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院長のブログ

健康寿命

 日本人の健康寿命をネットで検索すると2016年は男性72.14歳、女性74.79歳で、 前回調査の2013年の調査から男性は0.95歳、女性は0.58歳、それぞれ延びた。私はまもなく72歳となり健康寿命に達する。そのせいか先日、左目の白内障の手術をした。右目はすでに1年ほど前に済ましている。70歳までは手術や入院などしたことがなかったが、この手術一つをとっても老化が忍び寄って来ていると考えざるを得ないし、まさに健康寿命に近づいていると感じた。
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 一方平均寿命という言葉があるが私が生まれた1947年(昭和22年)の平均寿命は男50.06歳、女53.96歳であった。2017年の日本人の平均寿命は男性が81.09歳で女性が87.26歳いずれも過去最高を更新したとのこと。この平均寿命と健康寿命の差が介護などが必要となる期間とされている。この差を縮める事が「ぴんぴんころり」となる。
 ところで最近人生100年時代と言われ政府は働き方改革などの議論において定年を伸ばし年金の受給年齢を引き上げるなどの議論を開始している。
現在なら65歳で定年となった後、男の場合16年分の生活費でよいが、人生100年となれば定年後35年間生きていく必要があり経済面でも大変なことになる。この事を踏まえて政府が有識者会議を開いて検討を始めたことも納得できる。
 先日新聞記事で寿命100年は大いに達成することが出来るがその時の死因の1番は自殺と書いてある記事を読んでどきっとする。
 そんな矢先、呉市出身で東京で暮らす信友直子氏が監督・撮影・語りをしているドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」を観た。
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この映画は呉市に住む両親、認知症を発症した母87歳と耳が遠く95歳で初めて家事をする父と離れて暮らす一人娘の直子氏が東京と呉市を行き来して両親を泣きながら撮った1200日の記録映画である。
映画の最初の頃の画像は両親とも元気で生活している場面だったが映画が進むにつれて母親が認知症を煩い父親が老老介護をしていく場面になっていった。老老介護も限界となってきて娘の直子氏のすすめで介護保険を利用していくが、母親はヘルパーさんを拒否したり、自分が分からなくなって「死にたい」としばしば口走るようになっていく様が映し出されていた。
 正に新聞記事に書かれた様に自殺が死因の1番になるのが当たり前になるのではないかと思った。
家内と一緒に観たが、私達夫婦のこれからを見ている気がし、今から将来に向けて生活スタイルを考えていく必要を感じた。

