AM9:00〜PM0:45PM2:00〜PM6:20
木・日・祝日
先日の休みの日に映画を観に行く。家を12時半ごろに出て、帰って来たのは22時頃であった。おなじみの神辺のエーガルエイトに行く。まず「WOOD JOB 神去なあなあ日常」を観る。パンフレットの記載によると『林業をテーマにした映画で、原作は、三浦しをんのベストセラー小説「神去なあなあ日常」(徳間書店)。都会育ちの少年がひょんなことから、ケータイも圏外でコンビニもない、“森”で働く事になり・・・。まったくの未知なる世界に飛び込んでしまった、一人の若者の成長を軸に繰り広げられる爆笑と感動の物語。』とあった。すべてが実写であり笑う所が多く見ていて楽しかった。 「なあなあ」という意味が不明だったがこの言葉は神去地方の方言で「ゆっくりのんびりいこう」「まあ落ち着け」との意味だそうだ。また樹齢何百年という木を切り倒すシーンも圧巻である。そして今、切り出す木というのは御先祖様が植えて育ててくれたもの、また今、植える木は、未来の孫やひ孫の為のもの。人間の脈々とした営みを感じる。 ところが現在、農・林・漁業という1次産業はだんだん廃れ、15歳以上の就労者は今では5%程度で私が生まれた頃は48%程度であった頃から見れば本当にこの先どうなるのかと危惧する。この映画を観て少しでも1次産業に目を向ける若者達が居れば良いのだが。 2本目は「テルマエ・ロマエU」を観た。前作も観ていたのである程度の期待を持ってみた。期待は十分満たされ大いに笑う。日本の銭湯や温泉文化の素晴らしさ、ウオッシュレット・トイレの技術の高さ発想の素晴らしさに改めて感心した。 3本目までには小一時間のタイムラグあり。フジグラン一階のスーパーで30%引きのお弁当とお茶を購入し駐車場の車の中で夕食をする。これで家に帰ってもすぐ風呂に入って寝れる。 3本目は3Dで「ネイチャー」を観た。地球の景色やそこに生きる動植物の生態を余すとこ無く映し出していた。しかも3D映像なので、水滴一粒が立体的に見え迫ってくる。 構成は「謎めいた森」・「魅惑の海中都市」・「燃え盛る地下世界」・「凍てつく山」・「異国の砂」・「荒れ狂う激流」・「灼熱の平原」「グランドフィナーレ」となっており、ナビゲーターはあの「おもてなし」の滝川クリステルさんである。さらに最後にこの映画をつくった現場が紹介されていたが、大変な過酷な環境下での撮影現場でよくぞ撮影したものだと思う。笑いを誘う様なものはないが、地球という財産の大切さを思い知らされた。 それにしても良い映画ではあったが1日に3本の映画を観るとさすがに疲れる。
2014年05月18日
5日は朝から雨が降っていた。まずマルキン醤油記念館行く。味噌は自宅で今年は作っているが、醤油は今まで作ったことが無い。原料に小麦を炒って蒸した大豆と一緒に発酵させることを初めて学んだ。 また昔の醤油造りの道具等も展示してあり孫達にも良い勉強になったのではないだろうか。ここ小豆島に何軒の醤油屋さんが有るのか判らないが、結構電柱広告などに名前が有った。かなりの産地なのであろう。 その後私が一番楽しみにしていた、壷井栄の「二十四の瞳」の「岬の分教場」にいく。 木下恵介監督、高峰秀子主演の映画で昭和29年封切り、まだ私が小学2年生の時の作品であり、いつの頃その映画を観たのか思い出せない、大人になってTVで放送されたのを観たのかもしれない。でも強烈に印象に残っていた。映画では学校の前が砂浜で海に続いていたように記憶しているが、今では道路が有りその先はコンクリートになりさらに海は漁船の船だまりになっていた。この「岬の分教場」は昭和46年3月に廃校になったが、当時のままの姿が教室に残されている。 黒板には昭和46年3月24日の最後の日にか書かれたお別れの文章がそのまま保存されており43年前にタイムスリップした感じがした。また黒板の上の壁に薄く汚れてところどころ見にくくなっている歴史年表等も、保存されており、私が通った小学校にも同じ様なものが有った。当時年表に「飛鳥時代」とあったが「あすか」と読めなくて、「とぶとり」時代あるいは「ひちょう」時代と読んでいたことを思い出した。その他にも昭和46年当時の子供たちが書いた絵も貼ってあり、この地域の人や小豆島の人達の保存への思いが伝わって来た。さらに次の教室に行くと映画のスチール写真が貼ってあり映画のシーンを思い出させてくれた。
