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01/19 『藤井嚴喜 フォーキャスト2025」を読んで
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大先生(元院長)のブログ

尾道市における恐怖の少子化!

 先日1月18日の「尾道新聞」の一面トップに『昨年の人口動態』という見出しが載っていた。副題として「横ばいか、微減の政策展開を 人口減少は年々加速! 出生は過去最低の502人に」とあった。この502人という数字に仰天した。
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さらに「尾道市は昨年の人口動態をまとめた。昨年末の人口は12万6361人で一昨年に比べ1938人と2000人近く減り、人口減少は加速している。自然動態は死亡が出生を4倍以上、上回り1798人ものマイナス。出生は502人でかろうじて500人台を保った。社会動態はマイナス140人、技能研修生ら外国人は増えているが、日本人だけをみると593人の転出超過で、人口減少は歯止めも緩和もはかれず、一段と加速している。」と概要が書いてあった。
 何故私が502人という数字に驚いたかというと、尾道市歯科医師会で2009年から虫歯予防や歯周病予防の啓発のため毎年、市内の公立中学の新1年生に清掃補助用具であるデンタルフロスを一人2個配布して口腔ケアの普及に努めており、毎年歯科医師会会長が尾道市長に目録を伝達するセレモニーを行っている。
 私が会長職をしていた10数年前には2000個を配布していた記憶があり、少なくとも当時中学生は1000人を超えていたと思っていた。たまたま当時の中国新聞の記事の切り抜きが手元にあったので見たところ2015年(平成27年)6月8日の記事があった。
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それによると『因島の3校を除く13校の1年生を対象に使い方に関するパンフレットと共にデンタルフロス2本ずつ配布した。因島の3校には因島歯科医師会が既に約290本を配布している。(平成の大合併で因島市は尾道市と合併したが、歯科医師会は合併しないでそのまま因島歯科医師会として存続している)そうすると少なくとも1145人はいたのであろう。尾道市の中学1年生は他にも私立の中学校などに通っている子もいるのでもう少し多いのではなかったかと想像できる。中学1年生といえば13歳の子供であるから2002年頃に生まれた子供(正式には2002年4月から2003年3月まで)である。
念のため尾道市のホームページで出生数について検索したところ、2000年は1191人、2001年は1159人、2002年は1144人、2003年は1162人であった。
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グラフを見ると増加する年もあるが全体的には低下傾向である。2006年にも増加しているがこれは因島市との合併効果だと思われる。言い換えれば昨年(2024年)産まれた子供は当時(2002〜2003年)の子供の数に比べおよそ56%程度減少していることになる。
 今年から13年後(2037年)までには、親の転勤などで転出、転入する子供がいるので数は確定できないがその時の中学1年生はおよそ現在の500人程度であろう。その時(2037年)の出生数はいったい何人になっているのだろうか? 半数以下になっているのだろうか?
 今年の4月から尾道市は市内3つの小学校を統合して「尾道みなと小学校」、中学校は2校が統合されて「尾道みなと中学校」が新設されるが、この少子化のスピードが続けば教室の数がすぐに余剰となって空き教室が出来てしまうのではないかと危惧する。
 それにしても政府は少子化対策と称して予算を計上して対策を立てているようだがさっぱり効果が出ていない。
近年結婚しない男女や、結婚しても晩婚化で子供を産めないとか、産んでも一人というケースが多いように思う。
先ずは若い人が結婚する気になるような施策が必要ではないのか。
子供が生まれたら手当を出すといった話も結構だが、そもそも前段階の結婚を促すような施策が必要ではないのか。
 私は団塊の世代であるが我々同世代は、20代のころには異性に対して興味津々で憧れがあり、たまにはストリップ劇場などに観に行ったりしていた。そして多くは30歳前後くらいには結婚するのが当たり前であった。いまは異性に関心を持つよりも他に楽しいことがありすぎて、そちらに気を取られてしまうのであろうか?
少子高齢化といわれているが高齢化よりも少子化は喫緊の問題である。日本国が無くなる可能性もあるのではないだろうか。病気や肉体的な問題で出産できない人もいらっしゃるが、出来る能力が有る人には「結婚するしないも、産む産まないのも私の勝手でしょう」など言わないで頑張って欲しいと願う。

