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辞書によると「虫の知らせ」とは『何の根拠もないが、何となくそのような気がすること。予感がすること』とある。
65年も前の話であるが、私が小学校4年生の昭和32年1月18日学校からの帰り道、急に祖父が死んだのでは無いかと思った。父方の祖父母は私が生まれる前になくなっており、母方の祖父母しか知らない。最も祖父に会ったのは生まれてすぐの頃、母親が里帰りをした時(もちろん記憶はない)と小学校1年生の夏休みに母親と一緒に石川県能美郡北市村に母親と一緒に遊びに行った時の2回だけ、この時の祖父の顔しか記憶には無かった。
当時祖父は胃癌のため一時金沢の国立病院に入院していたが退院して自宅療養をしていたようだ。親からは何も聞かされていなかったので祖父の容体を知るよしもなかった。
ただ「癌」と言う病気についてはどのような病気かわからず初めて知った名前であった。母親が言うには日本人のお医者さんか誰かがウサギの耳に毎日コールタールを塗っていたらウサギの耳に癌が発生したという話しをしてくれたのを鮮明に覚えている。
日頃、祖父のことに想いを馳せた記憶は無い。ところがその日突然、急に「祖父が死んだのではないか」と思ったことが不思議であった。後年、このことが「虫の知らせ」だったと思った。
そして父の死後、遺品の中に昭和32年1月18日に我家に届いた2通の電報が残してあった。それによると1通は当日尾道電話局の受信がJAN 18 AM 11.55 「チチキトクスグ コイ」でもう1通は「チチシススグ コイ」で受信はJAN 18 PM 4.42と記されている。4時42分という時間から推測すると午後3時頃になくなったのかも知れない、丁度私が帰宅していた正にその時刻ではなかったのだろうか?
学校から家に帰ると母親がおじいちゃんが危篤なので今夜、夜行列車で北市まで行くと言ってあたふたとでかける用意をしていた。夕食前に電報が届き、「父死す」と書いてあった。急遽父・母・私・妹の4人で夜行列車に乗って出かけた。なお余談だが当日の夕食のおかずがワタリ蟹だったことをこれまた鮮明に覚えている。何故か私は色々のイベントがあったときの晩ご飯のおかずが何だったか覚えている。例えば父が通勤用の革鞄を買った日のおかずが鯖の煮付けであったとか、妹が生まれたとき私は4歳であったが、朝飯として父親と一緒に片栗粉を煮て食べたとか。
ところで今回このことを思い出すきっかけは、家内の兄(私にとっての義兄)が亡くなったことである。10月の始め家内とその妹がコロナの為3年ほど東京の兄と会っていないので急遽会いに行こうと話がまとまり、10月7日から10月10日まで出かけた。兄は大喜びで「おまえら、わしがもうすぐ死ぬかと思って来たのだろう」と冗談を飛ばしていたとのこと。兄妹3人で4日間楽しく過ごせたと嬉しそうな顔で家内が帰宅した。
ところが今月7日の朝、昨夜(6日の23時過ぎ)義兄が亡くなったと義姉から電話が入る。一瞬耳を疑った。死因は心筋梗塞であった。1ヶ月前あれ程元気であったのに。まさに義兄が言った言葉通りになった。
今から思えば家内達が急に東京に行く気になったのもひょっとしたら「虫の知らせ」だったのかも知れない。
東京はこのところ死ぬ人が多く、なかなか火葬場の予約が取れなくて5日間待機させられ、11日通夜、12日葬儀となり家内と出かけ無事終わった。私も義兄がいなくなり淋しい気がしているが家内の気持ちはいかばかりかと思う。
今回のことも含めて私は「虫の知らせ」は存在すると信じている。
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