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木・日・祝日
昨日25日は私の68歳の誕生日であった。先日来の暖かさから打って変って寒い日であったが、私が生まれた時はもっと寒くて向島でも10センチは雪が積もったと母親から聞いた記憶が有る。そのため産婆さんが来るのが難渋だったとか。 朝のミーティング時、従業員からお祝いのお花をいただいた。昨年はケーキをいただいた。毎年のことであるがとてもうれしい。 また沖縄の息子夫婦と孫達からはチューリップのお花が届いた。 夕方出張から帰り、お礼の電話をすると孫達がハッピーバースデイの歌を歌ってくれる。フェイスタイムなのでリアルタイムで孫達の顔が見れるし、「・・ハッピーバースデーおじいちゃん」と言われると嬉しくて涙が出てくる。 日中、会議で広島に出かけたが、昨日、桜の開花宣言をしたばかりか、まだほとんど咲いてなかった。3輪程花を見る頃が出来た。でも蕾は随分と大きく膨らんでおり今日あたり一斉に咲きそうな感じであった。 街の中には色々な花が咲いており本当に春が来たと言う実感がした。こうみると本当に良い季節に産んでもらったと思う。 夜はまた会議で福山に出かける。食事は弁当で済まし誕生祝いの食事とはほど遠いものであった。帰ってチーズをさかなにワインを2杯ほど飲んで終わり。ある意味味気ない誕生日だったのかも知れない。 でも従業員や息子や孫達が気にかけてくれるだけ幸せなのかもしれない。 ところで4月2日以降に生まれた同級生たちは間もなく69歳になる。「数え歳」で考えれば70歳、その関係もあり今年栗原小・中学校の合同同窓会は「古希同窓会」として11月に開かれると言う連絡を受けている。私にはピンとこないが出席してみよう。
2015年03月26日
昨日、15日に映画「風に立つライオン」を観に行く。封切り2日目であった。 私にとっては昨年9月15日以来半年ぶりの映画であった。この半年間、本当になにやかやとあって映画に行く時間も無ければ行こうというや気分にもなれなかったが、少し余裕が出来たのと、さだまさしの映画と言う事で思いきって出かけた。そういえば昔、さだまさし作の「眉山」という映画も観に行った記憶が有る。 私も家内もさだまさしの歌が好きである。私は今までにたった1回しか彼のコンサートには行った事が無い。積極的ファンでは無いのかもしれない。 ところでもう20年以上前になるが家内がさだまさしのCDを買ってきたその中に「風に立つライオン」という結構長い曲が有った。何故かその曲の歌詞を聞いていると見たことも無いアフリカの雄大なる風景がいききと目に迫りくる感じがしていた。 またその曲のメロディーと歌詞があいまって何故か情感が心に迫ってくる感じがしていた。 この曲を創るにあたり歌詞は青年海外協力隊としてケニアで3年間活動した実在の外科医・柴田紘一郎さんから聞いた話しを元に、日本に残した恋人から届いた手紙への返信という形で書き上げたとのこと。 「風に立つライオン」の公式サイトによると曲は1987年作で、今回の映画の主役である大沢たかおに懇願され、2013年にさだまさしが書きおろした小説が映画化されたとのこと。 小説の方が後から出来たので曲の歌詞にはない話が挿入されていた。かって日本人医師島田航一郎に助けられたケニアのおばさんが東日本大震災の話を聞き、日本では食べるものも無く困っているだろう。種をまいて収穫すれば助かるだろうからとわざわざ数十粒のトウモロコシの種を日本に届けてくれる様に、アフリカの診療所に持ってくる話が挿入されていた。またそのトウモロコシの種を日本に届けたのは航一郎によって深い心の闇から助けられ、ついに医師になった元ケニアの少年兵士であった。 義援金としてお金をいただくのも有難いが、作り話ではあろうが、たった数十粒のトウモロコシの種を日本に届けようとするおばあさんの心根に感動した。 映画を観ながら何時、「風に立つライオン」の曲が流れるのかと観ていたら最後の場面で流れた。映画のストーリーが終わった後だったので、より歌詞の意味が胸に迫った。 エンタテイメントが多い映画の中で久々に感動する映画であり、私は医者ではなく単なる町の歯医者ではあるが同じ医療人として深く考えさせられた。 是非鑑賞される事をお勧めします。
2015年03月17日
