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05/16 私のトイレットペーパー今昔
05/03 令和元年5月1日
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院長のブログ

今だけ、金だけ、自分だけ

 私がこのフレーズを初めて聞いたのは5月3日憲法記念日のNHKの各党討論会であった。野党の方(どなたか記憶が無い)がこの言葉を発していた。その時私はかなりの衝撃を受け素晴らしいフレーズだと思った。私を含めて現在の世の中の風潮をまさに言い当てているなと思った。
どこから出てきた言葉なのか気になりインターネットで調べたところ「ちきゅう座」というサイトの2019.4.20号にジャーナリストの岩垂 弘氏が書いた記事が見つかった。
一部転載させていただくと『東京大学大学院の鈴木宣弘教授が『食の戦争』(文春新書、2013年)の中で使ってから広まったという。「今だけ」とは、将来のことは考えず、目先のことだけしか見ない、考えないという刹那的、近視眼的な思考・行動のことであり、「金だけ」とは、全てを金銭面だけからとらえるという拝金主義的な生き方のことだろう。そして、「自分だけ」とは、自分のことしか考えず、他人や社会のことには目もくれない、つまり、自分ファースト的な生き方のことを指すとみていいだろう。・・・・・ こうした「3だけ主義」が人びとの間で次第に強くなっていったのが「平成」という時代の主要な一側面だったんではないか、というのが私の実感だ。これには、さまざまな要因があったと思われる。』と書いてあった。
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 また毎月購読している月刊誌「致知」6月号に国際ジャーナリスト・堤 未果氏の『売られていく日本の資産を守れ!「いまだけカネだけ自分だけ」の強欲資本主義が日本を亡ぼす』と言う記事が載っていた。同月に2回もこのフレーズに触れるとは驚きであった。
この記事の書き出しに「森、海、水、食、土地、介護、医療、労働・・・・私たちの生活に欠かせないものに、いま次々と値札が付けられて、外資や民間企業に売られていることに、いったいどれだけの人が気付いているでしょうか。」と有った。センセーショナルな書き出しで有り、引き込まれて読んだ。
例として水道民営化の話が書いてある。多くの自治体では水道事業は赤字であり、民営化されると自治体は確かに財政負担が軽減するかも知れない。しかし企業は利益追求をするために検査員などの人減らしを行なったり、設備が老朽化しても新たな設備投資をしないため水質悪化をきたす恐れが出てくる。米国ジョージア州アトランタ市では水道民営化をしたところ水道料金の上昇と濁った水が出る苦情が殺到し20年契約を僅か4年で解約し公営に戻した。日本では昨年7月に水道法改正案が可決されており、今後水道ビジネスが拡がっていく恐れがあるとのこと。
 他にも水産特区を導入して漁業権を企業に渡し漁業の株式化を推進しているが、社員となった漁業者はかえって収入が減ったりしているとのこと。また漁業活動を名目に海外の船が自由に日本の領海に入ってくる懸念もあると書いてある。そうなれば他国の漁船との間に多くのトラブルも発生する恐れがある。
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 さらに日本では介護業界の人手不足は年々深刻になってきている。仕事がきついのに賃金が全業種平均よりも安く、人がすぐにやめてしまう。これに対し政府は低賃金で働く外国人労働者確保のために、語学力やビザのハードルを下げて受け入れを拡大した。そしていまや介護ビジネスは世界的に優良な商品として急成長しているとのこと、ここでもアメリカの大手在宅介護サービス会社や中国の投資ファンドマネーが日本の介護ビジネスに次々と参入しているとのこと、そこでは低賃金で働く外国人労働者がもてはやされ、日本人の介護士の賃金が上がらなくなる恐れがあるとのこと。
この記事を読んでいると、強欲資本主義に限らず我々日本人がまず「今だけ、カネだけ、自分だけ」の「3だけ主義」を排除しなければならない。昨今の大企業における検査データの改ざんなども正にこの「3だけ主義」そのものであろう。
目先にとらわれないで知恵を出し百年の計を建てて頑張らないと、本当に日本の国が亡びるのではないかと思った。

