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木・日・祝日
今年のシルバーウイークは20日〜22日の3連休であった。普通ならもう2日くらい休みを取ってどこか旅行に行けたのに、コロナのためにどこにも行けない。それで家庭菜園に力を注ぐことにした。日記風に書くと、 20日(日): あらかじめ9月5日(土)に夏野菜のミニトマトやキュウリを引き抜き野菜用の土地を確保、肥料を入れて耕して少し土地を寝かせておいた。
本日畑を観ると沢山の雑草の芽が出ている。再度耕運機を使って耕し畝を作る。植えるものとしては、おでん大根、春菊、人参、タマネギ、白菜とした。畝づくりをしてそれぞれの植え方に従って植えた。ただ立つたり座ったりで結構大変、翌日大腿四頭筋などが痛くなった。 野良仕事をしていると結構色々の虫を目にする。チョウチョもモンシロチョウ、アゲハチョウ、クロアゲハチョウ、モンキチョウの他ヒョウモンのオレンジ色のチョウ等。その中でアゲハチョウであるが青色の羽根を持っているものが飛んで来たが残念ながら写真は撮れなかった。帰ってインターネットで調べたらどうやらアオスジアゲハのようである。
またクロ色のアゲハチョウなのに羽を広げると青色が見えるチョウチョもいた。名前をインターネットで調べるも多くありすぎて確定できない。この畑にこんなにも色々の蝶がやってきていることに驚く。 また頭のとんがった10センチほどの大型のバッタを見つけた。この様に大きなバッタは今迄観たことが無く、インターネットで調べると日本で最大のショウリョウバッタのメスであった。 ところでモンシロチョウはアブラナ科が好物のため大根は芽が出るとモンシロチョウの格好の卵の産み付け場所になる。昨年もこれで出てきたばかりの本葉が食べられ、それで人間の手に吹きかける虫除け剤を葉っぱに吹きかけたところ、次の日には全部枯れていて再度植え直しをした経験がある。今年は芽が出たら早めに虫除けネットを張ろうと思う。 ところでこの夏は梅雨明け後、猛暑が続いた為か畑の隅に植えていた「青木」がこの夏の暑さで葉っぱがかなり枯れていてびっくりする。 21日(月): 午前には畑の水まきをしてサツマイモの試し掘りをした。ねっとり系の「紅はるか」を植えているが今年は良い格好の芋が出来ているようである。 その後墓参りに行く。親不孝というか墓石に刻まれた父親の死亡日を観て、今日が父親の月命日だと気が付く。改めてしっかりとお参りした。その後家内の家の墓にもお参りする。 なお収穫した芋を後日や焼き芋で食べたところ、芋が太る時期に雨が降らなかったせいか特徴の一つである「ねっとり」感が少なく「ほかほか」系に近い感じがした。甘さは特に問題ないようであった。 22日(火): 畑の水まきをしてから墓所のとなりの山を散策する。いつも墓参りの時、横目で見るだけであったが、昨日新しい駐車場の横に山への登山道が見えたので家内と行ってみることに。 ここは高校の同級生のK君達が20年前くらいから山を整備し桜を植えてきて、今は桜山と呼ばれているようだ。桜や銀杏の木が植えられて、萩の花なども有り散歩コースにはもってこいかも知れない。 三成の町が一望でき、空には筋雲や鱗雲が有り秋を感じさせてくれた。 なお昨日23日昼には大根の芽が発芽した。たった3日で発芽したことに驚く。
2020年09月24日
毎年終戦記念日が近づいてくるとTVも新聞もこぞって先の大戦は全て日本が悪かったような報道がされているが、私は何か少し違うような気がしている。それで以前、私は南京大虐殺についてどうだったのか色々の本を読んで巷に言われているように20〜30万人が虐殺されたというのは少し違うのではないかと思った。(H30.1.17投稿の「『南京事件』とは」のブログに記載) 我々は戦後、東京裁判で全て日本が悪く植民地主義でアジアの国々に攻め込んだとされ、多くの日本国民がそのように思わされ自虐史観に染まっていると思っている。 政府の広報誌に載った小学生の女の子に正しい答えを教えることが大事なのではと思っている。そんなとき友人から転送された経営科学出版(ライズ・アップ・ジャパン)のメールには次のように記されていた。 『あなたはご存知ですか? 戦後、GHQと日本政府の間で日本の歴史を破壊する密約がこっそりと交わされていたことを... というのも、戦後、GHQが言論統制を行ったことは有名ですが、、その中でも特にGHQが力を入れて取り組んでいたのが、日本政府と交わした「焚書密約」というものでした。