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05/26 玉ねぎ収穫
05/12 スイス政府編「民間防衛」を読んで
05/05 「フォレストアドベンチアー」初体験
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院長のブログ

玉ねぎ収穫

 先日、昨秋(9月20日)に種まきをした玉ねぎを収穫した。毎年、玉ねぎは種から植えることにしている。農作業覚え書き見ながら振り返って見ると、種はスーパーマーケットのコスモスで「おいしい玉ねぎ まどか (中生)」を購入。袋の裏に種まきなどの詳細が書いてありそれに従う。
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 まず玉ねぎの種を苗床にまき湿った新聞紙で種の上を覆い10日ほど過ごす、途中水やりは欠かさなかった。その後新聞紙の覆いを外し、液肥(万田酵素)と粒状の有機肥料(有機189)を与え育苗した。
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 そして10月30日にマルチの畝をつくり、11月3日にその苗を植え付けた。12月2日の時点で4本ほど枯れてしまい、予備に残していた苗をそこに植えた。そして途中2月に草を取ったりして5月9日に液肥をやり5月21日に収穫した。
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 昨年は丁度この時期ワクチン2回目を打ち終わっていたにもかかわらずPCR検査の結果コロナに感染しているということで5月21日から1週間JA尾道総合病院に入院していた。幸いにも症状はまったく無かったが、入院中に雨が降った。退院した翌日に収穫をしたがかなりの数が腐りかけていた。玉ねぎの収穫は雨との戦いとなる。私はまだ歯科医師としてフルタイムで働いているので農作業は日曜、休日にしか出来ない。全く天気を考慮出来ない。
今年は1個が完全に腐って2個が根の近くが少し腐りかけていたが十分食べられる程度であった。同じ種、同じ畝なのに玉ねぎの大きさに差が出る。小さいのもいくつかあったが概ね成功であったと思う。
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 ところで収穫した玉ねぎの中に双子の玉ねぎが4個有ったこれらは根が同じなのに途中で分岐して2個玉になっている。人間の場合は精子2個が一つの卵に入れば一卵性双生児であり、精子2個が2つの卵に入れば2卵生双生児である。しかしこの玉ねぎの場合苗を植えたときには全くもってその様な気配は無かったのに大きくなる課程で分裂したのだろうか?一体どんなメカニズムが働いたのか不思議で面白いこともあるものだ。
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 従業員やご近所さん等にお裾分けをしたが、今年は産地での不作により玉ねぎの値段が高く今日(5月25日)のNHKのニュースでは平年の2.21倍になっているとかで従業員さんに喜ばれた。
 最近、滅多に畑に顔を出さない家内が昼前に畑にやってきて一緒にトマトやキュウリの支柱立てや脇芽欠きをした。
これという趣味のない私にとって家庭菜園で季節を感じ、風を感じ、植物のにおい嗅ぎ、鳥の声を聞きながらいろいろの野菜を作り、収穫するのは本当に至福で楽しいものである。
 いま畑ではジャガイモの茎が倒れかけ下の葉が少し枯れてきたので6月梅雨前に収穫を予定している。楽しみである。

