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先日、宮大工・西岡常一のドキュメンタリー映画「鬼に訊け」を観た。凄い映画であった。プロとは、ここまでこだわるのか、自分も歯科医療に対してはプロのはずだが、ここまでのこだわりはなく、大いに反省させられた。
西岡常一の名前は過去に何かの本で読んで、最後の宮大工といわれていたのも知っていた。特にこのとき記憶に残っていたのが「木の用い方。北に生えていた木は北側に、南に生えていた木は南側に使う」という言葉だ。
この映画は山崎佑次監督の手によるが、実は6月10日に母校の尾道北高等学校の同窓会総会があり、その席に監督の奥様が先輩同窓生として出席されていて、この映画のことについて少しお話をされた。それを聞いていたのでなんとしても観たいと思っていた。
映画は法隆寺棟梁の座を辞し、薬師寺白鳳伽藍復興工事を引き受けたのは彼が62歳の時、宮大工の夢は伽藍の造営である。薬師寺でこの夢をかなえていった。20年が経過して、金堂、西塔、中門が復元され、回廊第一期工事の真っ最中の1990年5月からカメラを回し1993年3月、第一期工事の回廊木組みが終わり、左官職人が入って壁工事が始まった頃、ガンに冒された西岡にこれ以上カメラを回すには忍びないと監督・山崎氏が判断し撮影は終了する。
内容について私がコメントできるほど安易なものではなく、ただ、ただ驚きと感動としか表現できない。
パンフレットに書いてある言葉を記させてもらう。
『棟梁として法輪寺三重塔、薬師寺金堂、西塔を再建し、飛鳥時代から続く寺院建築技術を伝えていったことから、最後の宮大工とよばれていた、故・西岡常一をめぐるドキュメンタリー。「堂塔の建立は木を買わず山を買え」「千年生きる建物、千年生きる檜、木は鉄を凌駕する」作業をする生前の彼の姿をとらえた貴重な映像と証言を通して、利便性や効率だけを追求するためだけに技術を発展させる現代の風潮への警鐘、自然と人間の共存の在り方などを訴えていく。」
また別のパンフレットでは
『千年の檜には千年のいのちがあります。建てるからには建物のいのちを第一に考えなければならんわけです。風雪に耐えて立つ・・・それが建築本来の姿やないですか。木は大自然が育てたいのちです。千年も千五百年も山で生き続けてきた、そのいのちを建物に生かす。それがわたしら宮大工のつとめです。』
凄い言葉だと思うし、飛鳥時代から一本DNAが繋がっている感じがした。
作業する大工のノミの音を聞いただけで、誰の音か分かる。それだけ西岡氏の耳は研ぎ澄まされている。また木を撫でるだけで樹齢はもちろん産地やどんな癖をその木がもっているのか、内部にどんな節があるのか見抜いてしまう。プロ中のプロというよりは神様に近いのではなかろうか。
映画では途中法隆寺の大修理などの回想や薬師寺西塔の再建時の苦労話を語ってもらいながら、西岡常一の思想を通し、「日本人の心」を我々に知らせてくれていると思った。
1991年1月回廊工事の第一期工事の立柱式が執り行われる。この時期83歳かなりガンが進行していたが、西岡は作業を見ながら合掌し祈りを捧げていた。この姿に彼の生き様すべてが凝縮しているように思えた。
シネマ尾道で8月17日まで上映されていますので是非観て頂きたいと思います。
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