1・2年生の教室の教卓の上に紙芝居が置いて有り、小1の孫娘が最後まで紙芝居をしたり。小3の孫もオルガンを弾いたりと、随分興に乗っていた。それにしても木造の校舎は温かみが有り良いものである。 その後「二十四の瞳映画村」に行く。そこには先程見学した「岬の分教場」のレプリカが作られていた。これは田中裕子主演で「二十四の瞳」がリメークされて映画になった時のロケ用のオープンセットであるとのこと。田中裕子主演の「二十四の瞳」の映画が有ったのを初めて知った。昨年はTVドラマでもここを使って「二十四の瞳」が作られ放映されこのTVドラマは観た。この分教場ではボランティアの人たちが「二十四の瞳」のおはなしの紙芝居をされていた。 次の教室には木下恵介監督の映画ポスターが多数展示してあった。いくつかはTVの映画チャンネルで観たりして懐かしいものもあった。「喜びも悲しみも幾年月」もその一つで、この映画の最初の方に北海道の石狩の浜にある石狩灯台の話が出てくる。学生時代その灯台の近くに住んでいたのでその灯台は何度も見たことが有る。但し映画の時代の灯台とは違って無人だったように思う。 その他、壷井栄文学館にも立ち寄る。彼女の生い立ちや、執筆の様子、作品等が展示されており興味深く見学した。 小さい子供を抱えておりフェリーの時間等も考え映画村を後にする。 帰る途中復刻された銀色ボンネットバスとすれ違った。
昼食を取ろうと二男がネットで探した食事処に行くが、2時間待ちだとかというのでそのままフェリーターミナルに行きそこの食堂で讃岐うどんを食べた。今度は2番目に乗船し一路我が家まで帰る。 この度の長男の帰郷に際し、必ずお墓参りをするように厳命しておいた。次の日の6日には午前中の飛行機で沖縄に帰る事になっており、6日にはバタバタしてお墓参りどころではないと思い、夕方ではあったが全員で墓参りをした。 というのも、初めての男孫が誕生し、私の家の苗字を繋いでくるであろうから御先祖様に御挨拶させる必要が有った。これで念願かない御先祖様も喜ばれたであろう。 6日朝、空港まで見送りに行き、無事沖縄に帰りついたとのこと。3泊4日ではあったが随分と疲れた。昔から言われるように「待って嬉し、来て嬉し、帰って嬉し」であったかな? 家内は色々気を使い大疲れしたのではないだろうか? それにしてもGW多くの観光客が来ていてどこもかしこも人で溢れていた。このGW の経済効果たるやすごいものが有るのではなかろうか?
2014年05月08日
4日はまだ道路が混むかもしれないし、岡山港のフェリーは1時間に1本で、乗れなければ1時間待つことになるというので、朝7時に我が家を出発し一路岡山へ向かう。 車は2台で、二男の車に私たち夫婦が便乗させてもらい、長男一家は空港でワゴン車をレンタルしてきている。 途中はそれほど込んでいなかったが、フェリー乗り場は既に一杯の乗用車である。予定した便には乗れず、9時半の便にギリギリセーフで乗船した。椅子席には座らないでカーペットの敷いて有る席に陣取った。8か月の孫息子は這い這いしながら動き回るし、4人の孫娘は走ったり、組みついたりと、他の乗客に迷惑になるので注意してもその時だけ、すぐに元の状態。船内の売店でおやつを買い渡すとすぐ取り合い、挙句にとんがりコーンを指にはめて悪魔の爪のまね。どうにもならない。 何組かの他の乗客たちはよその席に移動していかれた。申し訳なかった。70分後に土庄港に着く。 小豆島が瀬戸内海で2番目の大きさの島だとは知らなかった。どこを観光するのか私はさっぱり分からず、来た事のある二男にプランは任せきりにしていた。私が小豆島で思いつく事はオリーブ・そうめん・醤油・二十四の瞳である。 昼食は「小豆島そうめん作兵衛」というお店で食事をした。料理は1品だけしか扱っていない。ここに来るまでにも道路わきには多数のオリーブの木が植えてあり、そこかしこにオリーブの苗の直販場が有りさすがオリーブの島だと感心した。私の診療所の駐車場に2本のオリーブの木が有るがなぜか実がならない。雄・雌の木が必要なのかな? お店を出たところで、空に奇妙な虹が出ていた。