰・鼻水が出て市販の「ベンザブロック」や「ストナー」などを購入して服用した。なんとか29日まで出勤し無事2022年の仕事を終えた。30〜31日はお正月に向けて家の掃除を少し手伝ったりした。家内は私の風邪がうったのか似たような症状が出ている。今回の風邪はどうやら5月以来毎朝5時からウオーキングすることによる睡眠不足が原因(平均6時間前後)と判断し疲労が溜まりにたまっているのでこのお正月は寝正月を決め込む。大晦日の紅白歌合戦も夜10時半には切り上げて寝てしまう。
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ただし初日の出は写真をとおもい、6時半に起床し例年のごとく近くの消防署前の海岸にて写真に収める。白鷺まで来て初日の出を観ている。穏やかな初日の出、日の光を浴びると今年も頑張ろうと気持ちが引き締まる。
   IMG_3409-1.jpg    IMG_3432-1.jpg                                                                                                                                                                                                                                                                                                                
 帰って毎年のように国旗「日の丸」をベランダに立てかける。昼前に次男一家が新年の挨拶に来た。彼らはこの後大阪の嫁の実家にいく。
その後年賀状を受け取り出しそびれていた方に返事を書いて本局まで持って行く。今年も女性の年賀状受け取り隊が出動していた。彼女のかごに投函。そういえば昭和37〜38年(高校1年生)と昭和38〜39年(高校2年生)の冬休み、この本局でアルバイトをして年賀状を配達したことを思い出す。ちょうど60年前のことである。配達区域は本局から西へ「桂馬のかまぼこ屋」までで、配達員の方が肩にかけて運ぶ「がま口」といわれる鞄3杯分があつたように思う。一つ配り終えると局まで帰り次を持って出て配るということをした。アルバイト賃は確か1日350円であったと思う。そのアルバイト賃で研究社の「英英辞典」を買った。今でも時折使用する。
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 2日は8時前に起きだし、8時からTVで「東京―箱根間往復大学駅伝」を観る。出場選手の出身高校の名前が出ていたが、広島世羅と出ているのを観ると頑張れと応援したくなる。往路は「駒澤大学」が優勝した。昨年の覇者青山学院は9位で驚いた。
 3日も朝のウオーキングは無く7時半までゆっくり寝て8時から駅伝の復路をTV観戦した。駒澤大学の総合優勝で幕を閉じた。青学は頑張って3位に順位を上げていた。さすがだ。
かなり体力が回復してきたので3時過ぎから久しぶりにいつものコースをウオーキングした。鼻水がかなり出てマスクがびしょびしょになった。
 本日4日は世間では仕事始めのところもあるが「さいだ歯科医院」は開業以来、年末の休みは30日から4日までと就業規則に決めている。今年は5日が木曜定休日なのでもう1日長い。6日からの仕事に体を慣らすため、本日より朝のウオーキングを開始した。
 TVや新聞などを読むとロシア・ウクライナ戦争、欧米のインフレ問題、エネルギー不足問題、円安、物価の高騰、増税、コロナなど今年の見通しはかなり厳しいようだ。なんとか今年を乗り切り最後に明るく笑いたいものである。

2023年01月04日

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