その内容は、GHQは自らの思想にそぐわない日本の書物をリスト化して没収し、国民に読ませないようにするというものです。 そして、焚書対象となったのは昭和3〜20(1928〜1945)年に出版された約22万タイトルの刊行物のうち、7769点だったと言われています。この焚書活動は、書店や出版社の差し押さえだけではなく、全国の警察が出動して流通している対象書物はことごとく押収し、輸送中のものであっても奪われました。そして、没収を拒んだ者や没収者に危害を加えようとする者は罰せられるほど徹底的でした。 つまり、GHQにとって不都合な事実や戦前の日本人の考えが記された記録物は現代にほぼ残っていないということです、、、 だから、私たちは歴史を勉強しようと思っても、商業的な本ばっかりをつかまされたりで、、なぜ戦争へと進んでいったのか? 先人たちは日本をどんな風に守りたかったのか? いまの日本人に何を残したかったのか? 当時はどんな苦難があったのか? など肝心なことを知るのが難しくなりました、、 しかし、今日は1つ朗報があります。実は弊社でGHQによって焚書とされた書籍を手に入れることが出来ました。 そして、この本の復刻に成功したので、これを記念して、今この文章を読んでくれているあなたに無料でプレゼントしたいと思います!』 とあり早速申し込んで手に入れ読んだ。 松岡洋右といえば中学の社会科の授業で国際連盟を脱退したときの日本の全権大使で満州事変後のリットン調査団の報告に納得せずに議場から退場したという知識しか無かった。 この復刻された「興亜の大業」という本は昭和16年日米開戦の半年前発表されたもので松岡洋右が外務大臣を解任される直前のものである。開戦のおよそ半年前の状況が克明に描かれている。この本は戦後GHQにより焚書(書物を焼き捨てて、処分していくこと)とされたものである。本の帯には「GHQにとって不都合だった大東亜構想の真実」と書かれている。 大東亜戦争(太平洋戦争)は何故起こったのかその大義は何だったのか常々疑問に思っていたがこの本にその答えがあったと思う、松岡は「興亜の大業」の意義は神武天皇の建国の御詔勅に現れた、「八紘一宇の御精神の実現である」としている。 本書に目を通すことで…当時の日本がどんな状況でなぜ、戦争へと進んでいったのか?先人たちは日本をどんな風に守りたかったのか?いまの日本人に何を残したかったのか?当時はどんな苦難があったのかを知ることができる。 また本のカバーの裏には 『「今日の白人人種が、アジアの大部分を征服し、現地民をほとんど奴隷化して、支配下に置いている事実を我々はどうして座視しうるであろうか」 松岡洋右は本書で、東亜全体が西洋列強の不当な迫害により、その生存さえも脅かされていると激しく糾弾する。そして、東亜を白人種ブロックから離脱させ、独立興隆せしめんとして「東亜新秩序建設運動」を提唱した。松岡は満州事変を「日本精神の爆発」とさえ呼び、満蒙を生命線とすることで日本の可能性を打開せんとする。本書は、政治家・松岡洋右の覚悟と信念が刻まれた渾身の書である。現代日本人が喪失した「日本精神」が当時の指導者にあり、青年の中にも脈々と流れていることを訴える「檄文」となっている。』とある。 さらに産経新聞「正論」の元編集長上島嘉郎氏が本の最後に解説文を書いているがその一部が本の帯に転載されている。『「GHQが禁じ、戦後の日本人が自らタブーとしたことは何だったのか」本書は、外交政策を論じたものではなく、日本人(大和民族)の精神のあり方、その世界史的な使命について松岡自身が信ずるところを語ったものです。松岡の時代感覚、言葉遣いに、無関心でなく違和感を抱くことから、松岡と同時代を生きた父祖の思いに繋がる道筋が見えてきます。それが戦後の「閉ざされた言語空間」に一方的に拠るのではなく、戦前の日本人と繋がった上で、自らの言語空間の中で、葛藤を経た結果として出てくるものでなければならない。「興亜の大業」を今日読むことは、歴史認識の問題だけでなく、日本人を日本人たらしめていたものの喪失に否応なく気づかされることです。』とあった。 今日、昭和22年生まれの私が育った時代とかなり様変わりして何か違った世の中になったと私は感じている。物質的に確かに豊かになったが心は貧しくなっているような気がする。これもGHQによる占領政策の一環として、自国の歴史を否定する教育が行われた結果、民族の誇りが損なわれ日本人の心が無くなったのではないだろうか。 今、松岡洋右が生きていれば今の日本を観てどのような言を発するで有ろうか?
2020年09月13日