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08/15 初めてのイギリス・フランス旅行PART Z
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外部グログ

院長のブログ

初めてのイギリス・フランス旅行PART Z

 夕方、5時半ホテルロビーに集合して出発。夕食付きと書いてあったのでディナークルーズと思いきや、先にレストランで食事後クルーズするとのこと、少しがっかり。それでも今回の旅行の中では一番良かった。このクルーズの料金は別途お一人15,000円である。何時ものように3皿だが、前菜に初めてサラダが付いて主菜はビーフステイキ、デザートはケーキであった。
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その後クルーズ乗船場に行く、夜の8時過ぎであるがまだ陽は高い。
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船着き場から、アンヴァリッドの尖塔が見える。この施設はナポレオンの棺を納めている。
 9時に出航する。添乗員さんがあらかじめ日本人観光客が乗船していると言ってくれたお陰で船上アナウンスに英語・フランス語の他に日本語が放送されて助かった。
 セーヌ川には多くの橋が架かっているが、最初にアレクサンドル三世橋に来た。橋の上で手を振る人達がいて我々も手を振る。
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その後右手にオルセー美術館が見えてきた。時計は午後9時6分を示しているがまだ日が差している。
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次にロワイヤル橋をくぐる。右手にルーブル美術館が見える。さらに進んでいくとカルセール橋をくぐりさらに橋に装飾の施されたボンデザール橋にさしかかった。この橋の袂に騎馬像があった。
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さらに進むと川の中央にノートルダム大聖堂の有るシテ島が見えてきた。川は二手に分かれ右手の方を進む。その先にポンヌフ橋が見えて来る。この橋はパリ最古の石橋で1606年に完成したとのこと。岸辺では多くの人が夕涼みに来ているようであった。
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それを過ぎると焼けたノートルダム大聖堂が見えてきた。足場が組まれ修理が始まっているようである。その後シテ島を過ぎると船はUターンしてシテ島の左の水路を経て元来た道をもどっていく。
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岸辺には落書きと思える字などが書いてあったがさすが芸術の都だからか?オルセー美術館の時計は9時40分を示していた。日本ならもう真っ暗なのだがこの時間になってもまだ明るく、いわゆる白夜に近い状態だと感じた。
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その後クルーズ船は船着き場を通り抜けエッフェル塔のそばを通り抜ける。暗くなってきたのでエッフェル塔がライトアップされた。そして10時を過ぎたところでエッフェル塔のダイヤモンドイルミネ−ションが始まり5分間ほどピカピカ輝いていた。イルミネーションが終わると同時くらいに無事着岸。今回の観光旅行も終了。明日はいよいよ帰国で寝る前に帰国準備をした。
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 翌朝シャルル・ド・ゴール国際空港に行き出国手続きをして空港内免税店でお土産を購入。13:40の飛行機でフランスを後にし、バンコクで乗り換え無事関西空港に7月29日15時50分過ぎに到着。天候は晴れで暑い、どうやら梅雨は上がったようだ。新大阪からは何時ものように「こだま」に乗る。飛行機のスケジュールが良く判らないので帰りは指定席の予約をしない。「こだま」は始発で有りほぼ間違いなく座ることが出来る。そして各号車の一番後ろの席に丁度スーツケースを置くスペースが出来るので安心できる。無事21時頃家に帰り着く。あっという間の7日間であった。

