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今年のゴールデンウイークは診療室の改装を行っているため、診療は11連休である。ただ後片付けや、5月7日からの診療に備えての準備のため正味1weekとなる。毎日がいわゆる日曜日、退職すればこの連続になるのである。今まで毎日忙しくしていたのに何もすることが無いのは、結構しんどいものである。
何をしようかと思ってもこれというものが無い。そこで映画に出かける。
封切り当日の「わが母の記」を観に行く。これは井上靖の自伝的小説「わが母の記〜花の下・月の光・雪の表〜」を映画化したものである。
井上靖の名前を知ったのは中学2年生のときNHKのドラマで「敦煌」を観た時に遡る。内容は余り記憶が無いが、物語の終わりごろ、戦になった時、西夏文字で書かれた仏典を大雁塔の壁に塗りこんで隠した場面が凄く印象に残っている。
「わが母の記」は第35回モントリオール世界映画祭審査員特別グランプリ受賞作である。そのせいか、映画の題名や、俳優に英語が振られていた。
封切り日2回目の上映を観たのだが、観客の入りは8割くらいでいつもの映画に比べ多くの観客であった。そして驚いたことに観客の年齢層がほとんど私の年齢に近いということである。
パンフレットから引用させてもらうと
『小説家の伊上洪作は、幼少期に兄妹の中でひとりだけ両親と離れて育てられたことから、母に捨てられたという想いを抱きながら生きてきた。父が亡くなり、残された母の暮らしが問題となり、長男である伊上は、妻と琴子ら3人の娘たち、そして妹たちに支えられ、ずっと距離をおいてきた母・八重と向き合うことになる。老いて次第に失われてゆく母の記憶。その中で唯一消されることのなかった、真実。初めて母の口からこぼれ落ちる、伝えられなかった想いが、50年の時を超え、母と子をつないでゆく──。
家族だからこそ、言えないことがある。家族だからこそ、許せないことがある。それでも、いつかきっと想いは伝わる。ただ、愛し続けてさえいれば──。たとえ時代が変わり、社会が複雑になり、困難な未来が訪れても、家族の絆だけは変わらない。人と人との絆の大切さを知った今の時代にこそふさわしい、希望に満ちた普遍の愛の物語が、日本中を感動で包みます──。』とある。
母・八重のまだらボケを樹木希林が上手に演じ、それに振り回される家族介護の難しさを感じた。今の時代なら介護保険などもあり少しは家族の手も解放されたであろうに。母・八重が死んだ時、八重を介護して看取った長女の志賀子を伊上洪作が電話でねぎらう事で、ぼけた母の仕打ちに耐えた志賀子の思いも開放された場面に安堵感を感じた。
恐らくどの家庭でも親子の間にあるいは嫁姑の間、夫婦の間に少なからずの葛藤というものは存在するであろう。
私は6年前に父を、そして2年前に母を送ったが、そこにはやはり私自身が生まれてからの色々の思いや恨み言もがあった。それでもこの映画のように何時しか恨み言も消え最後は素直に送り出せた。
私の年齢層に近い人たちが多く見ていらっしゃったが、現在親の介護している人、すでに親を送り出した人、これから親の介護をしなくてはならない人、それぞれにとって、いろいろの思いを寄せることが出来る映画ではないかと思った。
本当にいい映画であった。
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