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「南京事件」とは何?

 昨年1月頃ビジネスホテルのアパホテルに南京事件否定の本が客室にあると中国人観光客が騒ぎ出し、中国政府まで問題にした事件があった。折しも2017年12月13日は旧日本軍が中国の首都・南京を陥落させてちょうど80年であった。そのようなことも有って1年かけて南京事件に関する本11冊を読破した。
 私が高校で習った日本史の教科書には「南京事件」の記載は無かった。最も高校の授業では、世界史は昭和の初めまで、日本史は明治時代の途中で尻切れトンボになりほとんど現代史は習わなかった。そのせいか広大入試で中華人民共和国の成立年を問う問題があったが不正解であった事を今でもはっきりと覚えている。
その後、いつの頃か「南京大虐殺」などの言葉を耳にし、事件があった、無かったの論争を知るようになった。そこで実際のところどうなのかと思い、この度たくさんある本から適当に拾い出しアマゾンで注文して読んだ。
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 北村稔『「南京事件」の探求』の中に『虐殺派・・・第二次世界大戦後の南京と東京の軍事裁判の判決に準拠して「南京事件」を告発する人』、『まぼろし派・・・南京と東京の軍事裁判の不当性を主張し、これらの裁判の判決文に描かれるような南京での「大虐殺」の不在を主張する人』、『中間派・・・必ずしも「虐殺派」か「まぼろし派」に区別出来ない人』と分類しこれらの人々の間で議論百出していると書いてあった。
 南京事件では東京裁判の判決が重要である。しかし此の裁判は戦勝国が敗戦国日本を裁いたもので、日本側が提出した証拠書類の多くが不採用となった。
ところが東中野修道『南京事件・・・国民党極秘文章から読み解く』を読んでみると驚くべき事実が書いてあった。特にマンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員であったティンパリー記者が執筆し、1938年7月に出版された「戦争とは何か」という本は中華民国の対敵宣伝本で、彼自身は国民党中央宣伝部の顧問であり日本を貶めるために書かれた本であることが10数年前に明らかになった。また東京裁判に出廷し、第三者的立場で証言したマイナー・ベイツ教授は「戦争とは何か」に書いてある通りの証言をし、その内容が証拠として採用されたが、彼もまた実は国民政府の顧問であった事がわかり、その証言の信憑性も怪しいと思われる。その他にも国民党は世界に向けて日本の非道を宣伝するために、多数の欧米人に本を書かせ日本の非道を訴えさせた。今もそうだが、当時の日本は情報戦で完全に負けていたのだと思う。
 今の日本は三審制で地方裁判所の判決が不服なら高裁、さらに最高裁へと上告できるが東京裁判は一審性の為新しい事実がわかってもやり直しがきかない。
また東京裁判ではA級戦犯(平和に対する罪)、B級戦犯(通常の戦争犯罪)C級戦犯(人道に対する罪)として3種類に分けて裁かれた。日本人の多くがA級は一番罪が重く、次がB級だと考えている人が多いいようだが、A・B・Cは罪の軽重では無く、罪の種類を表す記号にすぎない。
ここで一番問題視されることは事後法と言って、東京裁判をするために急遽新たな法律が作られA級と、C級戦犯の考えが付加された。この法律は簡単に言ってみれば読者のみなさんが交通違反をして警察に捕まったところ、今日から交通違反者は死刑という新たに法律が定められたと告げられ死刑にされることと同じである。これに反対したのがインドの代表パール博士である。
 日本で南京事件が多くの国民に知れ渡ったのは朝日新聞記者本多勝一氏の「中国の旅」(昭和46年刊)という今では噴飯物の本がきっかけだったとネット上などに出ている。彼は中国に取材に行ったが全く裏を取らないで中国共産党に紹介された人々の話をそのまま載せたとか、写真も提供された物を載せ後になって間違いを認めたなどとネットに出ている。
このあたりの朝日新聞のやり方はまさに現在問題になっている慰安婦問題と同じやり口だったと思う。吉田清治氏が捏造して書いた記事で「日本軍の強制連行」が一人歩きし、今や世界中で「性奴隷」として広まっている。この件に関して朝日新聞は数年前に謝罪したが後の祭りである。
 南京事件については読者がそれぞれ「有る」・「無し」を判断すれば良いことで私自身は11冊の本を読んだが、戦争中のことで有り、書いてあるような殺人、強姦、略奪、放火が無かったとは言えないが、20万人、30万人もの人が虐殺されたというのは少し違うのでは無いだろうかと思った。いずれにしても今まで素通りしていた現代史を少しかじれて良い勉強をさせてもらったと思う。