2019年08月15日

初めてのイギリス・フランス旅行PART Y

 昼からは自由行動と言うことでツアー客の10人程がパリの街に散っていった。私は初めてのパリであるし、フランス語も判らないのでオプショナルツアーに参加。最初のツアーは「ヴェルサイユ宮殿観光」。パリの北西22キロのところに有り、フランス王ルイ14世が建設をした。高校の世界史の教科書に太陽王ルイ14世と記載があったのを覚えている。
 簡単な日本語のパンフレットをもらったが観光客が多く、ガイドの人はずんずん進んでいくし写真を写しながらついて行くのがやっとでパンフレットを見る暇も無かった。ブログ原稿を書きながら撮影した写真を見るが、どの写真がどの部屋の写真だったか記憶は定かでは無い。
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 最初1番目の「ヘラクレスの間」から見学が始まった。天井画や壁の絵画が素晴らしく目を見張る。どの部屋も同じく、柱も壁も天井も全て金色に輝いている。
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 順番に見ていき9番目の部屋は「鏡の間」と言われ長い回廊となっている。天井からつり下げられた豪華なシャンデリア・壁際の燭台。さらに壁の装飾、天井画が素晴らしい。今見ても「ワオー」と感嘆の声が出てしまうほど素晴らしいので、出来た当時は人々の度肝を抜いたのではないかと思う。ここでは舞踏会なども開かれたとの説明があった。
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 「鏡の間」の途中に「閣議の間」があり、財務大臣と国務大臣を呼んで王が執務をしていたとのこと。
 その隣りに「王の寝室」が有り、カーテンというのが正しいのかどうか分からないがベット廻りの織物は素晴らしいものである。また壁の飾り物、絵画等素晴らしい。贅を尽くしているというのが正しいのかも知れない。
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 さらにその隣りの部屋は宮廷人たちが王の寝室に入るための控えの間で「牛眼の間」と言われているがやはりこの部屋の装飾・置物、絵画どれをとっても素晴らしい。
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 鏡の間の窓から外を見ると庭園が拡がっていて、ルイ14世も朝な夕なに眺めていたのであろう。
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 その後さらに進んで「王妃の寝室」にくる。ここは歴代の王妃と王太子妃が使用されたために何度も改装が行われ他の部屋との統一性がないとのこと。
最後の使用者はあのフランス革命で命を落としたルイ16世の王妃マリー・アントワネットである。革命の時民衆が押し寄せた際、壁に造ってあった抜け道から一度は逃れたが捕まり最後はギロチンの露と消えた。
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 また上の右側の絵はナポレオンの戴冠式の絵であるが、同じ絵がルーブル美術館にある。ただし絵の左側にドレスを着た5人の女性が描かれているが左から2番目の女性のドレスはピンク色、ルーブル美術館の絵では5人とも白のドレスで描かれているとのこと。
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 その後、外から建物を見学して宮殿を後にした。ベルサイユ宮殿を見学した感想としては莫大な財を投じて建設したのであろう。国民からの税の徴収もかなりなものであったと想像する。それが遠因となってフランス革命が起きたのであろうが、当時の人々が重き税に耐え抜いて、現代にベルサイユ宮殿を残したことが世界遺産となり、多くの観光客を呼び込みフランス政府の財政を潤していると考えれば当時の人々の苦しみが報われているのではないだろうか?
いったんホテルに帰り、オプショナルツアー第二弾「世界遺産 セーヌ川クルーズとレストランディナー」に参加する。続きはPART Zへ

