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外部グログ

院長のブログ

初めてのスペイン旅行PART 9

 朝7時起床し、帰国の準備をする。11:15までにスーツケースをドアの外に出ように添乗員さんから言われた。お土産などもなんとか全部パッキングが出来た。
結局、旅行中一回も雨に遭わなかった。雨傘やウインドーブレイカーは無駄であったがその方が良かった。ホテルの部屋に飾ってあった土で出来た古そうな人形は、なんとなく日本の土偶に似ていて親しみが湧いた。
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 11:45バスにてホテルを出発、30分ほどでバルセロナ空港に着く。バルセロナ空港は明るく綺麗でテナントもしゃれていた。
 飛行機はエミレーツのB777-200で往路の関空からドバイまで乗ったB777とは違いドバイからマドリードまで乗ったA380と同じく座席は窓際に2列。中央に2列の計6列のためゆったりしている。15:30にドバイに向けて出発。機内食を食べ、いつもの様に映画を観る。
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 アメリカ映画「インディ・ジョーズと運命のダイアル」1本を観た。来るときと違って疲れていたので映画は1本観ただけである。7時間強のフライトで現地時間0時過ぎに到着。乗り継ぎのためラウンジでビールを飲んで過ごした。
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 ドバイをAM:3:00出発予定であったが中国が空路上空を飛行禁止にしていたので出発が50分遅れて飛び立つ。最初そうなんだと思ったが、ふと考えると関空に着いてから尾道に帰る新幹線が無くなるのではと心配した。ドバイからの飛行機は往路と同じB777で席が両脇2列で真ん中が3列の計7列ためバルセロナからの飛行機6列と違って1席多くなった分、1席あたりの横幅が狭くなり寝返りが出来なかった。
 現地時間の6時頃(日本時間11時)に食事が出たが、軽食でお寿司にした。また食事が日本時間で16時頃に出た。もう時間感覚が鈍ってしまいその食事が朝食なのかランチなのか、早い夕食か解らなくなった。食べたのは日本食の「幕の内」であった。
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 途中日本映画「アイスクリームフィーバー」を観たが良く解らなかった。
無事関空に18:20頃に到着。スーツケースを受け取り税関を通り、スーツケースの宅配をお願いする。17日午前中には届くようである。
 新大阪20:37のこだまに乗り22:21新尾道に到着。急いで改札を抜けタクシー乗り場にいくと運良く一台が停車していて無事乗れた。後から来た人はどうなったのかな。本当にタクシー不足だと思う。23時前に我が家に無事帰り着く。夕食を食べ風呂に入り、後は何もしないで16日午前1時過ぎに床に入る。今日から仕事だが午前中は休みを取っていた。
なお帰ってTVを観るとカープがCSでDeNAに連勝して阪神との決勝戦に行くことになっていた。また藤井聡太氏が将棋で八冠を達成したとか。すごいなと思った。

 
ところでスペイン旅行を終わって思ったことは、このツアーに1万数千年以上前の旧石器時代にクロマニヨン人によって描かれた壁画が残る「アルタミラ洞窟」の観光が無かったのが残念であった。 
 また各地ですばらし大聖堂などを見学したがこれらの「建設資金はどうしたのだろうかと?」とふと思った。 高校で習った世界史の記憶を基に考えてみた。
 1492年にコロンブスが新大陸を発見してから大航海時代が始まる。その時、当時のポルトガルとスペインは地球を2分割して支配しようとローマ教皇の許可の基、1494年6月7日に「トルデシャリス条約」締結した。これによりヨーロッパ以外の新領土の分割方式が取り決められ、西経46度37分の東側の新領土がポルトガルに西側がスペインに属することが定められた。当然日本人は知るよしも無い。
 これによりスペインは南米において植民地を形成し、ピサロがインカ帝国を滅ぼし、コルテスがアステカ王国を滅ぼし莫大な金・銀をスペインに持ち込んだ。この資金で多くの大聖堂などを建てたことを考えると少し見方が変わる。またマゼランが世界一周をしたことで地球が丸い事が証明された。それにより反対側にも境界線が必要だと言うことで、1529年4月22日に東経144度30分の子午線を第2の境界としてサラゴサ条約を結んだ。これにより北海道の一部(知床半島)を除く日本全土、言うなればアジア全部がポルトガルの支配可能地となった。
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  図はWikipediaから引用 〔トルデシャリス条約(紫)サラゴサ条約(緑)の境界線〕
 そして1543年ポルトガル商人より種子島に火縄式鉄砲がもたらされる。またスペイン人のフランシスコ・ザビエル(宣教師)がポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドゴアに派遣されその後1547年日本に初めてキリスト教を伝える。この後、多くの宣教師や商人がやってきた。彼らは布教や貿易だけで無く、その地域を植民地にするための情報収集をしたり、アジア・アフリカの人々を買って人身売買を行っていた。例外なく日本でも行われ、中でも寄港地の九州は悲惨な状況になっていた。彼らは日本人を買って船に積み込むと容赦なくヨーロッパに連行した。また日本人の中にはポルトガル人を真似て親、子、妻子を売り飛ばす輩まで出てきた。さらにキリスト教に改宗した人達に多くの神社仏閣を破壊させた。これらのことを豊臣秀吉は見聞きし、天正15年(1587年)に伴天連追放令をだした。しかし交易は許していたのでその後も問題は残った。そして徳川幕府は寛永16年(1639年)に長崎出島においてのみオランダ・清国との取引を認めそれ以外の国との取引並びに、日本人が海外に渡航するのも禁止する鎖国令を出した。
 そして幕末嘉永6年(1853年)ペリー艦隊がやってくるまで日本は平和に過ごせた。この間、アジアではシャム(現在のタイ国)と日本国以外はすべてが欧米列強の植民地となった。そして日本が大東亜戦争で欧米の国々を追い出したが、日本が敗戦を迎えた後、欧米諸国はいったん戻ってきたものの、植民地の人々が独立戦争に立ち上がり自由を獲得した。そういう意味で日本が植民地化されなかったことは本当に良かったと思った。豊臣秀吉の先見の明に今更ながら驚く。
スペインの立派な大聖堂を観てからの感想である。