普通虹はアーチ型だと思っていたのだが、その虹は雲の淵を取り囲む様な恰好で雨が降ったわけでもないのに出ていた。 昔なら何か不吉な前兆かと人々を思わせたかもしれない。 その後「小豆島オリーブ園」にいく。ここは小豆島にオリーブが伝えられた時の原木が保存され、園内には2000本のオリーブの木が有るとか、またイサム・ノグチの遊具彫刻が有り、孫娘たちはその滑り台で大いに遊ぶ。 その後歩いて隣にある「道の駅・小豆島オリーブ公園」へと移動。ギリシャ風車の建物があり、そこから眺める海はさしずめエーゲ海なのかもしれない。空も晴れ渡っており本当にその気分になる。またオリーブ記念館ではオリーブの女神アテナ像が設置されギリシャの風情であった。孫達も我々も少し喉が渇き、オリーブのソフトクリームを食べる。それにしてもどの売店に行っても多くの試食品がおいてある。オリーブの入ったチョコレート・バウンドケーキ、オリーブ油をつけて食べるパンなど孫達は大喜びである。大人も結構食べさせてもらった。これほど豊富に試供品を提供している観光地は無いのではないだろうか? その後日本三大渓谷美の一つ「寒霞渓」に行く。ロープウエイ乗り場の駐車場は一杯で仕方なく長男・二男だけが車で山の上の駐車場まで登り、後の我々はロープウエイに乗り込む。孫達はロープウエイに乗った事が無いらしく大喜びである。景色を観ながら3年ほど前に行った中国「武陵源」のロープウエイを思い出した。ロープウエイから観る寒霞渓の景色も素晴らしく秋の紅葉の季節はまた一段と綺麗だろうなと思った。
この場所は昨年上映された「八日目の蝉」のロケ場所だとも書いて有った。 山から下にある鉄の輪っかに向かって投げる「さら投げ」があり、孫達が挑戦した。私も2枚ほど投げたが、肩が痛くてどうしようもない。これで4日の観光は終わり、宿泊先のベイリゾートホテルに行く。チェックインそれからすぐに温泉につかる。このホテルの温泉は地下1600メートルから汲みあげているとのこと。中々良い泉質であった。 浴槽からは海や島が見えてゆったりとした気分が味わえた。またホテルからの眺めもよく、夕日も綺麗であった。 その後夕食をする。全員で食事をしていると色々な話が出たりして嬉しくなって少し飲み過ぎた。10時前には酔っぱらって寝てしまう。
休みはカレンダー通りであり、4月29日の「昭和の日」には、最近借りた畑を耕して、ナス・カボチャ・ししとう、オクラ等の苗を2〜3本づつ植え、僅かばかりの菜園を家内と始めた。小学生の頃、庭で母親が2坪ほどの小さな菜園をしていたのを思い出しながらやってみた。日頃重いものを持つ事もない軟な体には応えた。それでも夏にはいびつな格好をしたなすでも収穫が出来れば良いのだが。結構1日が早く経過して行く。 3日から6日までは沖縄の長男一家が里帰りしてきた。4日間と言っても1日1便の飛行機の為、往復に2日取られ、実質2日間の滞在と変わらない。長男一家は長男夫婦・小学3年・1年・幼稚園年中の孫娘3人、生後8か月の孫息子と総勢6人という大所帯でやって来た。大変だろうと思い空港まで迎えに行きかけたが、渋滞をしていたので途中で止めて家で待っことに。 こちらは私と家内と松永の二男夫婦に幼稚園年少の孫娘総勢5人で迎えた。初日は夕方に帰郷して来た事もあり、何も行事予定はなく夕食だけを共にした。この前から利用させていただいている、「東山」さんでお世話になった。 食事中は少しおとなしかったが、ある程度小腹が太るとそれは大変。 女3人で姦しいというが、4人ともなればうるさい・やかましいなどで表現しにくい。日頃一人っ子でおとなしい二男の孫娘までが一緒になったはしゃぎまわるし、泣いたりわめいたり、物の取り合いやつかみ合い、それにつれて8か月の孫までが泣き出すし、日頃静かさに慣れている私達老夫婦はおろおろするばかりである。東山さんには大変ご迷惑をおかけした感じであった。 長男一家は2年前まで尾道に住んでいたこともあり、尾道の観光をする必要もなく、どこか近場に出かけようと思い、今回は小豆島への一泊旅行を3月から計画していた。もっとも私はこの年になるまで1度も小豆島を訪れた事もなく、前々から一度は行ってみたいと思っていたので、私自身が大いに楽しみにしている事に気が付いた。
2014年05月06日