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木・日・祝日
先日、卒業した北海道医療大学の広島県支部同窓会で臨床セミナーが開かれ、京都大学医学部口腔外科教授の別所和久先生の「歯科領域における再生医療」と題した講演を聴いた。 5年ほど前に広大で彼が骨粗鬆症の講演をしたのを聴いた。実は私も彼も大学では1期生の同級生であり、懐かしさを覚えながら聴かせてもらった。 顎顔面骨の再建や修復の話から始まり、顎骨の再生、関節軟骨の再生、最後に歯の再生の話を聴いた。まさに最先端の研究成果を聴かせてもらった。 京都大学なので当然あのノーベル賞をもらった山中教授のiPS細胞を使用して骨や軟骨を造り出す研究の話も出てきた。とりわけ軟骨の再生では、iPS細胞よりも、関節炎などでよく「水が溜まって抜いてもらう」と言われている滑液の中の細胞の方が効率良く軟骨を再生するとのこと。マスコミで騒がれるほど簡単なものでは無く、如何にiPS細胞をコントロールして目的の臓器にするのかが研究の大半を占めているようだった。 ところで歯の再生の話の中で興味のある話が聞けた。特に歯というのはエナメル質・象牙質・セメント質・歯髄(俗称神経)と歯を支える歯根膜など多様な組織の塊である。 これを再生するとなれば大変である。現在特に乳歯や親知らずを抜歯した後その歯髄を取りだし培養し、筋肉の中で歯の形態を造り出す研究などがおこなわれている。 ところでサメは歯がだめになるとすぐまた次の歯がどんどん生えてくる仕組みになっている。うらやましい限りである。 ところが人間では乳歯がぬけると永久歯が生えてくるがその永久歯が無くなると2度と生えてこない。彼はここに着目をした。歯が生えるためには歯のもととなる歯堤(歯の芽)が必要である。今まではまず乳歯の歯堤が出来、乳歯が作られていく過程でその下に永久歯の歯堤が準備され、徐々に永久歯に成長して行き乳歯と交換するとされ、生涯2個しか歯堤は造られないと考えられていた。 ところが、彼の話によると、実はさらにサメのように第3の歯堤が存在しているというのである。しかも生後3カ月くらいまではその歯堤が顎骨の中に残っている。しかしその後、生体から出てくる物質がその歯堤を消失させるため永久歯を失うと二度と生えてこないのだという。 そこで第3の歯堤を消失させない物質を投与することで歯堤を温存し、将来永久歯が無くなった時に歯を造らせもう一度生えさせることが出来ると考え研究をしているとのこと。これがうまくいけば近い将来、歯を無くした後、入れ歯やインプラント治療など必要でなくなるかもしれない、夢のような話である。うまく研究を成功させてもらいたいものだ。 当日は同窓会の箕輪会長(彼も私と同期)も来広されセミナーに参加した。その後の懇親会は1期生3人で楽しく過ごした。
2013年02月25日
27年前に開業した時、開業祝いに「幸福の木」と名札の掛かった観葉植物をいただいた。初めて幸福の木という名前を知ったのである。しかしその時頂いた木は何年か後に枯らしてしまった。枯らしたから幸福ではなくなるなんて縁起を担ぐこともなかった。 そして10年ほど前に80センチ程度の高さの「幸福の木」を家内が買ってきた。今では幹の太さはそれほどないが、丈だけは私のせいほどになった。夏場は玄関先に置いたりするが、秋から冬場は室内に置いておく。水もそこそこやる程度で大して世話もしていない。 ところが、先日突然にこの幸福の木の幹と葉っぱの付け根に白いつぼみのようなものをいっぱいつけたものが上下2本伸びてきて、2週間ほどで花が咲いたのである。しかも夕方から咲き始めたようであった。 まさかこの木が花を咲かすなんて、聞いた事もなく思いもしなかった。 白い小さな花が房のように付いている、いい匂いの芳香で部屋中が満たされ幸せな気分になれる。花そのものは5日くらいで少しずつ枯れていった。 ところで4年前にミャンマーに行った時、この幸福の木がたくさん道端に自生しているのを見た。残念ながら写真には収めていない。その時、日本では結構高いお値段で売買されているのに、ここミャンマーでは誰も見向きもしていない。ここから持って帰れば良いのにと良からぬことを思ったものだ。 インターネットで調べると木の学名は「ドラセナ・フラグランス」と言うらしい。どうやら「フラグランスとは辞書によれば良い匂いという意味が有る」恐らくこの木の花の匂いが素晴らしく良いため、そこから付いた名前ではないかと想像した。 それにしてもびっくりである。幸福の木に花が咲くなんて、今年は良いことが起こる前触れなのであろうか?「こいつは春から縁起がいい」是非そうなってほしいものである。
2013年02月21日
