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最近の記事
12/04 私もほっこり
11/24 栗原小・中学校卒業 傘寿同窓会
11/11 2025年秋の収穫
10/13 令和t7年度北部圏域ネットワーク(医療・連携連携)会議
09/21 腎癌切除の道のり PART 2
外部グログ

大先生(元院長)のブログ

私もほっこり

 11月10日に「25年秋の収穫」と題してしてブログをアップした。その中で「今年は柿が大豊作でご近所様や従業員に持って帰ってもらうと同時に『御自由にお持ち帰りください』と張り紙をしてコンテナに入れて、ビニール袋も用意して待合室に出した。10月21日から11月11日までの間、何回か補充しながら置いていた。結構な人気でほとんどはけた』と書いた。
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 お持ち帰りいただいた多くの患者様の中で定期的に来院されているおひとりがこのことを中国新聞に投稿された。その投稿文「歯科で柿もらいほっこり」と題した投稿文が11月28日の「広場」覧に掲載された。その日の朝、私は新聞をさっと見ていたが気がつかなかった。帰宅したら家内がにこにこしながらお父さん柿のことが載っているよと言うので早速読ませていただいた。
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 『皮をむいて食卓に出し、おいしくいただいている。色が鮮やかで甘い。「歯医者に行って柿をいただけるなんて最高。2年前に亡くなったお母さんは柿が好きだったよね」などと夫と話しながら食べている』と書いてあった。ご夫婦の団らんが出来しかも亡くなられたお母様を偲ばれて良かったなと思った。また最後に「何でも美味しく食べられる歯を大切にしたいとおもった」と書かれていて私はぐっときて嬉しくなった。
 というのも私は今年11月6日に開業39周年迎えた。開業した頃は日本全国、虫歯の大洪水時代であった。当時、我々歯科医師は自分たちのことを「歯大工」と揶揄していた。治しても、治してもまた虫歯が出来て来院される。
 私は本来、歯科医師は歯を治療することがメインではなく、虫歯にならないようにまた歯周病に成らないようにする予防が本業だと思っている。
 このことでかって私が経験をした話をすると、開業間もない頃、一応虫歯の治療が終わり、今度は虫歯にならないようにと思い歯磨き指導でお呼びしたことがある。そして歯磨き指導をはじめたところ患者様から「今日は残業を断って來たのに、なんで歯磨きなのだ」とお叱りを受けたことがある。その時はかなりショックを受けたが最近では予防が大事だと言うことが理解されだし、スムーズにメンテナンスなどを受け入れてくださり安心して指導などが出来る。
 中国新聞に投稿された患者様も歯の大事さを理解されておられ本当に良かったと嬉しく思いほっこりした。

2025年12月04日

栗原小・中学校卒業 傘寿同窓会

 さる11月23日に昭和34年栗原小学校・37年栗原中学校卒業の傘寿同窓会が尾道国際ホテルで開かれた。十年前(2017.11.22)に古希の同窓会をして以来の開催であった。
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 中学を卒業して今年で63年になるが今までに今回を含めて8回目の同窓会で有った。
私は昭和61年1月2日に行われた3回目の同窓会から参加した。というのも高校卒業後、父親の転勤などで実家も尾道を離れていたが、縁あって昭和59年に尾道に帰ってきた。
 ところで1回目から7回目まではM君が名簿作りを始め何か何まで中心になってまとめてくれていた。しかし彼が大病を患い今回は出来ないし、参加も適わないかも知れないと言うことで、H君とIさん、Uさん達が「傘寿の同窓会」を開催しなくてはと思い立ち、私にも参加するように声がけをしてくれてお手伝いをさせて頂くことにした。
2月2日に準備委員会を4人で立ち上げ、開催日を何時にするか、どこでするか、案内はいつ頃出すか、ご招待をする恩師をどうするかなどをおよそのことを話し合った。そして第二回の会合を8月17日に行った。その間にH君があれこれ準備をしてくれ、途中経過はLINEで逐次報告を受け4人で内容を共有していた。往復はがき発送者の確認,はがきの文面チェック、決定会場の視察、会費決定などを行った。11月2日に第三回目の打ち合わせを行い、最終出席者の確認、当日の進行プログラムなどを決めた。私はほとんど顔を出すだけで後の3人が良くやってくれて万全の体制で当日を迎えることが出来た。
 出席できないかも知れないと言っていたM君も出席してくれて同期生は計33名が参集した。恩師の先生方は小学校の恩師N先生(90歳)、中学校の恩師Y先生(95歳)、K先生(91歳)のお三方が出席された。お三方ともすこぶる元気で背筋も伸びてぴりっとしておられ、私たちより老人くさくなく,むしろ私たちの方が老人くさかった。私自身先生方の年齢までは元気で居たいなと思った。
 一目見て誰かと名前が出て来る人もいれば、出てこない人は名札を見て思い出す人も居て時の流れを感じた。
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 12時に全員で集合写真を撮影、その後、私が開会の挨拶をして和やかに始まった。恩師のお話を聞きながら当時のことを思い出したりした。またその後、同級生に1分間スピーチをしてもらったがとても1分では終わらない同級生が多くいた。
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 同級生の話の多くは病気になったとか、病気を今現在抱えているとか、癌の手術をしたとか,膝関節を人工関節にしたとか,パーキンソン病になって投薬をしているとか,中には近々連れ合いを無くしたとか、10年前の古希の同窓会では聞いたことが無かった話題で、その大半は病気の話が占めており正に病気披露パーティの感があった。和やかに話が出来たし、料理も美味しかった。
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 最後は栗原中学校より校歌のCDを借りていたのでそれを流しながら皆で校歌を歌って終わった。その後8階のラウンジでコヒーを飲みながら二次会があり15:30に終了し散開した。
 私たち幹事4人はホテル代、先生へのお土産代、お車代の精算をしてお開きとした。

