AM9:00〜PM0:45PM2:00〜PM6:20
木・日・祝日
昼食をどこでするか考えた末、帰途にある出雲ワイナリーのレストランで食事をすることにした。2時近かったせいかすんなり席が取れる。孫達はお子様ランチで我々は島根牛の焼き肉ランチ。その後私はワイナリーの売店で試飲のワインを飲む。お土産など買って駐車場に行くと我々の車の後ろにぴったり車を停車させた不届き者がいて、車を全く動かせない。館内放送で何回か呼び出してもらう。20分ほどでそのドライバーが来たがあまりにも非常識なのに驚く。 5月5日は快晴、まさに子供の日に相応しい天候となった。毎年子供の日、この地区に昔から伝わっている浦島神社の大祭が有る。三成小学校区の5地区の子供達がそれぞれお神輿を担いで町内を回り浦島神社に集合し、小学高学年の女子が巫女舞を舞う等の行事が有る。私の息子も参加した経験がある。 神輿巡航の際、毎年私の医院の駐車場で休憩をすることになっており今年もやって来た。孫娘たちは初めて観る光景で不思議そうに観ていた。
神輿が帰って行ったあと、孫達はシャボン玉をしたりして多いに楽しむ。その後お昼は駐車場でバーベキュウをする。孫達は大喜びである。駐車場でのバーベキュウ等開業以来29年間で初めてのことである。 私が「屋根より高い鯉のぼり、大きな真鯉はおとおさん、小さな緋鯉は子供達・・・」と」鯉のぼりの歌を少し口ずさんだ所、4歳の孫も含めて孫達の大合唱となる。 そういえば最近ほとんど鯉のぼりが揚がるのを観たことが無い。昔はこの近所でも揚がっていたのだが。 4月下旬、広島から高速バスに乗って帰って来たが、一昔前なら高速バスの車窓からも鯉のぼりが泳いでいるのを多数見かけた。しかし今年は御調町で一軒だけ揚がっているのを観た。そしてこのGW出かけた時に気にして探してみたが、福山動物園の近くで1軒だけあった。神辺近くの家でマンション向けの小さいのが飾ってあった。さらに出雲に出かけた時、三次近くで1軒、出雲大社の近くで1軒、そしてガソリンスタンドで泳いでいるのを観ただけである。 恐らく子供の数が減ったのと、昔は揚げていたお家でも、子供が成長し都会に出て行き、その家の人達も年老いて、鯉のぼりを揚げる気にも成れなくなったのではと想像する。 やはり少子高齢化が鯉のぼりに表れているのではと思う。大変な時代になりつつあるが、孫達には何とか良い時代であってほしいものである。 長男一家は6日の朝の便で沖縄にあわただしく帰って行った。財布が軽くなり疲れだけが残る。
2015年05月10日
5月2日午後、沖縄にいる長男一家・総勢6人がやって来た。小学4年生から1.9歳の赤ン坊まで元気一杯である。来る前に長男と話したら、里帰りそのものが孫達にとっては旅行なので、どこかに行くと言った計画は立てないで欲しいとの希望が有り、今回は好き勝手出来る様にしておいた。 初日の夕食は長男の所の小学4年生・2年生・年長さんと二男の年中さんの4人の女孫と長男・二男の嫁・家内総出で夕食を作った。女孫達4人は食事のお手伝いを大いに楽しんだようである。長男の所の孫と二男の所の孫が非常に仲が良いので安心である。 次の日は長男一家が「みろくの里の遊園地」に行き、夕方長男・二男一家が我が家に集合。昨日と同様孫達は夕食を作り手伝った。今日一日有った事を孫達が目を輝かせて色々お話をしてくれる。1.9歳の孫はまだ言葉がほとんど喋れないが、こちらの言う事は可成り理解しており、悪さをした後、にこっと笑ったり、チョコマカ動き回り、なんでも触りまくり目が離せない。 次の日、4日は全員で出雲に行くことになる。長男が借りたレンタカーが10人乗りの大きな車だったので全員が1台の車に乗れて、色々話しながら楽しくドライブ出来た。私は「やまなみ街道」が3月22日に全通して初めて行く。道は途中連休で少し混んでいた。 「やまなみ街道」は高速道路と違ってサービスエリアが無く、孫達がトイレ休憩を要求するたびにいったん下りてIC付近にある道の駅に寄るのが少し不便であった。しかも場所によってはGW中でもあり、道の駅そのものが混でいて駐車スペースが無く再度次の道の駅を探す事もあった。それでも一般道を通って行っていた頃に比べ、かなり時間的に短縮されていた。途中島根県に入ったころから雨脚が強くなり困ったなと思ったが、出雲大社に着いた頃にはほとんど止んで参拝中は雨に遭わなかった。