この連休、歯科医師会の会務が少し一段落して心に余裕が出来たので、映画を観に行く。10日と11日の2連休で合計4本の映画を観たがその内、10日にはシネマ尾道で 園 子温監督の「希望の国」を観、また11日は奇しくも東日本大震災から丁度1年11カ月の日であったが、福山シネマモードで毎日放送のドキュメンタリー「生き抜く・・・南三陸町人々の1年」を観た。共に東日本大震災に関連した映画であった。どちらの映画も、ともすれば風化しかけている未曾有の災害を改めて心に呼びもどす映画であった。 「希望の国」は映画の内容をパンフレットから引用すると『東日本大震災から数年後の日本のとある町を舞台に、小野家と鈴木家は隣り合い、つつましくも幸せに暮らしていた。ある日、大震災が発生、それに続く原発事故が、生活を一変させる。原発から半径20q圏内が警戒区域に指定され、強制的に家を追われる鈴木家と、道路一つを隔てただけで避難区域外となる小野家。そんな中、小野家の息子・洋一の妻・いずみが妊娠、子を守りたい一心から、放射能への恐怖を募らせていく。』 この映画は過去の話でなく、現在も福島では現実に起きている話、放射能の恐怖、警戒区域の避難解除が進まない人たちの苦悩、そして津波で流された街の実写等が有り、物語はとある町として設定しているが、まさに福島県で起きた原発事故時の様子とその経過を再現したドラマであった。最後に主人公が飼っていた乳牛を射殺し、夫婦で死を選ぶストーリーに国の無策さを感じる。そして息子夫婦が、放射能の汚染の無い地方へと再度避難するが、はたしてそこが安全な希望の土地なのか、あるいはどの様に折り合いをつけるべきか、映画は我々に解答を求めているようであった。なお映画主人公の小野泰彦(夏八木勲)の妻・智恵子は認知症であるがそれを演じた大谷直子の演技が光っていた。 翌11日に観た「生き抜く」はドラマではなく、記録そのものであり、実名でスポットをあてられた人々の苦悩と現実を実にありのまま表現していた。800時間の取材テープをもとに構成され、地震発生28時間後からカメラは回り出す。行方不明者の捜索をする自衛隊員、救援物資を運ぶヘリコプター、炊き出しをする人々、さらに避難所の様子などを克明に映し出しながら、それぞれの被災者に寄り添うように映像が映し出されていた。 パンフレットの見出しには「娘を引き揚げるためにいち早く海に出た漁師、最愛の妻を亡くし幼子と再起を誓う夫、役場職員だった夫を探し続ける妻、日に日に絶望の念を深めていく女性、仮設住宅の抽選をめぐり言い争う人たち・・・」とあり。被災者の素顔を映し出しながら、2012年2月までの記録が丁寧に描かれていた。その中で被災者たちが徐々に、現実を受け入れ、少しずつではあるが前に前進を始めた人、いまだそこにとどまり、希望さえも見出せない人もいらっしゃるが、前進を始めた人たちの表情を観るとこちらもほっとした。早く全員が立ち直って笑顔が戻ることを期待したい。 たまたま、タイミング良く2つの映画を観たが、いまだ解決しない福島第一原発事故、被災地復興の遅さをニュースなどで聞くたびに心が痛む。願わくは全被災者の方々の心の傷が癒え早く笑顔が戻ることを祈るばかりである。
2013年02月12日
1月最後の日、歯科医師会の会議で東京日比谷公会堂に行った。飛行機で行くか、新幹線で行くか迷ったが、冬のこの時期、飛行機は欠航等が起こりやすいと考え、新幹線で行く。 新尾道駅を8:00発の「こだま730号」で出かけ、福山乗り換えで8:23の「のぞみ118号」に乗った。東京駅には12:03着であった。福山での乗り換え時間10分を引けば尾道から何と東京まで3時間53分で行けた。驚くほど速い。 昔、高校1年生の時初めて東京に行ったが、その時は広島発の急行「宮島」で出かけた。尾道から12時間を超えていた。その後も大学生の夏休みに東京に出かけて、帰る時など、臨時の急行列車を利用したがいずれも12時間以上だった。 また夜行の寝台特急で行ったりしていた時も12時間近く掛かっていたように思う。新幹線が出来て東京〜新大阪間3時間10分だったか15分掛かっていたのに、いつの間にか、こんなに速くなっているのに驚いた。サラリーマンの方達なら尾道・東京日帰り出張なんて当たり前のことかもしれないが、私には「東京日帰り」それだけで本当なのと思って引けてしまう。サラリーマンを辞めて久しい浦島状態の私には随分と新鮮な出来事であった。 日比谷公会堂は名前こそ聞いたことが有るが行ったことがなく、有る程度、地図を調べておいたので、有楽町まで戻ってそれから歩く。日比谷公園の一角にあったが随分と古い建物であった。 会議は正味1時間45分。帰りは16:30東京発の「のぞみ49号」。
出発までかなり時間が有り東京駅まで歩く事にした。天気が良く、風もほとんどなく春を思わせるほどで、コートを着ていると汗ばむようであった。 お堀端に沿って歩くと帝国劇場が有り、昔、そこのラウンジでコーヒーを飲んだ事を思い出した。さらに歩くと皇居前広場に出た。それで二重橋を観に行く。二重橋など何十年前に観たのか思い出せないほどである。 それから取って返しまっすぐ歩くと丸ビルなどが有る大手町に出る。昔、日立製作所にいた頃、本社出張で出かけたビルは無く、新しいビルになっていた。 目の前に昨年リニューアルされた東京駅の赤れんがの建物が見える。本当に綺麗になっていた。駅舎の中の天井や壁も新しくなっており、99年前の駅はこんなにもモダンだったのかと思った。 東京に来ても普通は東京駅そのものに降り立つ事は無く、山手線等で目的の場所に行ったりするので、今日は良い経験をさせてもらった。 予定通り新幹線に乗り新尾道駅には20:30に到着。家内に迎えに来てもらって20:40頃には家に帰りついた。ちょうど家を出てから13時間であった。 この度は前の日まできちんと仕事をし、次の日も普通に仕事をしなければならず、体の事を考え、往復グリーン車を利用したが行きも帰りもA席だったので、雪の伊吹山も富士山も見ることが出来なくて残念、 さすがにくたびれた。
2013年02月03日