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09/17 5人目の孫
09/09 祝「2020年東京オリンピック」開催決定
09/01 タイ旅行余話
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院長のブログ

5人目の孫

 沖縄の長男の所に8月29日に4人目の孫が生まれた。しかも男の子である。私には今まで孫は長男の所に3人、松永の二男の所に1人いるがいずれも女の子であった。
それで男の孫が何としても生まれて欲しいと、本当に心待ちしていた。
ついに叶ったのでこの連休に孫の顔を見に沖縄に行ってきた。
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 爺やが贔屓目に観るせいか、目のくりっとした目鼻立ちの良い顔をしていた。
ところで女の孫も男の孫も可愛さには変わりないと思うが、男の孫への思い入れは特別である。なぜならこれで私の血がつながる可能性が出来たからである。
 人間は22対の染色体と2個の性染色体、合計46の染色体がある。このうち性染色体は男と女を決める染色体である。性染色体がXXなら女、XY染色体なら男を表す。最近の研究では母親と父親の対応する染色体同士は交叉を起こしてお互いに部分、部分を交換する。このようにして、片親からの染色体をそのまま次の代に渡すのではなく、新しい染色体が作られるようになっている。
 またY染色体においてもX染色体との交叉による乗り換えが起こっていると考えられている。実際とは違うが、話を簡単にするために片方の染色体は父親から、もう一つの染色体は母親から受け継ぐと古典的に考える。
 そうした場合、私の息子は家内のX染色体と私のY染色体を受け継いだ事になる。そして孫が女の子の場合、XXの内一つは息子の嫁から受け継ぎ、もう一つのXは息子から受け継いだ事になる。しかしそのXは元をたどれば私の家内のXと言う事になる。そしてこの時点で孫娘には私からの染色体は消え去ってしまっている。(実際は交叉を起こしているので私の部分も入っている)
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 一方、男の孫にはY染色体がありこれは息子から受け継いだもので、さらにさかのぼれば私から受け継いだ染色体になる。そのため将来、この度生まれた孫の子供つまりひ孫が男なら必ず私の染色体、引いては私の父親さらに祖父・曾祖父・高祖父・高祖父の父までは家系図で遡れているので、少なくとも9代は染色体が連綿とつながる事になる。
 こう考えると世間で女性の天皇を容認するような話があるが、少し考えなくてはならない。
 初代天皇の神武天皇から数えて今年が皇紀2673年となり、現在の平成天皇陛下はこの2673年前の神武天皇のY染色体をつないで来られている。そのことは非常に重要な意味を持つ。天皇陛下を除き我々庶民ではそれだけの永きにわたって同じ染色体がつながる事を証明することが出来る家系図がない。万世一系の天皇家であればこそである。
 だから皇位継承順位第3位の悠仁親王には是非男子を産んで神武天皇以来の血を絶やさないようにしてほしいものである。女性天皇になれば2673年間繋がって来たものが無くなってしまう。安易に感情に任せて「女性天皇でもいいなんて」は軽々に言えるものではない。
 横道にそれたが実際男の孫を持ってその血のつながり、染色体・遺伝子・DNAのつながりや意義を考えさせられた。
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 ところで今回は台風18号の影響があり、往きは、大分上空での航空路混雑のため40分遅れて広島空港を出発した。帰りは台風が豊橋あたりに上陸したとNHKニュースで朝放送していたのでやきもきしたが、息子にネットで調べてもらったら飛ぶと言うので空港に行った所、空港内は連休の最終日と重なり、しかも運休や遅延のため人でごった返していた。それで12時半ころに搭乗手続きをして中に入ったのだが、定刻13:20が14:00になり15:00になり最後15:25と出た。結局テイクオフしたのは15:50で2時間30分遅れだった。名古屋からの便の帰りが広島行きだったため名古屋からの到着が遅れ空港内で3時間半も待たされた。しかし欠航にならず何とか帰って来れて良かった。それにしても疲れた。

