私が毎月読んでいる「致知」12月号に東北大学加齢医学研究所所長の川島隆太氏と明治大学文学部教授の齋藤孝氏の対談記事「素読のすすめ」が掲載されていた。なお「素読」とは辞書によると「意味の解釈を加えず、本の文字を声を出して読み上げること」とあった。

その記事の小見出しに「日本人が本を読まなくなったと言われて久しい。川島隆太氏は脳科学者の立場から読書離れとスマホ中毒の悪影響に警鐘を鳴らし、素読の必要性を訴えてきた。齋藤孝氏もまた数多くの素読の実践をベースに、その意義を伝え続けている。素読は私たちの脳にどのように作用し、どのような効果を生むのだろうか。お二人の対談から見えてきたのは素読で人を育てた先人の優れた知恵と、反対にスマホやSNSの驚くべき被害だった」とあり興味深く読んだ。

10数年前に齋藤孝氏の講演を聴いたことがある。そのとき「声に出して読みたい日本語」を出版されてまもない頃で、すぐ買い求めた。この本の中には色々の名文や名詩、名文句が取り上げてありテンポ良く楽しく読んだ記憶がある。
ところで通常の学習では意欲のある方が脳がよく働く。そこで川島氏は以前「ゲームを楽しんでいる時の脳はよく働き、嫌々勉強するときの脳は働かない」という仮説を立てて実験したが結果は予想とは反対だった。
齋藤氏は江戸時代の寺子屋では、先生のリズミカルな先導に合わせて子供たちが古典を復唱する方法すなわち素読を推奨されているが、これは脳科学の上から脳の活性化が実証されている。つまり本を黙読するのと声を出して素読するのとでは脳の働きに違いがある。黙読は文字を捉えて視覚で覚え、そこに描かれている意味を理解します。一方、それを声に出すのは、理解した文章の情報を音に変換する、口を動かす、息を出す、自分の声を耳で聞くといった二重、三重の機能が働くことになるので、それだけ脳が活発になるとのこと。
ところで現在フェイスブック、ラインに代表されるコミュニケーションツールのSNSをした場合、素読とはまるきり逆で、効果どころかSNSをやっていると脳に抑制がかかることが分かった。これはラインの文面を見てみたら、極めてプアなコンテンツしか出てこない「お昼何にする?」「カレー」「どこに行く」といったように、まるで幼稚園児レベルの会話しか続かない。物を考える人としての脳は積極的に寝てしまっており、ある意味とても怖いツールであると書いてあった。
さらに仙台市で7年間、7万人の子供たちの脳を追いかけたて調べたところスマホやSNSの利用と学力の関係が明らかになり、SNSを使えば使うほど学力は低下し、脳の中の学習した記憶が消えている事実があった。
確かにライン等はコミュニケーションツールとして有用な側面もあるが、一日に5時間位SNSにかかりっきりになっている高校生等はざらだという話を聞くとスマホ中毒になりつつあるのかもしれない。
最近スマホに付いては色々の問題が提起されている。スマホ老眼、歩きスマホでホームから転落、また今はやりのポケンモンGOでは夢中にになって自動車事故に遭い死者が出たりしている。

私もスマホを持っているが私自身は99%以上携帯電話としてしか使用していない。検索も、メールもさっぱりやり方を知らない。人はもったいないと言うが私はこれで良い。スマホ依存症はアルコールやタバコのレベルではなく、麻薬と同じ扱いにして規制すべきと川島氏は語られる。
さらに高齢者は年齢と共に脳が老化していくが、素読や単純計算によるトレーニングが認知症改善の劇薬となると書いてあり、スマホをしない私はせっせと素読でもして認知症予防をしようと思った。 |