2023年11月30日

初めてのスペイン旅行PART 8

 朝ゆっくりして7時起床、9時前に食堂に行きバイキングスタイルの朝食を食べる。色々の種類が有り少しずつ取っていたら結構な量になる。温かい物としてオムレツを頼むとすぐその場で焼いて持ってきてくれた。
そ れから10時前に家内とホテル出て散策に出かける。メインストリートのグラシア通りを海の方に向かって歩く。途中左手にカサバトリョーというユニークな建物がありガウディ設計したとのこと。その隣もその隣も結構ユニークな建築物が並んでいた。
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 通りの両側には綺麗なしゃれたお店がある。家内が興味を持ってお店に入って見たりする。さらに進むとカタルーニャ広場に来た。北の方角を見ると昨日観たサグラダ・ファミリアの建物が山の上に見えた。公園には色々の像が建てられていた。その後ろにはオレンジ色の屋根がかわいらしいカサ・ロカモラが見える。
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 その後公園の横にあるある「エルコルテ・イングレスデパート」に入り、その地下の食品街に行った。
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 その頃から家内は目が痛くて開けられないという。サングラスはかけていたのだが。そこでとりあえずホテルに戻ることにした。タクシー乗り場に行き一番後ろのタクシーに話しかけたが一番前に行けと言われ前に行って運転手さんにホテル「クラリス」まで頼むと、3区画先なので断られた。それもそうである。やっと一番目に並んでいるのに私たちを乗せたらほとんど銭が取れないので乗車拒否をしたのであろう。
デパートの食品街で買った菓子パンと牛乳1Lもって帰り、部屋で食事をした。家内は疲れたのと目が痛いと言うことで横になって休むと言うので、私一人再び散策に出かける。
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 午前中行ったカタルーニャ広場まで行きそこから右手に入ってランブランス通りを散策する。添乗員Sさんからバルセロナ散策地図をもらっていたのでそれを片手に始めた。この通りは大勢の人が歩いている。中央分離帯が広い通りになっていて分離帯の両脇には出店が並んでいて本当にいろいろ物を売っていた。分離帯の外側が一方通行の車道になっていてさらにその横に本当の歩道がある。
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 バルセロナ散策地図を見ながら海の方に向かって歩くのだが、予備知識も無いし標識の字も読めない。ガイドさんがいるわけで、どのあたりを歩いているのかさっぱり。とにかく面白そうな建物や何かがあれば写真を撮った。これが実は日本に帰って何の写真を撮ったのかさっぱり解らず、このブログを書くのにあたりあれこれ検索してやっと理解する有様である。
 海の方に向かう途中、右手に「サン・ジョセップ市場」が見えた。ものすごい数の人がいた。スリなどに合うとやばいので市場の中には入らなかった。
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 さらに進むと石造りの重厚なゴシック様式の建物がある。教会のような感じである。帰って調べたら14〜15世紀に建てられた「サンタ・マリア・デル・ピー大聖堂」だった。
 さらに進むと建物の壁の上の方に丸いものが装飾され、下の方の壁には日本画が描かれている建物を発見した。これも帰国後、調べると「カサ・ブルーノクアドロス」という建物で1883年に傘屋の建物を改修したのだとか。壁の丸いのは沢山の傘の飾り。地元では「傘の家」と呼ばれているとのこと。
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 さらに進むと着ている服から顔や手に彩色を施し一見銅像かと見間違う人に出会う。観光客に彼をバックに記念写真を撮影させてお金を稼ぐ大道芸人と思われる。
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 通りの先に高い塔が見えてきた。「コロンブスの塔」である。バルセロネータ港に立つ約60mの塔で塔の上には新大陸を発見したコロンブスの5像がある。
海上に架かるアーチ状の橋が有り、ヨット通過のため1時間に一度橋の中央が開閉するとのこと。海の中にはボラとおぼしき魚が泳いでいた。
