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木・日・祝日
今年度第2回の学術講演会が尾道市歯科医師会館で開催された。今回は京都市で御開業の竹内正敏先生をお招きして「お口のケガとマウスガードそしてお口の健康づくり」と題して御講演を頂いた。 前日に尾道に来ていただき、先生と懇親会をしたが、その際お話をする中で先生の経歴が非常にユニークであり驚いた。年齢は私と同じで、歯科大に入る前に福井大学工学部機械工学を卒業されており、私が広島大学工学部応用化学科卒業と同じような経歴であり随分と親しみを感じた。もっとも先生は最初レーサーになろうとしていたとかで私とはその辺りが違っていた。大阪大学歯学部卒業後、京都大学医学部助手を経て開業されている。 現在はスポーツデンティストとして、京都の高校生を中心としたラグビー選手、関西の大学生を中心とした女子ラクロス選手、全国のプロモータースポーツ、アメフト、バスケット選手などのデンタルサポートをされている。 特に世羅町にあるモトクロス競技場「世羅グリーンパーク弘楽園」には毎年来られて選手のサポートをされているとのこと、それ故尾道の街の事も良く知っておられ、より一層親しみが湧いた。さらに鈴鹿サーキットにも出かけられるなど全国を飛び回っていらっしゃるお忙しい先生である。 今回の学術講演会を企画した背景には、昨今、国民の健康に対する意識変化や、国のスポーツによる健康維持への取り組みなど、運動・スポーツを通じた健康づくりが盛んとなってきた。 このような状況下で、運動中に転倒したり、人とぶつかったりして口腔内を怪我する事例も多発してきている。 それらを踏まえての事であろうが、平成23年にスポーツ基本法が成立し、今まではスポーツドクターが中心であったが、基本法の中に歯学が明記され、今年度から日本体育協会においてスポーツデンティスト養成事業も開始された。 今後、スポーツが健康寿命の延伸、QOL の維持・向上等に寄与していく中で、スポーツデンティストの役割は大きくなると考えられている。 私自身はスポーツ歯科と言うとマウスガードを作成することぐらいしか知らなかった。 尾道では毎年の様に花園に出場する尾道高校ラグビー部もあり、生徒たちは必ずマウスガードを着用して練習や試合をしており、生徒さんのマウスガードを作成した経験もある。 ところが先日来、理研の小保方晴子博士がSTAP細胞を発見し早くもノーベル賞候補だと言われていますが、実は彼女が早稲田大学時代「ラクロス」部に所属しており、女子ラクロスはマウスガード着用が義務であり彼女も着用して競技をしたものと思われ、マウスガードをより身近に感じました。 先生の講演を聴きながら歯医者も診療室だけに閉じこもらないで、他にも色々な活躍の場があるのだと改めて認識をした。
2014年02月23日
この所、年度末が近付き、何かと会合等がやたらと多い。そこに加えて8日と14日にこの地方では珍しく雪が積もる。とりわけ8日は広島で会合があり、新幹線の遅れ、高速道路の閉鎖がありやきもきしながら出張した。 また8日の雪が屋根から落ちて軒下に高く積もっていたが、今日やっと全てが溶けた、丸々1週間あったことになる。それだけ寒さも厳しい感あり。 立春は過ぎたがまさに童謡・唱歌の「早春賦」の世界「春は名のみの風の寒さや」であった。 そして先週は10日、12日、13日、14日とほぼ毎日、夜診療後に会合に出かける。中には会議後、懇親会などもあり、飲んだりしているとどうしても帰りが遅くなり睡眠時間の不足を来たす。また11日の休日には福山のデパートに昨夏に生まれた男の初孫のために五月人形を観に行き予約をしたりした。 その中で13日は「尾道市立市民病院地域連携の集い」があり、尾道市歯科医師会会長と言う立場で出席をした。市民病院の「形成外科」と「消化器内視鏡センター」「地域連携室」の紹介講演があった。 また市民病院の先生、看護師、職員の方々との懇談や、尾道市内の医科の開業医の先生方との懇談・情報交換が出来て非常に有意義であった。 医科・歯科連携はこれから益々必要になってきており、政府もその後押しをする様な診療報酬体系を策定してきている。来年も参加したいものである。 そして昨日、15日には朝6:57発の新幹線で広島出張、会議やその他の会合を終えて帰宅したのは19時半をまわっていた。先週はまさに極限まで体力を使った感じとなった。 そのせいか今日は朝4時半ごろのどの痛みで目が覚める。やたら痰がでたりする。どうやら風邪をひいたようである。そこで急いでうがいをし、のどにサロンパスを張り、首枕を巻いて2度寝をする。朝起きると体のあちこちが痛く、揉み屋さんで100分程ほぐしてもらうが疲れが完全に取れない。それで昼食後久々に昼寝をした。3時間ほどぐっすり寝たらのどの痛みや体のだるさが消えて頭まですっきりである。 ここまで昼寝が体を癒してくれるとは正直思わなかった。やっとブログを書く気になった。
2014年02月16日
先日ウイークデーの昼間、山田洋二監督の映画「小さいおうち」を観に行った。テレビでも盛んに宣伝されている。しかもこの映画は現在ベルリン国際映画祭にノミネートされており銀熊賞が取れるかもしれない映画である。ウイークデーの昼間と言うせいか、観客の大多数はほぼ私の年齢に近い。多くは退職され余暇を楽しんでおられる方達かも知れない。 ある意味映画は安い娯楽の様な気がする。私のように60超えると割引きがあり1本1000円で2時間ばかり楽しめる。もしもパチンコに行こうものなら2時間で恐らく何万円も浪費してしまう気がする。 ところで映画の中身は観てのお楽しみだが、パンフレットから少しだけ引用させていただく。 『昭和初期、東京郊外に佇む赤い屋根の家に奉公した女中タキが見た、ある“恋愛事件”。その時、タキが封印した“秘密”が、60年の時を経た平成の今、タキにつながる青年の手で紐解かれていく。真相に近づくカギは、大学ノートに綴られたタキの自叙伝と、一通の宛名のない未開封の手紙にあった。時代が許さなかった恋愛事件の主役である女主人・時子の思いがけない運命と、彼女を慕い続けたタキ。それぞれが胸に秘めた切ない思いとは・・・? 小さく可愛らしいこの家で、いったい何が起きたのか? 昭和と平成を行き来しながら謎を解くミステリアスな展開から目が離せない。さらに揺れ動く女たちの心が胸をしめつける・・・。』とある。 戦前は東北などの田舎から裕福な家の女中さんになる娘さんたちが、沢山、東京に出てきていたようだ。それだけ東北地方は特に貧しかったのであろう。最近はあまり女中さんやお手伝いさが家にいるという話を聞く事が無くなった。それだけ日本が裕福になったのかもしれない。 昭和46年に私が東京一部上場企業の大企業の会長さんのお家に伺った折、そこには年配の女中さんと私と同年齢のお手伝いさんがいらっしゃった。呼び方が女中さんでなく若い人を「お手伝いさん」と呼んでいたのが不思議であった。多分若い人を雇うにあたり「女中」と呼ぶよりイメージ的にその方が良いのではなかったかと思う。 会長のお孫さん達と一緒に「ディオンヌ・ワーウィック」の「雨にぬれても」等のライブを武道館に観に行ったがその時、お手伝いさんも連れていかれました。使用人であったがその家では家族的な扱いをされていた事を、この映画のタキさんとご家族の関係を観ながら思い出していた。
2014年02月06日