2025年11月24日

2025年秋の収穫

 11月7日は24節気の立冬で有った。今年は夏が過ぎても遅くまで暑く、秋は来ないのではと思っていたがやっと最近秋らしくなってきたとたん寒さも感じるようになった。
 この時期になるとそろそろ家庭菜園の農作業も終わりに近づく。今年は9月に腎がんの手術をしたりしてあまり畑にかまっておれなかった。10月にサツマイモの収穫をしたが2つの畝の内一つはまあまあの出来であったがもう1つの畝はその半分くらいも出来てなかった。同じようにしたはずなのにどうしてなのか分からない。
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 今年一番驚いたのは「次郎柿」がものすごく成ってゆうに300個以上来たと思う。ただし大きさは小さい物がほとんどであった。いつものように途中、実を摘果しかった。昨年はほとんどならなくて20個を収穫したにとどまっていた。
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 今年は柿のあたり年なのかも知れない。それが証拠に近所の人や患者様などから「今年はすごくなってどうしようかと思い悩んでいる」とか。私もご近所様や従業員に持って帰ってもらうと同時に「御自由にお持ち帰りください」と張り紙をしてコンテナに入れて、ビニール袋も用意して待合室に出した。2回ほど新しくして入れ替えて出したが結構人気でほぼ全数はけた。
また沖縄の孫達にもさつまいもと柿を送って喜んでもらった。
 二番目に驚いたのは6月の終わりから7月の始めにキュウリの収穫が終わった頃からカボチャの芽が2本のキュウリの根っこから出てきた。2023年6月にブログでUPした「すわ新種か?」で書いたことがあるがキュウリの苗には異なる2つの近交系(キュウリとカボチャ)を交配したものが売られている。今年の苗は正にその苗であったのだろう。
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 そしてこの苗はキュウリの元気が無いときカボチャの性質が現れやすいとのこと。2023年には途中から出てきたためキュウリの収穫は諦め抜いてしまったが、今年はキュウリが最後まで役目を果たした後だったし、せっかく出てきたので最後まで育てた。収穫して1つ食べてみたがカボチャの味は良く無かった。
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 夏野菜のナスやシシトウはそろそろ終わりである。また生姜も収穫時期に入ったが今年はさっぱりである。10個の種芋を植えたが芽を出したのは4個程度で中には今頃芽を出したのもある。やはり梅雨がほとんど無く夏も暑かったせいであろうか?
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 10月の終わりにはタマネギを90株ほど植えた。昨年までは種から植えて苗を育てていたのだが今年は9月に腎癌手術をうけたことより農作業ができなかった。種やで早生の苗を購入して植えた。来年4月の終わりから5月の始めに収穫出来るのを楽しみにしている。
 今、畑では大根が3センチ程度の太さになっている。蝶などの被害から守るためにネットでトンネルをしているがこれもそろそろ撤去しなくてはと思っている。この大根を植えるに当たって今年は大変だった。
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8月23日に畑の中と畑周りの草取りをして綺麗にしていたが癌手術の為畑のお世話ができなかった。手術後畑に行けば大根を植える場所は草だらけでまた草取りをする羽目になった。
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 やっと9月27日に種を植えた。その後11月2日に大根周りに生えた草をやっと取ったところである。
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 さらに野菜として小松菜、ほうれん草、春菊、チンゲンサイを植えておりそろそろ収穫できそうになってきた。
 これからはしばらく農作業もお休みになるが、もう頭の中では春になったら狭い家庭菜園なので連作ならないようにジャガイモをどこに植えようかと考えたりしている。


2025年11月11日

令和t7年度北部圏域ネットワーク(医療・連携連携)会議

 先日、令和7年度北部圏域ネットワーク(医療・介護連携)会議が開催され出席をした。内容はまず3月に行われた令和6年度北部圏域ネットワーク(医療・介護連携)会議を振り返り、内容の確認をした。
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 このときは在宅医療と介護連携として「北部圏域在宅医療の4場面に見た連携の推進」としてグループワークをして発表したが、今回その時の発表内容がまとめられ資料として提出された。
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 そのまとめの中から今回は「日常の療養支援」として、服薬管理をテーマとした内容でグループワークを行うことになった。7グループに分かれ各グループには専門職として医師又は歯科医師、保健師、薬剤師、ケアマネージャー、介護士、民生委員、ケアサービス事業者などが配置されている。
 まず検討に先立ち事例紹介がなされ、全員が3分間この事例を読み込んでからディスカッションを開始した。
事例
『75歳 男性 2年前に妻を亡くし一人暮らし。 一人娘は結婚して遠方に住み、年に1〜2回帰省する。数年前まで大工の仕事をして、近所付き合いもしている。入浴や着替え・食事などの身のまわりの事は何とか自分でしている。
買物は車を運転し近くのスーパーに総菜等を買いに行く、認知症はなく、介護保険の申請もしていない。病気は60歳ごろから、高血圧症と糖尿病の内服治療を始めた。
内服薬は朝と夕あり、妻がいたときは声かけしてくれて何とか続けられていたが、妻が亡くなってからは食事も不規則で飲み忘れる事が多い。
薬が残っているので定期検診にも行かないことが増えた。先日急に体調不良で動けなくなり困って近所の人に相談、民生委員から連絡を受け、地域包括支援センターが訪問、自宅に飲み残しの薬がたくさん残っているのを見つけた。
近所の協力でかかりつけ医に受診し、脱水症と診断され点滴をしてもらって体調は少し良くなっている。』
この事例を読み込んだあと、
@  各専門職の立場で出来そうなことをディスカションした。
妻が亡くなって食事が疎かになり高血圧症や糖尿病なのにスーパーでの総菜ばかりを食べるのはどうか病識が薄いのではないか。
薬を朝夕2回飲むのを1回で済むように薬を変更して貰う、薬に日付カレンダーをつける。
見守りをかねて配食サービスはどうか。
年齢から車での買い物は限界になるのでは、移動スーパーの利用はどうか。
今回のように体調不良を起こした時など見守りカメラの活用はどうか。
遠くの長女さんの帰省回数をもう少し増やすことはできないのか。
生活のリズムを整えるために生きがいサロンの活用、シルバーセンターへの登録など。
民生委員の訪問は75歳以上で一人暮らしなら月に4回は利用できる。
認知症もなく車も運転しているが介護保険は利用出来るのか等多くの問題点が指摘された。
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次に
A こんな支援や連携があったらいいなについてディスカッションした。
地域との繋がりとして行事に誘う。子供食堂への声かけ。シルバー料理教室の開催。
生きがいを持つ→生活リズムが整う
近隣の中で、見守りネットワークの構築→変化に気付ける。
独居や通院できない人のために行政が管理した巡回バス、安く利用。
等々。
この事例をディスカッションしながら私にとっても切実な問題を含んでいると思った。
 私と家内は現在78.5歳である。最近の会話では家内は「もし私が早く死んだらお父さんどうする、食事も作ったことはないし(ただし食後の食器や鍋の洗いはする)、洗濯機や電子レンジの使い方もよく知らないし」等と言われる。考えたことも無かったがこれから少し学習しないといけないなと思った。
 