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 そこから今来た道を帰り始める。地図によると少し入ったところに「レイアール広場」が有ったので行ってみる。中央には噴水があり、周りの建物の下ではカフェやバル、レストランなどがあり賑わっていた。ガウディの若い頃に手がけた街灯があった。
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 その後ランブランス通りに戻り地図を見ると近くに「グエル邸」が在るように記載されていたので、近所とおぼしき場所のお店の人に地図を見せながら英語で話してみたがよく判らないとのこと。
 もう少し行くと扉に面白い模様がありよく見ると日本語の漢字や平仮名あり写真に撮っていたら建物の上の方に「リセウ」と有った。どうやらバルセロナの名門オペラ座のようで有った。日本に関係するオペラでも公演されていたのかな。
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 そこでまた地図を見ると右手の少し入ったところにカテドラルの絵があったので行ってみることにした。狭い通り(車一台が通れる)を進むと立派な建物がある広場に出て来た。後で調べるとバルセロナ市役所であった。さらに進むと教会のような建物が見えてきた。しかし地図の絵のような尖塔が無い。とにかく写真を撮って帰ることにして歩き出す。なおこの教会は、後で「るるぶスペイン‘24」で調べたら『「サンタ・マリア・デル・マル教会」で、かっての海と陸の境目に建てられており権力者や聖職者に頼らず港湾で働く人々の力で建てられた教会「デル・マル」は「海の」を意味する。カタルーニャ・ゴシック様式の装飾が美しい』とあった。
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 さらに歩いて行くと尖塔がみえてきた。さらに進むと古い石造りの建物が現れた。地図からしてどうやら王の広場と称される「レイアール・マジョール宮殿」と思われた。この地区はゴシック地区の中でも最も古いエリアで中世の佇まいを残しているとか。
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 途中馬に乗った「王」と思われる像があった。検索したが誰かは解らない。なお正面には行かなかったので王の広場そのものを見ることは出来なかった。なおこの宮殿で1492年にアメリカ大陸に到達したコロンブスがパトロンであった「イサベル女王」と「フェルナンド王」に謁見した歴史の舞台となったところである。
 さらに進んで左に曲がるとやっとカテドラル「サンタ・エウラリア大聖堂」が見えた。
中には入らず外から外観を眺めただけであったが、壮大な感じがした。聖堂の前の広場では大道芸人達がギターを弾いたり、シャボン玉のパフォーマンスをしていた。
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時間が迫ってきたので急いでホテルに戻ることにする。ホテルに16時半過ぎに帰り着いた。
 17:15ホテルロビーに集合してバスにて「モンジュイック地区」にある「スペイン村」にオプショナルツアーの「フラメンコディナーショー」を見に行く。10名が参加した。途中「スペイン広場」は車窓観光で、ここバルセロナでは闘牛が禁止されたため、かって闘牛場であった建物を上方に持ち上げ「ラス・アレナス・ショッピングセンタ−」が出来ていた。また「カタルーニャ美術館」の建物が見えた。
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 「スペイン村」は、多くの文化的施設が集う「モンジュイックの丘」にあるテーマパークでバルセロナのみならず、スペイン国内中の代表的な建造物が原寸で再現されている。パーク内をぐるりと廻ればスペイン全土を一挙に観光したような気分になれるとのこと。また「フラメンコ」は本来「カタルーニャ地方」の文化ではないため、バルセロナ市内で観られる場所は数えるほどしかない。しかしここスペイン村は「スペイン」がコンセプトなので本場のフラメンコショーが観られるとのこと。
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フラメンコショーはレストランで食事をしながら観た。私の座席は丁度舞台のすぐ前でいわゆる「かぶりつき」の位置であった。そのためダンサーを見上げるようで首が痛かった。そういえば昔学生の頃、広島でストリップショーをかぶりつきで観たことを思い出した。1時間45分程いてホテルに帰る。明日はいよいよ帰国である。
続きはPART 9へ