先日、息子の二男夫婦が誕生祝いに食事に誘ってくれた。3月は私達夫婦の誕生月である。 以前は御祝いの品をプレゼントされていたが、何年か前からは食事会に変わった。 今年は尾道の「由良や」で河豚を食べさせてくれた。コース料理である。先付けの「煮凝り」が出てきてその後見事に盛り付けられたふぐ刺しが出てくる。 どういうものか4歳の孫娘はふぐ刺しが大好きで大人顔負けに食べ続け驚いた。 ここ「由良や」さんでは「なま肝」を頼めば出してくれる。通常はふぐ刺しの皿に茹でた肝が少し添えてあるが、この度、前もって頼んでいたせいか「なま肝」が出されていた。 この「なま肝」の美味しさに勝るものはない。ふぐの肝と言えばすぐふぐ毒(テトロドトキシン)による中毒を想像し、最悪呼吸麻痺を起して死亡すると言われている。特に肝臓、卵巣等に毒が多く含まれ、ふぐ料理の免許を取った調理師さんしかさばけない。 肝を食用にする場合は注意が必要で、天然フグの場合は多量の毒を持っているために、何度も水洗いをして完全に、血を抜かなければならない。その生肝の美味しさに魅せられて危険を冒して食べる人が多く、全国では何件かの中毒が毎年発生しマスコミをにぎわしている。 ところが養殖フグの場合は養殖の仕方によって体内で毒が全く生産され無いのだそうだ。お店の人に直接聞いて見なかったが、恐らく「由良や」さんのふぐはこの手のものでは無かろうか? あまりにも美味しいのでもう一皿お代りを頼んだ。 お酒も最初の一杯はビールだったが、その後はひれ酒を注文する。蓋をとりマッチで火を付けアルコール分を飛ばす事で一層の風味が出て美味しく飲んだ。 最初「ハッピーバースデー」を歌うのを恥ずかしがっていた孫娘もお腹が膨らんだのか途中で歌ってくれる。私用と、家内用に2曲も歌ってくれた その後料理はふぐちり料理となり、さらにその鍋のだし汁でおじやをつくってもらった。 この味も絶品で、お腹一杯になり幸せいっぱいになった。招待してくれた息子達に感謝である。
2015年03月15日
先日、尾道歯科医師会の『I』先生が享年70歳でお亡くなりになられた。『I』先生は私より1歳上の先輩だが歯科医師歴としては14年もの大先輩である。私が入会した頃は会の専務理事としてご活躍をされていた。 そして『I』先生が尾道市歯科医師会の会長になられた時、何故か理事者経験もない私をいきなり副会長に大抜擢をして頂いた。この人事に関しては会の中でもかなりの波風が立ったようである。それでも私をかばいながら、歯科医師会の有り様、副会長の役目等、本当に懇切丁寧に親身になって教えていただいた。 特に会合の後の2次会が終わると、行きつけのスタンドバーに私を連れて行き、ビール片手に夜中の1時、2時までお教しえいただいた。 とりわけ先生はビールがお好きで飲んだビールの瓶をカウンターの上に並べて、上機嫌で、実うまそうに飲んでいらっしゃる姿が今もありありと浮かんでくる。 私が今日、何とか歯科医師会の会長を務められるのはこの時の 『I』先生の教えがあったればこそである。いくら感謝してもしきれない、有難いことである。 先生の下で副会長をさせてもらったご縁が、この度私が尾道市歯科医師会を代表して弔辞を読むめぐりあわせになったのかも知れない。弔辞を読んでいる時、先生から色々教えていただいた事が頭をよぎり胸が詰まり涙が出かけて少しの間弔辞が読めなくて中断した。 先生はがんを患い、手術後、抗がん剤投与で入退院を繰り返され1年8カ月間闘病生活をされたが、薬石効なく長逝された。 手術後、御見舞いに行った折、毎年人間ドックにも行っていたし、PET―CT検査もしていたのだが、がんの発病が難しい場所だったので発見が遅れたらしいと仰っていた。 世間では歯科医の寿命は短いと言われている。私が会長になって4年間で4人の先生がお亡くなりになられたが、いずれも平均寿命以下で70才もつれである。我々歯科医の仕事は狭い口の中で1分間に50万回転をする切削器具で歯を削ったりする。そのため舌や頬を傷つけない様に緊張の連続で仕事をしている。そのストレスが命の灯を早く燃やして尽きてしまうのかもしれない。 私も尾歯会ではいつの間にやら年齢順では上から8番目に位置する様になった。そろそろ体調に気を付けながら無理をしない生活に切り替えなくてはならない気がした。 『I』先生の御霊の安らかなれと御冥福をお祈り申し上げ、ご遺族の上に御加護を賜らん事を念じております。 合掌
2015年03月05日