2022年05月26日

スイス政府編「民間防衛」を読んで

 2月24日にロシアがウクライナに侵攻した。連日両国の戦闘の様子がTVで放映され新聞紙上もそのニュースで溢れている。ロシアがウクライナに侵攻したことは決して許されることではないがそれ相応の事情があったのかもしれない。この状態を見ながら日本でもこのようなことが起きることは十分予想される。ウクライナの悲劇は対岸の火災ではなく、明日の台湾、明日の日本が待ち受ける悲劇であるにも関わらず、多くの日本人は対岸の火事視している。まずロシアに関しては日本との国境は高々3.5qつまり私の診療室から新尾道駅までの距離しかない。また中華人民共和国は尖閣諸島を核心的利益であり中国の領土だと言い続けて領海侵犯を繰り返している。さらに北朝鮮はミサイルの発射を繰り返し核実験も行おうとしている。今日のウクライナが明日の日本であることは十分察しがつく。しかしTV等で街の人々のインタビューが放映されるが、多くの人は「戦争反対」と言っている。しかし日本が攻められた時に防衛する戦争(ウクライナ状態)まで反対している感じがする。そもそも侵略戦争と防衛戦争を同一視している感じがする。
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 ところで私の手もとに「あらゆる危険から身をまもる民間防衛・・・スイス政府編」(原書房 2009年12月28日 新装版第24刷 訳者 原書房編集部)という10数年前に購入した本がある。訳者あとがきまで入れて319ページのチョットした本である。途中まで読んでそのままにしていたのだがロシアのウクライナ侵攻を受けて再度引っ張り出し最初から読んだ。まずこの本はスイス政府が発行し全国の各家庭に一冊ずつ配布したものである。
スイスは1815年以来200年以上永世中立国として知られているが、永世中立国だと言っても何時侵略を受けるかわからない、それで平素からどのように備えるべきかこの本を通じて国民に知らしめている。内容は平和ぼけした日本人にとっては相当ショッキングなものである。
始めの書き出し部分を少し抜粋すると、
「この本は我が国が将来脅威を受けるものとして書かれたものである。スイスは、侵略を行うなどという夢想を決して持ってはいない。しかし生き抜くことを望んでいる。スイスは、どの隣国の権利も尊重する。しかし、隣国によって踏みにじられることを断じて欲しない。・・・・我が国の中立は守られている。にもかかわらず、それによってわれわれが盲人であってよいことということにはならない。我が国の安全保障は、われわれ軍民の国防努力いかんによって左右される。・・・・自由と独立は、我々にとって財産の中で最も尊いものである。自由と独立は、断じて、与えられるものではない。自由と独立は、絶えず守らなければならない権利であり、言葉や抗議だけでは決して守り得ないものである。武器を持って要求し、初めて得られるものである。」
いかに自分たちが努力をして国を守り、中立を守るのか心構えが述べられ祖国防衛の意識から説かれている。
その後は国民各自の役割とか行動の仕方、男性は銃を持って戦うとか女性は後方支援にまわるとか、各地域ごとに頻回に訓練を行うことが示されている。防災の準備、食料、燃料、医薬品などの必要物資が多岐にわたって例示されている。この部分については日本でも水害、地震などへの備えとして少し示されているが、スイスは日本と同じように食料の自給が出来ないため、前もって2ヶ月〜1年と長期にわたる備蓄が行われている。
 さらに近隣国で戦争が起きた場合の対処の仕方など例を挙げて説明。また他国がスイスに侵攻してきた場合の対応の仕方についても詳細に記載されている。そして戦争も通常兵器だけで無くABC戦争つまり核兵器、細菌兵器、化学兵器が使用されたときの対処法についても述べられている。例えば核戦争に対してはシェルターへの避難となっている。スイスの核シェルターは各家庭で持つことを義務づけられており100%の普及率である。一方日本での普及率は0.02%で無いに等しい。爆心地に近い場合放射能の関係でシェルターからは1ヶ月以上でられない。そのため空気清浄機を備え食料・水などを日頃から蓄えるように指導されている。
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また応急手当についてもケースごとに細かに説明されている。さらにスイスが占領された場合のレジスタンスのことにまで言及している。
 最初に書いてあるように永世中立を維持するためには並々ならぬ日々の努力と潜在的脅威に対して備えている。この事がナチスドイツのヒットラーをしてスイスを攻撃することを諦めさせた。
 スイスでは侵攻されれば24時間以内に最新鋭の武器を備えた約50万人の兵士の動員が可能である。スイスの人口は2021年で約870万人である。その中での50万人である。一方日本は1億2000万人に対して自衛隊の人員は25万人弱である。あらゆる危険に備える平和愛好国といかなる危険にも目をくれない平和愛好国、との差であり、スイス人からは「日本人は国を守る気があるのか?」と問われるかも知れない。
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たまたま5月3日の憲法記念日に夜8時からBSフジの「プライムニュース」で「与野党が憲法改正論議 9条で国は護れるのか ウクライナ危機と日本」と題して討論の様子が放映されていた。共産党はあくまで憲法改正反対の立場で自衛隊は違憲なので無くすのが正しいと言いながら、もし今、日本が攻められたらいの一番に自衛隊を使って対応するなどの自己矛盾の発言あり。彼らは自身の安全を確保しながら自衛隊員には犠牲を強いることに強い憤りを感じた。私は日本人であり日本をこよなく愛している。
何を守るのか?と問われれば領土と主権、国民、国体、自由、民主主義、先人から受け継がれている大切な文化、伝統・価値観などである。
 是非ともこの本を総理大臣を始め政治家の人、また平和ぼけしてお花畑に住んでいる一般国民に読んでもらい、憲法9条では平和を得られないこと、どう対処すべきか議論をしてもらいたいものである。
 また日本はアメリカとの間で日米安全保障条約を締結しているのでいざというときはアメリカが守ってくれると勘違いしている人が多い。それは77年前の大東亜戦争の時、日本はソ連(いまのロシア)とお互い攻めないという不可侵条約を結んでいたが日本がポッダム宣言を受け入れて降伏する6日前の8月9日に突然条約を破棄して日本の満州に攻め込んできた。その結果民間人を含めて多くの人が犠牲になりさらに武装解除された兵士57万人がシベリヤに抑留され約5万8千人が亡くなった。このように条約などは一方的に直ぐに破棄される。その例としてお隣の韓国などの慰安婦問題、徴用工問題など話し合いで決まっていても直ぐに破棄される。徴用工問題は岸田総理が外務大臣の時話し合いで決まっていたのをちゃぶ台返しされている。これを考えると日米安全保障条約でさえもいつ破棄されるか分からない。自ら戦わない国は他国からも見放される。頼れるのは自分だけである。そなえあれば憂い無し。
本当にこの度のロシアのウクライナ侵攻を日本の事として対応しなくてはならないと思う。