2013年09月17日

祝「2020年東京オリンピック」開催決定

 昨日IOC総会で2020年のオリンピックの開催地が56年振りに東京に決定と言うニュースが流れて来た。また今日、朝のニュースでは最後まで残っていた競技種目がレスリングになったと報じられていた。
 土曜日の夜からテレビでは開催地決定へのカウントダウンよろしく特集を組み、決定されてからも特集番組で日本中がお祝で湧きかえっている感じがする。
 東京開催が福島原発の汚染水問題で少し危ぶまれ、スペインのマドリードになるのかとやきもきしたが東京に決まって本当に良かった。
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 これで景気も一段と回復し、デフレからの脱却が出来るのではないだろうか?安倍総理の強運には驚く。
 ところで私がオリンピックと言う名を聴いて意識したのは昭和31年、丁度小学校4年生の時オーストラリア・メルボルンで行われた大会で、その時初めて世界中から選手が集まって競技をするのだと知って「へーそんなのがあるのだな」と思ったことを覚えている。そして体育の時間に徒競走があれば金だ銀だと騒いでいたように思う。
 その次が中学2年の時のローマ大会で、この時は我が家にも白黒のテレビがあって、毎日NHKの放送があるのだが、必ずオオカミの乳をのむローマを建国した双子のロームルスとレムス兄弟のブロンズ像の写真が映し出されていた。もっともこの時代、衛星中継が無く1日くらい遅れての放送だったように思う。
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               出典ウイキペディアより
 そして昭和39年の東京オリンピックは私が高校3年生の時である。10月と言えばそろそろ受験生にとっては追い込みに入る時期ではあったが、何かしら毎日テレビを観ていた。日紡貝塚女子バレーの金メダルやエチオピアの裸足のアベベのマラソンなどかなりの場面を思いだせる。そして閉会式での次の開催地メキシコ市長へのオリンピック旗の引き継ぎとバックヤードにメキシコと電光掲示板に文字が出たのを今でも鮮やかに思い出せる。その後の夏の大会は何と無く覚えているが、この時ほどの強力なインパクトは無い。
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 また冬の札幌オリンピック大会は既に会社員となり研究開発中のテレビを利用して仕事中に観た。特にジャンプは素晴らしく観ながら興奮したことを思い出す。
長野大会では私は実際に足を運ぶことは無かったが、家内は開会式とその後、モーグルやクロスカントリー等のマイナーな競技を観たようだ。それでも実際にオリンピックの雰囲気を直に感じただけでもすごいと思う。
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 7年後の東京オリンピックは必ず観に行こうと今からコミットしている。おそらく最初で最後のオリンピック鑑賞になるのでは。切符が手に入るかどうかも判らないのに今からわくわくドキドキする。
 本当に招致委員会の皆さま御苦労さまでした。成功することを願ってやみません。

2013年09月09日

タイ旅行余話

 タイ旅行で一番気になったのはバンコクの交通渋滞であった。12日の「母の日」は国民の祝日でそれほど感じなかったが、その次の日からの交通渋滞には驚いた。11人乗りのワゴン車の中から見た感じを書くが、バンコク市内には踏切が何箇所かあるようだが、日本のように踏切内で立ち往生しないように注意を払うこと無く、車は次々に踏切内に入って来る。その内、警報機が鳴りだし、遮断機が下りてくるが中々最後まで下りきれず、列車の方が徐行していた。
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   中央の明かりは迫りくる列車       前方1車線手前3列の車群
 また日本は交差点で右折する場合、直進方向がSTOPし、右折の信号が出るのでスムースに右折できるがタイでは直進がそのままで右折信号の方が停止になる。このためいつまでたっても右折が出来ない。またたとえば片側2車線のばあい、交差点付近では車列は片側4車線位になり全く身動きが取れない。さらに分離帯の無い車道では、交通量の多い方が反対車線に割り込んできて少ない方が1車線になり反対方向が3〜4車線になっている。救急車もさっぱり動けずむなしくサイレンを鳴らしているだけだった。これでは助かる人も助からない。しかもこの無駄な時間とガソリンの使用料はどれほどタイの経済活動に悪影響を与えているのであろうか。
 経済的援助で日本はすぐお金をばらまくが、新たな道路を作らなくても日本の交通管制システム等のソフトを援助する方がはるかに喜ばれるのではないかと思った。
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   メータータクシー                トゥク・トゥクタクシー