2019年01月22日

ベトナム旅行 PART X

 朝6時にホテルを出発しダナン国際空港に行く。前回と同じようにガイドさんと別れて自分たちで手続きを行う。手続きのため順番に並んでいると中国人の女性が列に割り込んで来たので「NO」と言うと何かしら大声で文句を言っていたが渋々列の後ろに並んだ。少しでも列に隙間があれば割り込んでくるのを今迄で何度も経験したことがある。
 無事ホーチミン市につく。ここで3人目のガイドさんに迎えられる。さすが南に来たせいか気温は28度を超えて汗が出てくる。市内観光でまず向かったのは統一会堂。この建物はあまりにも歴史的に有名な建物である。
 ベトナム共和国(南ベトナム)の大統領府で1975年4月30にサイゴン市内に突入した北ベトナム軍の戦車2台がこの建物のフェンスを破り突入、ここに南ベトナムの首都サイゴンは陥落した。この時の映像は中継されていて見た記憶がある。正に1つの国が消滅する瞬間で多くのアメリカ人やベトナムの高官・家族などが米軍のヘリコプターで脱出していく様が放映されていた。
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 現在この建物は統一会堂と名を改め、庭には当時突入した北ベトナムのソ連製戦車T-54が展示されている。中には入らないでフェンス越しから見るだけの観光であった。
 次に歩いてサイゴン大教会に行く。途中何度か道路を横断するのだがバイクの数や車が多く、手を挙げてゆっくり横断した。さもないと相手はスピードを緩めないため事故になるとガイドの説明である。現在この教会は修復中でここも中に入らず外から見ただけである。
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その横にクリームイエローのサイゴン中央郵便局があり、フランス統治下に建てられた郵便局で365日休日無しでオープンしている。入ると正面の壁にホーチミンの肖像画が掛けてあり土産屋さんもあった。なお郵便ポストは黄色であった。
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昼食後ドンコイ通りの雑貨屋さんに入って見る。1時間の自由時間でスーパにも行ってみる。その後ガイドさんが観光予定にはなかった福音寺に急遽案内してくれる。この寺の池にナマズが飼われていたが「白なまず」がいるのに驚いた。寺の中を見て歩き、そこに般若心経が掲示されているのに驚いた。
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夕食まで3時間以上の自由時間となった。集合場所はシェラトンホテルのロビーとなる。どこを観光したら良いのか判らず思い切ってガイドさんにマッサージを紹介してもらう。シェラトンホテルの直ぐ近くにあり、日本語を話す従業員もいて安心だった。日本語のパンフレットも有りグループの多くの人達と行く。 家内と私はタイ式マッサージを選ぶ。ホットストーンマッサージをされる方もいた。タイ式は90分で米ドル40ドルであり都会だけあって少し高い。
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終了後、シェラトンホテルのロビーに行くが集合時間まで1時間以上あったのでホテルの近くを歩いてみる。マッサージのお陰で足取りは軽かった。
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サイゴン・オペラハウス、ホーチミン市人民委員会庁舎を見た。途中JICA
の事業として清水建設と前田建設がホーチミン市地下鉄工事を行っていた
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 シェラトンホテルのロビーに戻ったが、ロビーは広々としてとても綺麗で外国人のみが利用している様である。全員と合流し夕食会場へ。
 最後の食事はベトナム風フレンチであった。品数が少なくがっかり。サラダ、カボチャスープ、ポークステーキとデザートでイタリア旅行の時の3プレートを思い出した。
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 食後ホーチミン国際空港に行くが搭乗口集合が23:30で3時間ほどあった。他の人達は免税店など見て回られたが私と家内は15番ゲートでずっと待っていた。23時頃ベトナム航空のアテンダンドが来たがゲートにいる係員となにやら話していたが全員が引き上げるのを目撃した。あれ何と思い急いで私も係員の所に行きチケットを見せると搭乗口が変更になったという、電光掲示板を見ると18番ゲートになっている。何人か近くにいたグループの人に知らせ18番に移動する。そこでまた電光掲示板を見ると今度は22番ゲートと表示されている。さらに22番ゲートで待っていると再度変更となり、12番ゲートと表示されしかも出発時間が1時間40分延びて2時(日本時間午前4時)だという。さまよえる乗客という感あり。文句を言う気力も無くひたすら待ち、結局1時間30分遅れで出発となる。何と朝から21時間30分も起きていたことになる。
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 関西空港までほとんど寝れなくて、空の上から平成30年最後の日の出を見て無事関空着陸。「はるか」・「こだま」と乗り継いで我家に12月31日12:40頃帰り着く。結局32時間ほど寝てないこととなりしかもハプニング続きで大いにくたびれた。でもベトナムにはまた行ってみたい。

