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01/31 「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」を読んで
01/20 尾道市歯科医師会創立100周年記念式典
01/17 玉子の値段
01/04 2021年を迎えて、温暖化対策
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院長のブログ

「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」を読んで

 この本は致知出版社から昨年末に刊行され、早くも13万部突破のベストセラーになっている。私が25年以上毎月購読している月刊「致知」のインタビューや対談記事、もしくは致知出版社の書籍の一部を抜粋し、再構成したもので、内容は掲載当時の物で、登場人物の肩書きは原則として「致知」掲載当時のものとしたが、発言者のご意向などにより、一部変更した箇所があると書いてあった。
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 毎朝その日のページを読んで仕事に出かけているが、今日で丁度1月分31人の方のお話を読んだことになる。読みながらこの記事は以前読んだことがあるなと思うページも有り、その時こんな感想だったな思いだしながら読んだが、改めて読み直してみるとさらに深い味わいや合点がいくことが多い。

 昨日1月30日には広島県安芸高田市向井原町にお住まいの坂田道信(ハガキ伝道者)様の文が掲載されていた。この文は以前「致知」で読んで目頭が熱くなったことを思い出す。
転載させていただく事とする。
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「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」 坂田道信(ハガキ道伝道者)

『徳永康起先生は熊本県の歴史始まって以来、初めて三十代の若さで小学校の校長になられた方でしたが、初めて「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」と五年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。だからどの学校に行っても校長に煙たがられたと思われますね、自分より実力が上なものだから。
 それで二年ごとに学校を出されてしまうんだけど、行く先々で教師たちが一番敬遠している難しいクラスを受け持って、みんなを勉強好きに変えてしまうんです。
授業の前に児童たちが職員室へ迎えに来て、騎馬戦みたいに先生を担いで、「ワッショイ、ワッショイ」と教室に連れていったというんです。先生、早く教えてくれって。

先生は昼飯を食べない人でした。なぜ食べないかというと、終戦直後、昼の時間になると弁当を持ってこられない子どもたちがさーっと教室からいなくなる。
それでひょっと校庭を見たら、その子たちが遊んでいたんです。その時から自分もピタッと昼飯を食べるのをやめて、その子たちと楽しい遊びをして過ごすようになりました。
 以来、昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ、晩年になっても。

これは戦前の話ですが、「明日は工作で切り出しナイフを使うから持っておいで」と言って児童たちを帰したら、次の日の朝、「先生、昨日買ったばかりのナイフがなくなりました」という子が現れました。先生はどの子が盗ったか分かるんですね。それで全員外に出して遊ばせているうちに、盗ったと思われる子どもの机を見たら、やっぱり持ち主の名前を削り取って布に包んで入っていた。

 先生はすぐに学校の裏の文房具店に走って、同じナイフを買い、盗られた子の机の中に入れておきました。子どもたちが教室に帰ってきた時、「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」と言うと、「先生、ありました」と。
 そして「むやみに人を疑うものじゃないぞ」と言うんです。その子は黙って涙を流して先生を見ていたといいます。
それから時代が流れ、戦時中です。特攻隊が出陣する時、みんなお父さん、お母さんに書くのに、たった一通徳永先生宛ての遺書があった。もちろんナイフを盗った子です。
「先生、ありがとうございました。 あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を送りたいと 思うようになりました。
 明日はお国のために飛び立ってきます……」という書き出しで始まる遺書を残すんです。
昨日読んでもやはり目頭が熱くなった。

 また前日29日の桂小金治氏(タレント)の「努力の上の辛抱という棒を立てろ」という文も以前読んですごいと思ったが改めて読んで、子育て、親父の心構えなどがすんなり腹に落ちる。
 また、王 貞治(福岡ソフトバンクホークス球団会長)の「プロは絶対にミスをしてはいけない」や道場六三郎(銀座ろくさん亭主人)の「仕事にも人生にも締め切りがある」では修業時代、いつも僕は思っていた。“人の二倍は働こう” “人が三年かかって覚える仕事を一年で身につけよう”。など他にも人生に役立つお話がいっぱいあった。
 明日から2月、1日1話を読みながら感動や勇気を貰いながら明るい気持ちでその日を過ごしていこうと思う。12月まで楽しみが毎日続く。本当に良い本である。