2025年01月25日

『藤井嚴喜 フォーキャスト2025」を読んで

 トランプ次期大統領の就任式がいよいよ明日にせまった。ネット上では今年は良くなるという人達と逆に悪くなると言う人達がいる。どちらになるか解らない。
私は以前から国際政治学者 藤井嚴喜氏の有料映像配信サービス「ワールド・フォーキャスト」を購入して主に世界情勢や経済の動きを眺めている。日本のマスメディアばかり見ていると本当のことが見えてこない。昨年11月のアメリカ大統領選挙でトランプ氏が負けると大嘘のニュースを流していた。また最近コロナワクチンによる後遺症の問題が少しずつ明らかになって来た。当時ワクチンの危険性を知らせる人たちがいたが無視してと言うよりも意図的に取り上げなかった。当時テレビに出てワクチン接種を声高に推奨していた人達、今でも正しかったと思っているのだろうか。
 さてその藤井嚴喜氏が一昨年「藤井嚴喜フォキャスト2024」を出版し好評であった事から 昨年末に「藤井嚴喜フォキャスト2025」という書籍を出した。内容は表紙の帯封である程度理解できる。
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その中で特に第1章の「世界は”4つの勢力“による争いだ」は重要である。ここが理解できないと世の中の流れが理解できないと思う。
一昨年の2024では3つの勢力の争いと書かれていたが今回はそれを見直し4つの勢力図になっていた。
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 引用させてもらうと、
日本人の多くはグローバリズムとは「世界は一つ、人類は皆兄弟」という一種の理想主義としてナイーブに受け入れられている。一方ナショナリズムは「偏狭で排他的なもの」として否定的に捉える日本人が多い。しかしこれは国家主義や民族主義、国益第一の考え方から比較的中立的な考えとして受け入れられている。
しかし藤井氏によるとグローバリズムとはボーダーレス経済、つまり「国境なき経済を進める」事を意味する。
現代の対立軸は、このボーダーレス経済に賛成か、反対かが重要である。もちろん従来のような「保守」対「革新」という価値観の対立軸も併存している。保守とは先進国を例にすれば、自由な企業体制があって言論の自由も保障され、民主政治体制を守るという意味である。そして、そこに至る自分たちの伝統的価値観を大事にしていくと言うのが保守の考えである。それに対して、そういう伝統に価値を置かず、変革していこうというのが「革新」だ。多くの場合、経済も自由経済体制よりは平等に重きを置く社会主義的統制を重要視する。こうした点を踏まえて藤井氏は世界経済や国際情勢を「4つの勢力」に分類している。分類することにより現在の国際情勢を明確に把握することが出来る。 
図をみると
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@ 「民主的ナショナリスト」
ナショナリズムというと「偏狭で排他的なもの」ととらえがちだが、決してそうではなく、むしろ民主国家において国民の大多数の利益を最優先して政策決定をすることだ。トランプ、安倍晋三元首相などに代表され、保守主義に基づく経済的ナショナリズムが共通している。
A 「無国籍企業的グローバリスト」
世界を一つのマーケットととらえ、国境を無視して行動する。GAFAM(グーグル・アマゾン・フェイスブック<メタ>・アップル・マイクロソフト)など無国籍の超巨大企業にとって個々の国家はビジネスの邪魔でしかない。そこで彼らは先進国の民主的なナショナリズムを嫌悪する。バイデン大統領、ボリス・ジョンソン元英首相、マクロン仏大統領、実業家のジョージ・ソロス、ビル・ゲイツなどが代表的存在である。背後に「タックスヘイブン(租税回避地)・ネットワーク」を維持するため、国家や国民、国境という存在を破壊したがる「英国守旧派」が存在する。
B「独裁的ナショナリスト」
独裁国家の指導者を指す。プーチン、習近平、金正恩などがその典型である。「無国籍企業的グローバリスト」である超巨大企業が賄賂などで独裁者を抱き込んでしまう場合もある。
C 「社会主義的グローバリスト」
以前は「社会主義的グローバリスト」の勢力はさほど顕著でなかったが、「無国籍企業的グローバリスト」に助けられている小さな存在であったが、2024年、英国の労働党政権という社会主義的な政権が誕生した。オバマ以降の米民主党、そしてカマラ・ハリスという大統領候補も「社会主義的グローバリスト」である。しかもこの社会主義的グローバリスト」は、しばしば「無国籍企業的グローバリスト」と連携している。
 今回、トランプが敗北していたら、自由民主国家、米国は崩壊し、世界の自由とデモクラシーは大きく後退していたに違いない。米国だけでなく、世界の経済秩序もアナーキー(無政府)状態と化しただろう。その結果、世界中で地域紛争が頻発し、世界の政治・経済秩序は大混乱に陥ったはずである。つまり今回の米大統領選は、世間の見方とはまったく正反対の「平和の候補トランプ対戦争の候補ハリス」の戦いでもあったのだと、藤井嚴喜氏は分析している。
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 ここまで読んだとき昭和17年11月に毎日新聞検閲部長をしていた北条清一氏が書いた「思想戦と国際秘密結社」の内容とよく似ていることに気がついた。この本は戦後GHQによって焚書とされ日本人の目に届かないようにされていたが経営出版社より2021年復刻された本である。その中にフリーメーソン秘密結社のことが事細かに書いてあった。
それよるとフリーメーソンは世界、ユダヤ人の市民的自由主義的前衛である。フリーメーソンは秘密の外交政策と世界政策を行っている。
フリーメーソンの目的は241頁に書かれているが、『フリーメーソン結社の表看板は自由、平等、博愛 この三つを規範として、唯一無限、絶対の神を信じ、個人の品性を陶冶(人の能力や性質を育て上げること)して社会、国家を真善美の理想郷に改善する・・・という誠に立派なお題目を並べているのでありますが、これは、非ユダヤ人を引きつけるための偽装で有りまして、本当の肚の底・・・隠された目的は、君主政体を解体して、フリーメーソンによる世界共和国を建設するにあります。すなわち専制的世界を築き上げようとの魂胆なのであります。』とあった。
 フリーメーソンの恐るべき陰謀として過去二百年間に彼らの手によって、革命暗殺が如何に行われたかを、フリ−メーソンの研究家が発表している中に、日本の伊藤博文が安重根により暗殺されたが、これは露国ユダヤ系メーソン結社の使嗾(けしかけること)により決行されたとあった。
正に英国守旧派(無国籍企業的グローバリスト)のやり口そのものだと思った。
 ところで現在の石破政権と前の岸田政権はこの無国籍企業的グローバリストだと藤井先生は断言している。
このネットワークを牛耳っているのが、英国の旧エスタブリシュメントであり、藤井氏はこれを「英国守旧派」と称している。世界が平和になり、各国政府間の
経済連携がスムーズになれば、タックスヘイブンが活躍する余地がない。そこで民主国家を破壊し、世界が「市場原理」だけで動くようにするのが彼らの望みである。つまり彼らが狙うのはタックスヘイブンに本拠地を置く無国籍大企業が、国際的な裁判権、課税権、通貨発行権などを完全にコントロールする体制である。グローバリスト勢力の中核が英国守旧派である。何故かと言えば、グローバリストが富を蓄積している場所が、英国守旧派が管理するタックスヘイブンだからである。世界のタックスヘイブンの大部分は英国系、つまり旧英国植民地か、英国の海外領土である。「無国籍企業的グローバリスト」の頭脳は先進国にあり、そこで技術開発を行うが、主にモノを製造するのは低賃金の新興国だ。そして、それをリッチな先進国の市場で売りさばく。しかし、彼らはそこで得た利益を海外のタックスヘイブンに蓄積し、温存しようとする。先進国に利益を持って帰れば、高率の法人税が課されるし、製造拠点の新興国でも高額の税金を取られる恐れがある。独裁国家だと突然、利益が没収されてしまうことさえ考えられる。そこで彼らはタックスヘイブンをフル活用し、利益を貯め込むのである。
このタックスヘイブンのネットワークの中心はロンドンのシティである。
かって世界中に植民地帝国を築き上げた英国は、現在、ほとんどの植民地を失った。しかし今でも残っている最大の遺産が、世界に広がるタックスヘイブン・ネットワークなのだ。無国籍大企業は、米国企業であっても欧州企業であっても、これをフルに活用する。そこで英国守旧派は「大英帝国なき後の世界植民地主義の実現」を狙う。英国という国家では無く、自分たちが操るグローバルな無国籍企業に奉仕する世界体制の構築であると藤井嚴喜氏は述べられている。
 今行われているロシア対ウクライナ戦争、イスラエル対ハマス、ヒズボラ(背後にイラン)戦闘も黒幕として英国守旧派の思惑があるとされている。
 日本も色々の所から手を回されてLGBTQ法案を作り、選択制夫婦別姓法案を作ろうとしているが、これは日本の伝統文化、家族の有り様を破壊しひいては日本の国をそのもの解体しようともくろまれているのだと思う。せめて日本の政治に関わる人は戦後の東京裁判史観やGHQの「ウォー・ギルト・インフォメーションプログラム」の魔法から目を覚まし、是非とも今一度、日本の歴史を学び直し皇紀2685年の重みを受け止め正しい日本の進むべき道を歩んで欲しい。なんでもかんでも欧米が一番だと憧れないで、日本の伝統文化に根ざした国にしていただきたい。
 なお前述した「思想戦と国際秘密結社」の中(168頁)にユダヤの3S政策といのがあった。これによるとユダヤは世界に向かって常に3S政策を強調しています。3S政策とはスポーツ(SPORTS) スクリーン(SCREEN) セックス(SEX)
この政策に従えば、文化工作の目的は、異民族をユダヤ化して、烏合の衆たらしめんとするのであります。そのために、彼らは、大衆的の宣伝機関を必要とします。そこで、この大衆的宣伝機関として、彼らが目をつけて取り上げたのが、スポーツ、スクリーン、セックスの三つである。かくして、これらの宣伝機関を通じて、反国家思想、道徳破壊、社会秩序攪乱へと誘導したのである。彼らは米国文化の仮面をかぶって、エロ、グロ、ナンセンスの映画、演劇、ジャズで国民を骨抜きにしようとかかったのです。一時、この風潮は日本にも弥漫し、彼らの策略によって青年男女の思想を破壊される危機が迫ったのですが、満州事変、支那事変から大東亜戦争への発展が、国民に大きな警鐘となって、彼らの策略から脱することが出来たのである。
 「群衆が考えることのないようにするため、娯楽、遊戯により、情欲と遊郭によって、彼らの頭を思索からそらすのである。その上で我らは、新聞により芸術、各種スポーツの競技会を催して、彼らの考えを我らと彼らと戦わねばならぬ分野から除けてしまうのである」とあります。大衆娯楽のもっとも効果的なる宣伝機関として、ユダヤは映画に着眼し、米国における有力映画会社は、殆ど、彼らの手中に収められていると書かれている。
 この3S政策は正にGHQが行った「ウォー・ギルト・インフォメーションプログラム」そのものである。昭和17年に刊行されたこの本では既に3Sの本質を見抜いていたことに驚くと共に、この本が日本人の目に触れることでGHQの政策が失敗することを恐れ焚書にしたのかも知れません。