2019年01月06日

ベトナム旅行PART W

 起床時から雨、それもかなり強くなったりしている。朝食後バスにて古代チャンパ王国の聖なる遺跡ミーソンに行く。ここは1999年に世界遺産に登録されている。途中ガイドさんからホイアンは昔港町で、徳川幕府が鎖国政策を取るまでは千人以上の日本人が住んで日本人町を造っていたが外国貿易禁止令に従ってほとんどの日本人が帰国したとのこと。ミーソンへ向かう途中の田んぼの中に谷弥次カ兵衛と言う人の墓があり、彼は日本に帰国する際ホイアンの彼女に会うためこの地を訪れたとき倒れ帰国出来なくなりこの地に骨を埋めたとガイドさんが説明してくれた。日本とベトナムの繋がりの深さを知った。
 ミーソン遺跡に到着。結構雨が激しく入り口から遺跡まで徒歩、電気自動車で行くが靴の中まで水が浸みてきた感あり。
 ガイドさんの説明によるとベトナム戦争当時この地域にはベトコンの兵士が多数潜んでいたことから、アメリカ軍B-52の爆撃を受けて遺跡の3分の2が破壊されたとのこと。現に爆弾の破裂した穴が保存されているし、米軍の爆弾2個も発掘されて展示されていた。
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 遺跡そのものはアンコールワットの遺跡にかなり似ている感じがした。建物はレンガ造りであるがレンガとレンガの間にはセメントなどの接着材が使われていないとのこと。時間の関係でほんの一部しか見ることが出来なかったのが残念である。

 その後、休憩所のような所に戻り横のステージでチャムダンスショーを見学した。男性が縦笛を息継ぎなしで長時間演奏するのには会場から大きな拍手が上がった。
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 バスにてホイアンに戻り旧市街を散策、ここも治安が悪いのでショルダーバックは前に持ってきて行動するように注意を受ける。
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福建会館を見学した。ここは元々中国福建省から来た商人達が17世紀に建てた中国人の集会場で中に天后聖母が祀られている。
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その後日本橋(別名来遠橋・・・論語の「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」から名付けられたという説有り)を見た。1593年に建てられ、日本人町と中華街とを結ぶ橋だと言われているが、確固たる証拠はないとのこと。屋根付きの石橋で現在ベトナム2万ドン紙幣の絵柄になっている。写真では右手が中華街、左手が日本人町と言われている。
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昼食後絹織物製造所とランタン製作所を見た。絹織物製作所では実際に蚕が桑の葉を食べて成長し繭を作りそれを湯煎して絹糸を製糸する様子を見た。その後夕方まで自由行動となる。
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通りの一角で結婚式の前撮りをしているカップルに遭遇、写真に納めたりかって、日本人町があったとされる地区に長崎市から送られた山車の朱印船が飾られていた。
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夕食後ナイトマーケットを見に行く。カエルの串焼きを売っていた。正に飛び出した格好をしていた。
 明日は6時出発のため8時前にホテルに帰ってきたところ、上の階で大音響のカラオケ大会をしている。聴けばベトナムの人達の忘年会とのこと、9時までは我慢しようかと思っていたが、同じツアーの方達がホテルに文句を言って部屋替えをしてもらった。思わぬハプニングであった。明日はいよいよ最後ホーチミン市(旧サイゴン)の観光である。
続きはPART Xへ