2019年08月14日

初めてのイギリス・フランス旅行PART X

 5日目、今日は午前中ツアーのパリ市内観光である。ルーブル美術館を除いて全て車窓観光である。見学すべき対象物が自分の座っている方角にあると写真も撮りやすいが反対の窓ではよく見えない。
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 エッフェル塔は昨日下車観光が出来て良かった。凱旋門もあっという間にとおり過ぎて写真1枚撮るのがやっとである。6月に焼けたノートルダム寺院は何とか写真に納めたが焼けた部分はよく見えなかった。シャンゼリゼ通りもあっという間に通り抜けてしまう。エジプトから送られたコンコルド広場のオベリスクもかろうじて写真に納めた。
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 そうこうするうちに、ルーブル美術館に到着。館内はフラッシュを焚かなければ写真撮影OKである。前もって予習をしてないのでどんな作品が収蔵されているのかわからないが全部で38万点あるとガイドさんが話してくれる。見て回り出すと美術の教科書に載っていて見知ったものが多数。しかし恥ずかしいことに今までそれらの作品がルーブル美術館に収蔵されていることは全く知らなかった。見るもの全てが驚きの連続であった。
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 レオナル・ド・ダビンチの「モナ・リザ」何度も本などで見知っていたが本物を見たのは初めてである。写真のピント合わせがうまくいかないうちに先へ押し出されていく。また彼の「岩窟の聖母」も有名である。またドラクロアの「民衆を導く自由の女神」美術の本だけでなく、世界史の本にも出ていたような気がした。
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アルチンボルドの四季は人間の顔を花や、野菜などを並べて描いているが、これは浮世絵師歌川国芳のだまし絵技法に似ている。以前歌川国芳展を見に行った事があるが、彼は人間を何人も書き込んで顔を描いる。
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その他にもラファエロの描く多くの聖母画が有った。写真は「聖家族と聖エリザベツ、幼子洗礼者ヨハネと2人の天使」である。カラヴァッジョの「女占い師」、ボッティチェリのフラスコ画等があった。
ところで本日札幌に出張したところ北海道新聞の本社ビルの壁に北海道近代美術館でのカラヴァッジョ展のポスターが掲げてありびっくりした。
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 また彫像の部ではエーゲ海のメロス島で発見された「ミロのヴィーナス」はヘレニズム芸術の傑作でほんとうに素晴らしい体型美である。さらにエーゲ海のサモトラケ島で発見された「サモトラケのニケ」はヘレニズム彫刻の傑作と言われ勝利の女神像であると言われている。さらにミケランジェロの「抵抗する奴隷」「瀕死の奴隷」などの展示を見た。
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2時間程の見学時間しかなくまだまだ見学したかったが残念。それでも今までは本の写真でしか見たことが無かったものをこの目で実際に見たという興奮はなにものにも代えがたい。
ルーブル美術館を出て昼食のレストランに行く途中、リヴォリ通りピラミッド広場の黄金のジャンヌダルク像を車窓から見ることが出来た。午後は自由行動であるが、全く不案内なのでオプショナルツアー「世界遺産・ヴェルサイユ宮殿観光」に参加することにした。
続きはPART Yへ

2019年08月12日

初めてのイギリス・フランス旅行PART W

 4日目、モンサンミシェルから花の都パリに向けて出発。途中ブブロン・オン・オージュと言う村に立ち寄る。この村はフランスで最も美しい村100選に選ばれているとのこと。この村は奇跡的に第二次世界大戦で戦闘がなく焼けなかった。そのため17世紀頃に造られたノルマンディースタイルの可愛らしい家々が並んでいて独特の雰囲気を醸し出していた。
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 17世紀と言えば日本では徳川幕府が出来た頃で、その頃の民家が日本において残っているのは珍しいが、ブブロン・オン・オージュには当たり前に残っているのが不思議で有る。さらに家々の庭には花が咲き、軒先にも花が飾られ花が溢れていた。
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この小さな村に何とミシュランの一つ星レストランがありこれにも驚かされたが、バスの駐車場に日本語の案内があったのには驚く、日本のツアー客が多く立ち寄るコースになっているのであろう。30分ほど散策を楽しんだ後、フランスの美しい港町オンフールに向かう。
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途中車窓からは一面牧草地が拡がり牧草が刈り取られて束にしてある。また牛の放牧も見たが、鹿の放牧には驚いた。この風景はパリまで続く。フランスは農業国なのだろうか?
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 途中パーキングエリアに寄るがそこに新聞を売っていたがその新聞の一面トップは何と昨日パリ市内の気温が42.6度C出ている。日本でもまだ記録したことのない温度である。ちなみにパリは北緯48.52度で日本最北端北海道宗谷岬は45.31度で遙かに北である。それなのに42.6度Cなんて想像できない。気象庁のホームページによると日本最高気温は2018年7月21日埼玉県熊谷の41.1度Cである。昨夜のモンサンミッセルの暑さもうなずけた。
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 オンフールに到着。阪神交通社のガイドブックによると「北フランスでは最古の港町で、16世紀以降に海運業で繁栄した。フランスの詩人ボドレールがこの街の風情を賞賛し、モネやコローなど19世紀の芸術家たちが集まった。港にはカラフルなヨットが並んで、独特の明るさが漂う。この街にあるサンカトリーヌ教会は15世紀、地元の船大工たちが建設したといわれるフランス最大の木造の教会。」と有る。街はガイドブックにあるとおりで素晴らしい。多くのレストランがあるが皆ゆったりと食事をしていて散策時間の中では注文すら取りに来そうにない。街のパン屋でフランスパンに魚のフレークの入ったサンドイッチとコカ・コーラで簡単に済ませ街中を散策。メリーゴーランドが街角に有り童心にかえって家内と乗ってみた。
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いよいよパリに向かうのだが、道路の混み具合によって到着時間が変わるとのこと。ところが週末で夏休みを取る人達がいるのかパリの人口が減っているらしく思わぬ早くパリへ到着、本来なら明日のパリ観光で行くはずのエッフェル塔を見学することになる。と言ってもバスを降りて外から見るだけである。今から130年前、1889年にパリ万博を記念して建てられたもので有るが、東京タワーよりも重厚な感じ、パリに来たという実感がわく。
世界遺産・旧陸軍士官学校前のシャン・ド・マルス公園から見学した。
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 レストランで食事をしたが、前菜と主菜はチキンでデザートはタルトである。食後のコーヒーなどもなくやはり3プレート(皿)である。飲み物はビールを注文したが8ユーロであった。はるかに日本のフランス料理の方が品数も多く旨い。
宿泊はイギリス・ポーツマスと同じ系列ホテルだが部屋は相変わらず小さい。しかも二人でセミダブルベットひとつ、とんでもない。夫婦だからそのような部屋割りになっていたのかも知れないが、家では家庭内別居で別々の部屋で寝ているのに今更ダブルベットなどではとても寝られない。添乗員さんに言ってシングルベット2つの部屋に換えてもらう。このホテルにはクーラーが有りバスタブもあってホットした。続きはPART Xへ

