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先日、福澤桃介著『西洋文明の没落・東洋文明の勃興』(昭和7年2月11日発効ダイヤモンド社出版部刊)がダイレクト出版により復刻され(2022.11.20第一版)取り寄せて読んだ。この本はGHQによって焚書にされた本で帯封には「崩れ去るヨーロッパ文明への幻想 福澤諭吉を義父に持つ名実業家が暴露 戦後に欧州人が隠蔽した『西洋の黒歴史』と有る。
GHQは7000冊以上の本を焚書として日本人の目に触れないようにした。 なぜこの本が焚書にされたのか真意が知りたくて購入し読んだ。 私は福澤桃介という著書の名前をこの本で初めて知った。本の中の著者紹介では、福澤桃介氏(1868−1938)の略歴は明治元年埼玉県に生まれ、旧姓岩崎桃介。慶應義塾在学中に福澤諭吉の養子となり渡米、帰国後諭吉の次女福沢房と結婚、その後実業家として活躍し、日清紡績、東亞合成、関西電力、中部電力、東邦ガス、大同特殊鋼、名古屋鉄道、帝国劇場など、今にも引き継がれている有名企業の設立や経営に携わる。こうした活躍から「日本の電力王」と呼ばれた。また衆議院議員も勤めたとある。 この本によると、当時第一次世界大戦が終わり戦死者だけでも600万人を越、さらにスペイン風邪でヨーロッパ全体では250〜300万人が死んだ。このことより西洋文明の没落を説く欧米人による著書が多数欧米で出版された。さらにヨーロッパ全体では4.5億人の人口がいるが、ヨーロッパだけで養えるのは3億人分の天然資源があるのみで、残り1.5億人はヨーロッパ以外の地方から食料及び必需品を供給することで養ってきたが、大戦で産業が破壊され養うのが困難になった。ヨーロッパ人をしてヨーロッパの前途を甚だしく悲観させたのは、ヨーロッパにおける精神生活が、世界大戦のために、非常なる頽廃状態に導かれ精神が荒んだという様な単純なもので無く、経済的疲弊が錯綜していると福澤は分析している。 そもそも彼らはヨーロッパ人の欲望を満たすため、15世紀末からヨーロッパ以外すなわち東洋に進出してきた。日本でもキリスト教の布教ということでザビエルなど宣教師がやってきたが裏の顔には侵略し植民地にするという目的があったことは現在では周知の事実である。 彼らは「有色人種は人間にあらず」との観念をもちアフリカ大陸・東洋にやってきた。さらにヨーロッパ人、アメリカ人たちがいかにして植民地化をはかり、世界大陸の9分の8がヨーロッパ人の支配下に入ったかを記している。 キリシタンが日本にやってきた際にも、彼らは日本から数万人規模で奴隷を「輸出」して います。戦争捕虜や、誘拐されたり親に売られた子供が奴隷として南蛮商人によって東南アジアからポルトガル本国、さらには南米にまで売られていました。このことに気がついた豊臣秀吉は宣教師追放令を出している。 ところが「有色人種は人間に有らず」という考えが持続しており、1776年米国フィラデルフィアにおいてアメリカ独立宣言が読み上げられた。このことについて福澤氏は皮肉を込めて次の様に書いている。 引用すると「これは冒頭において『人間は生れながらにして平等である。平等に幸福を追求する権利がある』と書かれてある、こういうような意味が全文を一貫して、人間の平等を強調しているのである。そして、これが読み上げられた時に、フィラデルフィアの大会堂に居並んだ全アメリカの愛国者、人道論者は、満堂一斉に歓呼の声を揚げ、誠に世にも美わしい感激の情景を現出したのであった。 しかるに、この大会堂の窓一つ隔てて外の光景を眺めると、当時フィラデルフィアの人口たるや、黒人が約三分の二近くで、町を見ると灰色に見えると言われておったほどであつた。しかし、その黒人達はことごとく皆な奴隷であったのである。 しかのみならず、そのフィラデルフィアの大通りを、数百数千の奴隷が鞭で殴られ、棍棒をもって打たれながら重い、荷物を挽(ひ)いて呻吟の声を上げ、悲鳴泣喚(ひめいきゅうかん)を継続して通っているという暗澹たる有り様であったのだ。』