2025年10月13日

腎癌切除の道のり PART 2

 今度の腎臓手術は2週間ほどの入院となるのでその間メールができないと困る。病院ではWi-FiがないのでiPhone を経由してインタネットにつなぐ方法としてテザリングをauと契約したがなかなかうまく繋がらない。ちゅピCOM の人に来てもっていろいろしてもらい何とか目途が立つ。
 なお「国立がん研究センター情報サービス」が提供している小冊子に寄れば2019年に日本全国で腎がん(腎盂がんは含みません)と診断されたのは21,347例(人)である。
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 9月10日、 家内の妹が私と家内をJA尾道総合病院(以下JA尾総)に送くってくれ、10時に到着。入院用荷物を入院センターに預け、麻酔科と歯科の入院前受診をする。病室はAタイプを希望していたが、空きがなくCタイプだと言われる。これだと前立腺の生検の時の1日入院と同じになりとても我慢できそうにない。それで一部屋しかない特別室でも構わないことを申し出たところ再度調整すると言われた。その結果最初に申し込んだAタイプになった。
 病院の中のレストランで昼食をとり13時に入院センターに行き荷物を受け取り病室に案内してもらう。部屋は広く、使い勝手がよくPCも病室内で使用可能であった
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窓からは尾道水道や向島、因島大橋鉄塔が見え申し分ない。
 入院して直ぐに手術場の看護師さんが来て明日の手術のことを説明してくれたが、なんと昔から「さいだ歯科医院」に来てくれている患者さんでそのお子様達も私の患者さんで有った。家内は15時のバスにて帰る。
 夕方口腔外科の浜名先生と石田先生がご挨拶に来られた。申し訳なくありがたかった。
 9月11日、 いよいよ手術日で朝から食事は無く代わりに180mlの飲み物が手渡され飲む。手術は12:45からとのこと。私の前の手術が長引くと少し遅れるとのこと。しかしほぼ予定通り手術室に入り手際よく麻酔がかけられる。まず背中の腰のあたりに硬膜外麻酔をされる、その後全身麻酔を掛けられたのだろうが、全く記憶にない。私の手術は後腹膜鏡下腎部分切除術で進められた。
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 16時半頃目覚めたが集中治療室にいて家内と一言、二言、言葉を交わしたが何を話したのか覚えていない。うとうとするが眠れない、何度か睡眠薬を点滴してもらったがダメで3時ころから痰が出だし1分おき位に痰を出す。全身麻酔のため管を喉に挿管したことによるものだ。喉がカラカラだったが水は飲めない。看護師さんにお願いしてストローで水を含みうがいをさせてもらう。それでもなお痰が出る。
 9月12日、 朝五時ころから目覚めてしまう。少しせん妄が出たのではと思った。朝8時ころ歯科衛生士さんが来て口の中をひと通り見て周術期の介入は終わりといわれた。またICUの看護師さんが体温、血圧を測りに来た。彼女は私が栗原中学校で歯科校医をしていたとき私に歯の検診をして貰ったと言っていた。驚く。
 9時に主治医の柴村先生が来て摘出したものは悪性の様であるが詳細は病理組織検査の結果待ちになるとのこと。やっと水分を取ることが許可された。ストローで飲む。ほっとした気分になる、それから4〜5時間色々の手当てをしてもらう。全身を拭いてもらったり、点滴の針を2本ほど抜いてもらったりした。またリハビリと称して点滴のついた器具を持ってICUの部屋を歩いてみる。少しよろよろとして心もとない。
 14時に一般病棟に移動した。ひたすらベットに横になっていた。家内が来たとき昨日摘出した組織を写真に撮っていたので見せてくれた。家内によると丁度、鶏の肝のように見えたとか。
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 写真の摘出物の分割面を見ると下の方は正常組織であるが上方は組織がドロッとしていて、私でもこれは悪性だなと判断できる代物であった。先生が言われたことに納得。
 9月13日、 6時前に目が覚める夜中に看護師さんが来て尿パックやドレーンパックを空にしてくれた時、目が覚めたがすぐまた眠れた。午後足の浮腫を抑えるために履いていたきつい靴下を脱ぐことができた。また尿パックも除去され自分の「ちんちん」で排尿できるようになった。そして夜には紙おむつが取れパンツに履き替えることができた。
 9月14日、 5時半頃目覚める。8時過ぎ朝食後、点滴スタンドを押しながら5階の病棟を3周歩いた。10時過ぎに最後の点滴が始まる。11時半頃主治医の柴村先生が病棟に回診してくれて背中の硬膜麻酔の注射針と管を取ってくれ、さらにドレーン用管の抜去をしてくれた。12時頃看護師さんが来て点滴を終了し針を抜いてくれた。これで体から全てのチューブが取れて身軽になる。ほっとする。移動も簡単だし、ベットに横になることも、寝返りも楽にできる、ただしまだ腹に力が入ると少し痛い。午後義妹夫婦がお見舞いに来てくれる。今後の見通しを主治医の柴村先生に聞くと18日の血液検査次第とのこと。早く良くなるといいなと思う。
 9月15日、 昨夜右足を持ち上げたら足の外側の筋肉が痛く、夜中見回りに来た看護師さんに事情を話し経皮鎮痛消炎剤のテープを出してもらい右足の痛い部分に貼った。起床時少し痛みが治まっていた。昼食後シャワーをする。手術日以来のシャワーで鏡を見ると随分顔が黒ずんでいた。体力回復のため5階病棟フロアーを歩く。5階フロアーは中央部に共同トイレやシャワー室、処置室、ナースステイションがあり、その北と南側に病室がある。スマフォを持って歩くとおおよそ1周が200mである。2.3q程歩いた。また病棟の東西中央部にはディルームがあり、電話をかけたり、椅子に座って本を読んだり出来る。
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 そして歩いている時に昔からの「さいだ歯科医院」の患者さんにばったり出会った。聞けば脳梗塞で1か月近く入院しているとのこと。かなり回復されている様であった。お互い頑張ろうと励ましあった。
 9月16日、 昨夜も2時間おきくらいに目覚めその都度トイレに行く。そして痰がそのたびに出る。そこで先生に話し、咳止めの薬を処方してもらう。夕食後から服用開始。
 また朝・昼・夕方と3回に分けて病棟のフロアーを15周した。入院以来、家内は毎日様子を見に来てくれてナシ・ブドウ・桃などの果物を差し入れてくれ有難さが染みる。
 9月17日、 昨夜も2時間おきに目が覚める。朝、主治医の柴村先生に話をして膀胱を広げる薬を出してもらう。寝る前1錠服用するとのこと。思うに数日間導尿で膀胱の機能が働かなかったせいではなかろうか?
看護師さんが来て傷口に貼ってあったフイルムを剝がしてくれた。その下にあるテープは自然に剝がれるの待ってくださいとのこと。腹帯もしなくてよいと言われたが用心の為今日は巻いておくことした。
病院食にも慣れた。この程度なら太り過ぎにならないのであろう。
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 9月18日、 先週の手術から8日目である。朝5時45分に看護師が来て採血をしてくれた。9時前に主治医の柴村先生がきて血液検査の結果問題ない。明日か明後日に退院をしてもよいが如何するかと言われ、家のほうが落ち着くので明日したいと申し出た。その後病棟師長様が来て退院の手続きを始めることを伝えられた。退院は明日の朝10時と決まった。
いよいよこの窓からの眺めともお別れだ。15日には綺麗な夕焼け、17日には雷の光りが雲の間から見えた。
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 9月19日、 家内が9時半頃迎えに来てくれた。そして栄養士さんが病室に来て退院後の私の食生活について色々家内に説明をしてくれた。特に塩分については薄味にすること、炭水化物やタンパク質などもバランス良く食べさせることなど事細かに話してくれた。また次回10月10日の診察の予約を取る。このとき血液検査と11日に摘出した組織の病理検査結果を説明してくれるとのこと。治療代、入院費などを支払い無事10時過ぎに病院を後にした。帰って自室に入ると本当にほっとした。無事帰れて良かった。
 なお冒頭に書いた「国立がん研究センター情報サービス」が提供している小冊子に寄れば『一般的に腎細胞がんは、治療後10年以上経過してからも再発を起こすことがあります。病院への定期通院が終わった後も、健康管理の意味も含めて、健康診断や人間ドックなどを受けましょう』とあった。