2019年08月08日

初めてのイギリス・フランス旅行PARTV

 3日目、ポーツマス港からフェリーでドーバー海峡を越えフランス・シェルブール港に向かい国境越えを体験。フェリー乗り場売店でかの有名な新聞「THE TIMES」を購入した。名前だけは聞いて知っていたがこの手に取ってみたのは初めて。
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 英語に堪能ではないので良く読めないが、トップ記事は昨日英国首相に就任したジョンソン氏で、メイ首相の閣僚たち17名を辞めさせ前代未聞であると書いてあり、あまり好意的な記事ではないようだ。EU域内移動なのでパスポートの提示だけで乗船できた。港にはイギリス海軍の空母や艦船が多数停泊していて一大軍港だと気付いた。
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 そういえば今から75年前の6月6日この港からイギリス・アメリカなど連合国兵士200万人がフランス・コタンタン半島のノルマンディに向けて上陸作戦を敢行した。高校2年生の時、ジョン・ウエイン主演映画「史上最大の作戦」を観たことを思い出し、その映画の主題歌「The Longest Day」の主題歌が自然に口に出てきた。
「Many men came here as soldiers many men will pass this way. Many men will count the hours As they live the longest day. …  」
 3時間後フランス・シェルブール港に着岸、シェルブールという名前もカトリーヌ・ドヌーブ主演映画「シェルブールの雨傘」で有名である。すぐバスにてモンサンミッセルに向かう。途中、トイレ休憩でパーキングに止まる。基本的に公衆トイレは有料であるがパーキングエリアはただなので助かる。
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 阪神交通社が出しているガイドブックによると、「708年、ノルマンディ大司教が3度に及ぶ大天使ミカエルのお告げを受け、「この島の頂上に礼拝堂を作るべし」に従ってつくられた修道院。その礼拝堂が10世紀にはベネディクト教会の修道院となり、11世紀から500年かけて増改築。14世紀には英国との百年戦争で城砦となって15世紀後半に現在の形になった。尖塔にミカエルの像をいただくのは修道院の付属教会。1870年に島をつなぐ道路が出来たが従来の景観に戻すために、現在工事が行われている。環境保全のため、島の手前でシャトルバスに乗り換えてアクセスする」とある。
 モンサンミシェルに入る手前の海岸に赤い鳥居が有った。ガイドさんの話では広島の厳島神社と姉妹縁組を結んでいるとのこと、写真も飾ってあった。
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 中に入ると参道の両側にはレストランや土産店などがあり、買い物客、参拝客などであふれている。それを超えると急な坂道と階段を上って上までいく。元々の岩山の岩を壁に利用するなど、建築技術は素晴らしい。
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 修道院内部を見学していくが、迎賓の間、回廊などガイドさんの説明を受けるも直ぐ忘れてしまう。記憶に残ったのがハツカネズミ宜しく車輪の中に人間が入り歩くことで滑車を回し、食料や荷物の上げ下ろしをするエレベーター装置であった。とにかく気温が高く(恐らく35度Cはあったのでは?)汗だくになった。
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 降りるときは来た道と違って城壁に沿って降りていく。警備の兵隊さんが自動小銃を持ってパトロールをしていた。イタリアでも観光地や美術館などでは兵士が警備していたが外国では当たり前なのであろう。日本でもし自衛隊員が自動小銃を持って観光地をパトロールしていたらマスコミが寄ってたかって叩くのであろうが。それだけ日本は今安全だと言うことかもしれない。しかし来年のオリンピックやパラリンピックでテロが起きないという保証はない。
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 見学が終わりホテルにチェックインする。クーラーもバスタブも無く部屋は狭い。日本ならさしずめシングル部屋の広さであり家内と二人で宿泊。トランクの開け閉めはベットの上でせざるを得ない。その後近くのレストランで食事をした。モンサンミッセルの名物、泡で膨らした特大オムレツを食べた。喉がからからで飲み物にハイネケンの生ビール500mlを注文したところ、なんと料金が10ユーロ(日本円で1200円)で目が飛び出た。勿論20%の消費税とサービス料込みでは有るが。このホテル夜は従業員がいなくなり表のドアは暗証番号での開閉である。床につくが暑くてとても寝苦しい。網戸のない窓を開け、部屋のドアまで開けたまま風を通しながら何とか眠りにつく。続きはPART Wへ


