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木・日・祝日
秋も深まりまもなく晩秋にかかろうとしている。我が家の家庭菜園では秋の収穫が始まった。と言ってもサツマイモと柿とカボチャである。サツマイモは「紅はるか」と「安納いも」の2種類を植えていた。サツマイモの作付けは今年で3回目であったが、なにぶん素人である。6月に植えたときは毎日のように水やりをしていたが、それでも何本かは枯れて植え直しをして何とかこの秋を迎えた。 この秋は雨が多く収穫時期を見極めるのに苦労した。下手をすれば芋が水太りで亀裂が入ったりするしタイミングが難しかった。7日〜11日に沖縄の孫2人が秋休みを利用して尾道にやってきた。それで芋掘り体験として一畝を掘り起こして一緒に収穫をした。そこそこ大きくなっており個数もまあまあの収穫があった。残りは日を改めて休みを利用して収穫した。 また柿は技工室の前に西条柿、畑の横に次郎柿を植えているが今年は次郎柿が大豊作であった。柿はものぐさな私にとって便利な果物である。肥料もせず、消毒もしない。ほったらかしで実がなるのが素晴らしい。 仕事の合間を縫いながら4日ほどで「おれい柿」5個ほど残してコンテナ5杯分の収穫をした。家内と私二人ではとても食べ切れる量ではない。家内は干し柿にすると行って60個ほど皮むきをして干した。また冷蔵庫にも少し保存した。従業員さんやご近所に配ったりしたが、それでも処分しきれなく、「ご自由にどうぞ」と書いてコンテナごと待合室に置いた。患者様には好評であった。 なお収穫した柿の中に生育途中で合体したのかよくわからないが、一つのへたから2個の柿が出来ている様に見える奇形種があった。
芋と柿を沖縄の孫達にも贈って喜ばれ、食べている様子が家内のLINEに届いたようだ。 カボチャは2本苗を植えたが「ひょうたんカボチャ」だけが枯れないで実をつけた。今迄に4個ほど収穫したがまだ畑には10個ほど有る。これからの時期果たして黄色になって収穫できるかどうかわからない。味はそれほど良いとは思えないがそれでも食卓を賑わせてくれるのでありがたい。 今、畑では大根、人参、ごぼうが少しずつ大きくなっている。タマネギは苗が少し大きくなってきたのでもう少しで植え替えの時期を迎える。大根は11月の終わり頃から収穫可能であろう、人参やゴボウは春まで待たなくては。 畑仕事をしていると近くの人たちが来てあれこれ知恵を授けてくれる。有り難いことである。ただ古希も過ぎてくるとあれやこれやと想いは巡るのだが体が思ったほど動かずもどかしい。気分転換を含めてこれからも家庭菜園を続けて行こう。
2017年10月29日
昨21日(土)ANAクラウンプラザホテル岡山にて全歯懇(全国歯科大学同窓会・校友会懇話会)が開催され出席した。と言うのもこの9月から出身校の北海道医療大学歯学部同窓会の副会長に就任した。7月に大学の父兄後援会支部長会議で札幌の行った際、同級生で同窓会長のM先生より「齊田先生、尾道歯科医師会会長も退任されたことだし少し同窓会を見て欲しい」と言われ、夜中まで飲みながら頼まれたことによる。何で今更と思ったのだが同窓会の会員の中では最高齢であり、永く生きてきた経験を活かして欲しいとのことで引き受けた経緯がある。 当日M会長と専務理事のN先生が北海道から来られて合流。出席の各大学同窓会の役員の先生方の蒼々たるメンバーに驚き圧倒される。 最初、懇話会として兵庫県立大学大学院教授の筒井孝子先生による「地域包括ケアシステムにおける医療、介護、生活支援の在り方・・歯科関連専門職の役割と課題・・」と題して講演を頂いた。 地域包括ケアシステムを巡る背景として、今後多死化が進み人口の急激な減少が起こる。50年後には今より4000万人が減り、働き手がいなくなる。その過程で2025年問題があり、私を含めた団塊の世代が全員後期高齢者になり、医療と介護の供給が追いつかなくなる見通しがある。そこで高齢者が住みなれた地域で自分らしく生活を続けられるように医療・介護・福祉・保健の他職種が連携し、地域で支え合う仕組み「地域包括ケアシステム」を推進することが求められている。 尾道においても7つの生活圏域に分かれネットワークの構築が進められている。私も北部圏域ネットワークのコア会議メンバーとして名を連ねているが、この地域包括ケアシステムに歯科がどのような立ち位置でしかもどのように関わるか悩んでいたところ、この講演でヒントをもらった感じである。 