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木・日・祝日
今年のカープの快進撃には驚くばかりである。7月28日現在で59勝32敗、2分けで貯金27。 2位の阪神と10ゲームの差がある。そしてどのチームに対しても負け越しはない。 私が大学生の頃「巨人 大鵬 卵焼き」と言う言葉がはやっていた。当時の巨人はダントツの強さがあった。しかしそのカープが昭和50年に巨人を破って初優勝したときの興奮は今でもはっきりと覚えている。 そして昨年の優勝を含めて6回も優勝し、日本一にも3回輝いている。 今年は昨年の優勝に引き続き、その勢いをそのまま持続している。特に打線の好調さが光っている。 ところでプロ野球12球団平均年俸ランキングをインターネットで検索すると、カープは12球団中11位の低さである。一番高いのはソフトバンク、2番目が巨人でありカープの2.1倍の多さである。安い年俸でカープの選手が頑張っていると思うと判官贔屓なのか唯々応援したくなる。そして現在その巨人に対して13勝4敗で勝ち越しており、昔のカープを知っているものとしては少し小気味よい。 そこで我が「さいだ歯科医院」としては今年もカープがセリーグ優勝、そして日本一になる様に応援することにした。 さいだ歯科医院では通常6月〜9月は診療着として背中にさいだ歯科医院のロゴマークをプリントしたTシャツを着用して診療している。しかしカープの優勝を祈念し、今週から月曜日はカープの赤いユニホームを着て診療することにした。 何故月曜日にしたかと言えば、ほとんどの場合月曜日は試合がないことが多く、試合の無い日でも応援している気分を味わおうとした。 初日、患者様からの反応は様々であったが、中には日頃あまり話されない患者様が突然饒舌になり中々診療に入れないこともあった。従業員も患者様との会話が弾みまんざらでもなさそうである。 近いうちにマジックが点灯するなどの話も聞くが、これから毎日一喜一憂しながらカープの優勝を信じて診療をしていこうと思う。
2017年07月28日
如何にも上段から構えたタイトルのようであるが、達成感を得るにはほんの些細なことから大仰なものまであると思う。例えば今日はこの本を読み終わろうと起床時に思ったことが夜寝る前に読み終えておれば今日は本が読めた良かった達成感を味わえる。ただ果たして毎日、毎日連続して達成感を味わえるかどうかは判らない。 日常のニュースを観ていると何か達成感が無く、破れかぶれで事件を起こしているようなものに出くわす。 ところでこの16・17日の2連休、私は家庭菜園の草取りをして今までにない達成感を味わった。 6月27日にほぼ草取りを終えていたのだが、この梅雨の雨のせいかあっと言う間に草ボウボウになっていた。たった20日程でこの様になるのかと思うとがっかりである。しかも草は花が咲き種が出来かけている。急いでとらないと又草が生える。 草取りをしながらこの理由を色々考えてみた。正解かどうか判らないが自分なりに納得した考えを導き出した。要は草取りをしても完全に根が取れるわけでなく、ひげ根が切れて地中に残ったり、途中で根っこが折れたりしているのであろう。考えてみれば秋から冬にかけて地上の草は枯れても地下で根が生きていて春に芽吹く。このことが草取りをするたびにおこっているのではなかろうかと勝手に結論付けた。 16日は、日中草取りをすると熱中症になる恐れがあり、夕方4時半頃から2時間ほどしたが暑くてシャツや首に巻いたタオルがビショビショ。しかし思ったほど草取り面積が確保できず達成感はあまりない。 そこで翌17日、朝5時起床し5時半頃から開始。まだ畑には太陽の光は差し込んできていない。しかし空を見上げれば雲には光が当たり綺麗である。また鳥がさえずり、温度もさほど高くなくやるぞと言う気が高揚してくる。 7時半頃からクマゼミが「ワッショ、ワッショ」と鳴き出す。その後アブラゼミなどの声が聞こえてきた。