2019年08月07日

初めてのイギリス・フランス旅行PARTU

 市内観光出発。イギリスの道路は日本と同じ右側通行で運転席も右である。
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最初に行ったのがバッキンガム宮殿である。宮殿屋上にはエリザベス女王陛下の旗ではなくイギリス国旗がはためいていたことから女王陛下は不在とのこと。ただし午後からメイ首相に代わりボリス・ジョンソン氏が新首相になるので午後からは女王陛下がおいでになるかもしれないとガイドさんが言っていた。それにしても歴史的な1日に遭遇していたのだと思った。赤い服の衛兵もいてイギリスに来たことを実感できた。
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 次に向かったのがウエストミンスター寺院、歴代英国国王の戴冠式が行われる教会で、故ダイアナ妃の国葬もここで行われた。さすがに荘厳な感じである。ただし中には入らず外からの観光である。またすぐ近くにある国会議事堂のエリザベスタワー(旧称ビッグベン)は現在工事中で足場が組まれ、幌が被せてあり残念ながら観ることが出来ない。
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 その後大英博物館にバスで向かうが途中車窓から街の中を見ていく、騎馬警察がいたり、首相官邸には午後からの首相交代に備えて多くの報道陣が集まっていた。
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 大英博物館は入場して見学したが、何しろ1時間程の見学なのでガイドさんが選りすぐったものだけを案内してくれた。ナポレオンがエジプト遠征をしたとき発見されたロゼッタストーンの展示を最初に見たときは興奮した。この発見により古代エジプト文字ヒエログリフの解読がなされた。
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 ラムセス2世の胸像、アッシリア王のライオン狩りのレリーフ、パルテノン神殿の彫刻、その他砂漠の中で発見された自然にミィーラーになった人など見学したがいずれも高校時代の世界史の教科書や美術の教科書に載っているもので、実物を目に出来て大興奮であった。ゆっくり観て歩くと1ヶ月ほどかかるのだとガイドさんのお話。今度はもう少しゆっくりと他の展示物も観たいものである。
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 その後トラファルガー・スクエアー近くのレストランで昼食(フイッシュ&チップス)。
飲み物にビールを頼むがこれは旅行費用に含まれていない。ビールと引き替えにその場で払う事になる。旅行会社からの事前連絡でイギリス・ポンドは持って行かなくても良いと言われていたので現金はない。支払いはカードで行った。
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 午後から宿泊先のポーツマスに向かう。途中ロンドンから西に約130Kmのコッツウォルズ地方のバーフォード村を散策。ここは中世の家並みを残しており、はちみつ色の石造りの家並みが17世紀頃までの姿そのままに残されている。ストリート沿いに骨董品屋やカフェが立ち並んでいたが私は通りから少し入った教会に足をのばし中にも入って観た。日本ではお寺の周りに墓地が有るが、こちらの教会も周りが墓地で日本と同じだと思った。
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 その後バスに乗ってポーツマスに到着。
 ところで高校生の日本史や世界史の授業でポーツマスという地名を習った。その時、ポーツマス・日露戦争・ポーツマス条約(日露講和条約)・小村寿太郎と連鎖的に覚えているので、てっきりここが講和条約をした土地だと思っていた。ところが帰国してネットで調べたらポーツマス条約を結んだのはアメリカ ・ニューハンプシヤー州ポーツマス近郊のポーツマス海軍造船所であった。55年以上もポーツマス違いに気がつかず恥いってしまった。
このホテルにはバスタブは有ったがクーラーがない。海辺のせいか夜は少し涼しくなった。窓を開けて何とか寝れた。我家を出てから実に43時間ぶりに床につく。続きはPART V

