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毎年、年の瀬を迎えると新聞やTV等で国内・海外の十大ニュース特集が組まれていて、それを見ながらそういえば今年こんなことがあったなと思い出させてくれる。それで例年ブログにも我が家の1年を振り返って書くのだが、老夫婦2人だけの生活ではとても10個もニュースはない。書けるだけ思い出しながら書いてみよう。 1、 私と家内がサイボーグの仲間に。 10月の終わりに私は白内障の手術をして人工レンズを入れ、家内は11月の終わりに左膝に人工関節を入れ、まさに2人ともサイボーグの仲間入り。サイボーグと言えば石ノ森章太郎のSF漫画『サイボーグ009』を思い出すが、医学が進歩したことによりQOLが保てるようになり感謝である。 2、 相次ぐ海外旅行キャンセル 今年の正月はマレーシア・クアラルンプールで迎えた。以前我が家にホームステイしていたA子に子供が生まれたのでお祝いに出かけていた。そしてA子達は結婚式をあげていなかったので、10月1日にインドネシア・バリ島で結婚式をするというので準備をしていたら、出発5日前に火山が爆発しそうだと警戒レベルが最高に引き上げられ、結婚式は延期、バリ島行きもキャンセル。結局火山は12月5日に爆発。そして12月22日からは家内とペルーのマチュピチ、アスカの地上絵、イグアスの滝を観に行く計画を立て準備万端にしていたが、家内の膝の手術でこれもキャンセル。今年は運がなかったと諦める。 3、 孫達の成長 私には4人の孫娘と1人の孫息子がいる。4人の孫娘が今年全員小学生になった。一番上の孫娘は6年生で来年中学受験をするとか。長男一家は沖縄に6年前に移住したため中々孫には会えない。5月の連休に長男一家が里帰りをしてくれるのでその時だけ会えていた。しかし9月の終わりに家内と2人でバリ島旅行の代わりに連絡なしで沖縄に行き孫達に再会。皆元気であった。中でも唯一人の孫息子は4歳になりいよいよ「ガンボタレ振り」を発揮している。そして沖縄では学校が2学期制のため前期の終わりに秋休みがある。10月に秋休みを利用して2番目と3番目の孫娘達が私達に会いに来てくれ、今年はいつもにもなく孫達と会えて良かった。ついでに9月に行ったとき長男の診療所も初めて見学でき、親として一安心した。 4、 齊田家のルーツ調査 昨年から埼玉の行政書士さんにお願いし、齊田家のルーツを調査して貰っていたが、この3月家系図が巻物として完成した。父方と母方両方の系図が判り良かった。NHK番組「ファミリーヒストリー」ではないが今回系図が判り、私が今迄に父親。母親から聞いていたこと等を息子たちに話せた事で息子や孫達に良い土産(財産)が残せた物と思う。さらに祖母のお墓も見つけ出すことが出来て良かった。 5、 古希を迎える。 二人とも今年は古希を迎えた。「古来まれなり」と言われている。そして「国民健康保険高齢受給者証」が贈られてきて、いやが上でも高齢者と認識させられた。しかし井原市の名誉市民である彫刻家、平櫛田中の言葉に「六十、七十、洟垂れ小僧男盛りは百から、百から」と言うのがある。私も家内もサイボーグになったのだから彼の言葉のように元気で百歳過ぎまでは生きよう。 6、 東京はとバス観光 6月とお盆に2回東京に出かけ「はとバス観光」を楽しむ。東京スカイツリーや国会議事堂巡り、横浜中華街の散策、ボリショイサーカス鑑賞など観光だけで東京に行ったのは結婚以来初めてである。その他山口の津和野に日帰りバス旅行に出かけた。こんな時ぐらいしか中々夫婦の会話が弾まない。 7、 歯科医師会関係の役職をすべて終了したのだが・・・ 5月31日を持って県歯関係の役職を離れて体も、時間も少し余裕が出来た。そのような事を見越してか2月には広島県歯科医師会創立110周年記念式典において役員功労賞を頂いた。ところが、今度は出身大学である、北海道医療大学歯学部同窓会の副会長を引き受けさせられる。今のところ大して活動することもないがやはり責任は重大であると認識している。 8、 家庭菜園での野菜作り 今年も春先から目の手術をするまで色々野菜を育てて収穫をする。夏などは朝早くから起きて世話をしたりするが楽しくて仕方ない。また収穫できる喜びも有り、人生輝いていると実感出来る。体が動く間少しの面積でも良いから続けて行きたい物である。 ここまで書いて次が出てこない。年をとるとそれだけ行動範囲等が狭くなり 十大ニュースに相当する物がなくなってきた感あり。 それにしても1年間を振り返ると何でこんなに時の経つのが早いのか恐ろし くなる。ただただ来年も良い年であることを願うだけである。
2017年12月26日
