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院長のブログ

寒波襲来

 数日前からTVの天気予報などで今年一番の寒波がやってくると報じられていた。1月23日はここ三成でも日中に少し雪が舞った。そして夕刻から冷えだし、夜のTVニュースでは安芸高田市、北広島町に大雪警報が出たと字幕スーパーで報道された。スマホの天気予報で尾道の気温を見ると24日の朝5時〜7時くらいはマイナス3℃と表示されていた。
翌24日朝いつものようにウオーキングのため5時前に起床するとスマホ画面がマイナス2℃となっていた。着替えて歩きに出たところ外にうっすらと雪が積もっており、歩くとさくさくとした音がした。8q程歩いたが、路面が凍り付いていて何度か足が滑りそうになった。海辺でこの程度の雪なら、9キロメートル北にある診療所ではかなり雪が降って積もっているのでは無いかと思いながら出勤したところ、三成はほとんど雪が降った形跡が無くがっかり。
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 ところで年末にも寒波が来たせいで、畑に植えていたキンカンの実が霜にやられて全部枯れて真っ白になっている。また山椒の葉っぱも全部枯れている。一方大根とタマネギは霜にもやられず元気に育っている。
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 そんな中でも南高梅の白い花が咲き出し気持ちを慰めてくれる。寒波襲来で確かに日頃より寒さがきつく、今日は背中にカイロを貼って仕事をしている。
夕方少し雪が舞ったが積もりはしなかった。
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 ふと北海道時代の事を思い出した。私は昭和53年4月からから59年11月まで北海道に住んでいた。というのも歯科医になろうと急に思い立ち、会社を退職し急遽大学受験をして東日本学園大学歯学部〔現在北海道医療大学〕に入学した。最初の2年は釧路の西40キロの白糠町に住んでいた。ここはあまり雪が降らないところであるが寒さは超一級で有る。マイナス20℃なんて当たり前、外に出ると顔が針でちくちく刺されるように痛かった。TVの天気予報を観ると釧路がマイナス20℃の時沖縄の那覇がプラス20℃で北と南の差が40℃もあることに驚いたことを思い出した。また歩いて2分ほどの所に銭湯があったが風呂から上がって家まで歩いて帰ると髪の毛がカチカチになっていた。小学校の校庭は屋外スケートリンクになる。我が子もそこで滑ったりしていた。
 2年後教養課程から歯学課程に移行するため札幌から東26キロにある当別町に引っ越しした。ここも寒いが釧路程では無く日本海側で雪が多く札沼線(現在は学園都市線)が時々大雪のため運休すると大学は臨時休校になる。そのようなときは夜でも屋根に上がり雪下ろしをしたりしていた。
 また北海道では冬、毎晩水道の水を落として水道管の中を空にしないと水道管が破裂して大変な事になる。たまたまテーブルの上に急須のお茶を入れたまま2日ほど家を空けた事があるが、帰宅するとお茶が凍って膨張し急須が割れていた事もあった。さらに面白い経験としては当時ほとんどの家は水洗便所では無く、所謂「ぼっとん便所」であった。冬大便をしてお尻を拭いてトイレットペーパーを便器に落とすとそれが凍る。次に同じ事をすると大便がその上に重なり、積もってタケノコの様に伸びてくる。60p位伸びるとお尻に当たりそうになるので、時々竹の棒で押し込んだりした事を思い出した。
 そんな経験をしたが北海道を離れて40年ほど経つと全くそのようなことは忘れて寒い寒いと言っている自分に驚く。体が楽な方になれてしまったのであろうがたまには過去を振り返ってみるのも面白いことに気がついた。

