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木・日・祝日
尾道では桜土手の桜もほぼ散って桜の時期は終わりになったが昨日、三次・庄原を経て帝釈峡を抜けて東城まで足を伸ばした。 こちらはまだ寒いせいか桜が満開を少し過ぎたところで至る所綺麗であった。山の色も尾道とは全く違ってまだ春浅く新緑の緑がなく茶色の様な色という感じで有った。また2カ所で鯉のぼりを見たが昔のように至るところで鯉のぼりが上がっている状況ではなく、少子高齢化が如実に表れているのではないだろうか。 帝釈峡から東城に向かう途中道ばたや農家の庭先に花桃が咲き乱れていた。赤やピンク、白など本当に綺麗であった。
ところで「さいだ歯科医院」の駐車場にも花桃が植えてある。この花桃は一つの木に赤、白、ピンク、白の花びらに赤の入ったものと色々の種類の花が咲き目を楽しませてくれる。
花の付き方からして東側の枝が赤で西の枝が白であり、どうやら買った苗が接ぎ木をしてあったようでこの様な花が咲く様になったのであろう。 来院される患者様も不思議がってスマホで写真を撮られる方もいらっしゃる。 その他「さいだ歯科医院」に有る桜は吉野桜であり花桃とほぼ同時に咲き始めて桜と花桃のコラボも綺麗であった。今日現在、花桃の花は少し枯れかけているがその横で姫リンゴの花が咲き始めた。この姫リンゴ秋には直径5センチ程度の実を付け、食べるとそこそこ美味しいのである。もう少しすればキンカンの花も咲きそうであり、この季節が一番心踊らされる。
2019年04月21日
先日、同窓会理事会が有り8ヶ月ぶりに札幌に出かけた。眼下に雪をかぶった白神山地や岩木山を観ながら無事札幌に着いたが気温が16℃でびっくり。 夕方から理事会が開催されて、同窓会が取り組んでいる学生支援の状況、財務状況、会計・監査報告等があった。私は財務担当の副会長をしているが、中々会費納入がままならずかなりの歳入不足がある。それでも5年前から学生を準会員と位置づけ会費を完納した終身会員として卒業する様に改革を計り少し財務状況は好転してきている。 そんな中にあって今回、共済制度の見直しを協議した。と言うのも現在の共済制度は学生の入学定員が120名(現在80名)時代の30年以上前に作った制度である。 会員死亡時、疾病・傷害による入院、自宅療養時のお見舞金の支払い、他にも会員の診療所あるいは自宅焼失の場合や風水害、地震、等にも支払い事由がある。ここ最近でも3年前の熊本地震、昨年の西日本豪雨災害、苫東厚真地震など災害が多く発生し、同窓会員の中にも被害に遭われる会員が少なからずいて、そのような方への災害見舞金等を共済制度でまかなっているが、今後会員の高齢化や新卒者の減少により共済制度を維持していけるのかについて協議をした。協議をしながらまさに国家の少子高齢化の問題と同じ構図になってきていると思った。 翌日、15時発のJALにて帰るので少し時間があり札幌市内を歩くことにしてまず北海道大学内を歩く。構内にはまだ残雪があり、さすが北海道と思う。 今回はメイン通りを少し外れて歩いてみた。ポプラ並木にも足を運ぶ。入学式が終わったばかりなので、クラブや同好会などの案内立て看板が目につく。
北十八条の通りまできてその先を見ると、開拓時代の建物が目に入り何だろうと行ってみたところ、そこは農学部の第二農場で有った。 今まで観たことがなく興味を持って見学をした。札幌農学校時代の明治10年〜11年にかけて建てられた模範家畜房(モデルバーン)を中心にした牧場の建物群であった。製乳所、穀物庫、牧牛舎など九棟が有った。
北大の散策後はいつものお決まりコースで赤レンガの道庁の建物を観て、大通公園を歩いたが、春まだ浅く公園にある噴水はどれも止まったままである。
その後時計台に向かう。昨年8月に来たときは改修中で布に描かれた時計台を観たが、今回は改修も終わりきれいになった時計台とご対面である。この日も11時には気温が15℃になっており暖かく、コートを着て歩いていると汗ばんでしまった。見ると若い女の子の中には膝上のスカートや短パン姿で歩いていたのでびっくりした。飛行機は少し遅れたが無事尾道に帰り着く。この日歩いた距離は12.3q、16,392歩であった。
2019年04月17日
前回のブログで書いたように4月4日に日立市大甕の日立研究所でOB会が開催され、前日水戸駅横のホテルに前泊した。翌日OB会は午後2時開催だったので、午前中水戸市内を観て歩いた。昔、日立市や常陸太田市に住んでいたので水戸には度々来ていたが、ほとんど駅北側での買い物程度で、梅で有名な日本三大庭園の一つ偕楽園でさえ3回ほどしか訪れたことがなかった。 ホテルで「水戸おもてなしMAP」をもらいそれを頼りに散策に出かける。 まず水戸駅が新たにリニューアルされていて、北口と南口が自由通路で繋がり南口エリアがずいぶん開発されていた。40年前にはほとんど南口に足を伸ばした記憶が無い。南口の「水戸の納豆記念碑」を観て、桜川の土手まで足を伸ばした。 その後、北口の「水戸黄門、助さん、格さん像」を観ようとしたがデッキ改修工事のため後ろ姿しか見観ることが出来ない。市内には何カ所か水戸黄門の銅像があるということで他を当たることにする。その後水戸光圀公生誕の地にある水戸黄門神社をおとずれた。 駅から偕楽園入り口までバスに乗り、表門から入り孟宗竹林を抜け好文亭につく。今迄入館したことはなく、外から建物を見ていただけだったので今回初めて入館する。70歳を超えたので入館料が半額の100円でラッキー。
