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先日、私のために同窓会広島県支部が「古希のお祝い会」を家内同伴のもと尾道グリンヒルホテルで開催してくれた。私は現在69歳と3カ月であるが、この様なお祝い会は満年齢でするのか、数え歳でするのか良く判らない。インターネットで検索しても両論併記である。もっとも70年前の今頃は少なくとも母親の胎内に宿っていたから命を得て70年にはなる。 ところで私は大学の1期生、31歳で大学に入ったため全卒業生の中で私が初めて古希を迎える。そのせいか当日は北海道から大学法人事務局の常務理事のK様が大学を代表してご臨席をいただいた。そして本部同窓会会長は同級生であるが家族全員で駆けつけてくれた。さらに現役学生のお母様や卒業生のお母様方で組織されている「広島すずらん会」の皆様や、主催者の広島支部の先生方が出席され、とてもにぎやかな会となった。 また同級生10人も北は北海道から東京・大阪・九州と全国から来てくれて楽しい会となった。 それにしても尾道でこのような会を開くことは、飛行場から直接尾道に来る便が無い、新幹線は1時間に1本、東京方面からは福山乗り換え、九州方面からは広島乗り換えなど、交通機関が不便なため出席者の皆様に大変御迷惑をおかけしてしまった。 私も前日の夜、北海道から来た同級生を空港まで迎えに行きホテルまで送り届けた。 祝賀会に先立ち、私に何か講演をするように言われ、結局私の誕生から今まで歩んできた道を「70年の歩み」と題して講演した。春頃から少しずつ写真などを引っ張り出し、スキャニングをしたりしてパワーポイントで講演資料を作った。 お陰で自分の歴史を振り返る事が出来、自分が結構努力し頑張ってきたことを確認できて本当に良かった。もしも日本経済新聞社から「私の履歴書」に投稿を依頼されれば何時でもOKである。もっともそんなことは有り得ないのだが。 そして祝賀会での御祝辞や励ましのことばでは、私が「大学のレジェンド」だとか、「齊田さんがいたから国家試験に合格出来た」とか、皆が私を持ち上げてくれて唯ただ耳がこそばゆい感じがした。また当時家内と子供2人を連れて北海道に渡り学生生活をしていたので同級生は結構私の家に遊びに来ていた。その際、家内が学生達にカレーライスを振舞っていたようだが、「あの時のカレーライスの味が忘れられない」と言ってくれる同級生もいて家内もまんざらではなさそうだった。当時、家内自身も学生気分で同級生達と接していたようだ。 この様なことが無い限り中々会えない同級生たちもいて本当に良かった。二次会にも多数の方々が出席され懐かしい話に花が咲いた。 ところで還暦の色は赤だが、古希の色は紫なのだそうだ。祝賀会の花束贈呈で頂いた花束にも紫の花が有った。また「広島すずらん会」のT様から頂いた花は北海道のラベンダーでこれも紫であった。
2016年07月19日