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木・日・祝日
先日、1月22日に広島で「全国都道府県対抗男子駅伝競走大会」があった。今まで駅伝やマラソンの実際の観戦はほとんど無く、僅かな記憶として昔、小学校の1~3年生の頃、当時福山から広島までの中国駅伝があったが、三原に住んでいたころ、家の前を通過するので見た記憶が有る。 後はもっぱらTV観戦で楽しんでいる。ところがこの度、たまたま21日は会務で広島に出張中であった。時折TV中継でどこを走っているか確認しそろそろ来るなと思う頃、会務を一時中断して通りに出た。鯉城通りから中広通りに曲がった付近で観戦。最終区7区13キロの内の10キロ付近である。 沿道にはかなりの人たちが来ていた。小旗は配られなかったが、代わりに7区を走る選手の名前とユニホームの絵が印刷された紙を、中国新聞の人が配ってくれた。 まず白バイが1台やってきて、その後パトカーが道路の確認をしながら通り過ぎた。空にはTV中継のヘリコプターと思われるヘリコプターがホバリングをしながら空中に止まっている。その後暫くして選手がまもなくやってくると言う広報車が来て、その後又パトカー、TV中継の車が来てやっと白バイ2台に先導されたトップランナーがやって来た。 応援に出かける前は愛知が1番だったのだが私の前を通過したのは兵庫だった。名簿を見ると竹澤健介と書いてあった。それにしてもランナーのスピードが凄く早い。 デジタルカメラのバカチョンカメラだとシャッターを切って、次又写すのに少し時間が掛かる。そのため2回目を写すチャンスがなくなって、シャッターを押すともうそこには選手が居ない。 地元広島、かって住んでいた北海道、そして今回一番注目されている福島の選手などを見て頑張れと声掛けをした。所々ランナーの脇をTV中継するオートバイまで伴走していて賑やかである。 46位新潟に続き、47位鳥取が来てその後白バイが伴走してきて終わった。ところが帰ってTVを観ると鳥取が頑張って新潟を追い越し46位になっていた。 ところで駅伝やマラソンは「ただ走っている」のを見るだけなのに何故か惹かれて最後までTV観戦をしてしまう。その理由が良くわからない。しかし実際に応援に出かけるとよりリアルで一体感が持てる気がした。多分TVなどで観戦する時、自分が選手になった気がしているのかもしれない。
2012年01月26日
年末から昨日までに4本の映画を観た。まず年末に「源氏物語」を観たが、高校時代の古文の授業で「桐壺の巻」の最初のさわりだけを習った私としては、展開される話に全く付いていけず、日本の映画でありながら外国映画を観ている感じがした。 家内はこの何年か源氏物語同好会のようなもので最初から少しずつ読んで行っているのでかなり理解できたと言っていた。しかもこの映画にホームステイしているオーストラリアのS娘を連れて行ったが、彼女にとって内容はさっぱりだった様だ。ただ昔の日本の着物姿などは良かったらしい。 次ぎに「ミッション:インポッシブル」を観た。話の展開が面白くてはらはらドッキリしながら観た。見応えがあって面白かった。先日広島刑務所から脱獄した受刑者がいたが、民家に入って衣服やスキー帽を盗んで逃走を図ったようだが、ミッション:インポシブルのトムクルーズのようには行かなかったようで、54時間で逮捕された。映画と現実はやはり違うなと思った。 続いて14日に封切られた「ロボジー」。この映画は笑えて面白かった。 公式サイトのストーリーから引用させていただくと、『家電メーカー、木村電器の窓際社員、小林・太田・長井の3人組は、ワンマン社長から流行の二足歩行ロボットの開発を命じられていた。近く行われるロボット博での企業広告が目的だ。しかし、ロボット博まであと1週間というところで、制作途中のロボット“ニュー潮風”が木っ端微塵に大破!窮地に追い込まれた3人は、ロボットの中に人間を入れて誤魔化す計画を立てる。ロボットの外装にぴったり収まる人間を探すため、架空のオーディションが開かれ、仕事をリタイアして久しい独り暮らしの老人・鈴木重光(73歳)が選ばれる。 しかし、この鈴木がとんでもないジジイで…。さらには、“ニュー潮風”に恋をしたロボットオタクの女子学生・葉子も巻き込み、事態は思わぬ方向へ転がり出す―。 』とある。 鈴木重光を演じるのはミッキーカーチスで実に頑固な老人役を演じており、観ながらこのような老人に成ってはなら無いなと自戒した。 4本目が「マイウエイ・・12000キロの真実」韓国映画である。カン・ジェギョ監督がアメリカ国立公文書館に保管されていた、連合軍に捉えられたドイツ軍捕虜の中にいた東洋人を写した1枚の写真を手にしたことから生み出された物語である。その彼が語ったのは、日本、ソ連、ドイツの3つの軍服を着て戦いながら、国境を越えてフランスのノルマンディーにたどり着いたという信じがたいエピソードだった。この実話を基にした映画であるとパンフレットに書かれていた。 予告編を観たときに何とか観たいと思っていた映画である。家内を誘ったところ、戦争映画はどうもと言っていたがついて来た。しかし観終わった後でなかなか良い映画だったと感想を漏らした。ただウイークデーのレイトショウということもあったが、公開5日目なのにエーガル8の一番大きな劇場に観客6名にはすこし驚いた。 映画は韓国映画であるために、ある程度日本軍の極悪非道ぶりや、朝鮮人差別といった恥部が大きくさらけ出されていたが致し方ないであろう。 ただこの映画は1993年の小林源文作、日本漫画「ハッピータイガー」のぱくりだというネット上の書き込みもあるが、私はこのマンガを読んでないので確認は出来ていない。 しかし大作であることには間違いないと思った。