各部屋には立派な襖絵が描かれておりその絵によって「梅の間」、「萩の間」、「紅葉の間」、「桜の間」、「竹の間」等と呼ばれている。また一階の調理室から3階までお膳や酒肴を運搬する滑車式昇降機(手動式エレベーター)が有りびっくり。好文亭から桜咲く千波湖の景観は格別である。その後梅林に出たが残念ながら梅の時期は既に終わっており、約100品種、3000本の梅の花が咲き誇っていれば壮観だろうと想像しながら見晴広場に出る。 そこには左近の桜が咲いていた。梅林を抜け、徳川光圀公と徳川斉昭公の二柱を御祭神にしている常磐神社にお参りし、大工町交番まで歩く。
交番前には水戸光圀公(水戸黄門)像がありやっとご対面をさせていただく。そこから水戸駅北口に向かって下っていく。途中徳川慶喜公の像を観た。中央郵便局前を左折し三の丸にある水戸藩の藩校弘道館に向かう。弘道館記碑を納めてある八卦堂を過ぎて弘道館に行き着く。ここも70歳以上と言うことで入館料は半額有難い。
水戸光圀公が編纂を開始し約250年をかけて完成した「大日本史」が展示されていた。15代将軍慶喜公が使用した長持ちが展示されていたがその装飾も素晴らしい。また斉昭公が七郎麻呂(後の慶喜公)を諭しておられる像も有った。
三の丸小学校横を抜けて水戸駅北口に戻ってきた。4時間ほどの散策であったが色々見て回れて良かった。まだまだ観るところはあるのでチャンスがあれば他も散策してみたい。 またこの日の1日の運動量はiPhoneのヘルスケアデーターによると、歩いた距離16.3km歩いた歩数は21,887歩、上がった階数36階だった。この歳でもそこそこ歩けて自信が持てた。
2019年04月09日
いよいよ次の元号が「令和」となったが、平成最後という意味合いも含めてか、先日から立て続けに二つのOB会があった。一つは4月2日に広島で開催された広島大学工学部応用化学科根来研究室のOB会である。当時の教授や助手の先生は既に他界されているが、昭和42年から46年に卒業した者たちが6年振りに集まり旧交を温めた。私は44年卒業だが修士課程に進学していたので、全員と顔見知りである。全員が70歳を超え、それなりの風貌である。遠く千葉、群馬、神奈川、関西地区、宮崎などから参集し懐かしい話に花が咲き、また近況を話したりする。中には卒業以来の後輩もいて楽しい一時を持てた。 この様な会合に出席出来るのはある意味幸せなことだと思う。まず健康であること、家庭が円満で奥さんの理解があること、さらに遠方の場合、旅費や宿泊費など少し経済的余裕が必要で、三拍子そろっている証かも知れない。 もう一つは4月4日に日立製作所、日立研究所、旧第4部の第一回OB会である。48年前に入社して研究所に配属になったが7年で日立を退職した私には少し場違いかなとの思いもあった。しかしお会いしたい上司や同僚がいて思い切って出席を決めた。集合は14時に日立研究所講堂と案内があった。水戸に前泊しほぼ時間通りに集合。最初どうなのだろうと思ったが会場に入ると30人くらいは顔が思い出され名前も直ぐに出てきた。幹事のK氏によると120人に案内を出したが当日46人が参加しているとのこと。まず研究所企画室の責任者から日立製作所の現状と日立研究所の最近の状況紹介があった。残念ながら当時私達が研究していた絶縁材料の様な分野はほとんど淘汰され、いまやIoTやAIに関係したものが最先端として研究されているようであった。説明を受けてもよく理解できなかった。 その後展望台にあがる。ここは360度パノラマで見渡せる。目の前に、日立製作所大甕ゴルフ場その向こうに日立港が見える。東日本大震災の時、日立港では並べてあった輸出用の車が多数炎上している様子がTV画面に映し出されていたのを思い出す。今は綺麗に整備されているようだ。そこから南に目をやると東海村の原子力発電所が40数年前の姿で見え、筑波山も視界に入ってきた。なおこの展望台から写真撮影が許されるなんて思いもかけなかった。 それにしても退職した人達に会社の施設を利用させてくれるなんて、さすが日立製作所。一時期でも会社に籍を置いていたことに幸せを感じた。 その後ゴルフ場に併設されている大甕クラブで懇親会がある。お酒も入り40数年ぶりに会う同僚などと話が弾む。以外と多くの皆が歯科医になっていることを知っていて、良い歯医者の見分け方など色々なことを質問され答えに窮す。 最後まで日立研究所に席があった人はいないようで、他の工場や子会社に転勤・転出したり大学の教授になった人など様々で有った。 直接の上司のN主任研究員は今年80歳とか、毎週ゴルフなどをしてお元気そのものであった。また当時良く一緒にゴルフをしていたS君、彼は私より1年前に入社して石油タンパクなどを研究していたが、私が退職する時心配して家まで来てくれた。電話や年賀状のやりとりはしていたが、今回41年振りに初めて再会を果たす。彼も最後は大学教授、学部長まで勤めていたとのこと。 現在では女性の大学卒は本社採用もあるが私達の頃は事業所採用であった。同じ年度に入社し同じ研究室にいたN女史は2年ほどで結婚して退職したが今回出席していて現在、下野市の市議会議員をしているとか驚きである。 それにしてもこんなにワクワクして楽しかったことは最近無かった気がした。2次会にも参加しもう一泊。新幹線から残雪残る富士山を観ながら無事帰宅。 この歳になると何時どうなるか分からない。チャンスがあるときには出来るだけ出かけるのが良いのかも知れない。
2019年04月07日