2024年01月25日

2023年から2024年へ

 12月29日の午後から年末年始の休暇に入り、やっと今年も無事仕事が終わったとほっとする。年末の大掃除をかねてまず自分の部屋を片付ける。多くのがらくたが山積みとなっており、確認しながら捨てていった。30日夜には家族ぐるみでお付合いをしているS様のお宅ですき焼きを食べながら忘年会をした。お互いなんとか元気で無事1年が過ごせたことに感謝した。
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 翌31日、昼前にお墓参りをする。墓所に行く途中、黄色い南天を見つけて写真を撮る。通常は赤い実だのにめずらしい。午後少し本を読み、夜は恒例のNHK紅白歌合戦を少し観る。23:30過ぎから外に出て除夜の鐘を聞く。ここ2〜3年はコロナのせいもあって、ほとんど鐘の音はしなかったが、今年は裏のお寺さんの鐘の他に、尾道駅方面からも鐘の音が聞こえて来た。音の響き、高さなどから耳を澄ませば4カ所くらいの鐘の音が聞こえた。零時半頃には床につく。
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 翌朝、元日は昨夜寝るのが遅かったので朝のウォーキングはしないで、毎年行く尾道西消防署前の岸壁で初日の出を観た。晴れて風も無く本当に穏やかな朝でこのような穏やかな日々が続くように手を合わせて拝んだ。まさか夕方に能登半島地震が発生するとは知るよしも無い。昼前に次男一家が新年の挨拶に来た。その後年賀状を確認し、出しそびれた方に印刷して本局まで歩いて出しに行く。朝のウオーキング分を少し取り戻した。
 帰って夕食まで少し本を読もうとしかけたところ急に携帯の緊急警報が鳴る。すぐNHKのTVをつけると石川県能登半島で地震発生、津波警報が出される。志賀町で震度7と報道していた。東日本大震災並と思った。NHKも民法も全部特別放送に切り替わり、お正月の特別番組は全部カットされた。いずれどこかで放送されるのだろうが。それにしても石川県は祖父の出身地で特別の思い入れがありTV画面に釘付けで観ていた。
ただ情報が少なくて被害程度が解らない。朝の穏やかさは何処に行ったのかと思った。
 2日もNHKは朝から一日中報道番組をしていた。民放は一部報道番組も放送をしていが多くは正月番組となっていた。私は箱根駅伝を観ながら時々NHKにチャンネルを変えたりしていた。往路は青山学院大学が優勝した。
 少し被害状況が見えてきた。そんな中、夕方突然、羽田空港で事故発生、JALの札幌発羽田行きのJAL―A350が海上保安庁の飛行機と滑走路場で衝突炎上した。JAL機が着陸してすぐさま海保機とぶつかり火だるまになりながら滑走路を走る様子が繰り返し放送されていたがすさまじかった。乗客乗員379人が奇跡的に脱出に成功、その間18分とのこと。乗務員による誘導は見事で海外メディアでも賞賛されていた。一方海保には6人が乗り込んでいたが、機長が重症ながら一人助かった。海保の飛行機は地震の被災地に物資を運ぶ途中だったとのこと。報道番組は地震とJALの事故の放送を代わる代わるやっていた。地震は天災だがJAL機の事故はおそらく人災であろう。翌3日の新聞には1面トップで載っていた。(2日は新聞休刊日)
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 この日もNHKは夜九時まで報道番組をしていたが民放はほぼ通常放送になっていた。私は昨日と同様箱根駅伝を観ながら時折NHKに替えてみた。駅伝は青山学院大学が新記録で総合優勝をしていた。青学の8区を走り区間賞を取った塩出翔太選手は尾道市出身(栗原北小・栗原中学〔私の母校〕)で世羅高校出身だったのでより応援をした。
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 4日は年末年始休暇の最終日だったが少しゆっくりした。能登半島地震の被害がだいぶ明らかになり、死者数も増えて84人(6日時点で死者126人、安否不明210人)まだ多くの行方不明者がいるとのこと、道路が寸断され孤立している地域もあるとか?これから復興するにしても人手が不足するし、お金も多く掛かるだろう。万博などやっている暇は無いだろうに、会場を造る人達を復興に回すべきでは無いだろうか、これからは人件費も資材費もどんどん高騰する。その分税金投入額も増えるのでは無いか、それならばその分を復興に回すのが妥当では無いだろうか? 