2012年01月19日
ここ2年間ほどは、正月を海外(ミャンマー、カンボジア)で過ごしていたので久しぶりの日本でのお正月となった。 昨年12月31日に、かって我が家にホームステイしたニュージーランドのJ娘がやって来た。この娘は以前私のブログでも紹介したがニュージーランドのオークランド大学に文学部と工学部の同時入学を果たしており、現在工学部は3年生、文学部は卒業して修士課程に在籍している。 奮発したおせち料理 昨年3月から6月までは京都大学工学部でコンピューターのプログラム研究のため来日し、1週間ほど我が家に滞在、又帰国前に3日間ほど寄ってくれた。今回は文学部の修士論文の研究のための来日との事。 J娘の文学部での専攻は日本文学だという。J娘は日本語検定1級合格者で会話や読書はほとんど日本人と同じである。ひょっとしたら普通の日本人よりも日本語を正しく使うかもしれない。 彼女に日本文学の何を研究しているのか聞いてみた。 驚いたことに「為永春水」だと言う。私自身この名前は聞いたことが有るような、無いようなである。インターネットのウィキペディアで検索をした。それによると 「為永春水(ためなが しゅんすい、1790(寛政2年)―1844年2月11日(天保14年12月23日)江戸時代後期の戯作者。『春色梅児誉美』など人情本の代表作家。本名は佐々木貞高、通称は長次郎」とある。 外国人のしかも22歳の女性が「春色もの」を研究するのに驚いた。しかも人情本である。現在の日本人には人情など、どこかに消えうせ合理主義がまかり通っている。古きよき日本を彼女は再発見するのかな? 修士論文を書き上げたら読んでみたい。指導教官(アメリカ人)の影響も多分にあるのでは? 西国寺初詣(右J娘、左S娘) 大わらじ前 今現在12月よりオーストラリアのS娘がホームステイしているが、丁度J娘がホームステイしていた時、その2年前にホームステイしていたマレーシアのA娘が来て、J娘に日本での過ごし方、ホストファミリーとの付き合い方など色々アドバイスをしていた。今回はそのJ娘がS娘にアドバイスをする羽目になって、面白いめぐり合わせだと思った。 オーストラリアのS娘は日頃英語がしゃべれなくてストレスがあったのかもしれないが、J娘を相手に良くしゃべっていた。 又、我々夫婦は英語の会話がおぼつかない。そこでJ娘がいる間にかっての留学生の所に電話をして、J娘やS娘に私達の日本語を通訳してもらいながら連絡を取った。お陰で他の元留学生の近況が良くわかった。 そのJ娘も先日京都に帰り今月末にはニュージーランドに帰るとの事。 この正月はたまたま南半球の2人と過ごし、思わぬ正月休みとなった。
2012年01月09日
このお正月休みに昭和34年栗原小学校、昭和37年栗原中学校卒業の同窓会があり出席した。今年が中学を卒業して丁度50年の節目に当たる。前回は5年前、還暦同窓会であった。 私達の中学校は小学校より校区が少し大きくなり他の小学校卒業生も入学してくるので何時も小・中同時に同窓会を開くのが慣わしである。 小学校と中学校の恩師あわせて5名の先生が出席をしてくださいました。 出席の案内状を締め切ったときは50名の参加予定であったが体調不良や身内にご不幸があったりして32名となった。 我々は丁度団塊の世代の始まりで、小学校は一クラス50人を超え4クラス、中学校は5クラスで1学年総勢260人位だったと記憶している。 しかし32名であったため少なくて寂しい気がした。 綾小路きみまろの名セリフに「あれから40年」という言葉があるが、我々は「あれから40年プラス10年」で我が仲間は前期高齢者、恩師の先生方は高期高齢者で正に老人会の集まりという感がしないでもなかった。 そのせいか会場は畳の間の大広間であったが、テーブル席にしてもらって大いに助かった。 50年目に初めて合う顔もいて、名前を告げられてもしばらく判らない人もいたが暫くするとなんとなく思い出してきて記憶と現在が一致する。 野球部で一緒にプレーしたM君今では尺八のお師匠さんだが彼の尺八による清興で会がスタートした。 50年前、15歳の我々は全員紅顔の美少年あるいは麗しの美少女であったはずなのだが、50年の月日の流れはいかんともしがたく、顔には皺やたるみ、頭は禿げあるいは白髪となり、お腹はメタボ、足を悪くして引きずる者、目は見えにくいなど言う者、又宴会途中トイレに行ったときなど、連れションをしながら、ション便の切れが悪くなった話になる。それでも今回出席できた幸せに感謝した。 恩師と3年B組の仲間 宴たけなわ 恩師の先生方のお話を伺った中で、英語のY先生の話しに感動した。現在81歳だが、当時はいつも根ぶち(竹の根っこで出来たむち)を持って英語の授業をされていて怖い存在であった。その先生が今ではダンスをされたり、合唱をされたり、近くのデイサービスに出向いて100歳の方の囲碁の手ほどきをされているとかですこぶるお元気で人生に前向きなので有る。 小説でも物語でもスポーツでもそうだが、なんでも後半が面白い。私もすでに人生後半に突入している。しかし彫刻家・平櫛田中の言葉を借りれば「60,70は洟垂れ小僧。男盛りは百から、百から」というのがあるが、洟垂れ小僧のまっただ中である。これから人生大いに楽しみたいと思っていた矢先、Y先生の前向きに、大いに楽しんでおられる生き方をお聞きして勇気百倍である。私もこれからの人生設計を引きなおし、自分自身を実現し人生の勝者にならなくてはと思う。 2次会はカラオケで楽しんだ。 次は5年後と幹事の方が言っていたが是非とも又出席しよう。
2012年01月04日