2025年01月19日

2024年から2025年へ

 12月29日に2003年3月から2004年2月まで我が家にAFS留学生としてホームステイしていたマレーシアのA子が旦那のM男と8歳と4歳の二人の息子を連れてやってきた。私と家内は長男が生まれた年の2016年から2017年の正月休みにマレーシアにお祝いを持って会いに行って以来である。あの生まれたばかりの男の子がもう8歳の小学校4年生になっているのには驚いた。
聞くと24日に関西空港についてそこからレンタカーを借りて淡路島、徳島、高松、高知、松山道後を経由して来たとのこと。レンタカーが普通車でなく軽自動車であったのには驚いた。
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会って話しているとA子と旦那の結婚についてもひと働きした事が思い出され当時のことを話して花が咲く。というのも2015年の11月にA子がご両親とA子のボーイフレンドもどきのM君を伴って尾道にやってきた。A子は30歳でご両親は早く結婚してほしいと願っておられた。ご両親からまだA子とM君が結婚するかどうか解らないのでなんとか二人が結婚する様に話してほしいと頼まれた。
 そこで家内が「ボーイフレンドもどきのM君」に婚約しているのかと聞くと「not yet まだだ」という。A子の話を聞けば「結婚して欲しいと彼が言わないので私からは結婚して欲しいとは口に出せない」との事。いろいろ話したところまだ確実ではないが、少しその気になってきたようだった。そして帰国後正式に結婚することが決まり無事長男J君が生まれた。
 M男は当時グーグル・マレーシアのNO.2であったがその後シンガポールへ転勤、そして現在はベトナムでグーグル・ ベトナムのCEOである。旦那の転勤に伴って家族も転居して現在はベトナム在住のため今回はベトナムからやってきた。子供の学校もその都度転校するが現在はベトナムのインターナショナルスクールの4年生で授業は英語で主に行われ、その他、北京語とベトナム語を習っているとのこと、ほとんどマレーシア語は話せないらしい。そういえばA子もご両親が将来を見越して赤ん坊の時から英語で育てていた。また旦那もロンドン大学を卒業しており家庭では会話は英語のみである。子供も達も英語で話しており私がそばで聞いていてもスピードについていけない。私も家内も子供達と話すのに英語を用いるがあまりよく伝わっていないようであった。
 お土産をもらう、マレーシアの白胡椒、スパイス、ベトナムコーヒー、チョコレート、ソフトドライマンゴー、他に四国観光で買ってきた淡路島の玉ねぎや高知の日本酒などをもらった。
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 夜は向島の「焼き肉えひめ屋」に行く。美味しいと喜んでM男と子供たちは食べてくれた。私たし達のマンションでは4人も泊まれないので息子の家に泊まってもらう。
 翌30日の昼は旦那のM男がA子と結婚するきっかけになった思い出の「かき小屋尾道店」にいき焼き蠣やカキフライを食べる。
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M男はトライアスロンをしており今年はオーストラリアの大会に出たとか。日本に来て全く運動をしていないので少し太ってきた。山にでも登りたいというので、三成小学校裏の標高100メートルの艮山(うしとらさん)に登る。山頂には日露戦争で203高地を攻略して日本を勝利に導いたかの有名な乃木希典大将の石像が立っている、戦前までは乃木神社の社殿まであったが今はない。落ち葉がいっぱい溜まって歩くと滑りそうになるが、なんとか全員上まで登った。毎日ウォーキングをしている私でも結構しんどかった。
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 子供たちは温泉が好きだというので福山のコロナワールドの風呂に行くことにして、その前に子供達と旦那は海鮮が好きだという事で夕食は福山の「しまなみ寿司」に行く。驚くほどM男と子供たちは気に入ってよく食べ、皿が山積なった。
そのあと風呂に行きかけたが家内の体調が優れないということで急遽取り止め尾道に帰り私と家内は家に送ってもらった。息子一家とA子一家はその後、平原の「ポッポの湯」に行ったようだ。
 31日A子達は広島市の原爆ドームを子供たちに見せて広島エアポートホテルに泊まり1月1日の朝、ANAで北海道に行き子供たちとスキーをするとのこと。ベトナムには台湾経由で6日に帰るとのこと。とても広島までは付き合いきれないので三原市にある「ラーメン康本郷本店」まで行きみんなでラーメンを食べ別れることになった。ただ東北・北海道は大雪になりそうで飛行機が飛ぶかどうかわからない状況であった。
長男のJ君が尾道ラーメンを2杯食べたのには驚く、次男のK君はラーメンが嫌いなようで白米のご飯だけを食べる。日本のご飯がとてもおいしく気に入ったようだ。
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この3日間、私や家内にとって本当にわが娘が孫と旦那を連れて里帰りをしたような感覚であった。
またの再会を約束して別れる。翌日無事飛行機は飛んで北海道に到着した。よかった。
 31日夜は恒例のNHKの紅白歌合戦であるが、朝ウォーキングする関係で途中まで見て23時過ぎに寝た。
1月1日元旦、いつもより35分遅れの5:25に起床し、8.5qのウォーキングをし、帰ってベランダに国旗を掲げる。その後初日の出を見るために、近くの消防署前の突堤に出かけて待つ。今年は雲一つなく対岸の向島の山影から朝日が昇ってきた、自然と手を合わせて今年1年の無事とを祈る。帰っておせちとお雑煮を食べる。
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昼過ぎに私の家と家内の実家の墓参りにいく。家内の実家の墓は山かげにあるため墓に供えてある水が氷になっていた。この冬初めて氷を見た。
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帰ってから届いた年賀状を整理し、三通ほど返事を書いて郵便局にもっていく。
日本国内は昨年の能登半島地震のような大きな事件もなく穏やかな一日であったようだ。
 本当に今年が良い年であることを願うばかりである。