 
 ところで昨年10月にダイレクト出版社が発行する「ルネサンス vol.15号 2023.10.23発行」は「医療・環境・地震予知 嘘だらけの科学者たち」と題して特集記事が組まれていた。このルネサンスは定期刊行物ではないが年に2〜4回不定期に発行されており、毎回取り寄せて読んでいる。たまたまこの地震の前に記事を読んでいたので紹介する。
 武蔵野学院大学特任教授で地震学者の島村英紀先生が「利権化した『地震予知』国策がむしろ地震・津波被害を広げる」と題して書いておられる。購入してすぐ読んだとき日本の国は一体どうなっているのと思い憤慨したが、今改めて読むと怒りさえ覚える。
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 内容をかいつまんで書き出すと、日本で地震予知計画が1965年に立ち上がり研究が始まって半世紀を超えたが地震予知に一度も成功したことは無く、記録は日々更新されている。1978年に「地震予知が可能だ」という前提で作られた「大規模地震対策特別法」(大震法)は地震の予知が実際には現実的でないということから、数年前に「見直し」の声が高まったが結局、政府はいまだに変更も取り下げもしていない。
 地震学会という組織があり、任意団体ではあるが3000人近い会員がいる。多くは地震研究者やそのタマゴ、それに気象庁など地震関係のお役人でさすが地震国・日本、地震学者の数は多い。しかも研究予算のほとんどを国費に頼っている為、地震学者は「御用学者」になる宿命にあり、政府の意向に沿ったことしか言わない。地震予知研究が世界的に暗転していったときにも、地震予知研究について、学会として議論をしたことも意見を表明したことも一度も無い。学者の仲良しクラブに成り下がっている。
 2004年に著者(島村英紀先生)は『公認「地震予知」を疑う』で地震を巡る政・官・学のあきれる歴史を述べたところ学会より相手にされなくなり、さらに冤罪で逮捕され半年間拘置所で拘留されたとのこと。1999年に世界でもっとも権威がある英国の科学雑誌「ネイチャー」が「地震予知は可能か」ということについて公開討論会を実施した。しかし不可解なことに、世界でもっとも多くの研究予算を使っている、突出した「予知大国」日本からは誰も参加しなかった。日本は説明責任を放棄し「敵前逃亡」したのである。「ネイチャー」誌の結論は、「一般の人が期待するような地震予知はほとんど不可能で有り、本気で科学として研究するには値しない」と言う物であった。
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しかし日本政府の説明では、一般的には地震予知は実用段階ではないが、東海地震(南海トラフの一部)だけは予知が可能だということになっている。かくて「大震法」(大規模地震対策特別法)がつくられた。阪神淡路大震災、東日本大震災以後もこの説明は変わっていない。これは地震学者にとってかなり不思議なことだ。東海地震だけが他の地震と違う起こり方をしたり、東海地震だけが特別の前兆が出ることは、学問的には考えられないからだ。
 地震が起こると地震警戒警報が発令され携帯で知らせてくれるが、これは地震予知では無い。あくまで地震が発生して震源近くの地震計が揺れてからコンピューターが計算し各地の揺れを知らせてくれる。しかし震源地では警戒警報が出た頃にはすでに被害が発生している。今回の能登半島地震でも津波警報が出されたが、震源地近くではすでに津波は到達している模様と放送されていた。これらは予知にあらず。研究開始からすでに1兆円近くの予算がつぎ込まれているが、今回の能登半島地震を契機にそろそろどうするかを考えて貰いたいものである。再度この記事を読んで本当に情けなくなった。

 令和6年能登半島地震によりお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りすると共に、被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。またインフラなどの復旧が早く進み、被災者の皆様が一刻も早く日常生活が取り戻せることをただただ願うばかりです。

2024年01月07日

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