私は出雲大社は8年振りである。以前改修工事中だった所は綺麗になっていた。さすが観光地、多くの観光客でにぎわっていた。また結婚式を挙げた人もいた。小4と小2の孫娘は日頃から良く張りあうのだが今回も写真機を貸す・貸さないで喧嘩をしている。神様の前で喧嘩してはならないと叱る始末。 2時間ほどで参拝を終わり昼食に出雲そばを食べようとしたがどこも行列、江戸時代からの老舗そば屋さんでは51人も並んでいて諦める。 続きはPARTUへ
2015年05月06日
長い風邪から漸く脱却してGWを迎えた。沖縄から長男一家が帰省してきたが、孫達はあちこち行きたいところが有るらしく、初日は夕食を共にしたが、次の日は「みろくの里」に遊びにいく。そこで取り残された私と家内は久かたぶりに映画鑑賞と洒落込んだ。 観に行ったのは「ビリギャル」。この映画は坪田信貴氏の「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話」を映画化したものである。映画のパンフレットによるとこの本は、65万部突破!2014年年間ランキングの上位に輝くベストセラーだったのだそうだ。私自身はその様な本の存在自体知らなかった。 しかし毎月読んでいる「致知」4月号に「ビリギャル」の母親のインタビュー記事が載っていて初めて「ビリギャル」の存在を知った。母親自身も27年2月に「ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」を出版されている。 5月1日封切りだったがその前にTVでこの映画の封切り予告していたのでこれは是非観たいと思っていた。 ストーリーをパンフレットから引用すると 『さやかは高校2年生。中学入学以来、全く勉強をしなかったので、ついに成績は学年ビリ。いくらなんでもこのままではマズイと思ったのか、そんな女の子が学 習塾にやってきた。でもその姿は金髪、ヘソだし、超ミニスカのギャルメイク。対応した塾講師の坪田もびっくりの彼女の知識は小4レベル。聖徳太子を「セイ トクタコ」と読み、東西南北も分からない。それでも夢は大きく第一志望はチョー難関の慶應大学!(←ゼッタイ無理!)「さやかが慶應なんてチョーウケ る〜!」こうしてノリで二人三脚の受験勉強がはじまった!(でも、まずは小4向けのドリルからね)果たして、こんなことでビリギャル・さやかは慶應大学に 受かるのでしょうか??』とある。 致知4月号のインタビュー記事を映画を観た後、再度読み返してみた。そこには母親から見た彼女のこと、母親として子供を信じて見守る母親の原点さらに崩壊寸前の家族の様子等が赤裸々に語られておりドラマのそれぞれの場面を思い出しながら感動していた。私自身はもはや子育てはとっくの昔に終わっているが、この母親の様に子供を信じ切って育てて来たのだろうか、少し疑問符が残る。 それにしても、偏差値40を上げるための彼女の奮闘ぶりには頭が下がる。私もかって高校3年生の時、第3回旺文社模試で第一志望の広大工学部応用化学科の合格判定がD(25〜50%)と出た時は落ち込こみ、正月返上で自分を追い込んでがむしゃらに勉強したことを思い出していた。 さやかさんは現在大学を卒業し、結婚をし、今では父親に何でも悩みを相談するほど仲が良くなっていると母親のインタビュー記事に書いてあり、本当にハッピーエンドだったのだと思う。 中々良い映画なので是非お勧めします。
2015年05月05日