2025年09月21日

腎癌切除の道のり PART 1

 久しぶりにブログをアップします。このブランクの間、人生で初めての経験をして何かと忙しかった。
現在日本では二人に一人が癌になると言われ年間100万人が癌に侵されている
毎年三原医師会病院でPET-CT検査を行っている。家内からは放射線被ばく量が増えるので間隔をあけて受診したらと何時も言われる。昨年ブログにも書いたように大腸癌の疑いと診断され市内のHクリニックで大腸内視鏡検査をしたが異常なく良かった。
 今年は6月16日(金)にPET―CT検査を行った。その結果が6月20日に送られてきた。結果は3か所癌の疑いがあるというものであった。
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一つは脳下垂体に集積がある。二つ目は前立腺に三つ目は腎臓にがんの疑いがあると書いてあった。いずれも指摘されたところにはまったく異常を感じない。
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 一番驚いたのは脳に異常ということでびっくり、家内は以前から福山の太田記念病院創始者 太田浩右先生がされている太田トホーニャ診療所に掛かっていたのでアポイントもなく6月21日(土)に行く。事情を話したら診察してくださり。即、太田記念病院で脳のMRIを撮り画像を受け取り持って行ったところ来週あたりに結果を連絡してくれとのことで帰る。ところが午後は休診なので先生の息子さんと一緒に画像解析をしたところ特に異常はなかったと連絡をいただきほっとした。これで三つの内一件落着。夜ワインを飲んだ。
 前立腺と腎臓については6月26日にいつも掛かっているF泌尿器クリニックに、PET―CTの結果を持って受診した。PSA検査のため採血された。もっと精密な検査が必要ということでJA尾道総合病院(以下JA尾総)で7月14日と7月18日にCTとMRI検査を行うように予約を取ってもらう。ドイツ旅行から帰ってきて紹介状を受け取ることにした。
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翌日、前の日に行った血液検査の結果を聞いたところPSAは2.05で今までにない良い結果で、前立線癌の疑いは無いようであったが念のため7月18日にMRI検査を受けることにした。
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 7月14日にJA尾総で腎臓の精密検査としてCT検査を受ける。1時間待って紹介元のFクリニックへの返書とCT画像のCDを持ってすぐにFクリニックに行き返書の内容と画像を見せてもらう。確かに右背中に円形のものがあるが今日の検査では悪性か良性かは判断できないとのこと。その後どうするかの話はなかった、18日に前立腺のMRIを取りに行くのでどうしたものか聴こうと思う。
 7月18日、JA尾総で前立腺のMRI検査をする。終わって報告書を持ってFクリンニックに行き結果説明を受けた。前立腺が内腺肥大しており右の内腺と外腺の移行領域及び左の外腺部に怪しい像がある。生検(針生検)をする必要があるとかで、JA尾総に生検前受診の予約を7月25日9:00に取ってもらう。それにより生検日が決まるとのこと。その時は1泊する必要があるとのこと。この年になると色々出てくるものだ、成るようにしか成らないのだから腰を据えてかからなくては。
 7月25日、 家内と一緒に出掛け、JA尾総泌尿器科で診てもらう。結局前立腺に対しては8月1日に血液検査を行い8月12日入院・生検となる。その後は結果次第である。
また腎臓についてはエコー検査でも白黒はつかないが、癌の確立が高いようである。先生からは半年後に検査をして様子を見てもよいと言われたが、癌ならその間に大きくなったり進行転移すると困るので思い切って手術をすることにした。9月10日入院、11日手術、2週間入院ときまった。
 8月1日、 家内とJA尾道総合病院に行き術前検査と入院の手続きをする。1日だけの入院なのでパーテーション付きの4人部屋とした、9月の手術の時は個室にしようと思う。
8月12日、 9時前に家内に連れられてJA尾総で入院手続きをし、11時前に手術室に入り脊椎麻酔してもらい前立腺から12か所組織を取り出して貰う、痛くはないが取り出すときバチン、バチンと大きな音がしていた。
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30分程で終わり後は顕微鏡による病理検査だが結果は8月29日に判るとのこと。病室に戻るが麻酔がよく効いていて左脚の方は左半身麻痺の感覚。ピクリとも動かせない、右足で左足を触ると大根のような感覚である。
