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木・日・祝日
私の診療室の窓から見える山の木々も黄色から少し茶色みを帯びた色に紅葉し一部は落葉が始まっているようだ。ただもみじや楓・はぜの木(漆)がないので赤色系がなく、なんとなく寂しく物悲しく感じる。 先週、紅葉を求めて広島空港横の三景園に行ってきた。出かけた時は晴れていたが、ついた頃、曇って小雨がぱらつくあいにくの天気だったが景色は最高であった。
驚くほどの紅葉と色の鮮やかさに驚かされた。もっと奥の中国山地付近まで行かなくてはこのような鮮やかさは期待できないものと思っていた。 この三景園は開園した頃に2度来た事があったが、まだその頃は植栽された木が庭になじんでいなかったが、今回行って観てすっかり自然に溶け込んでいるようであった。しかも秋は初めてである。 もみじ祭りの最中とかで、入場料も少し高目だった。 広島県の名勝を模した造りになっており改めて良い観光スポットだと思った。2時間ほど園内を散策後、広島エアーポートホテルのロビーに立ち寄り、ロビーの喫茶コーナーで季節限定のオータムシーズンフルーツパッフェ?(多分そんな名前)とコーヒーSETを食べた。美味しかったが、せっかく2時間ほど歩いてカロリー消費をしたのがパーである。 それでも気持ちは晴れやか、京都あたりまで出かけなくても手軽に秋が楽しめそうで、また来年も来てみたいものだ。
2012年11月26日
尾道の地方新聞である「山陽日日新聞」の11月8日の記事に「鞆の浦歴史民俗資料館特別展・パノラマ地図と旅・鳥瞰図と絵葉書にスポット当て」が出ていた。その記事の中に「大正から昭和にかけて活躍した吉田初三郎は、鳥瞰図(ちょうかんず)という技法を確立した絵師です。」という記述があった。 実はこの吉田初三郎氏については今年のお盆休みに台湾の南天書局という出版社に訪れた時、社長の魏さんから頼まれた宿題があった。それは私たちが広島から来ているということで、広島の「広島印刷(後の広島図書)」が1949年に発行したグラフ誌「HIROSHIMA」に初三郎が描いた、原爆投下前後の鳥瞰図が載っていると思われるので、もしも手に入るのならそのグラフ誌を探してほしいとお願いされた。2002年・平凡社発行の「太陽」にそれらしきものがあるとのこと。そこで捜せるかどうか解らないが、古本屋をあたってみると答える。 帰って広島の古本屋を当たったがさっぱりであった。そんな折の新聞記事。そこですぐに鞆の浦歴史民俗資料館に出かける。そこで資料館の人にいきさつを話したところ、以前北九州市の自然史・歴史博物館「いのちの旅博物館」で初三郎氏の展示会をした事がある。その時グラフ誌「HIROSIMA」が確か展示されていたといわれ、その時の図録を見せていただき、コピーをしてもらった。 早速帰って歴史博物館に連絡するとまだ図録があるという事で取り寄せた。 図録の題は、「平成20年度秋の特別展、美しき九州の旅―「大正広重」初三郎がえがくモダン紀行―」で中身はすべて初三郎氏の描いた鳥瞰図や絵ハガキなどまさに初三郎ワールドであった。ただ図録の大きさがB5版のため少し小さいのが気になったが、58~59ページに求めていたグラフ誌「HIROSHIMA」に掲載されていた8枚の絵が乗っていた。 そしてこの図録を良く見ると「益田啓一郎蔵」と書いてあった。また多くの初三郎作品を益田氏が所有している事も判った。益田氏はこの特別展を企画した合資会社アソシエの代表でもある。またインターネットで調べたところこのグラフ誌の内容写真が次のURLに乗っている事も判った。http://www.asocie.jp/hatsu/hiroshima/index.html そしてこれらの図録を見る限り初三郎氏の多彩な活躍がよく見てとれた。 図録には初三郎氏以外の鳥瞰図も掲載されていたが、比較にならないと思った。 本当に素晴らしい表現力である。 私の様に歯科しか知らない専門バカ?にはまったく違った世界であり、こういう世界もある事を教えてくれた台湾の魏さんに感謝である。 魏さんにはURLをお知らせし、また「鞆の浦歴史民俗資料館特別展・パノラマ地図と旅・鳥瞰図と絵葉書にスポット当て」の図録と「平成20年度秋の特別展、美しき九州の旅―「大正広重」初三郎がえがくモダン紀行―」の図録を送付させてもらった。これで何とか宿題を終わらさせてもらうことにした。
