AM9:00〜PM0:45PM2:00〜PM6:20
木・日・祝日
いよいよ最終日、起床して外を見ると深い霧に覆われて何にも見えなかったが、9時頃には少し霧が晴れて洞爺湖の中島が見えてきた。旅行会社の予定表ではタクシーが11時にホテルに迎えに来ることになっていた。出発時間までゆったり過ごす。 タクシーに乗って運転手さんと話したところ、予定表では昭和新山見学と有珠山のロープウエイに乗るとなっていた。 有珠山のロープウエイに乗るのは気乗りせず断る。代わりに「洞爺湖サミット記念資料館」をみたいと提案した。山の上のホテルから下りていくとき霧がなければ羊蹄山が綺麗に見えるスポットと言われたが何も見えず。 運転手さんは有珠山ロープウエイ観光がなくなり1時間の空き時間をどのようにしたら良いのか困られたようだ。とりあえず昭和新山に向かい、途中「洞爺湖サミット記念資料館」を観た。当時使用したテーブルと椅子が展示されていた。またどのような食事が提供されたか、そしてどんなことが討議されたのかがパネルで展示されていた。
その後昭和新山に向かう。当別に住んでいた時、家族4人できたことを思い出した。その時、足元の石を拾ったが今も持っており、その石には1981年5月3日と書かれていた。
昭和新山については小学生のとき国語の教科書に記述があった気がする。 運転手さんは地元人なので色々考えて昭和新山と有珠山がよく見える所に連れて行ってくれた。 そしてあじさいが咲いていて綺麗なお寺が有るからと案内された。「有珠善光寺」である。このお寺はホームページによれば826年に天台宗僧侶慈覚大師円仁が有珠を訪れ小宇を造り阿弥陀如来像を安置したことが寺の開基とされている。その後1613年に松前藩主の松前慶弘が有珠を訪れ如来堂を再興し阿弥陀如来を安置して善光寺と称した。 さらに1804年江戸幕府が蝦夷地を直轄するにあたり設置された「蝦夷三官寺」の一つとなり本堂や客殿が再興されたと記載されている。お寺の線香を立てる器に徳川家の家紋が入っていた。 あじさいは花の形も色もいろいろの種類が有り綺麗であった。私たちが訪れたときは丁度「アジサイマルシェ キッチンカーフェスin有珠善光寺」が開催されておりかなりの人が集まっていた。かき氷をここで食べた。
次に入江貝塚に連れて行ってもらう。ここは今から4000年以上昔の縄文人が住んでいた所である。尾道にも高須に太田貝塚が有ったが保存がいきとどかず、今は石碑のみが建っており、出土品も多くは逸散し一部保存されているようだが公開はされていない。残念である。入江貝塚の入り口には貝塚の層が分かる様に垂直の壁が切り出されて展示されていた。縦穴住居跡もある。人骨が出土した写真などもあった。 その後近くの「入江・高砂貝塚館」に案内してもらい出土品などをみた。動物の骨かなんかで作った釣り針には現代と同じようにフックがついており、掛かった魚が逃げられない構造になっていた。4000年以上前のその時代にそのようなアイデアがあったことに驚く。 そして「世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群」というポスターが貼ってあった。以前何かでアイヌの人たちは先住民族だと書いてあったのを読んだことがあった。しかし今回の貝怩みたりすると少なくとも北海道の先住民族は縄文人でありアイヌの人たちは縄文人が寒冷化に伴い本州方面に移動した後、オホーツク方面からやってきて住み着いた人ではないのかと思う。もちろん今は日本人ではあるが、先住民だったと言う表現は違うのではないだろうか? 多分すでに分析はされていると思うが、アイヌ人のDNAと縄文人のDNAを比較すれば良いのでは。 その後、2000年に有珠山で噴火が起きて土地が隆起したところに案内された。ここの案内板の写真と見比べながら、1853年の爆発でできた大有珠、1977〜1978年の噴火でできた有珠新山、年代不明の西山を確認した。またその手前に、2000年の噴火で盛り上がった小さな山が見えている。2000年の噴火のときは既に定点観測がなされ噴火予知情報が発出されたため、全員が避難し命を失う人はいなかったとのこと。運転手さんの話では、有珠山は30年周期ぐらいで噴火しているとのこと、そろそろ噴火する時期が近づいているらしい。 洞爺駅まで送ってもらい15:30の「北斗13号」にて南千歳駅に行き、エアポート号に乗り換え新千歳空港に着く。18:55の飛行機に乗るつもりでいたが結局40分遅れでテイクオフ。おかげで家にたどりついたのは22時45分頃であった。
2023年07月28日
今日は12:09札幌発「北斗12号」で洞爺に向かうことになっている。朝食は「ビュッフェタイプ」でお腹いっぱい食べた。ホテルからは駅までは歩いて行ける距離で、近くに時計台、北海道庁が有るのでそこを観ながら駅に行くことにした。時計台にも多くの観光客がいた。また道庁に行くと改修工事が行われていた。建物全体が素屋根で覆われ外側に道庁の建物を写真撮影して印刷された幌で覆われていた。 一見それらしく見えるが、残念ながらいつもの赤煉瓦の建物をみることはできなかった。何年か前に時計台が改修工事をしていたときと同じように印刷された幌で覆われていたのを思い出した。改修工事は2025年2月までの予定とのこと。道庁の前の池には赤と白の睡蓮が咲いておりマガモがゆったり遊んでいた。 その後駅に行き、列車で洞爺へ向かう。