と記す。[p58] 奴隷というものは古代ローマ時代から存在していたが、ヨーロッパ人が再現した奴隷というものは、「人間をまるで牛や馬の代わりに酷使するにあったから、その労働においてもはたまたその待遇においても、これを牛馬同様のものとして、毫(ごう)もその間に人格を認めなかったのである。」とも書いている。 さらに奴隷をアジア・アフリカなどから運ぶ時の劣悪なる環境などについても詳細に記載している。 また日露戦争で日本が勝利したことは言い換えれば初めて有色人種が白色人種に勝ったことを意味し世界植民地化の流れを止めた、欧米以外の国で大いに喜ばれ、後の独立運動の遠因になる。 いかに白人たちが奴隷を虐待したかを暴露しており、まさに西洋人の黒歴史である。 GHQ占領軍は「こんな本を日本人が読んだら、自分たちが教えようとしている『民主主義』に疑いの目を向けてしまう」と思って焚書にしたのだと理解した。 余談だが、この本が出版される前、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、日本が国際連盟規約の中に「人種差別の撤廃」を明記するべきと言う提案をして11対5で賛成多数となったが、当時のアメリカ合衆国大統領だったウッドロウ・ウイルソンは委員会の議長を務めていたが、議長権限で全員一致でなければ可決されないと否決した。国際会議で人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界最初である。 このようなことは学校の歴史で習うことは決して無い。学校では日本人はアジアを侵略し悪いことをしたというように教えられる。そうでは無いことを知るためにこの本が歴史教科書の副読本で採用されると良いなと思った。
2023年05月23日
新聞やTVではことしのGWは長いところで9連休と報道していたが、我が「さいだ歯科医院」は暦通りの飛び石連休であった。日記風に書くと4月29日は午前中、ジャガイモ畑の草取りをして午後は雨だったので読書。30日は曇り、尾道港祭りを観に家内と二人歩いて街に出てみた。U2のところには海上自衛隊水中処分母船「YDT-04」が停泊しており、乗船して中を見学している人も多くいたが私は外から写真に収めるだけであった。 その後駅前広場特設ステージでは小学生が「ええじゃんSANSA ・がり」の踊りを披露していた。私は審査委員席から東、通称「一円ポッポ」の福本汽船桟橋近くで見学、地元「三成小学校」・「美木原小学校」・「栗北小学校」などの踊りを見たりする。家内は「浦崎小学校」が神楽の衣装で踊っていたのに感動したと言っていた。
その後、公営渡船乗り場まで歩き本通りを通って帰途についた。日頃まばらな本通りに観光客を含めて人があふれかえっていてここ久しく見たことも無い光景であった。家内が疲れたというので家までは歩かず尾道駅前からバスに乗る。バスに乗るのも本当に何年振りかという感じであった。しかも後期高齢者になってから尾道市から「バス・船舶共通利用券」をもらっているが、いままで一度も使って無かったので初めて利用した。昼食はおうちでご飯。 そして5月3日から5日までは、畑で草取りをした。ただ5日は三成地区では昔から浦島祭りがある。その昔、童話にでてくる浦島太郎がいたという伝説が残っており近所に浦島神社が建立されている。 この日は子供たちが子供神輿を引きながら地区をねりあるくという行事である。開業以来私の医院の駐車場で休憩を取ることになっている。今年も子供たちが「はっぴ」を着てやってきたが一瞬目を疑った。と言うのも参加している子供が総勢13人である。昔、我が息子たちが参加していた頃は今の何倍もの子供がいた。付き添われているお母様方に聞くともう少しはいるのだが最近は子供会や町内会にも入らない人が多いのだとか。