2012年11月16日
先日歯科医師会の役員会で大坂に出かけた。宿泊はリーガーロイヤルホテル大阪。会議と懇親会をホテルで行い、そのあと、大阪出身の先生に案内されて2次会で難波、三ッ寺筋のラウンジに出かける。 生バンドがあり、1テーブルに一人くらいの女性が付いた。まーまーのお店で、水割りを1杯と半分くらいに、乾きもののおつまみをつまむ。2時間ほどねばった。 今、大阪では、北の新地は土曜日・日曜日は締まっているお店が多いいのだとか。 「景気が悪く社用族が少なくなっているから土・日開けても儲からないのだ」と、そこのお店のママさんが言っていた。 その後、焼き鳥・タコ焼きを食べに行く連中とすし屋に行く連中と二手に分かれる。私はすし屋組に同行。ばってら寿司やアナゴ寿司などに舌づつみをうった。ホテルに帰ったらちょうど0:00。それにしても、若い人たちがそんな時刻でもすごく多く歩いているのに驚く。尾道では考えられない事である。やはり大都会という感じを受けた。 翌朝、ホテル宿泊券に朝食が組み込まれており、和食と洋食の選択肢があったが、昨日飲みすぎた感があり、バイキングスタイルをやめ、ホテル地下一階の和食の「なだ万」で「おかゆ朝食」にした。値段の割にはそれほどではなかった。 ところで11月9日から11月11日までリーガーロイヤルホテルの隣にある大阪国際会議場(グランキューブ大阪)で第22回日本歯科医学会総会が開催されていた。この学会に参加するのも今回の大阪出張の一つの目的である。もっとも私は、歯科医学会総会に出席するのは初めての経験である。 ホテルから会場までは連絡通路があり、雨に濡れる事もなく行けた。 余談だが、9日の開会公演は京都大学の山中教授の「iPS細胞研究の進展」と題した講演が予定されていた。しかしノーベル賞を授与されたため、急遽ヨーロッパへ出張が入りキャンセルとなった。多くの歯科医の先生方が期待されていたのだが残念だったという声が多かった。ただし私は11日だけの参加なので関係なかった。 「口が開かない!診断・治療の最前線」という顎関節症のシンポジュームに参加した。特にシンポジストのお一人が、私の出身大学の教授という事もあって出席した。 私の診療室でも結構、顎関節の異常を訴えて来院される患者様も多く、従来のスプリント治療に加え、最近の治療法や外科的治療などについても勉強させてもらった。これからの治療にも役立ちそうであり中々良かった。 歯科材料や、器具の展示をしているデンタルショウはかなり離れた場所で開催されていたため、参加はしなかった。少し残念であった。 来年チャンスがあればまた学会に出席したいものである。
2012年11月12日
11月6日でわが「さいだ歯科医院」は開業26周年を迎え、いよいよ27年めに突入していった。朝のミーティング時に従業員の皆様から、色紙に書いたお祝いの寄せ書きを頂いた。有難いことである。 寄せ書きの文面はすべてが前向きで、さいだ歯科院の現在がよく表れていて嬉しかった。 開業当初を思い出すと、今更ながら大変だったことが思い出されてくる。 副院長の二男は当時小学校の4年生だった。また長男は6年生でこの時点で転校させると長男は、転校先の小学校の卒業アルバムに何も載らないので可哀想と思い、長男が卒業するまで子供たちは転校させないで、栗原小学校までバス通学をさせた。 開業当初は患者様も多く、また手際の悪さなどがあり、診療が終わるのが遅くなる事もしばしば。家内にも受付などを手伝ってもらっていたので、診療が終わってからの夕食の支度で、毎日がかなり遅い夕食で、子供たちには寂しくて腹をすかせていたのではと思う。 また開業して間もなくの頃、三原山が噴火して大変になっている事すら、TVを観る暇もなく翌日の新聞のトップニュースで知った。そんな事が走馬灯のように頭を横切った。 夜、ささやかな開業26周年の食事会を近くのレストラン「オゼルブ」で開いた。 開業当初からのスタッフは私、家内、技工士の高須君しかいないが、多くの従業員様に支えられ、ここまでこれたのだとしみじみ思った。 