19時過ぎまでお尻が麻痺をしていた。また尿は出そうな感覚があったがさっぱり出ない。2回導尿をしてもらう。20時半頃寝ることにした。23時半頃、隣の人が痛みを訴えて看護師が来て色々処置をしていて目が覚める。トイレに行くが尿は血液交じりでちょろちょろしか出ない。その後横になりうとうとしたが3時前に目が覚めてその後は眠れなかった。
 8月13日、 家内が迎えに来て退院する。当分の間の生活について説明を受ける。1週間はアルコールを控えるように言われた。また8月29日の腎臓手術前検査のことについて説明を受ける。
 8月29日、 JA尾総に家内と一緒に行き前立腺の生検結果を聞く。悪性ではなかった。良かった。3か月に一度くらいの頻度で泌尿器科に行きPSA検査をするように言われた。9月11日の腎臓手術の術前検査をして帰る。夜は前立腺も癌でなかったことからワインで乾杯。


2025年09月21日

初めてのドイツ旅行 PART 10

 今日は7月8日である。ホテル出発が10:45なのでゆっくり寝て7時頃に起床、朝食後ホテル裏のスーパー「togt」に行き家内が自分用にライ麦のビスケットを購入。他にお土産としてアスパラスープやミルクチョコレートを購入した。ホテルに帰りパッキングをして準備完了。家内が帰りのeチケットが見当たらないと言っていたが鞄の中から出てきてやれやれ。
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 フランクフルト空港でチェックインを行う。この際、現地の日本人の女性が来て、アドバイスをしてくれた。チェックインに時間がかかった為、ラウンジは30分程度しか利用出来なかった。私はビール1杯とバナナ1本を食べた。
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 ラウンジから搭乗口に行く途中にDuty Freeのお店があったがそこで自分や嫁達に香水のオーデコロンを買ったりしたため集合時間ぎりぎりであった。
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 気温は18℃で空港に着いてから雨が一時降りだし雷も鳴ったため出発が30分遅れる。
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 シャンパン一杯飲んで後は映画を見る。「子連れじゃダメかしら」、日本映画の「はたらく細胞(2024年12月公開)」、この映画は血液の中の赤血球、白血球、リンパ球、血小板、NK細胞、マクロファージや肝臓、腎臓。肛門の働きなどがわかりやすい物語となっていて為になった。子供達や場合によっては看護学校などの教材になるかも知れないと思った。そして「黒い司法 0%からの奇跡」この映画は南部アメリカの黒人に対する差別を描いた物語でアメリカの暗部を見た感がある。最近、日本でも冤罪罪事件のやり直し裁判があり無罪を勝ち取った例がチラホラ見受けられる。
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 夕食は17:00頃から出てきた。和食を選んだがしっかりした良い夕食であった。
飛行機は丁度黒海上空を飛行している。その後3時間ほどでカスピ海を横断してアジア大陸上空に入っていた。22時過ぎに椅子を倒して寝る。
翌、7月9日の6時20分頃目覚める。飛行機はゴビ砂漠の上を飛んだようである。朝食も和食を頼んだ。結構美味しかった。
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 10:10頃羽田空港に無事到着。手荷物カウンターで預けたバッグを受け取り順次解散となった。その後ターミナル3(国際線ターミナル)からターミナル2には無料バスで移動。2階フロアーのANAカウンターでチェックインした後、3階のフロアーにあるビジネスカードで入れるラウンジに行き14時過ぎまで過ごす。アップルジュース2杯を飲む。
 飛行機は25分遅れで出発。無事広島空港に到着。正広駐車場に行き駐車料金を払おうとしたところ長期間利用していると言うことで1日分安くしてくれた。車を運転して無事18時前に我が家に帰り着く。郵便受けは新聞を停めていたにもかかわらず満杯であった。
 息子の処に無事帰り着いたことを電話したら荷物が届いているというので、お土産を届けに行き荷物を受け取る。
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 診療室の裏の家庭菜園はとんでもないことになっていた。私がいない間ほとんど雨が降らなかったようで、茄子の葉っぱやキュウリの葉っぱが枯れていた。またそこら中草だらけである。翌日水撒きに行く必要があるなと思った。
取り敢えず無事に帰れて良かったし、小さい頃から憧れていたドイツに行けて本当に良かった。
 終わり

