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今年も後7日ほどになった。新聞などでは内外の今年の十大ニュースが発表されている。国際的には次期アメリカ大統領にトランプ氏、英・EU離脱等、また国内では天皇陛下退位への思い、熊本地震など驚きのニュースが多かった。そこで我が家の十大ニュースを考えてみたが今年はある意味、私にとって大転換の年であった。 1、1986年に開業した「さいだ歯科医院」は30年と成ったが、1月1日に院長職を息子に譲り私は勤務医となる。今までは診療のこと、経営のこと、従業員の手配等全ての責任を負っていたが、息子にアドバイスをする程度でかなり気分的に楽になった。 2、3月には診療所2階の自宅から街中のマンションに引っ越した。毎日7時前にマンションを出て車通勤をしているが、歯科医師会の会合等で飲食があるときの出退勤には家内に送り迎えをしてもらい迷惑をかける羽目になった。 診療所の2階は改装し、12月に息子たちが引っ越して来て名実ともに息子が医院長になったと実感している。 3、勤務医になったことで少し時間的余裕が出来たので、休みをもらって家内とイタリア旅行に出かけた。今まではアジアばかりたったが、初めてのヨーロッパでアジアとは違う感覚を経験した。しかも帰りの飛行機で一生に一度はと思っていたファーストクラスに乗れていい思い出が作れた。 4、今年私は69歳であるが大学の同窓会広島県支部主催でわざわざ私のために「古希のお祝い会」を開催していただきすごく恐縮した。また当日は北海道から多くの同級生が駆けつけてくれて楽しいひとときを過ごせた。 5、5月には沖縄の長男一家が里帰りをしてくれて、家族全員がそろった。ただこれも、孫たちが大きくなり部活や勉強などで全員がそろうのはそろそろ難しくなるかもしれない。 6、かねてより私はルーツに興味があったので、埼玉県の行政書士のM先生にお願いして、NHKのファミリーヒストリーよろしく父方と母方の家系調査をしてもらった。残念ながら1800年代半ば頃までしか遡れなかった。しかしある程度のことが判かりよかった。そして我が家の家系が子子孫孫に伝えられることが出来て嬉しい限りである。 7、健康面では70歳に近づいたせいか、からだの老いを少し感じるようになってきた。4月頃から緑内障の目薬によるアレルギー反応のため眼瞼を腫らし、とんでもない顔になった。また左肘を受傷して腕をパンパンに腫らしたり、最近では奥歯の咬合面が摩耗して凍みたり、頬をかみやすくなったりと昨年までは考えられなかった事が起きるようになった。 8、家庭菜園で野菜を作るのが楽しくなったが、素人のこと故、そんなに立派な作物はとれないがそれでも収穫した物を味わう気分は最高である。 9、結婚して以来年賀状の宛名書きを43年間家内に押しつけていたが、今年初めてやった。昔は家内が毛筆で宛名を書いていたが近年はコンピューターソフトを使用してやってもらっていた。自分がやってみるとコンピューターソフトを使ったとしても結構時間が掛かるのには驚き、今までの家内に感謝である。 10、最後に特筆すべきことは、以前は年間50本以上観ていた映画を今年は先日観に行った出光佐三をモデルとした「海賊と呼ばれた男」1本だけであった。これは引っ越しをして有料放送の「WOWOW」と契約をしたせいかもしれないが、TVで観るより、やはり映画館で観る方が迫力があり楽しい。来年はもう少し映画館にも足を運ぼうと思う。
このように1年間を振り返るとあっという間の出来事であり、大過なく1年が無事に過ごせたことに感謝するばかりである。来年もまた元気で1年を過ごそうと心に誓う。
2016年12月24日
かれこれ30年数前、大学の物理の時間に教授からエッシャーの「だまし絵」を見せてもらった事が有る。その絵は「滝」と呼ばれる絵で、滝から水が落ちて水車を回し、その水が流れて行った先が又元の滝になるというものだった。この絵を観た時の感想はもしもこれが現実なら永久に水力発電できるのだがと思った。それにしてもその時はすごい絵が有るなと思ったが、どうして騙されるのか考えても見なかった。 そして20年ほど前にたまたま書店で朝日新聞社から発刊されていた「エッシャーの宇宙」と言う本を見つけ購入した。しかし中の絵をぱらぱらめくる程度でほとんど読まずに書棚に置いていた。ところが11月11日から広島県立美術館で「エッシャー展」が開催される事をTVニュースで知った。是非とも観に行こうと思いやっと先日足を運んだ。 音声ガイダンスを借りてじっくり見学できた。作品はスケッチ画、木版画、リトグラフ等が概ね初期のものから順に展示されていた。彼の緻密な版画等を観ていると感動する。 日本の浮世絵は浮世絵師が絵を描きそれを彫師が木版に仕上げさらに摺り師がするという分業化がなされているが、エッシャーの場合全て又は木版や石板に彫るところまでは本人がやっているようである。版木も一部展示して有ったが細かい線等を利用し陰影を上手く彫り、より立体的に見える工夫がしてあり驚くばかりであった。 彼がどのような経過を経てだまし絵にたどり着くのかがなんとなく判った、1958年製作の「物見の塔」や1960年の「上昇と下降」そしてパンフレットの表紙に用いられている「滝」。いかに人間の脳は騙されやすいのかと思う。前述の「エッシャーの宇宙」と言う本の中にどのように作画をすればこの様な絵になるのか解説がしてある。そして今回の展示の最後にグラフィックデザイナーの福田繁雄氏が、「物見の塔」と「滝」を絵に描いてある通りに忠実に立体模型を製作したものが展示してあった。本来ならこの姿なのに脳が騙されてあたかもエッシャーの描いた絵が真実のような錯覚に陥る。