2019年01月05日

ベトナム旅行 PART V

 朝4時半起床し、ロビーに5時集合、直ぐにバスで空港に向かう。朝が早すぎてホテルの朝食が間に合わずバスの中でパンとモンキーバナナとヨーグルトの朝食を食べる。ガイドさんが搭乗カウンターまで案内してくれわかれる。そこから先は我々だけでチケット発行、スーツケースの預け入れをした。さらに外国人の我々はパスポートチェックを受け、手荷物検査場では靴まで脱いでチェックを受けた。その後搭乗して予定通りベトナム中部のフエに10時頃到着。
 新しいガイドさんが空港に迎えに来てくれており、今度のバスは新しく立派である。すぐにフエ市内の観光が始まる。まず世界遺産のフエ王宮に行く。
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ここはベトナム王朝最後の王都として栄えたところだがベトナム戦争の時アメリカの空爆などで王宮の多くの建物が焼失し一部修復中の建物もあったが、壁などは今も黒くすすけたままである。ベトナム戦争はベトナムの南北戦争で当時の世界情勢から起こるべくして起きた感があるが、フエが丁度南北境界線に近く戦闘は激しかったと想像できる。
 その後、輪タク(シクロ)に乗って昼食の為レストランにむかう。乗り心地はまあまあである。宮廷料理と称されるものを食べる。本当の宮廷料理なら50〜100品ぐらい有るのだが我々は10品目を食べた。料理と言うよりも人参や色々のもので飾りを造りお皿に盛られて綺麗であった。もちろん飾りは食べてはいけないのだとか。
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昼食後はティエンムー寺に行く。フエで一番古いお寺で1601年創建の七層八角の塔が有り、ベトナム戦争当時、政府に抗議するためサイゴンに行き焼身自殺をした住職の車が展示されていた。この焼身自殺の話はニュースで聞いた記憶がある。寺の周りには土産物店などがあった。
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その後バスにて12代皇帝が眠るカイディン廟に行く。1920〜1931年の12年間を掛けて建設され精巧な建造物に壮麗な装飾がなされさすが王廟である。様式は中国を模していると思われた。
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その後バスにてダナン経由で宿泊するホテルのあるホイヤンに移動する。ここはランタンで有名で街のここ彼処にランタンが飾られている。夕食は海岸べりのレストランでホイアン料理を食べリゾートホテルにチェックイン。このホテルは2連泊である。
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 ところでホテルのトイレに入ったところトイレットペーパーは便器に流さない様に書いてあり驚く。家内に聞くと海外では良くあることだという。今迄私は気付かないで流してきた。その後気を付けて色々の所の便所を覗くとそのようで有る。ホーチミン国際空港のトイレでさえもその様になっていた。良い勉強をしたと同時に何と日本は素晴らしいと改めて思った。
またマッサージをしに行く。今度は1人25米ドルであった。
続きはPART Wへ

2019年01月04日

ベトナム旅行 PART U

 今日は午前中世界遺産のハロウ湾観光である。このハロウ湾はベトナム戦争の引き金となった1964年のトンキン湾事件で有名なトンキン湾の中に有る。
ベトナム随一と言われる美しい景観で多くの観光客を魅了する人気スポットと言われている。しかし残念ながら雨天の予報が出ており、空は曇って少し海霧が出ていたので、観光案内パンフレットにあるエメラルドグリーンの海にはほど遠かった。 
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切り立った岩肌を見せた島々が点在する光景は「海の桂林」とも呼ばれ、正に以前訪れた中国の桂林に似ていた。その特徴は島が石灰岩で出来ており、長い時間をかけて雨や海水に侵食されることで出来たとのこと。クルーズ船による観光であるが我々は3時間コースのクルーズで有った。時間のある人には1泊クルーズも用意されているとのこと。
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 島の形が千差万別で有りその中でも有名な闘鶏岩を間近で見て、その後鍾乳洞の有る島に上陸しティエンクン鍾乳洞内を見学する。丁度乾期に当たるため内部は水がほとんど無く歩きやすかった。昼食を船の中で海鮮ランチを食べる。
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 その後バスにてハノイに戻り観光をする。まず元ベトナム国家主席ホーチミンの遺体を安置しているホーチミン廟を訪れた。綺麗に整備され廟の入り口には警備員が微動だにしないで直立不動で立っていた。その後セントジョセフ教会(ハノイ大教会)へ歩いて行き、内部には入らないで外から教会を眺めた。この教会はフランス植民地時代の遺産であり、1990年に現在のネオゴシック様式に改装されたとのこと。
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 その後直ぐ近くのホアンキエム湖に行く。此処でガイドさんから15世紀にベトナムが明に支配されていたとき、竜王からもらった剣で明を撃退した。その後、湖から亀が現れ剣を竜王に返すように言って剣を湖の中に持ち帰ったと言う「環剣伝説」を話してくれた。
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 また旧市街は治安が悪いのでショルダーバック等が背中側にあるとスリに遭ったり、カミソリで切られるので用心するように注意を受ける。早速バックを前の方にして旧市街を歩きレストランに行く。夕食は生春巻き等のベトナム名物料理とのこと。夕食後ベトナム伝統の水上人形劇を鑑賞する。この中の演目にも「環剣伝説」演じられていた。
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 その後ホテルにチェックインする。明日はハノイからフエに国内線で行くためチェックアウトが5時と言うことで有ったが、少し時間的余裕があったのでガイドさんにお願いしてマッサージに連れて行ってもらう。チップ込みで1人30米ドルであった。続きはPART Vへ