2025年01月02日

残された時間

 12月になっていつものように業者さんが来年のカレンダーを持ってきてくれた。何気なく見ていると来年の干支は巳年である。そういえば次男が巳年だった思いだした。2月には48歳になる。息子とは30歳離れており、来年3月に私は78歳を迎えることとなる。
そしてふと干支がもう一廻りすると息子は60歳還暦を迎えることに気がついた。そしたら私は90歳と言うことになるがさすがに90歳まで生きられるかどうか解らないと思う。つまり息子の還暦に立ち会えるのかどうかという微妙な年齢になってしまっていたことに始めて気付き驚いている。今まではただなんとなく77歳だ78歳だと思っていたが、その気づきを得てからは年齢に重みが増し唖然とした。
 思い出してみると私の父親は私が還暦を迎えた年に満88歳でなくなった。また母親と父親は丁度4歳違いであったがその母親も同じく満88歳で亡くなった。両親の遺伝子を受け継いでいる自分としては少なくとも88歳までは生きているのではないかと漠然と淡い期待を持っている。それでも90歳となるとどうかなと思う。88歳までの残された時間はおよそ4000日弱である。
 現在いろいろの本やニュースなどで人生100年時代と盛んに宣伝され、政府も高齢化100年時代だと銘打って施策をしているのでなんとなく100歳まで生きれるのかなと思うが、現実は難しいのではないだろうか。今年(2024年)9月1日付の100歳以上の人口は95,119人と厚労省が発表している。私を含めて団塊の世代が100歳に達すれば倍くらいの人数になるのかも知れない
ただ最近、結婚は晩婚化が進んでおりおそらくお子さんの還暦に立ち会える人は少なくなるのではないだろうか? ただし100歳まで生きれば立ち会えるかも知れないな。
 ところで、先日家内が友達からLINEで送られてきた写真(文章)を面白いからと転送してくれた。
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     人は「シクシク」って泣きますよね
     「ハハハハ」って笑いますよね
     4×9=36 8×8=64
     答えを足すと「100」になります
       人生を「100」とすると
       悲しいことは「36」
       嬉しいことは「64」で
       倍近くあります
     どんなに5×9(号泣)=45
     しても、半分以下です
     人生は泣いて笑って
      「100」になる
とあった。

 日本語には「泣いても」「笑っても」とよく対語が出てくるがこの写真の文章の様に分析すれば、はるかに人生に於いて笑いの方が多い事に気がついた。
正に「笑う門には福来たる」
 これからは残りの人生、泣いたり怒ったりしないで何ごとにも笑いながら生きて、息子の還暦に立ち会いたいと思った。

2024年12月12日

ロバート・F・ケネディ・ジュニア著「人類を裏切った男」を読んで

 11月5日のアメリカ大統領選挙でドナルド・トランプ氏がカマラ・ハリス女史を大差で破り1月から第47代大統領に就任することが決まった。インターネット上ではトランプ優勢とされていたが、メディアはTVも新聞も接戦だと報じていた。しかし結果は皆さんご存じのように本当に大差でトランプ氏が勝利した。日本近現代史研究家の渡辺惣樹氏は選挙人獲得人数をトランプ312,ハリス226人と予想していたがぴったり当てた。アメリカを始め日本のマスメディアがいかに頽廃しているかが解る。
現在トランプ次期大統領は日本でいう内閣の大臣の人選をしている。11月16日の中国新聞に「米厚生長官にケネディ氏  コロナワクチン懐疑派」の見出しで記事を掲載していた。
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一部引用すると
[ワシントン共同=高木良平、井口雄一郎]
{トランプ次期米大統領は14日、厚生長官に弁護士ロバート・ケネディ・ジュニア氏(70)を指名すると発表した。ケネディ氏は新型コロナウイルスのワクチン懐疑派で、医療の専門家や民主党議員からはワクチンへの不信や事実に基づかない情報を拡散しかねないとの懸念が出ている。・・・・ケネディ氏は1963年に暗殺された民主党ケネディ大統領の甥。「ワクチン業界は規制や議会、報道などを操り、強欲な企業から子供達を守るための機関を全て無力化した」との陰謀論を展開。接種と自閉症を結びつける誤った主張もしていた。上院で承認されて就任すれば、厚生省の下部組織として医薬品の承認を審査する食品医療薬品局(FDA)、ワクチンの推奨など公衆衛生を担当する疾病対策センター(CDC)の判断に影響を及ぼそうとする可能性がある。
 第一次トランプ政権の厚生省幹部らが参加した保守派の政府再編構想「プロジェクト2025は、20年以上使われてきた中絶薬の承認取り消しや、人の受精卵からつくった胚性幹細胞(ES細胞)研究への公費支出停止などを提言。第二次政権では医療や研究の在り方が大きく変わることを心配する声も出ている。」 引用ここまで。
私はこの記事を読んで少し違和感を覚えた。日本でコロナワクチンの接種が始まったとき私は医療従事者であったためワクチンを接種した。その後予定通り2回目接種したが何故かコロナに感染して1週間尾道総合病院に隔離入院させられた。このときこのワクチンは効かないのだと悟った。しかしその後、海外旅行に行くためにはワクチンを3回以上打ってワクチン証明書を発行して貰わないと出入国出来ないので仕方なく3回目を接種しエジプトに出かけた。
 そんなこともあって、経営出版社発行のロバート・F・ケネディ・ジュニア著の「人類を裏切った男」林千勝解説、石黒千秋訳が発行されることを知ってすぐ購入した。この本は上・中・下の3巻に別れ上巻381頁(2023.10.30発行)、中巻406頁(2023.11.30発行)、下巻454頁(2023.12.30発行)合計1241頁の大作である。上巻は新型コロナウイルスによるパンデミックについてその背後に潜む国家と大企業(ビック・ファーマ、ビック・テック、ビッグ・メディアなどの腐敗した利益至上主義について書いてあった。


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この中で以前当時の安部総理が新型コロナの治療薬としてノーベル医学・生理学受賞した大村智氏が開発した「イベルメクチン」有効だと話していたがすぐ話題に乗らなくなった。これもこの本を読むとワクチン会社などから圧力を掛けられたのだと読み取れた。そして反ワクチンに関する意見は検閲され封鎖された。それにしても臨床試験が完全に終わってないワクチンを世界中で良く打ちまくったものだ。しかもそのワクチンにより死亡事故や障害などが起こったとしても製薬会社は一切責任を取らないという付帯条項も入っていた。そのため現在ワクチンの後遺症などについて国が認定したケースがあるが、この補償は私たちの税金で対応することになっている。
 中巻は大統領医療顧問トップにのぼりつめ、世界の医療界で絶大な影響力を持つアンソニー・ファウチ博士が行ったエイズとHIVウイルスとそのワクチンの闇を追求している。