2023年11月25日

初めてのスペイン旅行PART 7

 朝6:00モーニングコール。7:15に出発してグラナダ飛行場に向かう。飛行場に着いたころ空が明るくなった。9:30飛び立ち一路バルセロナに向かう。到着後スーツケースを取るのに小一時間かかる。そしてバスにて街へ向かう。
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 日本人女性ガイドがついてくれた。まず世界遺産のサン・パウ病院に向かう。建築家モンタネールの代表作品でバルセロナ市内にあった6つの病院を合併して1936年に建設され、美しく芸術的に価値が高い48の建造物が建ち並んでいる。ここが最近まで実際に病院として使われていたとは思えない美しさと旅行社のパンフレットに有る。
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 『モンタネールは1850年バルセロナに生まれ、政治家として活動しながらモデルニスモ建築を代表する建築家で、スペイン国内のアラブ建築に影響を受けた合理主義とモデルニスモ様式独特の曲線の癒合が、モンタネールの建築物の特徴で、さまざまなアーティストとコラボレーションしたため、病院内の至る所に貴重な彫刻、モザイク、絵画で装飾されている』と「るるぶスペイン‘24」に解説があつた。ここは外観のみを見学。
 その後一つ星レストラン「イソップ」にて昼食。一皿、一皿量は少ないが中々の味であった。この旅行で全員一緒に食べるのはこれが最後、夕食は各自でのこと。
 昼食後再び日本人の女性ガイドと合流しサグラダ・ファミリアに行く。
ここでは資格のあるガイドが付き添うことになっており、綺麗な外人女性ガイドが合流した。顔が以前我が家にホームステイしていたアメリカのL子によく似ていた。中に入っても外人ガイドは説明しないで日本人ガイドがすべて説明してくれた。ところが観光客が多くて音声ガイドが混線を来たしたので、周波数チャンネルを変更したらしく私は気付かなかった。そのためガイドのそばにいるときだけ聞こえたが後はさっぱりであった。
 「サグラダ・ファミリア」は1882年、聖ヨセフ信徒協会の聖堂として着工。アントニ・ガウディが31歳の若さで2代目建築家に就任し、聖堂全体で聖書の内容を表現するという構想を打ち出した。字が読めない人でも聖書が解るようにと言うことで細密な彫刻が施され壮大なファサードとなっている。
 私はキリスト教徒でないため聖書を読んだことはなく、ある意味このファザードの彫刻から聖書の中身が少し理解できた。なお彫像などの説明は「るるぶスペイン’24」から転載させて貰った。
 『美しい曲線と光で彩られた聖堂内部など、未完にしてモデルニスモの最高峰と称されている。19世紀の天才建築家アントニ・ガウディが全人生を捧げた大聖堂。天高くそびえるその姿は未だ完成に至らず、ガウディの意思を引き継いだ人々の手によって、今も建築が進められている。建築様式や精密な装飾には、さまざまな意味が込められている。』とある。
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 まずガウディ広場の池越しに全体を見て記念写真を撮る。写真の右端はメインタワーの1つで2021年12月18日に完成した聖母マリアの塔である。高さ138m完成した塔のなかでは最も高く、てっぺんに設置されたガラス製の巨大な星は、キリスト生誕直後に輝いたと言われる“ベツレヘムの星”がモチーフとなっている。
 それから生誕のファザードに行く。
多数の観光客がいて入場も大変だった。このファザードは建物の北東側の入り口にあたり、ガウディ自らが指揮をとって完成した部分で、キリストの生誕に関する装飾が施されている。日本人建築家の外尾悦郎氏は1978年にバルセロナに渡り、「生誕のファザード」のハープを持った天使の彫刻を担当して以来40年以上多くの彫像を手がけている。現在サグラダ・ファミリア主任彫刻家である。
なお「生誕の門」では外尾氏が中央と左右両方の扉の彫刻を担当している。
「生誕のファサード」ではいずれも、圧倒されるほど繊細な彫刻が施されています。
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 「生誕の門」の中央部「慈愛の扉口」には「キリスト生誕」の像があり、産まれたばかりのイエスキリストがヨゼフとマリアに見守られている。イエス生誕の場面がよく描かれている、牛とラバの姿も見える。
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 その右に「羊飼いの礼拝」が配置されている。最初に星を見てキリストに祈ったのが羊飼といわれ、民衆の象徴とされている。左側にはイエスの誕生を確認に「東方の三賢者」がイエスのもとに贈り物を持ってやって来た像が彫られている。
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 またその上にはイエス、聖母マリア、ヨセフを囲む 15体の天使像が配置されこれらは外尾さんの作品 。9人の合唱隊、6人の楽器を奏でる天使たちがキリストの誕生を祝っている姿を表現しています。15体の天使が完成するのに17年を費やしたとのこと。
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そして「キリスト生誕」の上には、「受胎告知の彫像」が配されている。数々の芸術作品の主題とされている宗教的シーンで、大天使ガブリエルがマリアの前に現れ、神の子キリストを身籠もったことを告げる場面を表している。
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さらにその上には「マリアの戴冠」の像がある。これはキリストが聖母マリアに冠を授ける様子を表し、左下の人物は聖ヨセフである。さらにその上に「生命の木」として永遠のシンボル糸杉と大理石の鳩が止まっている。
