AM9:00〜PM0:45PM2:00〜PM6:20
木・日・祝日
27日・28日と広島県歯科医師会の先生方と神戸に出かけた。日頃お付き合いしている他地区の先生方との懇親がメインである。但し、27日には県歯会長が公務で出席出来ないので正式な懇親会は28日の昼食という計画であった。 宿泊は新神戸駅横のANAクラウンプラザホテルで、夜はプレ懇親会という事で「ホテルオークラ神戸」の中にある日本料理の店「山里」で食事をした。食事は飲み放題の松茸づくしで美味しかった。参加した先生方と日頃の会務の話等で大いに盛り上がる。 私はビールと日本酒を随分飲んだ気がする。その後同じホテルのラウンジで二次会が行われたが、すでにアルコールの量は満杯で、ウイスキーの水割りを1口飲んだだけで、ギブアップ。因島のM先生とホテルに帰り、そのままバタンキュウであった。 次の日、昼食までには時間が有るし、昨夜のアルコールも体から抜いておかなくてはと思い、北野の異人館あたりを何人かの先生たちと散策する。2003年にマレーシアのA子がホームステイしていた時に歩いた事があり11年振りである。それぞれの異人館には入場しないで外から建物を見るだけにした。素晴らしい秋晴れでかなり暑かった。
うろこの家・北野天満宮・風見鶏の館・と見て歩きその前の北野町広場では大道芸人が芸を披露していた。そして多くの異人館では結婚披露宴会場として場所を提供しているようであった。またクローズされている異人館も結構あった。アップ・ダウンの道にかなり疲れ、北野物語館にあるスタバに入る。これも異人館で風情ある建物であった。
一休み後、異人館通りを歩いて懇親会場の「東天閣」という中華料理店にいく。ここは明治27年に建設されたドイツ人F・ビショップ家住宅を改装したもので、道路をはさんだ向かいは神戸北野ホテルであった。お値段がいくらのコースか知らないが、料理の味は中々のもので非常に美味しかった。また甕に入った10年物の紹興酒もまろやかで美味しいく昨夜の飲み過ぎも忘れて3杯も飲んでしまう。2時間ほど楽しく過ごした。その後帰りの新幹線の時間までかなりあったので歩いて駅まで行く途中有名な「にしむらコーヒー」に立ち寄る。お土産を買い16:12新神戸発のさくら565号で帰途に着く。 それにしても今月は博多、札幌、神戸と良く出かけたものだ。
2014年09月30日
翌朝携帯電話に千歳で開業しているU君より連絡が入る。帰りの飛行機は千歳発18:55であり時間が有るので私に付き合うからどこか行きたいところが無いかという。 彼とは学生時代、すぐ近所にあった彼のアパートで遅くまで一緒に補綴技工をしたり一緒に勉強していた仲である。 ホテルまで迎えに来てくれ出かける。そうは言ってもどこに行くか迷う。昨日大学を20分ほどしか見学出来なかったのでもう一度しっかり見たいと思い連れて行ってもらう。途中、4日に降った大雨で石狩川が茶色に濁っていた。当別町では昔住んでいたところに立ち寄る。私の借家は当別川の土手の下にあり、その一角に7〜8軒くらいの家が有ったが今では3軒しか残っていなかった。しかし裏の家は残っていて住んでおられたので御挨拶をした。昭和56年に石狩川が氾濫した時は家に水が入るのではないかと思い、夏休みで中であったがU君のアパートに避難したことがある。 当別大橋が掛け替えられ、立派な道路が一直線に駅まで繋がっていたのには驚く。U君の住んでいた「幸コーポ」はまだ健在で彼も随分懐かしんでいた。 道路が新しくなったため多くの家が立ち退きをしたのか、街中を車で色々廻ったがクラスメートの住んでいたアパートなどが無くなっていた。息子2人が通った当別小学校にも寄ってみた。壁は塗り替えられていたが外観は30年前の通りであった。 その後大学に行き今日は時間が有るので、守衛さんにお願いして中を見学させてもらった。歯学部の中は昔のままの所もあり懐かしかった。期末試験が近いのか、それとも国試対策なのか、日曜日だと言うのに学生が登校して勉強をしているのには驚いた。 また歯学部6年生(32期生)は大講義室に国試必勝を期して達磨を講義室に掲げて自分達で模擬試験をしているようであり、31年前の私たちを思い出しU君と苦笑い。