2025年08月11日

初めてのドイツ旅行 PART 9

朝8時バスにてライン川ランチクルーズの出発地リューデスハイムに向けて出発。途中添乗員さんがローレライの話しをしてくれ、ローレライの歌「なじかは知らねど 心わびて・・」を聞かせてくれた。なおこの歌の歌詞はドイツの詩人ハインリッヒ・ハイネの詩を日本語にして明治42年に近藤朔風が「女性唱歌」に掲載した物である。またリューデスハイムとライン下り観光案内図を渡してくれた。
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船の予約は11:00だったのでリューデスハイムにあるツグミ横町を通り日本人が経営しているワインショップに立ち寄る。何種類かのワインの試飲をさせてもらったが、ワイン通でない私にはよく判らなかった。
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その後もう少し時間があるので希望者だけがニーダーヴァルの丘にロープウエイで行く。高台までの山の斜面はブドウ畑である。ここのブドウ畑の木は背が低く大人の背丈程度であった。理由は土地が乾燥しており湿気が上がってこないからとのこと。約230mの高台からはリューデスハイム街とライン川が眼下に見下ろせた。この丘には1871年の普仏戦勝利の記念碑が建っていて、記念碑の上にゲルマニア像があった。降りてきてマルクト広場の聖ヤコブ教会、市役所の建物などを見た。バスを降りたところにあるブレムザー城(ワイン博物館)の建物を見た。その横のブーゼーベルク城は個人のお城でバラやブドウの木がよく手入れされていた。
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11:00に乗船リューデスハイムからザンクト・ゴアルスハウゼン迄の約1時間50分のクルーズである。一番上のデッキで風に当たりながら両岸の景色を見ていた。最初がネズミの塔と言われる通行税を徴収するために建てられた関所を見る。エーレンフェルス城跡、ラインシュタイン城、右、左に見える。
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11:30からクルーズをしながら食事をする。船内では日本語での案内もありよかった。ところで食事をするので甲板から下に降りたとき家内がパスポートの入った手提げ鞄を置き忘れて降りてきたのに気づき私が急いで座っていたところに戻ってみたところ有った。ほっとする。
このライン川は旅行会社の観光ガイドによれば「ヨーロッパの父なる川と呼ばれるライン川は、スイスのアルプス山脈を源流とし、6カ国を流れて北海へと注いでいます。全長は約1,230Kmにおよび、古代ローマの時代から重要な交易路として、人々の暮らしに大きく寄与してきました。ライン川の中流上部にあたる、ドイツのビンゲンからコブレンツまでの約65Kmに渡る渓谷は、2002年に世界遺産に登録されました。このエリアは数々の城や街が点在し、良質なドイツワインの原産地としても有名で、原料になるぶどう畑が両岸に広がっています。クルーズ船に乗ってロマンチクラインと呼ばれるこの区間をいくと、古城や城砦、ぶどう畑、途中にはハイネの詩で有名なローレライの岩山などの素晴らしい景観を楽しめます」とあった。
実際今でも物流の大動脈で多くの船が行き交っていた。私がみた範囲でも石炭、コンテナ、石油などを運んでいた。
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また半分くらいきたところ中州には白亜のプファルツ城があった。またその右手にはブドウ畑の段丘に囲まれたグーテンフェルス城が見えた。さらにその先にはセーンブルク城見えた。この城は現在高級ホテルになっているとか。このように城の中には廃墟となった城、ホテルと使用されている城、博物館になっている城と色々あるようだ。城の近くには必ず教会が有った。
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有名なローレライの岩山が近づくと船内でもローレライの曲が流れてきた。スイスのボーデン湖から554Kmを過ぎた地点にあった。残念ながら私はローレライの像を見落としたが、バスにてハイデルベルクに行く途中かろうじてバスの窓からみえた。只、写真をとることは出来なかった。船を下りたザンクト・ゴアルスハウゼンの対岸にラインフェルス城という立派な城があった。
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ハイデルベルクまでは135Km,1時間半の行程である。途中雨が本格的に降り出したがハイデルベルクに着いたときは何とか止んでいた。途中ハイデルベルクの観光案内図を添乗員さんが配ってくれた。
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ハイデルベルクの街はネッカー側のほとりにある。旧穀物倉庫の有ったところから聖霊教会を見ながらカルス広場に来る。ここにはシュテファンシスターの泉があり、市庁舎の横を通り、聖母子像をみながらハイデルベルク城へのケーブルカー乗り場に向かう。
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旅行会社の観光ガイドによれば「古城の城下町として発展し、ドイツ最古の大学がある学生街として栄える。その旧市街を見下ろす高台にあるハイデルベルク城は、山の緑を背景に、赤みを帯びた建物が美しく映えるドイツ屈指の観光スポットです。13世紀に建造され、長きにわたって増築や再建が繰り返されたため、ゴシック、ルネサンスなどのさまざまな建築様式が混在しているのが特徴です。度重なる戦争や自然災害によって損傷を受け、廃墟となってしまいましたが、19世紀に街が建物の保存と復元を始め、現在は中世の雰囲気をとどめる城址として、多くの観光客を集めています。城のテラスからはハイデルベルクの街やネッカー川が一望でき、絵はがきのような風景を堪能することが出来ます。」とあった。
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5分ほどケーブルカーに乗るとハイデルベルク城についた。エリザベスの門を抜けチケットを見せて美しい中庭に入る。城のテラスからハイデルベルクの街を観る。ネッカー川に掛かる綺麗な石組みのカール・テオドール橋が見えた。建物には選帝侯の彫刻があった。
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ここで自由散策となる。城の地下にワイン貯蔵用の大樽があり、直径6m以上あり現役でその容量は22万ℓ以上とのこと。その上にも上がってみた。
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その後ケーブルカーで下に降り、マルクト広場に出る。こにはヘラクレスの泉がありその横に聖霊教会や市庁舎あった。
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その後カール・テオドール橋(アルテ・ブリュッケとも呼ばれる)に行き橋のたもとにある左手に持った鏡を差し出すような姿をしたブロンズ像ブリュッケン・アッフェの前で写真を撮って貰う。橋を中程まで歩いてみた。橋脚のテラス部にカール・テオドール候の
彫像があった。橋の左右には、白い壁を持つ2つの橋塔ブリュッケン・トーアがありその門をくぐり抜けてみた。
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その後ハウプト通りのお土産店「ユニコーン」に立ち寄る。
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そして少し自由時間が有ったので周りを散策した。赤い窓枠が印象的な、18世紀前半に建てられたバロック様式のハイデルベルク大学の旧校舎がありその前にファルツ家のシンボルライオンの泉があった。また「ユニコーン」と同じ建物の横の入り口に歯科医の小さな看板がありどうやら2階が診療室のようで有った。専門は歯内療法の様でEUの歯内療法学会に属しているようだ。
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その後フランクフルトに向かう。レストランで夕食となる。誰かがこの旅行の最後の晩餐だと言った。それもそうだなと納得。6人一組でテーブルに座る。料理は6人分のソウセイジや骨付きの肉の塊を盛ったお皿が出てきた。
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東京から参加されたご夫妻が切り分けて取ってくれたが中々取り分けにくく悪戦苦闘をされた。私はご当地ビールを飲む500mlが6.5ユーロでこの旅行で一番高いビールの値段であった。楽しかった旅行の話で盛り上がる。
その後バスにてホテルへ。明日は帰国だ。
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2025年08月11日