尾道水道に面した街に住みだして2年弱になる。以前は街から7キロほど入った周囲に田んぼがある三成の診療室2階に30年程住んでいた。裏の家庭菜園で野菜などを作ったりしていたが、時折カラスに収穫前のトウモロコシやスイカなどを食べられたりして、この野郎と思ったがそんなにカラスが多くいるとは思わなかった。 童謡「七つのこ」の歌詞は 『烏 なぜ啼くの 烏は山に 可愛七つの 子があるからよ 可愛 可愛と 烏は啼くの 可愛 可愛と 啼くんだよ 山の古巣へ 行って見て御覧 丸い眼をした いい子だよ』である。 この歌詞によればカラスは山に巣があって夕方ともなれば「カアーカアー」と鳴きながら飛んで帰るというイメージをずっと持っていたし、三成に住んでいたときはその情景そのものであった。 ところが最近夕方になると、住んでいるマンションの近くでカラスが大声でなきさけぶ。見ると近くのマンションや、NTTの電波塔等の廻りに多数が集結し、車の音などに驚いて廻りのマンションの屋上から一斉に飛び立つのを見るとその数の異様さに度肝を抜かれる感じがする。 まさにヒッチコック監督の「鳥」という映画を思い出す。 マンションの裏には山もあるし、尾道水道の対岸にも山もあるのだが、そこには帰らないでどうやらマンションの屋上や電波塔などをねぐらにしているようだ。
冬至も近い今頃は日の出も遅く朝6時半頃はまだ薄暗い。しかしNTTの電波塔を見るとカラスがとまっており「カアーカアー」と鳴いている。 街は人口も多く人間が出すゴミなども多いし、また尾道水道にはあちこちに小さな漁港が点在しており、漁師さんがとった魚のおこぼれにもありつけカラスにとっては食料には困らないのかも知れない。 カラスは賢いと言われており、山から出てくるよりはマンションの屋上をねぐらにする方が手っ取り早く効率良くえさにありつけることを学習したのかも知れない。 それにしても私が小・中学生の頃とは廻りに生息している鳥たちの種類が変わってきているように思う。 昔、夏にはトンビが空を悠々と舞っていて、高い松の木の上の方に巣を作っていたが、昨今トンビを見ることはほとんど無いと言うより皆無だと思う。 また近くの栗原川にはかなりの数の白サギが潮の満ち干に合わせてやって来てはえさをあさっている。中には一回り大きなアオサギを見ることもある。子供の頃このような光景を一度も見たことがない。今では尾道水道で時折、海鵜も見る事がある。 そして海から5キロほど奥に入った川や池では、子供の頃カイツブリくらいしか見たことがなかったが、今では渡り鳥の鴨などが泳いでおり、本当に様変わりした感じがある。 たぶん昔は水田に多くの殺虫剤をまいたりしていたが今は薬剤散布がかなり減っているために環境が良くなり、小さいころに見たこともない鳥などが繁殖しているのかも知れない。 うちの近くのカラスなどもこれだけ増えてくると、近い将来「糞害」が問題になってくるのではないだろうか。
2017年12月17日
先日、家内が左膝の人工関節置換手術を受け入院した。20歳のころ転倒して左の膝の半月板損傷で半月板を除去し、筋肉を鍛えたりしながら何とか50年生活してきた。しかし最近いよいよ痛みが増して歩くのが不自由となり手術を決断した。どうしても入院は1ヶ月程必要で有り、その間私は独り暮らしとなり「やもめ」状態となった。 結婚以来今迄、家事などほとんどしたことはなく、家内に任せきりであった。入院する1ヶ月前くらいから食後の後片付けで茶碗や鍋などの洗いものをするようになった。 しかし電子レンジ・IHクッキングヒーター、洗濯機など最近の物はスイッチなどのボタンが多く、使い方もよく判らない。1回だけ家内に習ったがすぐ忘れてあれこれトライする羽目になった。 入院中の一番の問題は食事である。短期間なら良いが1ヶ月ほどの長期間一人暮らしである。 昔40数年前、家内が長男出産のため尾道の実家に帰省した時2ヶ月半ほど一人暮らしをした事がある。当時コンビニもスーパーもない時代で社宅アパートは日立市の片田舎に有りもちろん大衆食堂もない辺鄙なところにあった。そのときは同じアパートに住む同期入社のS君と話し合い、家内が尾道に帰省している間、私はS君の家で夕食を食べさせて貰う。4ヶ月ほど後にS君の奥様が出産のため実家に帰られたとき我が家でS君の夕食を提供し、お互いそれほど不自由は感じなかった記憶がある。 今回は家内が入院前に魚や総菜の缶詰、野菜缶ジュース、電子レンジでチンするだけで食べられるご飯やカレー、インスタントの味噌汁、カップラーメンなどずいぶんといろいろの種類をとりそろえて沢山買い置きをしてくれているのでその中から見繕って食べることになった。 朝はパンと牛乳とちょっとした物、昼はお弁当屋さんの弁当、夜は家内が備蓄していてくれた物や家庭菜園の大根を収穫しておかずとして食べている。また時折近くのスーパーでちょっとした物を買ってきたりしているが、時々息子の嫁が仕事帰りに1〜2品おかずを持たせてくれるので有り難い。 また色々の支払いは引き落としになっているがそれでも引き落としになっていないものの支払いとか、お歳暮のお礼状とか諸々のことも今迄は家内にこれやっといてと言うだけで済んでいたが、1人になって色々のことを仕事の合間にするのが結構大変だ。 それにしても古希を過ぎた我々老夫婦だけの世帯では遠からずどちらかが先にあの世に行くことになりこの様な「やもめ暮らし」が必ず訪れる。私が先なら、家事にたけた家内は私の世話もしなくてすむし問題ないが、私が後なら、今回のようなことが突然にやってくると大変である。今現在、予行演習をしているのだと思いながら色々のことを学ばせて貰っている。昔から「男やもめに蛆がわく」という言葉があるがそうならない様に頑張って、家内が早く良くなって復帰してくれるのを望むばかりである。
2017年12月07日