2021年01月31日

尾道市歯科医師会創立100周年記念式典

 先日、17日に尾道国際ホテルで尾道市歯科医師会創立100周年記念式典が挙行された。
尾道市歯科医師会(尾歯会)は1921年(大正10年)2月「広島県歯科医師会尾道市ほか3郡支部会」(御調、沼隈、豊田の3郡)が設立され、ここに尾道市歯科医師会の歴史が始まった。会員数は30数名で尾道市内の会員は11名であったと記録されている。しかしこの会も戦後GHQの命令により解散させられ、昭和22年に新たな指導理念のもと新製尾道歯科医師会が発足した。現在の会員数は56名と病院会員3名である。私が入会したのは創立65年目であった。尾歯会は70周年、80周年、90周年と記念式典を行ってきたが、今回は100周年という記念すべき式典のため執行部も力を入れて準備をした。ちなみに90周年の時、私は実行委員長として全てを統括したが今回は顧問ということで適宜アドバイスをする程度であった。
 当日式典に先駆けて一般市民向けに「尾道市歯科医師会創立100周年記念・市民公開講座」を企画し東京の開業歯科医で、日本アンチエイジング歯科学会監事、バクテリアセラピストである宝田恭子先生をお呼びして『口元と姿勢の美しい関係』と題してご講演を頂く予定であった。ところが1月7日に東京に緊急事態宣言が発令されたことより急遽講演を延期せざるを得なくなった。ただいつ開催できるか予定は立っていない。
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また式典会場は密をさけるため一つのテーブルに一人着席という配置でコロナ対策をホテル側に要請した。
 式典は15:30より開始される。まず前座として尾道市の奇祭である「べっちゃー太鼓」の演奏を聴く。「べっちゃー祭り」の由来は昔尾道に疫病が流行ったとき疫病を退散させる為に始まったと言われ、まさにこのコロナ禍においてうってつけの催しであった。
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 その後専務理事の石井先生とFMおのみち放送アナウンサーの四辻様の司会で進行していった。まず副会長で実行委員長の三藤先生の開会宣言が行われた。国歌斉唱もコロナの為音楽テープを聴きながら声を出さずに心で唱う。
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 その後物故会員弔意が行われ、この10年間にお亡くなりになられた7名の物故会員が一人ずつスライドで紹介される。この7名の会員の内、4名の会員の先生方は丁度私が会長の時にお亡くなりになられ葬儀で弔辞を読んだ。スライドのお顔見ながら色々の事がよみがえってきた。その後全員で黙祷をする。
 そして現会長の小山先生による式辞が述べられる。その後来賓の方々の祝辞や紹介があり祝電披露もあった。
さらに10分ほど掛けて尾歯会100年の沿革がスライド上映された。改めて尾歯会の歴史というものを感じた。なおこのスライドの製作は息子が担当したが良くまとまっていた。
その後表彰式に移る。
まず歴代会長の功労表彰がありこの10年間での該当者は12代会長の宗永先生と13代会長の私(齊田)と2名であった。壇上に呼ばれ小山会長より表彰状と記念品を頂く。その後永年在籍者表彰では長岡先生が在籍60年以上という驚くべき在籍年数で表彰された。さらに50年3人、40年8人、30年20人の在籍者が呼ばれ登壇後それぞれ代表者が賞状と記念品を会長より頂く。私は在籍34年で永年在籍者として初めて表彰された。さらに永年尾歯会役員として平成22年から役員3期以上活躍された先生方に表彰状が渡された。最後は長年歯科医師会館のお世話をして頂いている原様に永年勤続表彰状と記念品が渡された。
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その後表彰者全員を代表して第12代会長の宗永先生がお礼の言葉を述べ表彰式は終了。
最後に宮本監事が閉会の辞を述べ式典全てが無事終了となった。
本来ならこの後、祝賀会に移るのであるがコロナの為、酒を伴う飲食は御法度ということで今回は祝賀会なし。すごく残念であった。各自それぞれ三々五々会場を後にする。帰宅後記念式典を思い返しながら一人酒を飲んだ。なお100周年記念誌は5月頃に完成するので楽しみである。
1月19日の尾道新聞トップにこの式典の様子が報道されていた。
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何もかも異例ずくめの100周年記念式典であった。次の110周年の時あのときこうだったねと懐かしむかも知れない。是非とも次の110周年にも参加したいものである。