2019年05月26日

私のトイレットペーパー今昔

 私は昭和22年生まれの72歳である。昔「明治は遠くになりにける」と言う言葉を良く聞いたが、令和の時代が始まり今や「昭和は遠くなりにける」と感傷に浸ることが有る。
 先日、職場のトイレ掃除をしていたときのことである。トイレットペーパーを整えていたとき急に昔のことが思い出された。小学生の頃、我家のトイレにはA4サイズに切断された新聞紙が積まれており、大便をした後、その新聞紙を揉んでお尻を拭いていた。
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 当時水洗便所は尾道にはおそらく一軒もなく全戸いわゆる和式のくみ取り式便所で近くの農家の人がくみ取りに来ていた。農家の人は肥担桶を荷車に載せ自分の畑にある肥溜め(野壺)にもって行って投入し堆肥(下肥)にしていた。学校の行き帰りその横を通ると肥溜めの中には多くの新聞紙が見られたことから恐らく多くの家庭で新聞紙を使っていたものと思われる。畑に下肥をまいた後、新聞紙が畑の土の上に載っかっているのが当たり前の風景であった。そのころ私は新聞紙を4つ折りにして包丁で裂いてトイレットペーパー通称便所紙を作るお手伝いをしていた。その後化学肥料が出回るようになり農家の人のくみ取りもなくなり、くみ取り業者がくみ取ってくれた。
 何時かはっきりしないが中学生の頃には一束かなりの枚数の市販の便所紙(落とし紙と呼んでいた)を購入するようになった。その頃の便所紙はおそらく古紙を利用した再生紙で、漂白はされておらず黒ずんだ灰色の紙であったが新聞紙にくらべれば随分とお尻には優しかった記憶がある。その後大学生になった昭和40年頃から現在のロール状トイレットペーパーを見かけるようになった。しかしそれは今のものにくらべれば硬い紙質であった記憶がある。下宿では依然として落とし紙であった。会社に入社した頃は完全にロール状のトイレットペーパーになっていた。
昭和48年結婚した年に起きたオイルショックでは全国的にトイレットペーパーがなくなり、それを確保するのに家内と四苦八苦して手に入れた記憶がある。
 それにしても今のトイレットペーパーはエンボス加工がしてあり、ものによっては二重のものもある。12個入りのビニールの袋には「高密度エンボスでふんわり感アップとかフレッシュパルプ100%」などの宣伝文句が書いてある。新聞紙を使っていた私から見れば今のトイレットペーパーはこの上ない最上級の宝物のように思える。また現在の子供たちに新聞紙でお尻を拭けと言うと泣き出す子供たちが多いのではないだろうか。
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 ところでさいだ歯科医院は開業して33年を経過するが、開業時はくみ取り式のトイレで有った。というのも市の中心部から10キロほど入った田舎では公共の下水道は来ておらず、浄化槽を自分で設置すると大幅に建設費がかかることからやめていたが、平成18年に1000万円近くの投資をして浄化槽を設置し、水洗トイレにした。
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 このブログを書きながら尾道市の下水道普及率が気になり市のホームページで調べてみた。1部抜粋して転載してみると『人口減少や財政縮小等の社会情勢を踏まえ、旧尾道市域内の全体計画について見直しを行いました。尾道市公共下水道事業は、昭和57年(1982年)に着手し、整備を進めていますが、「市街地の道路が狭い」、「車の入らない斜面地等地形条件が厳しい地域が多い」等の理由から、平成27年度(2015年度)末の公共下水道普及率は11.9%と、国及び広島県の公共下水道普及率(国:77.8%、広島県:72.8%)と比べ非常に低い水準にあります。今後も、地形的な面などから事業進捗に大きな改善は見込めず、実質的に200年以上の整備期間を必要とする尾道市公共下水道全体計画については、現実的でないとして、見直しが必要となっていました。』とある。
なお「さいだ歯科医院」がある地区には公共下水道が整備される計画はなく各家庭が浄化槽を整備して対応するように迫られている。
トイレットペーパーの今昔からも戦後の貧しい時代から日本が如何に経済発展をしてきたのかに想いを馳せると本当に良い時代になったと思う。

