今日は7日目、アルべロベッロからオストゥーニ観光、その後マテーラ観光をしてナポリまでの400kmの行程である。オストゥーニはアドリア海に面し最近脚光を浴びている避暑地だそうだ。ここの白亜の街は遠くのアドリア海の青と空の青にマッチしてとても綺麗であった。

イタリアの観光地はどこも道路が狭く、この時期人が多く大変な混雑だ。聞くところによるとイタリアでは多くの人が2週間程度の夏休みをとりどこかへ遊びに行く。休暇の前1週間はどこ行く、ここ行くで盛り上がり、休暇が終わるとどうだったと盛り上がり夏場は1カ月程仕事にならないらしい。またバスの運転手さんも1日の労働時間が決まっており、残業はしない。そのため我々がバスを降りて観光している間、エンジンを止めて休息している。エンジンを動かすと運転手さんの労働時間に換算されてしまう。そのため観光から帰って来た時のバス室内の温度はかなわない。日本は本当に良い。
その後、世界遺産のマテーラ市に移動し「サッシ(サッシとは岩を意味するイタリア語サッソの複数形)」と呼ばれる洞窟住居を見学する。

ここにはグラヴィーナ渓谷の斜面の岩肌を掘って造られた洞窟住居群が約3000から4000 あり、何層にも重なって渓谷を埋め尽くす壮観な景色が広がっている。


マテーラの歴史は古く、この地に人類が住み着いたのは約7000年前と言われている。8世紀から13世紀にかけ、イスラム勢力の迫害を逃れたキリスト教徒の修道士たちは、洞窟内に130余りの教会や住 居を造り、この地に移り住むようになった。15世紀には地中海交易により繁栄したが、その後19世紀になると、町は徐々に衰退 していく。また人口の増加による住居の不足もあって、多くの貧しい人々は家畜とともに暮らすのを余儀なくされ、衛生面の悪化による死亡者が多発するほど深刻なものになった。この状況を見かねた政府は、1954年に特別法を出し、住民を強制的に新市街地へ移住させ、結果、サッシ地区は無人の廃墟となった。近年はサッシの文化的・芸術的な価値が見直され、1993年の文化遺産への登録を契機に官民共同でサッシの 保存・再開発が進んでおり、往時の姿と活気を取り戻しつつあるとのこと。


サッシを改装した洞窟レストランで昼食をとる。その後当時の家具や道具をそのまま残した、典型的な農民の洞窟住居「グロッタの家」を見学した。一つの部屋に家畜も同居していて大変だったのではないだろうかと思う。その後一路ナポリへ、
|