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「寿命中位数」、聞き慣れない言葉である。私は来春には喜寿を迎えるが、最近新聞・TVで「人生百年時代」という言葉を良く見聞きする。そして毎日多くの人を診療しているが、私と同年齢もしくはそれ以上の年齢の人を見ると所作や歩き方などから年相応なのか若いのか等を想像してしまう。90歳を超えてまだはつらつとしている人には素晴らしいと思い、日頃どの様な生活リズムで過ごされているのか聴いてみたくなったりする。 私の両親は二人とも88歳で身罷った。せめてその年までは元気で生きなくてはせっかく丈夫な体に生んでくれた両親に申し訳ないと思う。 ところで先日、毎月購読している「致知」12月号を読んでいたところ社会教育家の田中真澄氏が「人生百年時代を生きる心得」と題して連載を執筆しておられる。12月号は「オンリーワンの存在価値を目指して生きる」と題して書かれた記事の中にこの言葉があった。 引用させて貰うと、『厚生労働省は毎年7月に国民の「平均寿命」や「寿命中位数等生命表上の生存状況」を公表しています。前者は多くの人の知るところですが、後者はさほど知られていません。「寿命中位数」とは同じ年に生まれた出生者の生存数が半数となる年齢のことであり、「生存状況」とは、同年齢者が何歳まで生きるかを示す生存率値です。 直近で発表された2022年の数値は、同じ年の人が半数になるのは男性が83.93歳、女性は89.96歳でした。また90歳時点での生存率は男性25.5%、女性49.8%。同じく95歳では男性8.7%、女性25.0%となっています。つまり現時点で男性の約1割、女性の4人に1人は95歳以上まで生存しており、しかもその率は概ね上昇傾向にあるのです。「人生百年」の時代はもうとっくに始まっていると申せましょう。』引用ここまで。 なお2022年の平均寿命は男性で81.47歳女性で87.57歳である。 私が寿命中位数に達するのには後7年ちょっと、平均寿命までなら後4.8年ほどである。しかしこればっかりは判らない。最近小・中・高の同級生の訃報をよく耳にするようになった。せめて「寿命中位数」を超えるまでは生きていたいと思う。そのためにも生活リズムには注意を払っていこう。 ところでこの致知12月号には他に生・死に関する記事が2編掲載されていた。 一つは「人生を照らす言葉」と題して連載167回をほこる国際コミュニオン学会名誉会長で、もと聖心女子大学教授の鈴木秀子氏のコラムで河井酔茗の「ゆずり葉」という詩が紹介されていた。『私たちの命は親から子、子から孫へと受け継がれていきます。いまこの世に生を享けている私たちは、受け継いだものをいかに次の世代に渡していけばよいのでしょうか。河井酔茗の詩「ゆずり葉」にそのヒントを探ります。』とあった。 正にその通りで、若い頃にはあたりまえの様に感じていたが、さすがこの歳になると自分の生きてきた道を振り返りながら親の偉大さ、ありがたさが身にしみてくる。それと同時に鈴木先生が言われるように「子供たちに素晴らしい宝をゆずり渡しその宝を生かしながらよき人生を送り、世の中の人々をも幸せにして欲しいとの親の切なる思いが込められている。」そしてまた子供たちが私の歳になったとき同じように感じて欲しいとも思う。本当に味わい深い詩である。 もう一つ「禅語に学ぶ」と題して連載102回目の臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺氏の「空手(くうしゅ)にして来たり空手(くうしゅ)にして去る」と題したコラムが掲載されていた。なおこの言葉は「虚堂禅師語録」に有る言葉とのこと。 これも私の心に強く響く言葉であった。我々は何も持たずにこの世に生を受け何も持たずにこの世を去って行く誠に真理である。しかし中々これに気づかないものである。私たちは生きている間お金や物に執着し、ときにはそれによって争いが生じることもある。いかに多くの物を手に入れたとしても何も持って行けない。 道元禅師の言葉が記載されていたが「己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり」つまり「自分についてくるものは、ただ自分が作った善行や悪行のみなのだ」と。 それにしてもこの12月号に期せずして同じような内容が掲載されたのは私に対して何か天か、神様か、仏様が「そろそろ考えろと」いう暗示なのかな。
2023年12月17日