2022年05月12日

「フォレストアドベンチアー」初体験

 ゴールデンウイークに沖縄の長男の孫達が3年振りに二手に分かれて尾道にやってきた。まず第一陣として中3と中1の2女と3女が29日夕方にやってきて広島空港に迎えに行く。尾道の二男一家と一緒に夕食をした。その時、明日どこに行こうかという話になり、愛媛県西条市にあるフォレストアドベンチアーに行くことが決まる。何のことやら良く判らないがどうやらアウトドアのアスレチックらしい。
翌朝車2台で出かける。しまなみ海道は少し車の量は多かった。途中大浜サービスエリアで朝昼兼用の食事をして一路「フォレストアドベンチアー西条」に向かう。予約時間は13時であったが12時には到着。
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 このフォレストアドベンチアーというアスレチックはフランスが発祥でこの西条のコースもフランスALTUS社が設計施工したとのこと。
受付後、ハーネスという安全装置を着用、丁度高所で作業をされる人達が着用するものでそれに滑走するためのプーリーや安全装置のフック(カラビナ)を装着して出発。
結構重量があり物々しい感じである。5分ほどで出発点に到着。ここで15分間安全講習を受け、小さいコースでプーリーやカラビナの使い方を習い、練習していよいよ本番である。
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 周りを見渡すとワイヤーが張られ樹にウッドデッキが作られている樹から樹にはゆらゆら揺れる吊り橋とか、ロープなどのアクティビティが樹から樹に張られている。このロープを渡ったりするのかと思うと少し緊張する。一番高いところは地上から18メートルとのこと。
 西条のフォレストアドベンチアーには初心者用の「キャノピーコース」と「アドベンチアーコース」がある。二男の小学6年生の孫娘は以前「キャノピーコース」を体験済みとか。
それで全員が「アドベンチアーコース」にチャレンジした。このコースはパンフレットによると西日本最大級の森林アスレチックパークで4サイトがあり、清流、大明神川をまたいだジップスライドやアクティビティがてんこ盛りとのこと。
 二男の嫁さんを先頭に二男の娘、沖縄の孫娘二人、二男、家内、私がしんがりで挑戦開始。家内は右膝に人工関節を埋め込んでいるが大丈夫なのか心配になる。二男が手本を見せながら先に行き、家内が続く、途中家内はジップスライドで対岸への着地に失敗して真ん中まで後戻りしたが係の人がロープを出してくれて無事渡れた。私と言えば恐る恐るぐらぐら揺れながら手でロープを持ったりしながら移動した。ジップスライドではなぜか途中で体が回転し着地は背中からになることが多かった。
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 1サイトが終わった時点で家内はリタイヤー。私は次の2・3サイトに挑戦。このサイトは目的地まで行って違ったコースを通りながら現在地に戻って来るコースである。樹から樹へネットの上を歩いたりして移ると、はしごを登り一段高いウッドデッキに到達。そこから次の樹にはブランコがいくつもつり下げてありそのブランコの板を渡りながら移動するのだが足を掛けるとブランコが前後・左右・斜めにと動きバランスをとるのが難しい。色々のアクティビティをこなして最後にジップスライドをして戻って来る。4サイト目は少し難易度が上がるとのこと。孫娘達は挑戦するというので私も挑戦しなんとか無事終えることが出来た。所要時間は2時間ほどだった。
 この様なアスレチックがあるのを初めて知った。ただ緊張していたせいか周りの景色はほとんど憶えていない。ましてや写真を撮るなどの余裕は全くなく、二男の嫁さんがすこし撮っていてくれていた。確かに川の上をジップスライドしながら川の流れが見えていたのは間違いないのだが楽しんで手を振るなんてことは出来なかった。この2時間トイレ休憩は出来ないので、もう少し年を取ってトイレが近くなると駄目だと思った。
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帰る途中来島パーキングエリアで一息入れて帰る。
 翌朝、孫達はなんともないと涼しい顔をしていたが私は腕と胸の筋肉を家内は腰が痛いと言っていた。どうやら後期高齢者の私や家内にとっては年寄りの冷や水で有ったようだ。

2022年05月05日

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