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 下巻はマイクロソフトを立ち上げたビル・ゲイツがアンソニー・ファウチ博士と組んで医療という慈善事業を装った「途上国への侵略」であった。ワクチンの臨床試験の多くはアフリカやアジアの貧しい国で行われた。本来なら疫病などをなくすには基本的な設備や命に必要な水と食糧への公的な支出が必要であるがその支出を減らし、国際的な救援金などを一握りのよく知られた薬を買うようにさせられたり、ワクチンを購入させられ臨床試験に参加させられたりしている。そしてあたかも慈善事業をしているかのように見せている。


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 今、日本では新しいレプリコンワクチンの注射が10月1日から始まったが、これはベトナムで臨床試験が行われた。
 またWHOの「パンデミック宣言」が国会で批准されればパンデミック発生時、日本国の意思に反してWHOに全ての権限が委譲させられ、監視社会となり個人の自由などが奪われ非常に危険なことになると考える。
この本を読んでいたので新聞の記事に違和感があった。なおこの本に書いてある事がフェイクだと思う人もいるだろうが私はかなりの点で真実だと思う。
 そしてこの人事が発表されると製薬会社の株価が下がったと報道され、ネット上ではアンソニー・ファウチやビル・ゲイツが逮捕されるのではないかと話題になっている。
私はそれよりも著者のロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が暗殺されるのではないかと心配する。叔父のジョン・F・ケネディ大統領が暗殺(1963.11.22)され、父親のロバート・ケネディ司法長官も大統領指名選挙途中で暗殺(1968.6.5)された歴史がある。そうならないことを祈る。

2024年11月22日

秋の農作業総括

 先日11月7日は立冬であった。例年この時期には秋の農作業が終わる。今年は夏場が暑くて猛暑、しかも秋もかなり暑い日が続いたがやっと立冬の朝の最低気温が一桁となった。そせいか今年は作物の収穫に異変が生じた。
 10月13日(さつまいも記念日・・・九里四里うまい十三里に掛けて)さつま芋「紅はるか」を収穫したが、芋の数は少なくしかもころっとした芋の形ではなくゴボウのように細い物が多かった。ツル返しを1回しただけでどうやら「葉ばかりさん」になったようだ。
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 そして18日に次郎柿を収穫したが今年はたったの20個しか実がならなくて、お礼柿として1個を残し19個を収穫。多いいときはコンテナ5箱ほどとれたこともあったが、少なくとも150個ほどは毎年取れていたのに、今年が裏作だとしても、あまりにも少ないのに驚く。夏の暑さが異常で、しかも私があまり水やりをしなかったせいなのかも知れない。
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例年サツマイモと柿は沖縄の孫達に送るのだがそれも出来ず、かろうじて尾道の孫に少しお裾分けが出来た。来年は少し考えなくてはならない。
 ただ5月に植えたナスは毎年7月の終わり頃一度枝切りをして秋ナスを待つがそれも10月の終わりには手じまいをする。しかし今年は暑さが続いたせいか立冬の今でもかなりの実をつけていて食卓を楽しませてくれている。でもそろそろ実の生長が止まるのかあまり大きくならなくなった。
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 ところでタマネギを毎年この時期に植えるが、例年9月に中生のタマネギ「まどか」の種をまき苗を育てて植えている。今年も9月21日に苗床2個を造り、深さ5ミリで一筋35〜40粒、筋間10pで三筋の苗床を2個造り、水をまきその上を新聞紙で覆いをしてその上に水を掛けて育てていく。ところが今年植えて2日目に新聞紙をはぐると何と植えたタマネギの種を蟻がせっせと運んでいる。どうしようもないのでそのままにしていたら385個種を植えたのだが芽を出し育ったのは46本であった。蟻が種を盗むなんて想像もしていなかった。来年は何か対策を立てなくてはならない。
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そして10月31日に46本を植えたがたまねぎ用に予定した畑が半分残っているので種屋に行き早生品種50本を買ってきて11月3日に植えた。水やりをしたりして現在根は活着しているようだ。
 大根がまもなく収穫の時期を迎えるが、これも9月1日に耕耘機を掛けて畑を耕し牛糞堆肥半袋、こだわり健肥1袋や石灰、米ぬか少々を入れて畑作りをし、15日に種の植え付けをする。一畝二列で株間30p一穴4粒を蒔き、二畝作った。
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9月18日には早いところで芽がではじめる。9月21日にチョウチョなどの食害から守るためトンネルを設置する。9月26日現在で10カ所ほど芽が出てないところがあったので再度その部分に種を植える。水やりは欠かさないようにした。29日に一部間引きを行う。10月30日に大根畑のトンネルを取り外す。最初の大根は直径3センチくらいになっていた。11月17日頃には一部収穫可能であろう。
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 そのほか11月2日に患者様からサニーレタスの苗をいただいたので3日タマネギと同時に植えた。どうやら根は着いた感じがする。また家内がほうれん草とシュンギクの種を買ってきたのでやはり3日に植えた。今日現在シュンギクは芽が出始めている。
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 11月7日には6月2日に植えたショウガを収穫した。ここ3年ほど同じ場所に植えたせいか少し小さいものもあった。来年は植える場所を変更してみよう。
11月4日に梅の枝を剪定した。素人なのでどこを選定して良いのか、どの程度選定して良いのか解らずインターネットで調べて見よう見まねでやってみた。
今後はオクラ、モロヘイヤ、茄子の手じまいをすれば大方の農作業は終わり、春先のジャガイモの植え付けまで体が空く。いわば趣味でやっているがそれでも農作業から解放されるとほっとする。