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また信仰の門の右側には「働くキリスト」の像があり、大工である養父ヨセフの仕事を手伝う青年期のキリスト。キリストの世俗での生活を表した最後の彫刻。
まだ他にも色々の場面が表現されている。
 次に色鮮やかな聖堂内部に入る。
入った瞬間今まで見てきたカテドラルとは雰囲気が違った。高い天井に覆われた広大な空間、建物は十字形になっており、中心に主祭壇がある。白い無数の柱が並びステンドグラスの入った窓から青やオレンジの色鮮やかな光が入るようになっている。
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「主祭壇」主祭壇の上空に飾られているのは十字架に磔にされたキリストの像。50のランプ、血を表すブドウの房、キリストの体を表すパンを作る麦などにかこまれている。
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「ステンドグラス」西側は赤やオレンジ色、東側は青や緑とガラスの色が異なり、午前は東に面しているブルーやグリーンのステンドグラスがとても綺麗とのこと。午後と夕方は西に面しているオレンジ色、赤色、黄色のステンドグラスがとても綺麗だと言われた。私が見たときは正に午後であり何とも言えない暖かさを感じる色で聖堂内が照らされていた。
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 続いて「受難のファサード」に向かう。このファザードは聖堂の南西側にある入り口でこのファザードの彫刻はカタルーニャ出身のアーティスト、ジヨセップ・マリア・スビラックが担当して、彫像はキリストの受難から死、復活までの3日間を表しているが、生誕のファザードの彫像とは全く違ったフォルムをしている。
 中央の大きな扉「福音の扉」にはイエス最後の2日間について「新約聖書」から800字を抜粋している。重要な部分だけは金文字で装飾されている。
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その左側の彫像は「ユダの接吻」と言われ、裏切り者のユダが、隠れている兵士に誰がキリストかを伝えるシーン。悪魔のシンボルとされるヘビがユダの後ろでキリストを裏切るようにそそのかしている。また右側には「ペテロの否定」と言われ、ペテロはキリストを知っていることを3回否定した。それを3人の女性で表現した彫像。 
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その上には「ネガのレリーフ」と言われるキリストの顔の跡が残った布を掲げるヴェロニカ。左側にある横を向いた男性像はガウディと言われている。中央には「キリストの磔刑」で十字架に磔にされているキリストと、ヨハネに慰められる聖母マリア、ひざまずくマグダラのマリアがいる。キリストの足元には頭蓋骨が。そして右には「キリストの埋葬」が配され、布に包まれたキリストを埋葬しようとする最後の場面。傍らでは聖母マリアがひざまずいている。
二つのハザードの彫像を見たことで、ほんの少し聖書のお話が分かった。
20分間の自由時間があり地下博物館とミュージアムショップにも入ってみた。
集合して全員で記念写真を撮った。
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 その後バスにて「グエル公園」に行く。ここはパトロンで有ったグエル伯爵の依頼で市場や学校までも擁する60戸の田園住宅街として建設されたものの、計画は失敗。後に公園として開放された。市内が見渡せる広場のほか、ガウディがかって暮らした住居なども残る。ここからサグラダ・ファミリアが見えた。
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 公園内には土地の高低によって建築様式の異なる3つの柱廊がある。列柱ホールの左側にある柱廊の柱には、頭に籠をのせた女性が彫刻されており、洗濯女の柱と呼ばれている。
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「列柱ホール」はドーリア式の柱で建造されたホール。天井に4つある円形の破砕タイルの装飾はジュジョールの作品で四季を表している。列柱ホールの天井にあるバラ装飾、太陽やメドウーサなどが豊かな色彩で表現されている。
また列柱ホールの上に広大なテラスがある。広場はさまざまな色の破砕タイルを組み合わせて飾られた110mもあるベンチで縁取られている。ベンチの装飾はジュジョールが担当。テラスからはバルセロナの街が一望できる。ベンチに座ると腰の部分と背骨の境目が出っ張っており座り心地が良い。
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「中央階段」は中央入口から入ってすぐ現れる列柱ホールに続く長い広い階段で、列柱ホールの雨水貯めとしての役割もあったという。口から水を出しているモザイクのドラゴンがシンボルだが、実はトカゲやサンショウウオという説もある。
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 ここで現地の女性ガイドさん、日本人ガイドさんと別れ今夜宿泊するホテルクラリスに到着。このホテルはマドリードで泊まったホテルと同系列である。
 今夜も食事は付いて無く、添乗員のSさんが、ホテル近くのバルに案内してくれる9人で参加。日本の居酒屋の様なところである。今日も結構疲れた。明日は夜オプショナルツアーとしてフラメンコダンスを観に行くことになっているが、それまでは完全な自由行動だ。
 続きはPART 8へ