2021年01月20日

玉子の値段

 昨年から新聞やTVのニュースで、吉川元農林大臣が福山の大手鶏卵会社のアキタフーヅの秋田元代表から賄賂を受け取ったと報道され、今月15日に在宅起訴された。アキタフーヅは福山市に本社が有り、地元の「中国新聞」が多くのページを割いて報道している。
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 ところで玉子で思い出すことは多くある。私が小学生の頃尾道では兼業農家がほとんどで友達の家では父親がどこか会社に勤めていて空いた時間に米作をする、母親が家で「い草」で畳を織るといった情景があった。多くの友達の家では母屋の近くに小さな鶏小屋があり、場合によっては縁側の下が鶏小屋になっていて3〜4羽程度の鶏が飼われていた。昼間は外に出て自由に歩き回る平飼いで、小屋以外のところでも玉子を産んでいた。私の家はサラリーマン家庭であったので近くの農家で玉子を分けて貰っていた。今では考えられないのんびりとした鶏の飼い方である。
 そして昭和40年に大学に入学したが、下宿では無く間借りのため3食外食であった。家からの仕送りもぎりぎりで、朝と昼は学生食堂で食事をするが一番安い45円のカレーライスをよく食べた。最もカレーライスといっても肉はもちろんじゃが芋や人参など野菜の形も無いカレーのルーだけがご飯に掛けてある代物である。それで時折スペシャルと称して生玉子を一つ注文してカレーの上に載せて貰う。当時その卵は1個15円でカレーと卵で60円の出費となる。そのためせいぜい月に1〜2回程度のぜいたくである。
 先日近くのスーパーに行ったところ、白い玉子が10個118円の値札が付いていた。この値段を見て改めて驚く。今年は令和3年、昭和で数えれば昭和95年になるが玉子一つが11円80銭である。55年前よりも安いのに驚く。
ところでインターネットで大学卒の初任給を調べたところ、昭和40年は平均23,000円である。当時玉子が1個が15円でもそんなものかと思っていた。2020年(令和2年)の平均初任給は209,014円実に初任給は9倍になっている。玉子が9倍の1個106円になっていてもおかしくないと思った。しかし玉子1個106円では誰も買わないであろう。
なお私が昭和46年大学院を修了して日立製作所に入社した時の初任給は49,900円であった。
 玉子は工業製品では無い。生きた鶏が産むのであるから、工業製品のように簡単に合理化は難しい。それで狭いケージの中に閉じ込めてとにかく玉子だけを効率よく生産させる方法に行き着いたのかも知れない。しかも55年前と比較してえさ代などの値上がりも考えれば良くこんな値段で消費者に提供してくれているものだと思う。さらに最近では鳥インフルエンザの流行で何万羽もの鶏の殺処分が報道されており鶏卵農家も大変だと思う。
 そもそも今回の賄賂事件の発端は家畜を快適な環境で飼育する「アニマルウェルフェア(AW)」の考えが欧米を中心に広まり日本にも飼育の方法の見直しを求める外圧が強まっていた。要するに私が小学生の頃に見ていた農家での鶏の飼い方の戻すということである。生産者は「AWが広まれば日本の農家はみなつぶれる」と危機感を募らせていると新聞に書いてあった。
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確かに今の鶏の飼い方は鶏の権利「鶏権」を著しく損ねてはいる。動物愛護を唱える人も1個11円80銭の玉子を食べながら鶏がかわいそうだというのも少し矛盾かなと思う。
新聞の記事中にアキタ元代表との一問一答が書いてあった。
「日本の養鶏に欧米のルールを持ち込んだら零細業者はつぶれる。玉子は1個50円くらいに高騰するであろう。だから養鶏農家と消費者を守るためAWに反対して貰おうとして動いた、自社利益図っていない」と書いてあった。
汚職は決して認められものでは無い。ただAWを日本が受け入れて玉子一個50円で我々消費者が受け入れることが出来るかどうかが問題だ。確かにケージでなく平飼いをされている農家さんもあるようである。ただこの人達の生産する玉子が現在いくらで売られているのかは知らない。現状日本の玉子自給率は96%とのこと。平飼いではそれほど多く生産できないので自給率は下がるであろう。日本は玉子の生食が多いため輸入には問題がある。他国から安い玉子を買ってくるのも問題があるし、そもそも食べ物の多くを輸入に頼ることは何か事あるとき、我々の生存が脅かされることを肝に命じておかなければならない。

