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それは突然の悲報であった。会務から帰ってきたら家内が何やら深刻そうに電話で話している。話しながらメモを私に書いてくれた。何と沖縄にいる同級生の親友S君が亡なったと書いてある。一瞬目を疑う。S君とは歯科大学の同級生で私より8歳も若い。家族ぐるみで付き合っていたので家内も真剣に話を聴いていた。
GWの29日に家族と外食をし、家族は買い物が有ると言って先に帰り、S君は歩いて帰ると言って一人で出て行ったのだが、その晩帰宅せず家族が心配していたところ、翌朝警察から橋から転落して死亡していると連絡があったとのこと。司法解剖をしたが死因ははっきりしなかったとのこと、足を滑らせ誤って落ちたのか、酔いが回って吐きそうになり体を乗り出して落ちたのか、はたまた急な心筋梗塞の様なものが起きて倒れた拍子に落ちたのか、いずれにしても事故死であろうと推測される。奥様はいまだS君の死を受け入れられず、悲しみの淵におられる。何とお慰めをしたらよいのか言葉が見つからない。
13年前小樽の奥様の実家で
まだお子さんが大学生と高校年生で、これからのことが案じられてならない。
おもえば彼は夕張出身、お父上は当時北海道炭鉱に勤めておられた。しかし大学3年の時、北炭の大ガス爆発事故により会社は倒産、経済的に困窮する中頑張って卒業した。彼とは入学以来、彼のアパートと、私たちが住んでいた家が近かった事もあり1年生の時から夜明けまでよく飲み明かしたり、将来を語ったりした仲である。彼の口癖は「歯医者になったらバラ色」もっともそれは幻想でしかなかったが、それでも当時はそれを信じて勉学や実習に励んだ思い出が有る。
映画「ラブレター」のロケ地になった奥様の実家
卒後、彼は北海道滝川市で開業したが、沖縄の地にあこがれ医院を閉院し沖縄に引っ越した。ここ2〜3年は少し体調がすぐれなかったようで、昨年自院を閉院し勤務医生活を送っていた。1カ月に1回程度のFAXや電話で連絡を取り合っていたが、ここ2カ月くらいとだえていて、気になっていたのだが、家内がたまたま柑橘類を贈った所、奥様からの電話で事の次第を知った。
それにしても、親友を亡くすことがこんなにも応えるとは思いもよらなかった。両親を亡くした時も応えたが、「そこそこ生きたのだから」、「寿命だから」とか納得する心が何処かにあった。しかしS君の場合、私よりも若いし、学生時代を共に過ごした同志であるが故に、中々受け入れられない。その晩は彼を思いながら午前2時過ぎまで飲んでいた。彼の御霊の安らかんことを願う。向こうの世界に行った時はまた飲もーで。 | |
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