それにしても少子化という現実を突きつけられ、郷土の行事も廃れていくのでは無いかと感じた。7日GW最後の日は朝から雨でウオーキングもしないで朝から読書をした。まさにGWは晴耕雨読であった。 GWまえから少し読み始めていた松浦光修(皇學館大学文学部教授)著 経営科学出版2022.12.25.発行の『いいかげんにしろ日教組 われ「亡国教育と、かく闘えり」』で、平成15年10月PHP出版から発行された本の復刻版である。三重県日教組と著者の平成10年から平成15年にいたる“闘”いの歴史である。著者は神道学を研究しており、日教組による「反日自虐教育」に我慢ができなかったのではないだろうか? 前書きから一部引用すると 『巨視的に見れば、日教組はGHQ支配下で作られた“戦後体制の生命維持装置”でありその体制が、今も続いているから、日教組支配はつづいているのである。“日本が自立した強い国にならないこと”、できれば目ざわりな“日本国を自滅させること”、それらの秘められたプログラムは占領中にセットされ、GHQが日本から去ったあとも、やっかいなウイルスのように、いまもなお作動し続けている。 そう考えれば、なぜ日教組が、大東亜戦争について“すべて日本が悪かった”と教えたがるのか、なぜGHQが押しつけた「日本国憲法」をあれほど絶対視するのか、なぜエネルギー立国を目指す原発に反対するのか、なぜジェンダー・フリーの名のもとに「男らしさ、女らしさ」を破壊しようとするのか、なぜ「教育基本法」の改正に反対するのか、すべての謎は解ける。本人たちは無自覚なまま、彼らは今もGHQの走狗であり続けているのである。・・ 中略・・ 「その国の未来を見たければ、その国の若者の姿を見ればいい」といわれる。これは換言すれば、ある国の「未来」を奪いたければ、その国の若者を潰せばいいということである。この点「革命」を夢見て出発した集団が、まず日本の教育界を支配することに努めたのはやはり巧妙な作戦であったといえる。「革命は銃口から生まれる」のみではない。・・引用ここまで 本には三重県での出来事がメインに書かれているが、中に広島県立世羅高校の石川敏浩校長が卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱を拒否する広教祖との軋轢により卒業式前日の平成11年2月28日に自殺をされたことが書かれていた。このとき校長先生のお葬式には教職員誰一人として出席しなかったとのこと。本当に痛ましい事件で異常な事態であったことをよく覚えている。 その後、平成11年8月9日に「国旗及び国歌に関する法律」が制定された。しかし当分の間、国歌斉唱の時、起立もしない、国歌も歌わない先生方が多くいたと報道されていた。今は良くなっているのだろうか。 その他、先生たちが職務中に組合活動をしても給料をもらっていたことが明らかになる。広教組でも同種のことが行われていたことが書かれていた。三重ではそれを返還するように交渉したが中々解決しなくて最後は寄付という形で決着したとか。あるいは歴史教科書の採択をめぐってGHQ史観(東京裁判史観)にもとずく教科書からそうでない「新しい教科書を作る会」扶桑社の教科書に切り替えることへの大抵抗などが書かれていた。 私自身、東京裁判は違法な裁判と思っている。戦争が終わってから新たな法律を作って裁判を行うこと自体国際法違反で有り、米英中などの日本いじめである。当時のインドのパール判事が言うことが正しいと思う。 この本を読み終えて感じたことは、あまりにも今の時代日本人は荒んでいる。最近のTV・新聞を見てもオレオレ詐欺、振り込み詐欺、先日の東京銀座で夕方人通りの多い時間帯に店に16歳から19歳の3人組が押し入り高級時計を盗む事件、刃物で通行人を襲う等とても昔では考えられないことが連日のように平気で起きている。これも著者が書いたようにGHQの置き土産なのだろうか? 心の教育というものが疎かにされているのだろう。
2023年05月11日