2021年01月17日

2021年を迎えて、温暖化対策

 年末、何年かに一度の大寒波がやってくるとTVで言っていたが、ここ尾道ではほとんど影響もなく小雪がチョット舞う程度で有った。大晦日の夜NHKの紅白歌合戦の後、決まって家の外に出て近所の除夜の鐘を聞く。ところがどうしたことか10分間以上待っても鐘ねの音を聴くことが出来なかった。コロナの影響で参拝客を制限したり、早く鐘撞きを終わったのかも知れない。拍子抜けで有った。
 元旦、いつものように消防署の前の岸壁で対岸の向島の丘の上から出てくる初日の出を拝む。しかし今年は丘の上に大きな雲がかかっていて中々初日は顔を出さない。思うにこれは今年一年を表しているのでは、コロナのせいで今年前半は明るい兆しは見えないが後半、日の光が差してくる暗示では?せめてそうなれば良いなと想いながら初日に手を合わせた。
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 ところで先月菅総理が2050年に「温暖化ガス排出量実質ゼロ」を打ち出した。そのせいか年末から元旦までの日本経済新聞一面トップにこれに関連した記事が毎日のように掲載されていた。
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「洋上風力発電4500万キロワット」「原発新型炉を開発」「再生エネ5割越明記」「三菱重が水素製鉄設備CO₂排出ゼロに」「脱炭素の主役世界を競う」などの文字が躍る。この記事から人類は確実にカーボンゼロに向かいつつあるのかも知れない。
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確かに車でもガソリン車からEV(電気自動車)に移っていく。そこにはかなりの技術革新が伴いつつ産業構造も変わっていくのであろう。農業革命、産業革命、情報革命に次ぐ新たな第4の革命が起きると解説してあった。
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 正月休みどこにも出かけず、家で本を読んでいたところ日本歯科医師会雑誌12月号に気になる記事が掲載されていた。立命館大学古気候学センター長の中川毅氏の「宇宙と気候のリズム」で有る。
抜粋して掲載させて貰うと
『過去100万年の間に起こった気候変動を復元してみるとその大半は「氷期」であり、現代のような温暖で安定した時代は、長い氷期と氷期の間のつかの間だけ訪れる例外的なものでしか無かった。氷期がそれほど「ありふれた」ものであるならば、次の氷湖もいつかやってくる可能性が高い。今からおよそ2万年前、前回の氷期で最も寒かった時代には、地球の平均気温は今より10度以上も低かった。北ヨーロッパと北米の主要部は全て分厚い氷の下に埋もれていた。しかも膨大な量の氷が陸上に蓄えられた結果、海の水はその分だけ少なくなり、世界の海面は今よりおよそ130メートルも低下していた。日本周辺で言えば、東シナ海は干上がって陸になっていた。もし地球がふたたび当時のような状態になれば欧米の都市は全て放棄しなければならない。かろうじて残った都市も外洋につながる港湾は海面低下によって機能を失う。これを災害という観点で表現するなら、現代文明の根底を揺るがすほどの「巨大災害」に他ならない。
 氷期のリズムに関する人間の理解が大きく進展したのは1976年のこと。深海の泥に含まれる微生物の殻を大量に分析し、データーを数学的な手法で検証。その結果氷期と氷期の間の温暖な時代(間氷期と呼ばれる)は、驚くほど規則正しく10万年周期で到来していた。さらにこの10万年の間に2.3万年の周期が加わることで気候変動のパターンがさらに複雑な構造になっている。実はこの変動は地球が太陽の周りを回る公転軌道によるとされている。
 地球は太陽の周りを365.25日の周期で公転している。公転軌道はおおむね円であるが厳密にはケプラーの第一法則に従って楕円形になっている。この楕円の「細長さ」は時代によってリズミカルに変わる。そのため始め真円に近かった公転軌道が次第に細長い楕円になり、再び真円に戻るのに10万年もの歳月になる。
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 公転軌道が真円に近いとき、地球と太陽の距離は1年を通じてあまり変化しない。しかし軌道が楕円になると、1年の中に、地球と太陽の距離が近いときと遠い時期とが発生する。ちなみに現代の地球は、日本が冬の時太陽に近く、夏に太陽から遠い。つまりこの時間スケールで見ると、現代は「涼しい夏・温かい冬」の時代ということになる。いっぽう今からおよそ1万年前、氷河期が終わった頃の地球は夏に太陽に近く、冬に太陽から遠かった。「暑い夏・寒い冬」の時代である。地球の公転軌道が長細く、しかも夏に太陽に近づくようになった時、例外的に強い夏の日差しが照りつけ、それまで9万年掛けて分厚く育った氷河を溶かし始める。これこそが、本来は「普通の状態」である氷期が10万年に1回だけ終焉を迎えて、温暖期に移行していく理由である。
 地球の公転軌道は、地表でどのような人間活動が行われていようと関係なく、物理学の法則に従ってその形を変え続ける。すなわち地球を再び氷期に押し戻そうとする力はこれから数万年掛けて次第に強くなっていく。その自然の力が勝って実際に氷期がやってくるのか、それとも温室効果ガスの作用が上回って、次の氷期は回避されるのか人間にとっては重要な分岐点には違いないが、どちらのシナリオが正しいかについては専門家の間でも意見が分かれ、本当の意味での定説はまだ存在していない。』とあった。
 この文を読んで人間が生存していない時代にも氷期と間氷期のサイクルが繰り返し起きており、今の地球の状態は南極の氷が溶け、北極海の氷も溶けていることから、まだ間氷期の頂点に達しておらずしばらくこのまま気温上昇があるのではないだろうか?
温暖化ガスの対策をしても関係ないのかも知れない。むしろ温暖化対策をすることは氷期の到来を早めることに荷担しているのではないだろうか? 温暖化対策を行うことは自然の摂理に抗っているのかも知れないと思えた。そして温暖化・温暖化と騒ぐことによって誰か利益を得る人がいるのかと、うがって見てしまう。
それにしても早くコロナが収束することを願うばかりである。

2021年01月04日

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