初めてのドイツ旅行 PART 8

 ホテルを出発しブレーメン市内観光に出発。今日朝方は雨が降ったようだが出かけるときは止んで曇り空であった。ブレーメンはドイツ北西部の歴史ある商業都市。街の中心マルクト広場には、ゴシック建築とヴェーザールネサンス様式の市庁舎が建ち、自由と市民権の象徴ローランド像と共に世界遺産となっている。
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 また聖ペトリ大聖堂は華麗な装飾のある歴史ある大聖堂で2本の尖塔が聳え、ロマネスク様式とゴシック様式が混在した荘厳な聖堂で銀の祭壇や絵画を展示する博物館を併設しているとのこと。残念ながら入場は10時からなので外観を見学した。また広場の一角にはグリム童話で有名な「ブレーメンの音楽隊」のロバ、犬、猫、鶏の像があり街の人気者となっている。ここで記念写真を撮ってもらう。
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 見学後ケルンに向かう。約315q・4.5時間の行程である。ドイツでは高速道路アウトバーンが発達しており日本よりはるかに多くの高速道路がある。高速道路の53%は制限速度なしで、車間距離は気を付けなくてはならない。事故れば自己責任とのこと。またアウトバーンの舗装は一般道路の2倍の厚みがあるとか。大きなアウトバーンは片側3車線で日本と違って走行車線は右側、追い越し車線は左側の2車線、ただし緊急車両(パトカー、救急車、消防車等)が通る時は中央車線を開けないといけないことになっているとか。途中サービスエリアでトイレ休憩があった。今まで何度もサービスエリアでトイレ休憩をしてきた。女性トイレのことは判らないが何故か男性トイレにはコンドームや女性用リングなどの避妊器具が自動販売機で売られている。大概5〜10ユーロで日本にはない文化だ。 
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 途中から雨が本格的に降り出した。4時間ほどかけてケルンに到着。なお香水のオーデコロンはケルン市で誕生し、リラックス効果や健康に良いとしてケルンの水と呼ばれていた背景があります。
 昼食は大聖堂近くの中華レストランに入る。私はご当地ビールの「ケルッシュビール」を飲む。
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 食事中レストラン横の通りを大音響の音楽を鳴らしながらLBGTQのパレードがあり、男性が女性の服装をしたり、いろいろな格好をした人達が虹色の旗を持ったりして通過していった。
 食後、傘を差しながらケルン大聖堂の見学に出かける。旅行会社の観光ガイドによれば「ケルン大聖堂は高さ約157mの二つの尖塔がそびえる、世界最大級のゴシック様式の建築物で、1248年から600年以上の歳月をかけて完成しました。聖堂内の高さは約43mで、大きな窓は壮麗なステンドグラスで彩られ、祭壇の奥には、970年頃に作成された木製のキリストの十字架像が掲げられています。また中央の祭壇にある、誕生したばかりのキリストに捧げ物をしたといわれる三賢者の遺骨が納めれた黄金の聖櫃は必見です。建物の周りには多くの聖人たちや、聖書に書かれた場面の彫刻が施されており、外から眺めると、そびえ立つ大聖堂の大きさと、細部まで精密に装飾された外観の対比に圧倒されるでしょう。ケルン大聖堂は1996年に世界遺産に登録されています。」とある。
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 西側の入り口の前で解散、自由行動となる、まず教会を一周しながら壁の飾りなどを見て回った。
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 西側には聖母マリアの門、東方の三博士の門、ペトロの門の3つの扉があるが、真ん中の聖母マリアの扉から中に入ると聖堂の内部は厳かな空気に包まれている感じがした。
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 多くのステンドグラスがありとても綺麗である。その多くはキリストにまつわる物語の場面が描かれているようであった。ただ私はキリスト教徒でないため残念ながらその意味合いを理解出来なかった。ルードヴィッヒ1世が奉納したステンドグラスもあった。
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 北側翼廊に沿って東に進んでいくと壁にパイプオルガンが据え付けてあった。さらに進むと十字架の礼拝堂がありここには通称ゲーロの十字架(ゲロー大司教が寄贈)があった。1000年以上前の中世で最初のモニュメント的彫像の一つとみなされている。
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 そして右前方に主祭壇があった。その主祭壇を囲むように壁際に7つの礼拝堂が配置されているが、その中に「東方の三博士の礼拝堂」があり位置的に主祭壇と向き合っている。「東方の三博士」の礼拝堂と、主祭壇の間に夥しい宝石と金銀細工で装飾された「東方の三博士」の聖櫃があった。
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 そして主祭壇の斜め南側には聖マリア礼拝堂が配置されていたそこには3翼の祭壇画があり中央部のパネルは「東方の三博士」の礼拝が描かれている。
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 その他多くの彫像などが柱や壁に配置されていたが、自由行動のため添乗員や現地ガイドもなく、イヤホンガイドすらも無いため全く解から無かった。取り敢えず見学して写真を撮っただけである。大聖堂の出口にたまたま日本語のパンフレットがあるのを見つけて2ユーロで買った。ブログを書くのにそのパンフレット見て少し理解出来た。
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 見学後、雨の中をフランクフルトに向かう。190q・3時間の行程である。気温がどんどん下がりベートベンが生まれたボンに来る頃は15℃まで下がる。この旅行の初日と2日目までは35℃まであったことを考えれば20℃の差がありびっくりである。
なおボンはかって東西ドイツに分かれていたときの西ドイツの首都で有る。
 夕食はホテルのレストランで食事をした。このホテルにも浴槽はなし。明日はライン下りである。
続きはPART 9へ