会話は「あんな事があった、こんな事もあった」等、この26年間に起きたエピソードや昨年25周年の時、今のメンバーで行った台湾への医院旅行なども含めて多いに盛り上がった。 皆の楽しそうな姿を観ているとまた1年頑張って27周年を迎えたいと思う。 食事会も最終局面になったところで、「開業26周年おめでとうと」書かれたケーキが出てきて、さらに「26周年おめでとうございます スタッフ一同」の添え書きのある花束をチーフがスタッフを代表して渡してくれた。 サプライズである。前もって従業員の皆様がたが手配していてくれた。 温かい心遣いに少しホロっとする。いつまでもこの関係が続く事を願ってやまない。
2012年11月08日
昨日、ロードショウ開始、1週間遅れで映画「終の信託」を観た。久々の圧巻であり、映画に魅入った。 医療か?・殺人か?この映画は現代の終末期医療のあるべき姿に一石を投じていると思った。 パンフレットから引用させていただくと「愛と死に直面した人間を冷静な視点で最後まで描ききった真のラブストーリー。終末医療の現場で起こる生死をめぐる問題の数々。知られざる検事室での聴取。数奇な運命に翻弄される女医…。現役弁護士・朔立木の同名小説を原作に、監督自らが大胆に脚本化、端正で冴えわたる演出で2時間を超える長尺を一気に見せる。愛とは何か?命の重さとは?そんな問いさえもはるかに超える息詰まる展開と衝撃の結末。人は愛をさばく事が出来るのか?」 またストーリーも同様に引用させてもらうと 「1997年、天音中央病院。折井綾乃(草刈民代)は、患者からの評判も良い、呼吸器内科のエリート医師。しかし、長い間、不倫関係にあった同僚医師の高井 (浅野忠信)に捨てられ、失意のあまり自殺未遂騒動を起こしてしまう。そんな綾乃の心の傷を癒したのは重度の喘息を患い入退院を繰り返していた江木秦三 (役所広司)の優しさだった。綾乃と江木は心の内を語りあい、医師と患者の枠を超えた深い絆で結ばれる。 しかし、江木の病状は悪化していった。自分の死期が迫っていることを自覚した江木は綾乃に懇願する。「信頼できるのは先生だけだ。最期のときは早く楽にしてほしい」と。 2か月後、江木は心肺停止状態に陥る。 江木との約束通り延命治療を中止するのか、患者の命がある限り延命の努力を続けるのか…。 「愛」と「医療」の狭間に揺れる綾乃は重大な決断を下す! 3年後、その決断が刑事事件に発展する。検察官・塚原(大沢たかお)は綾乃を殺人罪で厳しく追及。 綾乃も強い意志でその追及に応える…。」
原作者が弁護士であるため、検事の取調べの様子がすごくリアルで、途中の経過や、想いは何の考慮もされず結果のみに執着し、被疑者を追い込み調書が作成されたり、言葉尻から逮捕に至る経過などを観ていると、昨今、逮捕後の検事調書などが改ざんされたり、自白を強要したりする事例が報道されているが、かくのごとく取り調べられと普通の人なら意思に反してサインをせざるを得なくなる。そのため裁判で反対の供述をしたりするケースがあり、冤罪なども発生している。この映画を見る限りさもありなんと思った。
また終末期医療をどうするかという事は広く国民の議論をするべき問題である。 ただ単に医療費の問題で片付けられるものではないが、平成22年度の国民医療費が37兆4202億で前年度の比べ1兆4135億増加し、人口一人当たりの国民医療費は29万2200円、そのうち医科診療医療費は27兆2228億円(全医療費の72.7%)、内訳は入院医療費が14兆908億円(37.7%)、入院外医療費が13兆1320億円(35.1%)となっているのも事実である。
とりわけ終末期医療費の場合、たった一人で1ヶ月で1000万円を超える費用が発生するケースも多くみられる。少子高齢化の流れの中にあっては早急に議論を開始してほしい。
映画の中で江木が「意識もなくチューブにつながれて生きている肉の塊にはなりたくない」と発言していたが、私自身もそうなりたくはない。その場面になったら、チューブまみれにならないで静かに安楽死または尊厳死を望む。そしてそれを実行した医師が殺人罪などに問われる事がない事を切に希望する。 それにしても久々に良い映画を観た。
2012年11月04日