昨年出来た中央講義塔は10階建で当別町で一番高い建物である。エレベーターで10階まで上がると展望室になっていて当別の街や周りの畑などが一望に出来る。少しかすんでいて夕張の山は良く見えなかったが素晴らしい眺望に尽きる。 図書館にも寄ってみたが学部が増えたせいで、色々の分野の本が取り揃えてあった。 見学を終わり、やはり千歳で開業しているボート部のキャプテンをしていたS君の所に立ち寄る。やはり20数年ぶりの再会である。たまたま彼の家に昨日式典来ていた秋田県角館で開業している私より1歳若いI君と、今日やって来たという福島県二本松で開業しているW君とに会う。早速放射能の事をW君に聞くと一時よりは下がっているとのこと、そして二本松市がどのような位置にあるのかと聞けば、飯館村と接しているとか。また2020年の東京オリンピックの為、復興事業の作業員が確保できにくくなり、かなり復興が遅れそうだとのこと。これも困った問題だな。広島地区でも岩国の基地拡張とこの前の広島市での大規模土砂災害の復興に当たり作業員の方の確保が難しいと聞こえてくる。それにしても今回本当に多くの同級生に会え、それぞれがこの30年頑張ってきている証が判って良かったと思う。
2014年09月16日
13日・14日に出身母校の北海道医療大学歯学部同窓会設立30周年記念式典及び祝賀会に出かけた。同窓会は私たち1期生が卒業してすぐに設立された。私が卒業した当時は東日本学園大学歯学部という名称であったが途中名前が変更された。同窓会の30年は私の歯科医人生と同じである。 ところで札幌に行くには中々不便で直行便はANAとJALそれぞれ1便である。ANAしかとれず朝8:00広島空港発で出かけ、10:00前には新千歳に着く。記念式典は15:00からであり5時間をどう費やすか考えた末に母校を見に行くことにした。 札幌駅からJR学園都市線で終点の北海道医療大学駅までおよそ45分掛かかった。私たちが学生の頃は手前の当別駅で降りて大学のスクールバスに乗り換えていたが、今では大学の前に駅が出来しかも電化されている。変われば変わったものだ。但し私が乗って来た電車はそこで折り返し運転となるため、20分弱しか時間が無い。1本遅らすと1時間後になり、式典に間に合わない恐れがある。それで構内をちょっと見て歩く。当時薬学部と歯学部しかなかった大学が今では看護福祉学部・心理科学部・リハビリテーション科学部の5学部と歯学部付属歯科衛生士専門学校を併設する総合大学になっており、その分校舎も随分と増えていて驚く。土曜日であったが学生がクラブ活動に精を出していた。あたふたと札幌に引き返し、ホテルのチェックインをして会場に向かう。 会場にはかなりの同級生も来ており「やーやー御無沙汰」と握手である。会場では日本アンチエイジング歯科学会理事の宝田恭子先生による「ねこ背を直せば、顔が若返る〜顔と体幹はつながっている〜」と題して講演が始まっていた。少し興味があり途中からだったが拝聴した。意外と面白く、自分も猫背気味なので気をつけようと思った。
15時から記念式典、祝賀会と続く。1期生は入学時149名であったが今回参加したのは35名ほどであった。また式典などの次第が印刷されているリーフレットに各期の物故者名が印刷されていたが、1期生は最多の9名の名が在った。祝賀会は御来賓の方々を除き我々は立食形式であったため同級生が一か所に集まり花を咲かせながら近況を話し合う。
中には卒業以来もしくは20数年ぶりという同級生もいたが、顔を見ればほぼ名前が出て来た。当時現役学生とは13歳も離れていたのでかなりおじさんだったが、今では全員54歳以上になっており段々顔のしわも近づいてきている感じがした。但し女性たちはまだまだ若々しい感じがした。これからは年月が過ぎるごとに会えない同級生も出てくるので、同期会には休まず出席したいものである。二次会も和気あいあいで結構お酒がすすんだ。その後、せっかくの札幌なのでボート部仲間の東区で開業しているN君に案内してもらいラーメン横丁で味噌ラーメンを食べてホテルに帰る。 またマッサージを頼み体をほぐして寝る。
2014年09月15日
翌朝目覚めるが昨日のお酒は残ってなくて頭すっきりである。マッサージが効いて良く寝れたせいかもしれない。バイキング形式の朝食を取り9時丁度に出発。 パンフレットによれば今日の予定は福岡城エリア〜福岡市博物館〜崇福寺〜昼食〜キャッ鑑賞〜帰尾である。しかし時間的余裕を考えれば福岡城エリアで時間を取られるのはまずいと言う事で、マイクロバスの車窓から福岡城の石垣を観るだけにし、福岡市博物館に行く。途中ヤフオクドームあり。これも車窓から。 そして博物館では「軍師官兵衛」特別展が有り、1時間ほど観た。管内の展示物には音声ガイドが付いており案内役はNHK大河ドラマで官兵衛の女房「光」を演じる中谷美紀であった。