2023年11月19日

初めてのスペイン旅行PART 6

 ところでアルハンブラ宮殿について予備知識が無く、「るるぶスペイン‘24」から引用させてもらうと『アルハンブラ宮殿は14世紀に完成した、イベリア半島最後のイスラム王朝、ナスル王朝(グラナダ王国)の大宮殿。丘の上に広がる1万4000uもの敷地に、緻密な装飾が美しい宮殿群や、堅牢な城塞、水路や噴水を多用した庭園等が点在し、イスラム建築の最高傑作として名高い。1492年、キリスト教軍のレコンキスタ(国土回復運動)により、アルハンブラ宮殿は陥落。王朝の栄華と哀愁が漂う遺産として、ヘネラリフェ、アルバイシン地区とともに世界遺産に登録されている。』とあった。
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 先に庭園を見学したことより順序が少し違った。かってモスクだった場所に立てられたサンタ・マリア・アルハンブラ教会の横を通り、となりのカルロス5世宮殿に行く。ここはグラナダ陥落後16世紀にカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)が建設したルネサンス洋式の宮殿で、外観は正方形だが内部は円形の中庭を多くの列柱が取り囲んでいるのが特徴で、内部はグラナダ芸術美術館になっている。
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 続いてナスル朝宮殿に進む。ここは「メスアール宮」「コマレス宮」「ライオン宮」の三つに分かれており最初に「メスアール宮」の「メスアールの間」に入りそれを通り抜けてイスラム教祈祷室に入る。馬蹄形アーチの窓の向こうには、アルバイシン地区の美しい街並みが広がっていた。
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 次にメスアールの中庭に出てきたが、前方の壁には二つの青銅の門が有り周囲を色鮮やかなタイルが装飾されている。日本人ガイドさんによればこの門の右側はまっすぐでなく少しゆがんでいる。万能はアラーの神で人間は万能でないことを示すためにその様に作られているとのこと。門の外壁は見事な漆喰細工で、アラベスク模様で埋め尽くされている。そしてこの中庭には噴水があるだけ。
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 次に「コマレス宮」のアラヤネスの中庭を見る。コマレスの塔を正面に望む長さ34m幅7mの池があり両側には刈り込まれた天人花(アラヤネス)の生け垣がある。対岸から見ると水面に映える美しいアーチや周囲の緑が左右対象に写りとりわけ緑が映えていた。
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 そしてコマレスの塔の中に入ると「バルカの間」という細長い部屋があり、天井には幾何学模様の寄せ木細工が施され船底の形をしていることからこの名がついたとか。「バルカの間」の先には王に謁見するために大使が通されるという「大使の間」と呼ばれる大広間があり宮殿のなかで最も広い部屋となっている。
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 壁一面天井までびっしりと漆喰細工が施され、その細密なアラベスク模様は圧巻で、装飾の一部にはコーランの一部も彫られているとのこと。
また木組み細工の天井は星空をイメージしたデザインだとか。部屋の中央、天井の真下部分の床に立ち入り禁止スペースがあったが、これは宮殿が建てられたときのオリジナルのタイルが残っており傷まないように保護されている。
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 その後「ライオン宮」に移動、ここはかっての王の居住スペースで、男子禁制のハーレムだったところ。そのライオンの中庭はコーランに書かれた天国をイメージして造られ、当時は草花が植えられていた。中庭の中央には12頭のライオン像が水盤を支える噴水がある。当時は水を吹き出すライオンの数で時間を表す水時計でもあった。なお白大理石のライオン像は、かって黄金に彩色されていた。ほかと比べると彫刻技術がやや古拙に見えるのは、11世紀頃の建物から転用したためだと言われている。またライオンの口から流れる水は四方の溝に流れていくがこれは天国の川を意味し、宇宙の隅まで水が行き渡る様子を表している。
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そして中庭を取り囲むように「アベンセラヘスの間」「諸王の間」「二姉妹の間」という三つの部屋がある。まず「アベンセラヘスの間」に入る。ここは豪族アベンセラヘス一族が最後の王ポアブディルによって惨殺されたという伝説にちなみ、16世紀から「アベンセラヘスの間」といわれ、部屋の中の噴水についた薄茶色の染みは、アベンセラヘス一族の血だと伝えられ、かっての惨殺事件を彷彿させる。この部屋の一番の見どころは星をイメージしたという16角形の天井の鍾乳石飾りで、天井を覆う巧妙な装飾はモカラベ様式。立体的で複雑な構造から蜂の巣天井とも呼ばれる。
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 次に「諸王の間」にいく。ここは王の居住空間で、3つの寝室につながっている。内部は鍾乳石造りのアーチが美しく、天井には革に書かれたナスル朝の10人の王の肖像画が残されている。
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 続いて「二姉妹の間」に行くが、左右全く同じ大理石の敷石があることからこの名前がついたとのこと。八角形の天井には、「アベンセラヘスの間」と同じ鍾乳石飾りが施されモカラベ様式の天井が美しく広間は夏季の住居としてボアブディル王の母とその子供達が使ったという。壁にはいくつかの詩が刻まれている。「二姉妹の間」の奥にはリンダハラの望楼があり、二連のアーチ窓からは緑豊かなリンダハラの中庭を望むことが出来る。
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次に進むと下にコマレスの浴室の屋根が見えた。現代の浴室と同様、採光と換気が考慮されている。保存状態を保つため見学は外側からのみ。写真は浴室の屋根で採光が取り入れられる様子がわかる。
次は北側の回廊で、この回廊からは世界遺産のアルバイシン地区全体が見渡すことが出来る。青い空に白壁の家々がよく映えた南スペインらしい景色を楽しむことが出来た。
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そしてリンダハラの中庭にやって来た。1526年に設置された小さな噴水を幾何学模様の植木で囲んだ小さな庭、アルハンブラ宮殿のなかでカトリック的な要素を持つ場所。そして出口へ。そこではちょうど結婚式の写真の前撮りをしているカップルがいた。
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 バスの駐車場に行く途中、アルハンブラ宮殿の中で最も古い宮殿とされ長方形の池の奥に貴婦人の塔(ダマスの塔)を配する「パルタル宮」がたたずみ、水面に映る姿がとても綺麗で美しかった。
 携帯を手に持って写真を撮ったりしたせいか、携帯アプリでは1日のウオーキングが6.8qしかなかった。実際は足の張り具合からもっと歩いているものと思う。ヘネラリフェ庭園とアルハンブラ宮殿の見学でトータル2時間の見学であったため、駆け足見学の感あり、あまり頭に入っていない。もう一回ゆったりコースで見学したいな。日本人のガイドさんによると、今日我々を案内したコースを1日三回ガイドすることもあるとかすごいな。
 夜はホテルのレストランでスープとメインは鱈の蒸した物にソースが掛かった料理とデザートであった。このホテルには宿泊客用の飲料水が部屋に置いて無く、前もって購入してチェックインをした。初めての経験である。
 続きはPART 7へ

