先日、小学校、中学校の古希の同窓会が有った。私の卒業した中学には他の校区の小学校を卒業した人達も入学するし、また他の中学に行った人もおり、小学校や、中学だけで単独に開催すると漏れる人が出てくる。少しでも縁の有った人が昔を懐かしむことが出来るようにと40年ほど前からこのスタイルで同窓会が行われている。
この度、古希の同窓会ということになったが、この様なお祝は「満年齢」でするのか、「数えの年齢」でするのか良く判らない。但しこれからは年齢のことを考えれば段々参加できなくなる人達が増えると思われ「数え年」でするのが良いのであろう。但し私は昭和22年3月生まれであり、今現在、「数え年」でカウントしても69歳、古希には少し足らないのでちょっぴり実感が沸きずらい。

当日は小学校時代の恩師2人、中学校時代の恩師3人がご臨席された。いずれも80歳を超えてなお頭脳明晰、足腰もしっかりされておられ大変お元気で有った。羨ましい限りである。
最近私のまわりでは70歳の壁を越えられない友人たちが多く、私自身はなんとしても80は言うまでもなく、100歳の壁を越えたいと思うのである。

我々は団塊の世代であり今では考えられないかもしれないが、1クラス50~55人くらいでその人数を担任一人で切り盛りされていた。当時の先生は体力的にも、精神的にもタフだったのかも知れない。当時は今で言うモンスターペアレントなるものも存在しなった。
栗原中学を卒業したのが260人ほどで有ったが今回52人の仲間が集まる。中学を卒業して53年を経過しているが、小さい時からほとんど変わらない顔、まったく思い出せない顔。でも名札を見たり自己紹介をされると自然と小学校や中学の頃を思いだしてくるものである。東京や神奈川県とか結構遠くから参加してくれる連中もいてひとしきり話に花が咲く。

小学校の頃ほとんど毎日一緒に遊んだH君が出席していた。この様な集まりは初めてとか。毎年、年賀状だけは交換していたのだが20数年ぶりに再会。話し言葉も「おい」とか「お前」とかそんな口調になってしまう。同窓会というのは地位や、職業、男性・女性など何にも関係なく純粋に50数年前に戻れて、あの頃をさらけ出し、ただただ懐かしみ、近況を語り合い、うなずいたり、共感したりととてもよいものである。
あっと言う間の3時間半が過ぎ、次は「7年後の喜寿の同窓会だ、元気でまた会おう」と言って別れる。
今回の同窓会のお世話をしてくれた幹事の皆様方に感謝である。
|