2019年05月16日

令和元年5月1日

 令和元年がいよいよスタートした。元年最初の日、この日の為に前もって新しく購入した国旗をベランダに掲揚し、新時代の始まりと心新たにした。沖縄から長男一家が帰省していたので次男一家共々家族全員で私の家と、家内の家との墓参りに出かけた。令和元年初日にご先祖様に全員が挨拶できたことは意義深く大いに良かった。
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 ところで墓所に向かう途中ほぼ全部の家で国旗の掲揚がないことに驚いた。私が小さい頃は旗日(祝日)にはほとんどの家に国旗が掲揚されていた記憶があるが、最近お正月以外で国旗を見ることが非常にまれである。しかし即位の日にここまでとは思わなかった。もっとも、今までは先帝が御崩御されて国民が悲しみに包まれ、歌舞音曲も控える中で次の天皇陛下が直ちに御即位されるプロセスだったので、国旗を掲げるなんて事は思いもよらず、むしろ半旗が掲げられてきたのかもしれない。
 しかし今回は1年ほど前から、4月30日平成天皇が御退位され5月1日に新帝が即位されることは決定していた。また年号は「令和」と1ヶ月前に決まっていて、TVニュースなどではカウントダウンまでしながらまさにお祭り騒ぎで「令和」を迎えていた。
しかし国旗を掲揚すると言う考えには至らなかったのかと思い、尾道の街を少し散歩しながら国旗掲揚の様子を観察してみた。
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消防署、駅前交番、テアトルセルネには国旗が有ったが尾道駅にはない。まず海岸通りを歩いてみたが市役所までの間、数軒のお店に国旗掲揚があった。それから商店街に向かったが途中お食事処のお店屋さんに小さな国旗と令和と書いてある足下灯があった。商店街の尾道通りと絵の街通りにはアーケイドの両脇の柱に国旗が掲げてありほっとしたが、センター街、中商店街、一番街までは東洋堂1軒除いて国旗は1本も掲げられておらずとても寂しい感じがした。尾道本通り連合会として足並みがそろわなかったのであろう。ちなみに銀行では愛媛銀行が国旗を掲揚していたのみである。
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 一番驚いたのは自由民主党の広島県第6選挙区支部に明かりはついていたが国旗掲揚がない。小島敏文衆議院議員の事務所なら国旗掲揚が当たり前と思っていたのだが。非常に残念である。
 日本国憲法第1条によれば「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。そうであるならば保守の自民党に限らず、憲法改正反対を唱えるいわゆる護憲派の政党や人々も、即位されたことは日本国の一大事であり、憲法を守ろうとするならば当然お祝いをして国旗を掲げることが良いのではないだろうか。果たして国旗は掲揚されたのであろうか?
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結局歩いて観察した範囲では普通の民家で国旗を出していたのは2軒だけだった。寂しい限りである。
それと郵便局横の「工房おのみち帆布」の前で、「令和」と書かれた額がおいてあった。そばにいた女性の説明によると菅官房長官がTVで発表したときの書体のコピーだという。手で触っても良いとの事であったので額を持って1枚記念撮影をした。また尾道駅で入場券を購入したが日付はR1.5.1.ではなく2019.-5.-1 であり「令和」のRの字はなかった。
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 2時間ほどの歩きの中で走行する車や駐車場に止めてある車のナンバープレートを観たら中国5県はもちろん、九州・四国全県、神戸、和泉、堺、金沢、奈良、名古屋、浜松、富士山、八王子、大宮、習志野、遠く山形など53種類のナンバープレートを数えることが出来た。尾道がいかに観光都市として人気があるのか改めて知り驚いた。
「令和」が良い時代であることを祈るばかりである。

2019年05月03日

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