2018年01月17日

年末年始

 今回の年末年始休暇はいつもとちがって結構大変であった。通常、年末年始の休暇は旅行などに出かけて家に居ないのだが、今回は12月28日に家内が膝関節手術を終えて退院した。やもめ暮らしは終了したのだが、かえって忙しくなる。
 病院で少しリハビリをしていたおかげでトイレに行くことと、お風呂に入ることは何とか自立できている。しかし歩くのは中々大変そうですぐ「しんどい」と言ってベットに横になる。起きていても少しの時間だけである。いったん座り込んだりベットに寝てしまうと起き上がったり立ち上がるのが大変。
 家内の部屋と私の部屋は離れているので何かあればすぐ携帯電話が鳴って呼び出される。また居間に一緒にいても必要な物がとれないので「お父さんあれ取ってと言われる」しかし『あれ』と言われても困る「あれって何なー」と聞き返す。私もそうだがこの年になると中々対象物の名前が出てこない。認知症が始まったのではと思う。
 やもめ暮らしの時は、晩ご飯でも簡単に自分が食べたいもので済ませていたが、家内は缶詰はいやだとか言うし少し手をかけなくてはならない。幸いお正月用に通販で「おせち料理」を買っていたので31日夜からそれをつつく。おせち料理は4〜5人分有るため、結局3日の朝まで食べれた。お餅は1月1日の朝オーブントースターで焼いてお雑煮で食べただけである。後は頂いた年越しそばを何回かに分け、茹でて食べる。こういうことを一度もやったことはなかったが、家内に指示されながら何とか食事が出来た。明日から仕事に出かけるがどうなることやら。
 家内は入院中、病院の廊下を歩いて売店まで行ったりし、少しはリハビリに役立っていた。しかし帰ってからはほとんど寝ているのでこれはいくら何でも拙いだろうと思い、1月2日にドライブに連れ出し向島を一周した。5日ぶりに外の空気を吸ってもらった。しかし1時間助手席に乗っていただけで足が痛くなったいと言うので早々に引き返す。
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 翌3日は少し歩いて貰おうと思い、三原のイオンに買い物に出かけ、買い物用の押し車を推させながら歩いて買い物をする。少なくとも床には段差がないので歩きやすいが買い物客が多く、ぶつかられて転んだら大変と気を遣う。
 やはり帰ってから、足が痛いと何カ所かロキソニンの湿布薬を貼る。それでも手術以来初めて寝返りが出来たと喜んでいる。少しずつではあるが良くなっている。
 家内が「お父さんこの休みは私への奉仕で終わったね」と言う。「いえいえそんなことは無いよ」と言いながらよくわかっているじゃんと内心思った。
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 ところで元日以来3日に一時雨がぱらついた物の穏やかなよい天気が続いている。私は元日の初日の出を家の前の岸壁で見た。日の出の光が雲に反射してまさに旭日旗を思い起こさす感じがした。太陽の光が尾道水道に反射し、また私の体に陽が当たった瞬間に暖かさが感伝わってきて太陽の恵みという物を改めて感じながら手を合わせた。
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 一日中陽が差して冬とは思えない、たいていは午前中晴れても午後は曇るのが冬の天候というイメージがあったが元日は夕日も綺麗で、日の入り時刻には東の空に十四夜の月が出ていた。3日は昼から少し曇って雨が降った以外、本日4日も朝からずっとよい天気で有り、この様な穏やかな日が1年間続いてくれればよいが、世界情勢悪化、天変地異など起こらなければと思う次第である。

2018年01月04日

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