2019年08月04日

初めてのイギリス・フランス旅行PARTT

 阪急交通社の「夢のロンドン・パリ・モンサンミッセェル7日間」のツアーで7月23日からイギリス・フランスに出かけた。まだ梅雨明け前で、尾道を出発するときは小雨が降っていた。10時50分発の「こだま」に乗車、福山乗り換え、新大阪経由して関空に13時20分着。その後阪急交通社のカウンターでEチケットなどを受け取り出国手続き後、集合時間までラウンジで過ごし搭乗。
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 17時35分ほぼ定刻通り離陸し乗り継ぎのため一路バンコクへ。夕食は機内食、席の前のモニターで映画を観ながら行く。映画の数も100本くらいあり言語も様々である。私は日本語バージョン選び、今年1月封切りされた大泉洋主演の「そらのレストラン」を観た。この映画は言葉が日本語で字幕が英語、いつも観ている洋画と真逆である。英語に堪能でない私はいつも字幕を読むのに集中して映画の会話を聞き取れないが、この映画は字幕に集中しても日本語の声が自然に入ってくるので面白く英語表現を楽しんだ。その後、画面をフライト経路に換え現在どの辺を飛んでいるのか、外気温、スピード、高度、目的地到着時間などを観ながら5時間半ほどでバンコク到着。
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着き乗り継ぎの為4時間を空港内で過ごし、イギリス行きの飛行機に乗り込む。日本時間で次の日(24日)の午前3時を回っている。エアバスA380である。少し眠りにつくがうとうとといった感じで、フライト経路を見たりした。インドデリー近郊、カスピ海、黒海上空を飛んでいるのを時々目を開けて観た。
さらにドイツ上空を飛んでいるとき、フライト経路の地図中にたまたまドイツの街の名前「Kiel キール」という文字を発見した。キールはドイツ海軍の軍港がある街で急に昔の事がよみがえってきた。私の母方の祖父は海軍工廠の技師であったが昭和9年に1年間ほど部下2人をつれて「キール」へ潜水艦のエンジンの研究に出かけていたことを思い出し懐かしかった。
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その時、祖父がキールで買った小さな製図道具を形見にもらっているが、中に墨入れの烏口、コンパスが有りコンパスは部品を取り替えるとディバイダーになったり、烏口を取り付けると円に墨入れが出来るものである。箱にはかすかに「キール」と読める字がある。今では1日もあればキールまで来ることが出来るが、当時シベリア鉄道で1ヶ月近くかかったと母親から聞いていた。正に隔世の感あり。
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およそ12時間をかけてイギリスヒースロー空港に朝7時過ぎに到着。日本時間では7月24日15時過ぎである。自宅を出て実に28時間以上が経過していた。初めてイギリスの土を踏む。いよいよロンドン市内観光である。続きはパートUへ

2019年08月01日

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