2024年11月10日

今年3度目の札幌出張

 さる10月19日に札幌に出張。今回は北海道医療大学歯学部同窓会設立40周年記念式典に出席するためだった。私は1期生で正に卒業40周年、つまり歯科医師歴40年である。さらに現在同窓会副会長という立場にあり主催者側である。
 朝8:15のANAで広島空港を出発。今回乗った飛行機は新しい機種で、国際線のように各シートにTV画面があり中をのぞくとなんと映画も見られる様になっていた。私は映画を見ないでフライトスケジュール画面を見ながら、時折外の風景が写しだされるカメラに切り替えて見ていた。
 2時間ほどで到着、エアポートライナーで札幌へ、気温は12℃くらいで少し寒い感じがした。宿泊は「京王プラザホテル」だが、チェックインが15時からなのでとりあえず式典が行われる「グランドメルキュール札幌大通り公園」旧ロイトンホテルの会場に行った。
 今日は14時から後輩3名の先生方の講演発表があり17時から式典、18時から祝賀会の予定である。15時前に京王プラザホテルにチェックイン、礼服に着替え再度会場にいく。
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 北海道医療大学は2028年に現在の当別町から北広島市の日本ハムの球場「エスコンフィールド」の横に移転することが決まっている。そこで少しでもお役に立てるように寄付をすることが急遽理事会で決まりその贈呈式の大役が私に回ってきた。
段取りとして私が壇上にあがり挨拶後、学校法人東日本学園理事長に「設立40周年記念寄付目録」を贈呈することになった。その為1週間前くらいから挨拶の文言を考え、「同窓会は大学あっての同窓会で有り、同窓会設立以来大学には陰に陽にご支援をいただいたお礼だと」挨拶して贈呈することにした。
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 17時丁度から式典はスタートしたが私の番が近づくにつれて内心穏やかでなく緊張した。目録贈呈式が終わり壇上を降りたらほっとした。
 その後祝賀会となる。同期の連中。恩師の先生、お世話になった大学関係者と久しぶりに顔を合わせ談笑。息子が小さい頃お世話になった小児歯科のI教授ともしばらく当時を振り返りながら話に花が咲いた。
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 20時に無事式典が終わり1期生は同ホテル20階の部屋で同期会を行った。先ほどの式典には出席しないで同期会にだけ出席した者もいた。総勢40名以上で、卒業以来一度も顔を合わせたことのない同期生がいて話が弾む。その後、一人ひとりが近況発表をした。糖尿病になっている同期生は結構いた。中には癌になったとか、脳梗塞になりかけたとか、またYouTubeをしているとか、乗馬に精を出している人もいた。ゴルフに精を出しているとか、また65歳になったのを期にリタイヤーしてのんびりしていると言うのもいた。私は「ほとんど持病はないが緑内障で3ヶ月に1度眼下に行くこと、毎朝7q以上歩いていること、肌の日焼けは畑の草取りだ」と話した。
 入学当時は同期の現役入学生とは13歳も歳が離れていたので彼らにとって私はおじさんであったのだろう。呼び方も「齊田さん」と「さん」付けで読んでもらっていたが中には「おじさん」、「おっちゃん」、「日本兵」などと親しみを持って呼ばれていた。
今回ほとんどの同級生に「齊田さん全然変わってないね」とか、「この年になったら齊田さん私たちと変わらないですね」といわれた。また浪人して入学してきた同期生は年金を貰いだしたなど話してくれた。
 次の同期会は10年後の創立50周年では死んでいる人も多く出そうなので4年後の「入学50周年記念」で集まろうとなった。元気で4年後に皆と会う約束をして別れた。
 翌日飛行機は15:00発のJALであったので10時にチェックアウトをして北大の構内を散策した。北海道も今年は暑かったせいか紅葉が今一である。構内を歩いていると中国人の観光客が多かった。
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 北海道大学総合博物館という建物見つけて中に入ってみた。入場料無料である。北海道大学の成り立ちのパネル展示があった。各学部を紹介する部屋があり、当然歯学部の展示室に入ってみた。
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 その他、化石の展示場では恐竜の化石もあった。アイヌ民族の文化を展示している部屋もあった。とても面白く1時間ほど見学したが、今度また来ようと思う。その時はもう少し時間を気にしないで見て回りたい。
 予定通り飛行機は離陸し無事尾道にかえる。

2024年10月27日

里子の旅立ち

 先日タイ国のドゥアン・プラティープ財団よりメールが入った。それによると私が里親として毎年幾ばくかの奨学支援をしていたスピー・タキアン君が6月10日に無事大学を卒業してプラティープ財団に就職し修理部門を担当しているとの連絡であった。
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 私がこの財団と係わるようになったのは、この施設のこと、創設者プラティープ・ウンソンタム・秦 女史の事を2000年に故・石川洋先生(托鉢者、元、京都一燈園)にお聞きし、子供たちを継続的に奨学支援することにし、毎年いくばくかの奨学金を送ってきた。
 バンコクのスラム街クロントイ地区にドゥアン・プラティープ財団がある。1978年にこのスラム出身のプラティープ・ウンソンタム・秦 女史が、自分の経験からスラムに住む子供たちが悲惨な状況下にあり何とか助け出したいとして活動を開始された。現在の日本社会では考えられないことであるが、当時からスラムの子供たちは劣悪な環境下で養育され、やがて麻薬を常用するなどのさまざまな非行問題に引きずりこまれたり、また正規の教育を受ける機会も少ないために、仕事に就くのに十分な学歴が得られず、就職難になりがちであった。
 プラティープ財団のパンフレットによれば、とりわけタイの貧困家庭では、きつい労働と日々の生活費の捻出に精一杯で精神的なゆとりがなく、そのために夫婦が仲たがいしたり、子供の養育が至らなくなるなどの問題が生じている。生活の問題から来るストレスで子供を虐待したり、また違法であっても生活のために我が子を働かせるという状況も出てきている。社会全体に影響を及ぼしている麻薬は、急激な勢いで蔓延しており、若者たちはその犠牲となって始めて、わが身の破滅を知るという状況が起きている。こうした青年たちを立ち直らせ、社会的に自立できるよう教育の機会を提供していくために、プラティープ財団は1986年にチュンポーン県に少年のために、ニューライフプロジェクト「生き直しの学校」をスタートしました。一方少女たちの問題は少年以上に深刻で、近所の人や家族から強姦されたり、虐待されたりといった悲惨な状況下にあっている少女が多く、こうした状況を見かねて、少年たちの施設に続いて、1996年にカンチャナブリ県(映画 戦場に架ける橋の舞台になった場所)に「少女のための生き直しの学校」をスタートした。
 ここでの少女たちの1日は、学校に行く子供たちの世話、野菜栽培、養豚、養鶏、調理や裁縫などの職業訓練、食事の準備などである。
 最初支援したB子は当時7歳の女の子であった。父親は麻薬売買と所持の罪で服役中、母親は麻薬常習者であった。施設に収容されたときは仔細な事で泣くなどなかなかなじめない子であったとの事。15歳になるまで、毎年学校の成績表や、短い手紙(日本人ボランティアが翻訳)、生活状況などが送られてきていた。私は、いつの日か、彼女がタイ国の未来を背負って活躍することを楽しみにしていたのだが、彼女が15歳の2008年6月17日にプラティプ財団からB子が親戚に引き取られ退所したと連絡が来た。両親は麻薬中毒で父親は服役中である。おそらく15歳になった彼女を働かせてお金を得ようとする親戚の魂胆であろう。まともな所で働くのなら良いが、売春宿などで働かされたら、8年間も里親として支援してきた甲斐が無いと当時はおもった。財団のほうも随分とそれを心配しているようであった。現在生きていれば31歳、B子が幸せに生きていてくれることを願うだけである。
 その後、私の里親援助は2008年7月から戸籍証明も無く母親の死亡書のみしか持たないスピー・タキアン君7歳に切り替わった。財団から送られてきたプロフィールによれば両親と物乞いをしながら住む場所も一定しない生活をしていた。父親はアルコール中毒で話すこともおぼつかない。母親が死んだ時、たまたま「生き直しの学校」に保護された。毎年送られてくる財団の報告書を見ながら彼が元気にしていることに安堵していた。小学4年生からは自筆の手紙が添えられていた。最もそれ自体は読めないので財団の日本人ボランティアが翻訳したものを読んでいた。彼からの手紙には前向きな気持ちが綴られていた。「生き直しの学校」で勉学と野菜栽培・養豚・養鶏・アブラヤシの収穫作業などの農業実習、スポーツ、コンピューター学習、学校外教育等をしながら小学校1年から甘えることなく頑張った。そして彼は大学進学を決意しついに大学に合格したというメールが2020年10月5日届いた。大学進学率は日本よりタイの方が低いにも係わらず本当によく頑張ったと当時思った。
 それから4年頑張って今年6月10日に無事卒業し卒業証書を受け取ったと写真を添えてメールが届く。彼からの手紙には感謝の言葉(日本人ボランティアが翻訳)が添えられており彼の頑張りに私も心が熱くなった。財団からも感謝の言葉が添えられていた。
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本当に良かったし私も肩の荷が下りた感じがする。彼には会ったことがないがいつか会える日を楽しみにしている。
 財団からは引き続き新たな子供の里親になってほしい旨、要請があった。ただ私も年齢が喜寿を超えたので最後まで面倒を見られるかどうか解らないが前向きに検討してみよう。