2019年01月03日

ベトナム旅行 PART T

 12月25日午後から休暇をもらってベトナム旅行に出かける。2年振りの海外旅行である。家内が左膝人工関節置換術をして1年経過した。かなり歩くのもスムーズになったので旅行に行こうと思い、ネットで検索したところヨーロッパやエジプト等はほとんどがキャンセル待ちの状態、たまたまクラブツーリズムの「魅惑のベトナム6日間」というツアーが空いており申し込んだ。
コースは関空・・・ハノイ・・・ハロン湾・・・フエ・・・ホイアン・・・ミーソン・・・ホイアン・・・ダナン・・・ホーチミン・・・関空で、ベトナムの北から南までの縦断旅行である。
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 26日朝8時30分関西空港団体受付コーナーに集合と有り、当日尾道発では間に合わないのでホテル日航関西空港に前泊する。
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 1時間以上並んで搭乗券の発給を受け出国審査をして予定通りベトナム航空直行便で関空を出発、一路ハノイに向かう。飛行機は満席であった。5時間半をかけハノイ着、その後マイクロバスにて4時間かけてハロンに行く。高速道路が最近出来たらしいが通行料が高くて一般道路を走る、ベトナム人の現地ガイドが空港で迎えてくれる。此処ではじめてツアー参加の仲間が顔をあわせる。夫婦のカップルが3組、親子のカップルが1組、友人が急遽キャンセルになりお一人で参加の人とあわせて9名の団体である。少ない団体だったのでマイクロバスの席をゆったり贅沢に使えた。ガイドさんはハノイ大学日本語コースを卒業されており日本語は堪能、安心する。
 途中ベトナムの現状を話してくれる。現在ベトナムはあちこちで建設ラッシュが進んでいる。近年の中国での人件費の高騰や、政府の締め付けなど様々な問題で中国から世界の工場が引き上げ他国に移転している。その恩恵を受けているようで多くの日本企業も進出しているとのこと。
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 昔、日本は東京オリンピックに向かって高度成長期としてずいぶんと発展したがそんな勢いを感じた。ガイドさんの話しではベトナム人の平均収入は3万円程度であり、私が大学を卒業した頃学卒の初任給が3万円弱であった。また交通事情はバイク天国で各家庭に2〜3台はざらとのこと。それでも20年くらい前には自転車が主流であったとか。日本では昭和40年にトヨタがカローラを発売したことにより自家用車時代が始まったが、ベトナムが日本の様に車社会になるにはまだ20〜30年くらい掛かりそうである。そう思うと昭和40年代の日本と同じくらいかなと感じた。またハロンに行く途中の畑には多数の牛が草を食んでおり、ベトナムでは米は二期作で2月になると水田の代掻きに活躍するとか、農業はまだほとんど、機械化されてないようだ。
 ハロンに入るとハロン湾が世界遺産に登録されたことも有り別荘、リゾートマンションなどが此処彼処と建設されていて、多くが中国資本とのこと。
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 レストランで夕食を食べる、ビールはハノイビールを飲むが330mlが3ドルである。ベトナムの通貨ドンも有るが旅行者は米ドルが使いやすい。ドンは桁数が多く日本円との換算では二桁削除後0.5を掛けるとおよその日本円が出る。写真の10,000ドンは日本円の50円相当である。この旅行中どうしても米ドルのおつりが無い時ドンをもらったがほとんど米ドルで済ませた。ホテルにチェックインした時は日本時間で23:30(現地時間21:30)を廻っていた。ホテルの部屋や設備はまあまあ良かった。続きはPART Uへ

2019年01月03日

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