時折風が吹いてきて、汗でぬれた衣服から気化熱を奪い心地よい。大自然の中に生きているという感じがしてきた。 また草取りをしながらふと後ろを振りむけば草がなくなり綺麗になった光景が目に入って来る。自分がした仕事に対する成果が目で確認出来てすごく嬉しくなる。それでさらに目の前にある草を取ろうという意欲がわき上がってくる。9時頃からは気温が上がってきて水分補給をしばしばするようになる。11時過ぎまでやって畑のおよそ1/5程度を取り終えた。 畑のいたるところ、草の生え際に蟻塚が在り草を引き抜くと中から蟻が出てきて大騒ぎ、蟻にとっては気の毒なのだが仕方ない。今TV等で騒がれている「ひあり」ではないので攻撃性は無い様である。 それにしてもこの達成感と至福感は一体何なのだろう。久しく味わった事が無い。しかもお金もかけずに安上がりでこんなに大満足が得られるなんて思いもしなかった。多分汗をかき、手足の適度な疲労感、そして何よりも成果をすぐに目で確かめられたことがこの達成感に繋がったのであろう。これからも草取りをして達成感を連発したい。
2017年07月20日
9日の日曜日バスツアーで津和野に行く。家内がインターネットショップの会員になっていたところ、バス旅行が当たったと手紙が来た。旅費は本人只だが、同行者は6000円弱必要と書いてあった。家内は何度か津和野には行っているのだが、私はまだ行ったことが無かったので、同行することにした。 ところで7月4日の未明から島根県浜田地方は大雨、その後九州方面で大雨になり被害は甚大となっている。旅行日が近づくに連れて津和野の天候が気になり毎日スマフォアプリで検索。当日も朝、検索すると雨・雷と出ていた。そこで合羽と雨傘を用意し出かける。 尾道駅前を7:40スタート。一路津和野にむかうのかと思いきや、最初ファクトリーに寄っていくと添乗員さんが言う。何のことか分からない。バスは西に向かわないで福山に向かう。福山港近くの革製品の製造工場に連れて行かれる、ムトンのシーツや毛皮のコート、ハンドバックなどの製品を製作する会社である。この様なバスツアーには必ずツアー客に何かを買わせるような仕組みが有るのだとか。 そこで1時間ちょっと時間をつぶし、福山東インターから山陽道に入る。結局尾道インター横を通過したのは10:30であった。考えてみれば尾道駅から尾道インターまで2時間50分掛かった事になる。中国道に入る頃から雨はやみ、途中の高津川ではアユ釣りをしている人もいたが、川の淵のよどみには先日の雨で流された木っ端が多数浮かんでいた。津和野に着いた時は晴れて間がのぞいていた。 昼食は旅行代金の中に入っているもので済ます。中には差額を払ってもう少し豪華な食事をされる方もいた。 食事後、森鴎外旧宅を見学。それから街中を散策し、鷺舞の銅像や水路で鯉が泳いでいるのを観たが、ここの鯉は老齢で丸々太っていて「豚鯉」と呼ばれているとか。また内部が椅子でなく畳み敷きの教会を見学した。
さらに「華泉」と言うお酒を作っている酒造メーカーの見学をして、きき酒をしたところ、気にいったのが有ったので原酒4合瓶を買って帰る。津和野の滞在時間2時間ちょい。 その後岩国の錦帯橋に行く。久しぶりの錦帯橋である。AFSの留学生が我が家にホームステイしている頃毎年のように訪れていた記憶が有る。 1時間弱の自由時間、錦帯橋は渡らないで近くのホテルのロビーでコーヒーを飲んで過ごし尾道には19:30頃帰ってくる。まさに12時間の行程であった。 津和野・津和野と思っていたのが叶えられ、しかも天候に恵まれてラッキーであった。 ただ歳をとってきたせいか、途中バスが止まるたびにトイレで用をたす必要があった。また日頃トイレは洋式トイレを利用しており何も問題が無いが、大便の時に和式トイレしか無い場合、立ち上がるのに「ヨッコラショ」である。だんだんバス旅行などトイレに行きたい時、行けない旅行は困難になるのかもしれないなと思った。
2017年07月12日