2023年11月12日

初めてのスペイン旅行PART 5

 モーニングコール7:00で8:45バスにてグラナダに向かう。途中3時間で白い村ミハスに到着する。旅行会社のパンフレットによると『スペイン南部に広がるアンダルシア地方、灼熱の太陽が織りなす光と影、抜けるような青い空と白い家並み。「プエブロ・ブランコ」と呼ばれるその白い家並みでよく知られるのがミハスです。白い家の窓には花々が溢れる、まるで映画のワンシーンのようにゆったりとした時間が流れています。』と有った。途中車窓からは山の中腹あたりまで白い家が連なっているのが見えた。
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 到着後日本語が「こんにちは」「さよなら」しか解らない外国人のガイドが来て案内してくれる。昼食でレストランに入る。前菜にガスパチョ(トマトの冷製スープ)が出てきた。
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その後、村の散策をする。なだらかな斜面に白い家が並んでいる。この白壁は毎年5月頃に主婦が石灰を塗って白さを維持しているとのこと。街中をロバタクシーがのんびり移動していた。
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 村の土産物店で日本人女性がやっているお店(アマポーラ)があるというので立ち寄り4人の孫娘達にミハスで採取した押し花を入れて造った首飾りを買った。
 楕円形の闘牛場を外から見たが、日陰になる処とそうでない処で観覧料が違うとのこと。その先の展望台に行くと地中海が目の前に見える。晴れていたが少しもやが掛かっているのか残念ながらアフリカ大陸は見えない。晴れ渡ったとき右手にはジプラルタ海峡が見えるとのことだったが残念。
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 バスの駐車でトイレに行くが無料であった。そのトイレの横にロバのオブジェがあり面白半分に跨がってみたところ、地元の人か観光客か解らないが乳母車を押していた女性が写真を撮りましょうというジェスチャーしてくれたのでスマホを渡したら撮影してくれた。普通なら子供しか乗らないであろう処に大人が跨がっていたのでおかしかったのかも知れないな。良い記念になった。
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 その後バスにて2時間、グラナダ市街を抜けてアルハンブラ宮殿に直行した。ここでは日本人の女性ガイドがついてくれた。宮殿の歴史を話してくれた。まず庭園を見てその後宮殿に案内して貰うことになる。
 水の宮殿と呼ばれる「ヘネラリフェ」庭園は13世紀末に建設され、歴代の王達が私的な休暇を過ごした夏の別荘でアルハンブラ宮殿の城壁の外、坂道を登った高台にある。
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入り口を入ると糸杉の並木道があり、野外劇場を抜けると下の庭園に出る。糸杉などが丁寧に刈り込まれておりすごく綺麗であった。左手にアルハンブラ宮殿が見える。咲いている花も種類が多く驚く。
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 その後アキセアの中庭に出てくる。真ん中に水路があり、噴水が出ている。ここは離宮の中核をなし、かっての王の間と見晴らしの塔が見える。スペイン・イスラムの庭園の完璧な見本であるとも言われている。
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 その後も庭園を巡る。豊富に庭園内を流れる水は山の上の用水路などから引き込まれている、
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 最後に渡った橋はへネラリーフェから集落や王宮都市へのアクセスを簡便にするため現代になって作られた橋でそこから撮影した写真はチノ坂へと続く外堀をまたいでいる水道橋。ここを通って用水がアルハンブラに流れ込んでいた。水の塔とは、この戦略的にも重要な水道橋を監視する機能ゆえにその名が与えられたとのこと。この橋を渡りいよいよアルハンブラ宮殿にやってきた。 
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2023年11月06日