2024年10月03日

小学唱歌 「二宮金次郎」

 二宮金次郎と言えば、薪を背負って歩きながら本を読む銅像が小学校にあったような気がするが、二宮尊徳(金次郎)についてはあまり詳しくは知らなかった。川の氾濫で田畑が流されその後父母を無くしたがこつこつ小さい努力を積み上げていく「積小為大」に開眼し、かって手放した田畑を請け戻して生家を再興しその後小田原藩の財政を立て直したことなどおぼろげながら知っている程度であった。
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 私が毎月購読している月間「致知」が今年4月号より北康利氏による世界に誇るべき偉人の生涯として「二宮尊徳」の連載が始まっている。
その題の横には『 二宮尊徳はどんな人か。かう聞かれて、尊徳のことをまるで知らない人が日本人にあったら、日本人の恥だと思ふ。それ以上、世界の人が二宮尊徳の名をまだ十分に知らないのは、我らの恥と思ふ。―――武者小路実篤 』と書かれている。
毎月この連載を読みながらすごいことをした人物だと改めて思っている。
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 そんな中、致知10月号の木鶏クラブ通信という欄に「姫路教師木鶏クラブだより」が掲載されていた。その中に、6月例会時の休憩時間に二宮金次郎の歌を聞き懐かしい気持ちになったと書いてあった。
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それを読んで初めて「二宮金次郎」の歌があることを知った。77歳にして初めてのことである。念のため家内に二宮金次郎の歌を知っているかと尋ねたが知らないとのこと。
急いでインターネットで検索すると歌と一緒に歌詞も載っていた。
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インターネット記事によれば『二宮金次郎』は1911年(明治44年)刊行の「尋常小学唱歌」第二学年用で発表された文部省唱歌。作者・作曲者不明。とある。またこの第二学年用には「浦島太郎」、「ふじの山(富士山)」なども掲載されているとのこと。
全国の小学校には、大正から昭和初期にかけて、薪を背負いながら本を読んで歩く姿の二宮金次郎の銅像や石像が建てられたとのこと。
 この歌詞を見ながら現在の世の中を見渡すと随分と変わったなと思う。それも戦後『教育勅語』が禁止されまた論語などの教えがほとんど行われなくなったことによる弊害かなとも思う。彼の言葉の中に先ほどの「積小為大」という言葉があるが、彼自身が経験したことによるものである。本当に小さなことからコツコツと積み上げていくことが大事だと思う。しかし現代では一発勝負的な風潮が多い様に思える。
 さらに彼のやってきた「報徳思想」は徳をもって徳に報いることで、先月(9月)号の記述によれば「極貧の武士が内職として提灯や扇子の骨を削って生計を立てていたが、中には材料を仕入れる金さえなくなっている者もいる。無利息金で仕入れができれば、また内職が始められる。内職ができれば現金収入が入り、返済も可能となり、次の仕入れに回すこともできる。彼は歯車が回っていく最初の一押しのための原資を貸し付けたわけである。
だが人間は弱い。少し楽になると贅沢をする。そのことを何とか食い止めたいというのが金次郎の切なる願いだった。そこで、無利息金によって助かった者たちに、報徳の大切さを説いた。
『無利息金の徳によってその家を興したものは、よく昔の貧困と今日の安楽を思いくらべ、今日譲徳によって、昔施された徳に報いるべきである。こうして徳をもって徳に報いるならば、今日の幸福はずっと子孫に及んで二度と貧困に陥る心配はない。反対に、徳をもって徳に報いなければ、その幸福は一身だけにとどまって、子孫に及ばない。』」とあった。
この報徳思想は道徳と経済を一致させようとする教えで
至誠 わが心を誠、徳、仁に置く
勤労 至誠のもとに日常の労働を行う
分度 贅沢を慎み無駄を無くす
推譲 至誠、勤労、分度の後に残った剰余
で表せる。
この教えを現在に当てはめれば政府の施策のみでなく受ける国民の心構えとして大事である。コロナ禍のとき政府は色々給付金などを出したが、中にはごまかして多くの給付金を受け取った人や企業があったと報道がなされていた。民度が低いのであろう。
 さて現在自由民主党の総裁選まっただ中だが、日本国財政の厳しさをだれが立て直せるのか興味深いところではある。もし現在、二宮尊徳が生きていたらどのような提言をなし、かつ実行してくれるのであろうか。
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 なおこの薪を背負って本を読みながら歩く銅像(石像)の姿は、歩きスマホを助長するとか言われ撤去させられたり、座って本を読む像に変更されているとか、何ともやるせないことである。