また二人目の演者は日本歯科医師会常務理事の小玉剛先生で「地域包括ケアシステムにおける歯科の立ち位置」と題して講演された。日本歯科医師会は平成元年から8020運動を展開し80歳で20本の歯を残すことに取り組んできたが、現在8020達成者は50%を越えるまでになった。しかしそのことが新たな問題を引き起こしている。認知症になったりして口腔機能管理が出来なくなり、残った歯が虫歯になって歯が根元から折れたり、感染を起こしたり、より悲惨な状態になってきている事実がある。これにどう関わるかという事で「食の支援」、「多職種協働」、「認知症対応」などやるべき事は多くあり、これからの仕事に参考にしていきたい。 その後会場を移し懇親会が行われ楽しいひとときを過ごした。
2017年10月22日
A子の結婚式がバリ島の「アグン火山爆発」の恐れが高まり結婚式が延期になったことは前回のブログで書いた。出席予定で休暇を取っていたので、その休暇(9月28〜30日)を利用して代わりに沖縄の息子のところに行った。 2年前、息子は沖縄で「みのる歯科」を開業したのだがまだ1度も見に行ったことが無く、家内と様子を見に行くことにした。息子たちを驚かそうと思い事前に連絡もしないで行く。空港からタクシーでホテルに寄りチェックインしてすぐに向かう。 途中米軍那覇軍港横を通ったときタクシーの運転手さんが「今すぐにアメリカと北朝鮮が戦争をすることは無い」と言う。「どうして」と聞いたら埠頭に物資が山積みになっていない。戦争をするのであれば、ここに物資が山積みになると言うのである。なるほどと思う。 息子の診療所に着いて家内が保険証を出すと受付の子が怪訝な顔をして診療室に入っていった。まもなく息子が出てきて、「どしたん」とあまり驚きもしないで言うのでこちらも拍子抜け。診療室内部を見たり、待合室の雰囲気を感じたりして1時間ほど過ごす。 待合室に乳児医療の案内が張ってあった。尾道では小学校6年生卒業迄では1医療機関につき通院1日500円の一部負担で4日間でマックス2000円の負担となっていた。この10月1日から親の収入にかかわらず中学3年生終了までにこの制度が拡大された。 ところが沖縄では中学卒業まで一部負担金なしとある。政府からの手厚い補助金があるので可能なのであろう。沖縄の出生率はダントツの日本一である。これも手厚い政策があるからだと感じる。尾道もだいぶ近づいてきているが沖縄並みになればもう少し人口が増えるのかもしれない。 木曜日だったので孫達も塾が有ったりしてゆっくり話せなかった。翌日は「ゆいレール」の1日券を買ってまず首里城公園に行く。首里城駅から城壁ルート沿いに歩いて「守礼門」へ行く。左手に城壁の石垣の整然さを右手に首里の町並みを見ながら歩いたが景色はなかなか良かった。
城内に入ったのは25年振りくらいで有る。結構ゆっくり見てまわり、王宮の中の「鎖之間」では庭園を見ながら一人310円でお茶と琉球菓子を食べながら庭園鑑賞ができるようになっていた。昼時でもあり疲れていたので休息かたがた利用した。 お客は私たち2人の日本人と欧米人2人、そして後は全員中国人であった。そういえばデパートに行ってもどこに行っても中国人の観光客の多いこと。ホテルでも中国人の観光客が多く宿泊しているようでエレベータ内でも中国語が飛び交っていた。国慶節の直前だったので多くの観光客が来ていたのかもしれない。一瞬私たちが中国へ旅行したのでは無いかとさえ思った。 首里城観光の後、あちこち行こうと思っていたが疲れて結局首里城を観光しただけで終わった。夜は孫達と食事をしたが息子は仕事が有り会えず。 翌日は一番上の小6の孫娘は朝からお弁当を持って塾に行く。そこで3人の孫と嫁達と「対馬丸記念館」に行く。「対馬丸」は昭和19年8月21日沖縄から九州へ学童疎開する子供達を乗せて長崎へ向かった。翌8月22日夜10時過ぎ米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃により撃沈され学童784名を含む1482名が犠牲になった。 記念館には犠牲者の遺品や亡くなった学童の写真、生存した人の手記などが展示されていた。またパソコンでは映像を使って解説がなされており戦争の悲惨さがよくわかる物であった。亡くなったお子さんのご家族の手記等を読むと目頭が熱くなるのを感じた。小学校4年と2年の孫も熱心に見学していた。 沖縄はまだ夏の真っ盛りという感じであったが、こちらは秋の気配で日本の広さ感じた。
2017年10月04日