初めてのスペイン旅行PART 4

 朝7:00モーニングコール、今日はスペイン高速鉄道でスペイン第三の都市セビージャへ行く。スーツケースは別便にて今日泊まるホテルまで直送してくれると言うことで7:30にドアの外に置く。
我々は手荷物一つで出かける。始発駅のアートチャ駅にいく。セビージャと言う名前に記憶が無かった。昔何かで習った頃は「セビーリャの理髪師」という戯曲があったが「セビーリヤ」イコール「セビージャ」と言うのだそうだ。
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 このスペイン高速鉄道は日本とフランスが受注合戦をしたが、日本が負けてフランス式が採用された。車両の座席は半分が進行方向に向いてのこり半分は後方を向いている。もちろん座席を回転することは出来ない代物で、日本の様に座席にリクライニングは無い。アートチャ駅を10:10に出発。途中の風景は小麦畑とオリーブ畑である、オリーブは世界一の産出量とのこと。途中からはオレンジ畑も見えてきた。
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 途中トイレに行ったがこれまた不思議、男女兼用のトイレだが前の人が使用したトイレットペーパーが流れず便器に残っている。流そうと思ってペダルを踏んでも蒼い液体が出るだけでペーパーは流れない。故障なのかその様な設計になって居るのか判らない。スピードも日本の新幹線よりかなり遅い感じがした。それでも予定よりも15分早く約2時間30分の旅であった。日本では考えられない運行スケジュールである。
 直ぐバスに乗りまずスペイン広場に行く、立派な広場でセビージャの歴史がモザイクタイルで描かれていた。フラメンコを踊っている人がいて観光客が投げ銭をしていた。
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 昼食はスペイン風小皿料理「タパス」で小エビの煮た物やサラダなどを食べる。ビール1杯2.5ユーロだった。
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 駅からレストランまで来た現地ガイドはスペイン人で日本語は「こんにちは」「さよなら」程度。昼食後違うガイドが来たが説明が英語でほとんど理解できない。添乗員のSさんが日本語で話を補足してくれてやっとで理解出来た。
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 その後歩いてカテドラルに行く。このカテドラルはスペインで最も大きな聖堂で世界遺産に登録されている。内部にはコロンブスのお墓があった。
 コロンブスは新大陸発見後セビーリヤに滞在していたという。遺骸は米西戦争の終結した1898年にキューバから運ばれてきた。棺はカスティーリャ、レオン、アラゴン、ナバラ4ヶ国を表した4体のブロンズ像に担がれている。墓はその前の床に納められているとのこと。
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この聖堂はイスラム時代のモスクを基礎に15世紀に約100年かけて建築された物で建設には新大陸交易で得た巨万の富がつぎ込まれたとのこと。
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 横にあるヒラルダの塔は現在修復中で有ったがモスク時代のミナレットを16世紀にルネサンス洋式に改築した高さ94メートルの鐘塔で塔の上にはヒラルディーリョと呼ばれる風見鶏としてアテネ像が設置されている。異文化が融合した街のシンボルとして親しまれている。20分の自由時間があったので頂上まで登ってみたがかなりきつかった。家内は膝に人工関節を入れているのでどうかと思ったが無事登りきった。
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 その後サンタクルス街を通ってホテルに向かう。途中9〜11世紀にイスラム王の王宮として建設され、その後13世紀にはキリスト教王の居城となり14世紀にペドロ1世が大改築を行ってほぼ現在の姿になったアルカサルの城壁に沿って歩く。途中レンガがはがれて12世紀頃の壁が見えているところもあった。
また街中を馬車が観光客を乗せて走っているし、その前を路面電車が走っていて面白かった。
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その後「アルフォンソトレセ」ホテルに到着。このホテルはセビージャで最も格式の高い名門ホテルとのこと。
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 チェックインの手続きを添乗員のSさんがしている間、フロアーの椅子に座ってショルダーバッグの中を整理していたことは覚えているのだが、その時、腕時計を外したらしい。部屋に入ってあれこれしていたら添乗員のSさんが時計を忘れていませんかと言いに来てくれた。腕を見るとはめていない。ロレックスで金時計だと言ったらそれだという。急いでSさんとフロントに取りに行く。時間は日本時間にしていることを告げる。受け取ってみると間違いなく自分の時計であった。ホテルの女性従業員が見つけてくれたとのこと。お礼を言う。さすがに名門ホテルである、時計が無くならなかった。たいしたものだ。今思えば女性従業員さんにチップをやるのを忘れていたのが残念であった。
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夕食は中庭であった。テーブルの上にはろうそくがあり幻想的であった。
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2023年11月03日

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