先日久しぶりに映画館に足を運ぶ。昔は神辺まで行って封切り映画を観ていたが、少し歳をとったのか神辺までが遠くに感じられ、尾道に1軒しかない「シネマ尾道」に行った。観た映画は2本で1本目は「人生フルーツ」。 この映画は2月4日の中国新聞シネマ欄で紹介があったので是非見てみたいと思っていた。3月に一度上映があったのだが、時間がとれなくて見そこねていた。6月になってまた上映開始されたので観に行く。 建築家の津端修一さん90歳と妻英子さん87歳、合わせて177歳。お二人は愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウン、ここは修一さんが日本住宅公団在職中に開発を手がけたタウンだがその一隅、雑木林で囲まれた一軒の平屋に住んでいる。宅地の一角で四季折々の野菜70種類と果物50種類を育てながら永年連れ添ったお二人が人生を豊かに楽しく生活を送っている姿を追った、東海テレビ制作のドキュメンタリーである。 家庭菜園で少しばかりの野菜を作ったりしている私達夫婦と重なって興味深く観賞した。
映画の中に出てくる詩、「風が吹けば、枯れ葉が落ちる。枯れ葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、果実が実る。こつこつ、ゆっくり。人生フルーツ。」すごく心に響く言葉であった。 修一さんは庭の草取り後、昼寝をしたまま旅立たれる場面が収録されていたが、理想的な旅立ちでまさに人生フルーツの完遂だとおもった。 我々夫婦もこうありたいものである。 2本目の映画は2016年、第66回ベルリン国際映画祭金熊賞(グランプリ)に輝いた「海は燃えている」。この映画はイタリア最南端の小さな島ランベドゥーサ島で起きていることを映像化したドキュメンタリー映画である。 内容の一部を公式サイトより引用させてもらうと 『12歳の少年サムエレは、友だちと手作りのパチンコで遊び、島の人々はどこにでもある毎日を生きている。しかし、この島には彼が知らないもうひとつの顔がある。アフリカや中東から命がけで地中海を渡り、ヨーロッパを目指す多くの難民・移民の玄関口なのだ。島の人口約5500人に対して、今は年間5万人を超える難民・移民がランペドゥーサ島へやってきている。島には巨大な無線施設が建ち、港には数多くの救助艇が停泊している。ひとたび難民たちが乗った船から救難要請の連絡が入ると、無線が飛び交い、ヘリコプターが飛び立つ。夜の海を照らすサーチライトが難民たちを探している。そんな緊迫した様子とは対照的に、島の日常は流れていく。家々のラジオからは音楽が聞こえ、漁師は海へ出かけ、雷の日には老女は家で針に刺しゅう糸をとおす。同じ島にありながら、島の生活と難民たちの悲劇は決して交わることがない。両者を結ぶのは、島でたったひとりの医師のみ。島の人たちを診察する傍ら、島にやってきた多くの難民たちの検診や死にも立ち会う。彼は言う「こうした人々を救うのは、すべての人間の務めだ。」少年サムエレにも変化が起こり、左目の弱視が見つかる。右目を塞いで左目の働きを上げていくために矯正メガネをつけることになる。それはまるで、今まで見えていなかったもうひとつの目で、未知の世界を見るかのように──。』・・・引用終わり。 この映画を観ながらもし将来北朝鮮の体制が崩壊したりするとおそらく何百万人もの難民が日本にやって来るのでは? そのとき日本はどのような対応をするのであろう、巡視船の数は不足し、色々な病気が持ち込まれないようにする検疫体制だって整っていない。今騒いでいる「ヒアリ」どころの騒ぎではない。かってベトナム戦争の時、ボートピープルが1万人ほどやってきたがその比ではない。巡視船を総動員すればその間に尖閣が中国に占領される恐れもあるし。自衛艦を出せば騒ぐマスコミもいるだろうし、何も考えていない日本、無策の日本に気をもむ。考えさせられる映画であった。
2017年07月03日