洞爺湖は何回か観たことがあったが洞爺湖温泉には入浴したことがない。宿は旅行会社にお任せしていたところ2008年の洞爺湖サミットが開催された「ザ・ウィンザーホテル洞爺」とのこと。洞爺駅には当時のサミットの案内があった。よく見ると旗が9本立っていてG8であった。今年の広島サミットではG7であったが当時はロシアが参加していてG8だったのだと改めて思い出した。 ホテルまでの公共交通は無くお迎えバスにて40分ほど掛かった。ホテルは山の上でそこにはホテル以外に何も無い。だから警備がしやすくサミット会場に選ばれたのかも知れない。TVニュースなどでこのホテルの外観は何回も観たことがあった。 今度は予約の部屋(ジュニアースイートルーム)があった。昨日の部屋より狭いがそれでも十分に大きい。ちなみに隣の909号室は当時のアメリカ合衆国大統領ブッシュ氏が宿泊した部屋で広さはおそらく私が泊まった部屋の倍以上だと思われた。
夕食までしばらく時間があったのでホテル内や外を散策してみた。すごく大きなホテルで散策するにもそこそこ時間を費やした。散策途中サミットを記念して植樹された木が大きくなっていた。また各国首脳が並んで記念撮影をしたところがあり、ちょうど福田康夫首相が立っていた同じ位置に立って写真を撮った。このホテルはゴルフ場やスキー場も併設していてリゾートホテルという感じがした。部屋の窓からは洞爺湖がよく見えた。
散策後温泉に入りそれから夕食となったがフランス料理、和食、中華料理の3タイプの内、チェックイン時に中華をお願いした。またチェックイン時にドリンク券が一人一枚ついていたので、それを出しビールを飲む。家内もビールを頼み少し飲んだと後、私にくれたのでそれを飲み他にアルコール類は注文しなかった。料理はなかなか美味しかったし、品数もあり十分にお腹が太った。そういえば、朝食をいっぱい食べたせいかお昼に腹が減らなくて昼食を食べていなかった。夕食後再度温泉に入り就寝。明日はこの近辺を観光し、帰路につくことにしてい
2023年07月24日
7月15日に「北海道医療大学父兄後援会全国支部長会議」が開催され4年振りに北海道に行った。コロナ前には年3〜4回色々の会議で行っていたが、コロナ以後会議が中止されたり、オンラインZOOMで行われたりしていた。5月に5類相当になりやっと対面での開催となった。今回は17日が海の記念日で連休になったことも有り、会議後小旅行をと思い家内と一緒に出かけることにした。 広島空港を朝8:05のANAで出かけた。旅行の日程は旅行会社にお願いした。本来ならJALの10:35位の方が出かけやすかったのだが、夏でしかも連休と言うことでANAしか取れなかったとのこと。 途中窓から外を見ると分厚い雲が眼下に見え地上の景色はさっぱり、新潟、山形、秋田上空を飛んだがこの雲の下では線上降水帯発生していたのではないだろうか? 新千歳に10時に着いたが会議は17:30からなので時間が十分有るため、家内とどこに行こうかと話しあい、札幌の隣町、当別へ行き元住んでいたところのお隣さんのTさん宅を訪ねることにした。新千歳から札幌経由札沼線で当別駅まで行く。途中あらたな駅が出来ていたりしてずいぶんと札沼線も様変わりである。お隣のTさんが在宅か不在か分からない。年賀状のやりとりはしているので住所は分かるが電話番号が分からない。まあ当別駅で降りて公衆電話ボックスで電話帳を見れば良いと思ったが、いざ着いてみると公衆電話が無く電話番号が調べられない。今や公衆電話は日本中で無くなってきているらしい。 歩いても10数分なのだが雨が結構降っておりとリあえずタクシーで向かう。 途中町もずいぶんと変わっている。到着してTさんの家のベルを押すと在宅であった。本当に良かった。 私たちが住んでいた家はずいぶん前に取り壊され草が生え野原になっていた。当時この一角には14軒ほど家があったが今は3軒しか残っていないとのこと。 3時間ほど色々と話しをして当時を思い出しあっという間に時間が過ぎた。帰りはご夫妻が車で会議が開かれるホテルニュウオータニイン札幌まで送ってくれた。宿泊も同じホテルなのでチェックインをした。
予約していた部屋(プレミアムツイン)が満室ということで違う部屋に案内されたがどうやら1ランク上の部屋でドアに「エグゼクティブ スイート」と書いてあり中は広く、100uくらいあると思われびっくりした。ラッキーである。 会議は大学から現状報告の説明を聞いたが昨今の少子高齢化で受験者数もかなり減少し、同時に入学者数もかなり減って定員割れの学部が多いとのこと。今年は歯学部が80人募集で入学者は67人とのこと。また付属衛生士学校では50人定員にたいし18人しか入学しなかったとのこと。この調子だと今後の歯科医療そのものに暗雲が立ちこめてきている。 さらに昨今、東京方面の大学が北海道の高校に推薦枠を大幅に割り当てているようで、若い人は東京方面の大学を受験しているとのこと。その後各支部報告をした。 会議後懇親会が催され大いに盛り上がった。 同級のM先生(札幌在住)に「家内と一緒に来ている」と話すと懇親会終了後ちょっと出てみましょうと誘われ、家内と共に札幌の街に繰り出し居酒屋で1時間ほど飲んだ。このM先生、学生時代に当別の我が家に遊びに来ていて、家内の出した「カレーライスの味が忘れられない」と言っていた。明日は洞爺湖温泉に行くことにしている。
2023年07月20日