昔、物理の教授がこの絵を見せてくれた時、「真実は一つである、思い込みや一面的な見方をしてはならないそれが自然科学だ」と話していたのを思い出した。多くの自然科学者達は研究過程で常識では考えられない事象に出会った時、諦めるかあるいはとことん追求研究し新たな発見をするか、その事をこのエッシャーのだまし絵が示唆している様に思えた。2時間半ほどかけて観たが本当に楽しく驚きの連続であった。
2016年12月11日
大げさなお題になったが傷そのものはほんのかすり傷。夏の頃家内に「お父さん肘が黒いよ、よく洗ったら」と注意を受けていたのを先月15日に風呂に入った時、たまたま思い出した。見ると肘が黒ずんでいたので軽石で少しこすった。次の日も同じようにこすって綺麗にしたのだが、その時ほんの僅かなかすり傷が出来たらしくヒリッとしたがそのまま放置。 ところが18日金曜日に診療中少し左手に痛みを感じた。診療後、着替えて車を運転して帰る途中左の袖が肘にあたって痛い。帰宅してよく見ると肘が少し化膿して腫れている。 痛み止めと抗生剤を飲んで湿布をした。翌朝は腫れが少し大きくなっている。そのまま仕事を続けるが、夕方には左前腕部にまで腫れが拡がってくる。寝る頃になると、発熱が始まり、38.9度までになる。翌20日(日曜日)起床時38.1度と少し下がっていたが、腫れはさらに拡がってきている。このままほっておくと敗血症になって死ぬかも知れない等と悲観的に考えてしまった。そこで消防署に電話して本日の休日当番医を教えていただく。 昼前にS整形外科にかけ込む。関節のレントゲンを撮ってもらい、受傷部位の消毒、抗生剤の筋注、受傷部への抗生剤軟膏塗付をしてもらい抗生剤と消炎鎮痛剤の処方をして頂く。肘部は皮膚が薄くしかも関節包がすぐ下にあり化膿しやすいのだとか。 翌21日夕方、S先生からお電話をいただき状態をお話した。わざわざお電話をいただいたのでこれは一度診察にお伺いしなくてはと思い、翌22日私の予約患者様に無理をお願いし、キャンセルしてS整形外科に行く。前腕部の腫れはさらに拡がり病名としては「左前腕部蜂窩織炎」であると言われる。抗生剤の筋注をしてもらう。 翌23日は勤労感謝の日であったが、朝9時過ぎにまたS先生からお電話をいただき、腫れが手の甲まで達している現状報告をすると、「JA尾道総合病院か市民病院をすぐ紹介するから受診された方が良い」とアドバイスを頂き、早速尾道総合病院の外科にかけ込む。外科のドクター二人が私の腕を見てこれは入院になるかもしれないと言われる。もしそうなったら私の患者様に御迷惑がかかるし困ったなと思う。とりあえず血液検査をしてもらう。26日・27日は公務で広島出張がありどうした物かと結果を待つ間あれこれ考えた。 検査結果からは何とか入院するほどではないとのことでほっとする。外科の先生から明日皮膚科を受診するように言われ、その場で皮膚科の予約をする。帰宅してずっと病人らしく寝ていた。今までたまっていた疲れが少しとれた感じがした。 急遽息子に連絡して午前中の患者様の予約取り消しを頼む。翌24日朝から尾道総合病院皮膚科受診、結果このまま抗生剤服用を続け、1週間後の再診予約した。 翌25日報告かたがたS整形外科を受診。少し良くなってきており手の甲の腫れは退いてきた。どうやら峠は越えたようで再度抗生剤の筋注をして頂く。それにしてもS先生に随分気にかけていただき申し訳なかった。病院通いをしている間、自分の患者さんに迷惑を掛けた事に深く反省する。 12月1日に皮膚科を再受診した時は前腕部の腫れはほぼ消退。肘部のみ腫れが残存、皮膚科の先生からはさらにもう1週間抗生剤を服用する様に言われた。肘を風呂に付けて良いか尋ねたところOKの返事を貰ったが恐ろしかったので4日まで待って17日ぶりに風呂のお湯につけた。もちろんこすったりはしない。今日現在肘の受傷部は固くしこりが残り、触ると少し痛みが有るがほぼ問題ない。しこりはまだ3週間くらい消えそうもない。 この受傷で気が付いたのだが、私は右が効き手なので左で良かったと思ったがとんでもない事を思い知らされた。例えば患者さんの歯を削るのに右手は切削道具を持ち、左手は患者さんの舌や頬を排除するためにデンタルミラーをもつことになるが、動かせば痛い、力が入らないなど大変な不自由さを味わい、改めて私の職業には右も左も大事なのだと気付かされた。いままでキャンセルしたりして患者様にご迷惑をかけた分、今週から頑張らなくてはと思う。70歳が近づくと僅かの傷でこのように大げさな事になり、つくづく免疫力の低下をおもい知らされた。これからは大いに気をつけて生活をしていかなくてはと反省しきり。
2016年12月06日