黒田官兵衛については少しの知識はあったが多くの事は知らなかった。この特別展で彼の生涯を理解出来た。これから年末までのNHK大河ドラマを観るのが楽しみになって来た。 時間が無く常設で展示してあるものは全く見なかった。志賀島で江戸時代発見された国宝、金印「漢倭奴国王」はぜひ観たかったが残念。またいつかそれを観に来よう。 その後黒田家の菩提寺である崇福寺に行き、代々のお殿さまのお墓を観たが、とりわけ官兵衛の墓は赤褐色で際立っていた。それにしてもあまりにも大きな墓石にビックリ。 それからキャナルシティー横のホテル「グランド・ハイアット・福岡」内にある日本料理「なだ万」で昼食を食べる。綺麗に盛り付けて有り、目を楽しませてもらう。昼食と一緒に生ビールを1杯飲んだがこれが後程影響するとは知る由もない。 昼食後、隣のキャナルシティーに移動、13:00からの「キャッ」を鑑賞。席は2階席で少し舞台まで遠い感じがした。私の日記によると2003年11月20日に広島で「キャッ」を観たことが有る。その時席は1階の前の方で少しお値段の高い席だったように記憶している。なお「キャッ」は広島公演中の2003年11月11日に日本初演から20周年を迎えたとかで、中国新聞に記事が出ていたような気がする。そして舞台装置のごみの中に広島カープの帽子が置いて有った記憶が有る。また広島公演は人気が有り3月まで公演が延長されたと思った。私にとってはその時が初めてのミュージカル鑑賞だった。 今回2回目の鑑賞だがあまり内容は思い出せなかった。それでも途中の歌でこれは聞いた事が有ると言うのもあり、また最後の場面は確かに記憶が有った。それにしても昼食後のせいか、1杯飲んだ生ビールのせいか前半眠たくて鑑賞しながらうとうとしていたようだ。 15:30頃終わり、駅に行く。お土産を買ったりしたが予定の列車まで1時間以上余裕がある。博多は始発電車なので必ず座れると見越して1時間早い新幹線自由席に乗り込んで帰宅。指定席券は無駄になったが少しでも早く帰る方が体の為と思った。 全員が無事に帰れたので会の責任者としてはほっとした。
2014年09月09日
この6日・7日に尾歯会恒例の親睦旅行に参加した。今年は「黒田官兵衛の足跡をめぐる旅」と劇団四季の「キャッ」鑑賞で博多方面に出かけた。土曜日の午後尾道を出発、博多到着後駅近くの「八尾治博多ホテル」にチェックインし小休息。良い部屋であった。 そういえば博多駅には海外旅行の時新幹線で来るが、すぐ地下鉄に乗って福岡空港に行くため、駅の外に出たのは10年以上昔の事、駅がすっかり変り街中が一変しているようであった。 その後市内の日本料亭「表邸」で飲み放題7500円のコース料理を食べに出かける。 ところが宴会が始まって30分ほど経過し、料理も3品目が出たところで突然の停電、どうやらテンパールスイッチが落ちたようである。10回ぐらいスイッチを入れてもすぐ落ちると言う事で店員さんが懐中電灯を持って走り回っていた。私たちの宴会場は1階で、そこには厨房もある。 20分位経過したところで、3階にお部屋をご用意したのでそちらに移動してくださいとのこと、この料亭はビルの中にあったが、それでも1階は中庭があり、それらしい風情を演出していた。ところが案内された部屋は窓もないコンクリートむき出しの部屋で情緒は無い。 お詫びに飲み放題のメニューの中でプラス500円出せば飲めるドリンクメニューを新たに持参されサービスですからどれでも良いといわれる。今度のお酒メニューにはワインや、完熟マンゴジュース等が載っていた。 しかし待てど暮らせどその後の料理が出てこない。それでも気分的には座敷が変わったので2次会気分、しかも飲むしか他にすることがないのでおおいに飲んで皆でワイワイガヤガヤ。その後また店員さんが、鹿児島の焼酎を1升瓶で持って来て差し入れてくれ、お詫びですと言う。私はビール・日本酒・ワイン赤・白・焼酎さらに完熟マンゴジュースを酒の肴なしで飲んで盛り上がる。結局1時間以上待ってやっと4品目の茶わん蒸しが出て来た。終わってみれば予定を1時間30分オーバーして9時半近い。 宴会後の予定を組んでいた若い先生方は予定が狂ったと言いながら中洲方面にいかれたが、首・肩の痛い私はホテルに直行。 ホテル内の天然温泉に入り部屋で45分と60分コースのマッサージ両方をしてもらい寝た。ただお酒に酔っていたのでマッサージされながらうとうとしていて、どの程度のマッサージだったのか記憶が定かでない。
2014年09月08日