2025年08月07日

初めてのドイツ旅行 PART 7

 5:30起床して食事後、8:00にホテルを出発。気温は15℃であった。まずシュベリーンへ向かう。約205km・3時間の行程である。途中雨が降り出したが到着したときは止んでいた。シュベリーン城を見るためバスを降りて歩き出したらハーフマラソンの一団と出くわす。マラソンのスタート地点がお城のすぐそばだったので、マラソンの一団が通り過ぎるまで道路が渡れなかった。1000名くらい参加していたのではなかろうか。
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 旅行会社の観光ガイドに寄れば『メルヘンな「湖上の宝石」と称えられる古城「シュベリン城」・・・・ドイツ北東部の街・シュベリーン。人口10万人弱の小都市ながら、メクレンブルク=フォアポンメルン州の州都です。「7つの湖の街」と呼ばれるように、数多くの湖や森を周辺に持つ風光明媚な街です。その湖の1つ、シューベリン湖に浮かぶ小島に建つのが「シュベリン城」。天然の要塞という地形から、元々スラブ民族の砦となっていたこの島を、1160年にバイエルン・サクソン公、ルードヴィッヒ・デア・レーヴェが攻略したのが、城の公式な創建年とされています。以来、増築、改築を重ねて来ましたが、19世紀の半ばにフランスのシャンボール城をモデルとした大々的な改築が施されました。総部屋数635室という巨大な城で、現在はその半分近くが州会議事堂として使用されています』とあった。
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 お城を一周しながら手入れがよく行き届いた庭園を散策した。途中、王女と王子の服装をした女性二人が写真を撮影していた。
 その後、城のすぐそばにある「PIER 7」というレストランでお城を見ながら昼食を摂る。
野菜サラダ、魚のスズキを油で焼いた物、ご飯は焼きめし、それに500mlのビールを飲む。
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 昼食後、ハンブルクに向けて出発。110km・1.5時間の移動で到着した。雨はかろうじて止んでいた。ハンブルクはハンバーガー発祥の地と関係があると言われている。まず世界文化遺産になっている倉庫街を見学しながら散策。多くの運河がありそれに沿って赤煉瓦造りの大きな倉庫が立ち並んでいる。大きさや数に於いても横浜や小樽の倉庫街とは比べようもない。倉庫街の少し向こうに世界大戦で破壊されたニコライ教会の尖塔が見えた。船で運河を利用して倉庫街を見て廻るクルーズもあるようである。
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 その後ハンブルク港に向かう。ヨーロッパで2番目に大きい港だとか。帆船が係留されていたり、大きな船が係留されていた。また新しく出来たハンブルク・オペラハウスをバックに写真を1枚写してもらう。
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 港の横では派手な衣装をした人達が集まって歌を歌っていた。「シュラーガーム−」というお祭りで、今日(7月5日)と明日開かれているとのこと。これは1990年代のポップスを歌う祭りとか。インターネットで検索したところ 「シュラーガーは、主にドイツ語圏で人気のある音楽のスタイルを指します。この音楽ジャンルは、キャッチーなメロディーと単純な歌詞が特徴であり、一般的にはポップ音楽の一部と見なされています。シュラーガーは、しばしば愛、友情、楽しい体験などをテーマにしており、歌唱に親しみやすさや感情的な親和性を与えます。シュラーガーはカラオケやパーティーなどで楽しまれることが多く、特に中高年層に人気があります。」とあった。
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 その後、さらに歩いてエルベ川の向こう岸に渡れる地下トンネル「エルベトンネル」に向かう。入り口にあった説明プレートによると、1907年から4年かけて、1911年にこのトンネルは完成。ザンクト・パウリ桟橋から対岸のシュタインヴェルダーまでの426.50mを地下23.50mの深さのトンネルで結んでいます。地下のトンネルへは人も自転車も車もエレベーターで上下します。人は階段でもトンネルまで下りていけルので、下りは階段を利用したが登りはエレベーターに乗った。
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 渡ってハンブルク港がよく見えるポイントに行く。このポイントに行く途中日本の「ヤンマージーゼル」の保守をする会社があった。
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 またバスに乗りブレーメンに向かう。120km・2時間の行程である。到着後まずレストランで夕食を食べる。一見ハンバーグかと思ったがジャガイモをすりつぶし肉や野菜を入れて揚げた物のようであり、なんとなく日本のコロッケのようであった。
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 ホテルは新しく浴槽もありほっとする。各部屋あてに500mlの炭酸水1本を貰った。明日は7:40ホテル出発のとのこと。
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2025年07月31日

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