この本は致知出版社から昨年末に刊行され、早くも13万部突破のベストセラーになっている。私が25年以上毎月購読している月刊「致知」のインタビューや対談記事、もしくは致知出版社の書籍の一部を抜粋し、再構成したもので、内容は掲載当時の物で、登場人物の肩書きは原則として「致知」掲載当時のものとしたが、発言者のご意向などにより、一部変更した箇所があると書いてあった。
毎朝その日のページを読んで仕事に出かけているが、今日で丁度1月分31人の方のお話を読んだことになる。読みながらこの記事は以前読んだことがあるなと思うページも有り、その時こんな感想だったな思いだしながら読んだが、改めて読み直してみるとさらに深い味わいや合点がいくことが多い。
昨日1月30日には広島県安芸高田市向井原町にお住まいの坂田道信(ハガキ伝道者)様の文が掲載されていた。この文は以前「致知」で読んで目頭が熱くなったことを思い出す。
転載させていただく事とする。
「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」 坂田道信(ハガキ道伝道者)
『徳永康起先生は熊本県の歴史始まって以来、初めて三十代の若さで小学校の校長になられた方でしたが、初めて「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」と五年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。だからどの学校に行っても校長に煙たがられたと思われますね、自分より実力が上なものだから。
それで二年ごとに学校を出されてしまうんだけど、行く先々で教師たちが一番敬遠している難しいクラスを受け持って、みんなを勉強好きに変えてしまうんです。
授業の前に児童たちが職員室へ迎えに来て、騎馬戦みたいに先生を担いで、「ワッショイ、ワッショイ」と教室に連れていったというんです。先生、早く教えてくれって。
先生は昼飯を食べない人でした。なぜ食べないかというと、終戦直後、昼の時間になると弁当を持ってこられない子どもたちがさーっと教室からいなくなる。
それでひょっと校庭を見たら、その子たちが遊んでいたんです。その時から自分もピタッと昼飯を食べるのをやめて、その子たちと楽しい遊びをして過ごすようになりました。
以来、昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ、晩年になっても。
これは戦前の話ですが、「明日は工作で切り出しナイフを使うから持っておいで」と言って児童たちを帰したら、次の日の朝、「先生、昨日買ったばかりのナイフがなくなりました」という子が現れました。先生はどの子が盗ったか分かるんですね。それで全員外に出して遊ばせているうちに、盗ったと思われる子どもの机を見たら、やっぱり持ち主の名前を削り取って布に包んで入っていた。
先生はすぐに学校の裏の文房具店に走って、同じナイフを買い、盗られた子の机の中に入れておきました。子どもたちが教室に帰ってきた時、「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」と言うと、「先生、ありました」と。
そして「むやみに人を疑うものじゃないぞ」と言うんです。その子は黙って涙を流して先生を見ていたといいます。
それから時代が流れ、戦時中です。特攻隊が出陣する時、みんなお父さん、お母さんに書くのに、たった一通徳永先生宛ての遺書があった。もちろんナイフを盗った子です。
「先生、ありがとうございました。 あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を送りたいと 思うようになりました。
明日はお国のために飛び立ってきます……」という書き出しで始まる遺書を残すんです。
昨日読んでもやはり目頭が熱くなった。
また前日29日の桂小金治氏(タレント)の「努力の上の辛抱という棒を立てろ」という文も以前読んですごいと思ったが改めて読んで、子育て、親父の心構えなどがすんなり腹に落ちる。
また、王 貞治(福岡ソフトバンクホークス球団会長)の「プロは絶対にミスをしてはいけない」や道場六三郎(銀座ろくさん亭主人)の「仕事にも人生にも締め切りがある」では修業時代、いつも僕は思っていた。“人の二倍は働こう” “人が三年かかって覚える仕事を一年で身につけよう”。など他にも人生に役立つお話がいっぱいあった。
明日から2月、1日1話を読みながら感動や勇気を貰いながら明るい気持ちでその日を過ごしていこうと思う。12月まで楽しみが毎日続く。本当に良い本である。
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