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   バイクタクシー                 横乗りの女性客
 またタイには3種類のTAXIがあるとガイドさんが説明してくれた。メーターを搭載しているメータータクシー、三輪車型のトゥク・トゥクタクシー、バイクタクシーでメータータクシーはほとんどがトヨタ車で、距離により料金が表示される。日本のように距離と時間の併用では無い。時間併用をすれば渋滞でものすごい金額になるのだろう。トゥク・トゥクタクシーは、4人から6人くらいが乗れるが料金は運転手との交渉次第とのこと、バイクタクシーはさしずめ日本のバイク便で日本の場合は人を運ばないで荷物や書類等配達している。タイでは後ろのシートに客を乗せ走る。運転手はオレンジ色のジャケットを着ているので直ぐわかる。渋滞時には車の間をすり抜けていくために結構早く目的地に着くようだ。ただ見ていて、女性客が後部シートにまたがらないで、女のりで横にかけ、左手で手すりを持ち、右手で携帯掛けながら走っているのを観た時はどきっとした。振り落とされなければ良いのに思って心配になった。また客のほとんどはヘルメットをかぶっていない。
 
 ところでタイでは昔、象は王様の乗り物だったので、すごくシンボル的に愛されているとガイドが説明していた。それで思い出したのだが、実は私の所に長さ10センチ、高さ8センチほどの真鍮製のすごくリアルな象の置物がある。
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 その置物の由来は母方の祖父、「東方一二」が戦前海軍工廠の技師として活躍していたことと関係がある。祖父は1年間ドイツまで潜水艦のエンジンの研究のため留学していたと母親から聞いていた。その関係か軍艦の進水式の時の記念品が祖父の家にはいくつかあった。私が小学校4年生の時、祖父が他界したが、子供心に気にいった2点を形見としてもらい戸棚に長いことしまっていた。
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 今回取り出してみると一つは「巡洋艦 熊野 進水記念」昭和11年10月15日の銘があり、「巡洋艦 熊野」の雄姿がレリーフとして施された銀製の文鎮とおぼしきものである。裏は「株式会社川崎造船所艦船工場の銘がある。
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 「暹羅國砲艦“AYUDHYA”進水記念」銘 「株式会社川崎造船所 昭和12年7月24日」銘
 もう1点が真鍮製の象の置物で「暹羅國砲艦“AYUDHYA”進水記念」「株式会社川崎造船所 昭和12年7月24日」と銘がある。この「暹羅國」が全く読めない、しかも船の名前も横文字で小学4年生の私にはさっぱり、何と書いて有るのか、どこの国かわからず長い間戸棚にしまい込んでいた。この度の旅行でガイドさんが昔、タイは「シャム」と言われていたと説明したのと象との関係で、ひょっとしたらと思いだし電子辞書で「シャム」と引くとこの漢字が出て来た。それで改めた船の名前を見ると「アユタヤ」ではないか。永年の疑問が一挙に解決した。
 何故この船を川崎造船所が建造したのか判らないが、想像をめぐらすと大東亜戦争前、アジアで西欧諸国の植民地でなく独立を保っていたのは日本国とシャム国だけだった。そのため恐らくシャム国では西欧列強から自国防衛のための軍艦が必要で、同じく独立国だった日本から「砲艦 アユタヤ」を調達したのかもしれない。
 いずれにしても今回のタイ旅行が忘れていた永年の疑問を解決してくれて良かった。

2013年09月01日

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