2024年09月25日

平穏死

 今年もまもなく敬老の日がやってくる。まだまだと思っていたが、私も77.5歳になりいつの間にか、「敬われる」歳になった。
 先日、経営出版社発行の雑誌「ルネサンス17号」5月14日発行を読んだ。今回の特集は「間違いだらけの日本医療」であった。目次に示すとおり、癌検診、糖尿病食、コロナワクチンに関する記事など多く有りどれもビックリするような内容である。ここに書いてあるものがフェイクだと思われる方もいらっしゃるだろうし、そうなんだと思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
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 その中で私が特に気になった記事は長尾和宏医師の書かれた「多死社会を生き抜く“平穏死”」という記事であった。注に『日本は医療先進国で有るにもかかわらず、終末期患者の多くは医師の知識不足によって苦しい最後を迎えるという。在宅医療のパイオニアとして、四半世紀以上にもわたって2500人以上を在宅で看取ってきた長尾医師が語る、「自然で理想的な最後」とは?』とあった。
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 長尾医師が{平穏死}にたどりついた きっかけを一部転載させていただくと
{「皆さんは、自分や家族の“理想の最後”について考えたことがあるでしょうか。昔も今も、多くの人が自宅で看取ってもらいたい」と答える一方で、現実には病院などの医療機関でたくさんの管につながれて苦しい思いをしながら亡くなって行くケースが約8割を占めます。私が医者になって40年以上が経ちますが、最初に配属された救急病院では2年間にわたってたくさんの死を見ました。肝硬変や癌末期で運ばれてくる方が多かったのですが、「口から食べられないから」と高カロリーの点滴を1日2リットルくらいして、息が苦しくなれば酸素吸入もします。末期癌の人たちであれば、それでも苦しいからと、全員が人工呼吸器を付けていました。腹水や胸水が溜まれば抜いて、すると今度は「脱水になったから」と1リットル、2リットルもの点滴をする・・・。それらは当時、先輩から指導された“ごく常識的な治療”だったのですが、私は「何か違うな」と感じていました。
なぜなら、全員が「苦しい、苦しい」と言って、最後には血を吐いて血だらけになって死んでいったからです。亡くなった患者さん達は皆、溺れ死んだかのように顔も体もパンパンにむくんでいました。けれどそうした状況は、別の病院に異動してからも同じだったのです。
 そして医者になって10年目の頃、転機が訪れました。50代の食道がん末期の患者さんが入院してきたのですが、驚いたことに「何もしないでください」と言うのです。検査をしてみると食道が狭くなっており、かろうじて水が少し飲めるくらいの状態でした。普通なら、胃カメラでステントという管を入れるのですが、その患者さんはそれも拒否。食事もできませんから、それまで何百人もの患者さんにしてきたように高カロリー点滴をしようとしましたが、それも拒否されたのです。これではすぐに死んでしまうだろうと思っていたところ、1ヶ月経っても2ヶ月経っても、お水を少しだけ飲んで超元気に過ごしています。点滴もステントもしない末期がんの人が元気にしているなんて、私は驚きました。     しかし3ヶ月目くらいになると急速に弱って、3日ほどベットに寝付いたあと、枯れるように亡くなってしまいました。その時私は初めて“自然な死”を目の当たりにしたのです。
医者になって10年目にして「こんな死もあるのだ」ということを患者さんに教えてもらって、とても衝撃を受けたことを覚えています。この“自然な死”とはすなわち、「尊厳死」「平穏死」と同義のものです。そしてこの「平穏死」と言う言葉は、特別養護老人ホームの常勤医である石飛幸三先生がご著書『「平穏死」の進め』(講談社)の中で使われた造語なのですが、聞こえ方がやわらかいので私も使わせてもらっています。」} 転載ここまで
 その後、長尾クリニックを開業された後、大家さんを在宅で診たが在宅なので病院のような治療が出来ず基本的には点滴もせず、黄疸があり腹水溜まっていたが、在宅医療なので腹水も抜かなかったがだんだんお腹がしぼんで抜く必要もなくなった。そして2ヶ月ほどで病院でみた"自然な死“迎えられ、枯れるように亡くなられた。病院医療と在宅医療の両方で自然な死を看たことがその後の長尾医師の方向を決定づけたと思われる。
ところで苦しみが長引かない最後と言えば「ピンピンコロリが理想です」と言う人もいるがこれは健康だと思われていた人が、心筋梗塞やくも膜下出血、大動脈解離などで急に亡くなってしまう「突然死」のことで「平穏死」とは異なる。しかもあまりに突然すぎると周囲の人達を混乱させてしまうため、「真に理想的な死」とは死に向かっていく経過が10日くらいある場合でしょう。介護が必要な状態が10日間ぐらいであれば、仕事があるご家族でもお世話することが可能ですし、知人のお見舞いを受けたりお別れの言葉を交わしたりすることが出来ます。ご家族がお葬式の準備をすることもできます。
 一方で、「平穏死」には明確な闘病期間があります。末期癌の終末期でも、毎日水を500mlくらい飲めれば、数ヶ月ほどは自宅で過ごせるのです。その間は外出したり、家の中を移動してトイレに自分で行けたり、口から飲んだり食べたりすることが出来ます。そして何よりも、会話で意思疎通が図れることが重要です。尊厳を保ちつつ緩和ケアをおこなって寝込む期間と苦痛を最小限にする、それが「平穏死」や「尊厳死」の概念なのです。
 病院医療では「たとえ終末期の患者であっても死亡させたら負け」なので、そのため延命治療のフルコースを施しいくつもの管を繋いで命を長らえようとする。しかし海外では「緩和医療とは脱水状態にすることだ」と明言されている。脱水といっても人工的に水分を抜くのではなく、「脱水になるのを見守る」「脱水を容認する」ということなのだが、日本ではそういう教育がまったく出来ていないのが現状です。
近年のように医療が発達していなかった時代の日本では「平穏死」が当たり前でした。しかし高度な治療が出来るようになるにつれて、「平穏死」が難しくなってきたとのこと。
 そもそも日本では、医療関係者でさえ「平穏死」と「安楽死」を混同しがちです。自然な死である「平穏死」に対して「安楽死」は薬などで人工的に寿命を縮めて死なせること。日本では安楽死は殺人罪である。図のように安楽死を認めている国もありますが、その根底にあるのが「リビング・ウイル(LW)」です。これは「延命治療を望まないと言う意思表示」を文章として残すもので、長尾医師は「命の遺言状」と呼んでいる。通常の「遺言状」が死後の遺産相続などを決めるものであるのに対して、LWは死ぬ前のこと、「どのように人生の最期を遂げたいか」本人が決めて記しておくものです。どんな場所で命を終えたいのか、どこまでの治療を受け入れるかといったことです。先進諸国ではすでにLWが法的に担保されていて、医師が勝手にLWの内容に反する治療をすれば罰せられます。
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 しかし日本では本人が「延命治療は受けたくない」と話したり書き残したりしていたとしても、法的担保がないためにいざその時には家族の意思が尊重されてしまうことが多い。しかも医師が本人の意思を尊重して延命治療をしなければ、家族から「人殺し」とののしられたり、訴えられたりすることもあります。そんな事態を防ぐためにも先ずはLWの法制化を急がなければならないと長尾医師はいう。
 これから日本は超高齢化を加速させ、2040年頃には人口の多い団塊世代(正に私の世代)が寿命を迎えることから世界でも類をみない”多死社会”を迎えると推測されます。その前にLWを法制化しなければ医療現場が大混乱しますから待ったなしの状態なのです。
 国もこの状況を打開しようと、近年では「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)といって、患者を中心に家族や医療関係者、ケアマネジャーなどの関係者で行う話し合いを推進しています。ACPは医療の現場では浸透しつつありますが一般の人達にはわかりにくいので「人生会議」という愛称で呼ばれています。この「人生会議」で、元気なうちから何度でも繰り返しLWを記していくわけです。1枚の書類を書いて終わりではなく、決めていく過程がとても重要なのです。繰り返し話し合っていく中でだんだんと、患者さん、家族の意思が固まっていきます。長尾先生が副理事長を務める日本尊厳死協会では、LWの大切さを啓蒙し続けた結果、国民の3%程がLWを書いてくれるようになったとのこと。協会では日記形式で記入できる『リビングウィルノート』を発行しているので、ぜひ活用して頂きたいと思いますとあった。
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 最近小・中学生時代の友達の訃報がちらほら聞こえてくる。この記事を読んでそろそろ自分の死に方につて考えなくてはと思った。もともと管に繋がれる死は受け入れがたいと思っていたのでこれからLWを考え平穏死が迎えられるようにしていこうと思う。本当に考えさせられる内容であった。なお日本尊厳死協会のホームペーに寄れば、尾道で平穏死を受け入れ看取りをしてくれる診療所は3医院であった。


2024年09月06日

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