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09/23 京都観光
09/20 母の納骨
09/12 雨漏り
09/02 台北旅行 PART 6
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院長のブログ

京都観光

17日、朝起きてTVのニュースを見ると台風16号は九州の西側を抜け朝鮮半島に向かっている。幸い京都は晴れて風もそれほどでない。市内観光をすることにしヤサカタクシーに電話、5時間コースをお願いする。運転手さんに有名な所はある程度観光していたので、そのようなところで無い所をお願いした。しばし考えられて、とりあえず北に向かって洛北方面に走った。
最初は岩倉にある東山天皇の中宮・承秋門院ゆかりの実相院門跡を見学。ここでは板の間に移る庭の景色が綺麗である。特に秋の紅葉のころは素晴らしいらしい。なおこの建物は旧御所の客殿との事。
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  実相院門跡の枯山水                  圓通寺の枯山水
次ぎに同じく岩倉にある後水尾天皇が造営された幡枝離宮の跡である、圓通寺に参拝した。現在は妙心寺派大悲山圓通寺。ここの庭園は霊峰比叡山を借景にした枯山水平庭で国の名勝に指定されている。都会の喧騒も無く、静かで心地よい風が吹いていた。縁側から遠く比叡山を眺めながら心静かに庭を鑑賞していると「つくつく法師」のせみの声が良く聞こえ、心を落ち着かせてくれた。
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                      曼殊院門跡の庭 
次ぎに訪れたのは曼殊院門跡ここには国宝の「黄不動尊」が有名である。また襖絵には狩野派の有名な絵師、狩野探幽や狩野永徳たちが名を連ねていた。庭は枯山水で見事な感じがした。ただ残念なことにコケが今年の暑さで至るところ緑を失い茶色に変色しているのが気になった。たまたま庭を手入れしている人に聞くと、秋になれば緑が戻ってくるとの事。この広い庭の手入れをする人が2人だとは驚いた。
これで時計は12時前、どこかで昼食をしなくてはならないが、解らないので運転手さんに任せる。蕎麦料理の「権太呂」に案内された。昼時で次から次へのお客さんにびっくり。そば粉は北海道旭川・幌加内のそば畑で取れた玄そばを石臼びきして作ったものを使用しているとのこと。私は鴨南そばの定食を食べた。お値段もそこそこであった。このような時の表現方法に「高かったが美味しかった」と言う言い方と「美味しかったが高かった」と言う表現があり微妙な差がある。私の場合、今回は後者の表現が当てはまる気がした。
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  権太呂
その後、豊臣秀吉の側室「淀殿」が父・浅井長政の追善の為、建立した養源院に参拝。この寺は一度焼失し、現在の建物は淀殿の妹「おごうの方」の尽力により、徳川秀忠が再建したものである。天井板は伏見城落城のおり、鳥居元忠以下の将士が城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を天井として使用している。今でも血のりの後に人型が見え、「血天井」として名高い。ここでは御住職自ら説明をして下さり、杉戸には中学時代の美術の教科書などのも出ていた、「俵屋宗達」描く象、獅子、麒麟などの絵が描かれていた。また本堂の廊下はすべて左甚五郎の造ったうぐいす張りで歩くと音がした。
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   養源院                       俵屋宗達の絵    
その後、直ぐ近くの方広寺に行く。ここは改修中なのかお寺の屋根しか見えなかったが、梵鐘を見ることが出来た。この梵鐘に刻まれた碑文の中に「国家安康」「君臣豊楽」という文字があり、これに家康が難癖をつけて豊臣家を滅ぼすきっかけとなったものである。より歴史を身近に感じた。
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    方広寺梵鐘
5時間はあっという間に過ぎた。京都駅では帰りの新幹線の発射時刻まで2時間半あり、京都駅の中をうろうろし見て廻った。屋上まで上がってみると、南側の風景が良く見えた。
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  京都駅ステーションビル                屋上からの眺め
喉が乾いてしゃれたお店でコーヒーかジュースでも飲もうと思ったがどこもいっぱい。順番待ちに並んでいる。尾道では考えられない光景である。ステーションビル内はどこも人があふれ、都会は人と人との距離が近すぎて息が詰まる感じがする。結局ミスタードーナツでカフェオレを飲んだ。安上がり。台風の影響も無く無事尾道に帰り着く。

2012年09月23日

母の納骨

 先日の16・17日の連休を利用して京都西本願寺に納骨に行った。母が亡くなって2年半が過ぎ、それまで仏壇においていた喉仏さんを納骨した。納骨後京都観光をしようと思い、一泊2日でパック旅行を旅行会社に申し込んでいのだが、台風16号が近づいてきており、今更変更も出来ずどうなるか心配しながら出かけた。
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 納骨場所は西本願寺と少し離れた清水寺の横の大谷本廟になる。5年前に父の納骨の時は受付けに小一時間掛かったが今回は割合空いていたせいかスムーズに受け付けてもらって、首尾よく納骨できた。西本願寺では納骨の仕方に2種類ある。祖壇納骨では骨の返却は無理だが私は無量寿堂納骨で、檀家のお寺さんの納骨場所に入れさせていただいた。この場合だといつでも返却可能だとの事。お墓にはすでに二人を納骨していたが、西本願寺ではこの度やっと父と母の骨がそろい、寂しい思いをしていた父も喜んでいると思う。
ところで奇しくも父親の納骨日と同じ9月16日であった。これも何かの縁なのか。
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 納骨後は西本願寺に戻り、阿弥陀堂に参拝し、お経を聴いた。また5年前は修復中であった御影堂にも上がり、内陣中央に安置されている、親鸞聖人の御真影(木像)に手を合わさせていただいた。1636年(寛永13年)に再建されたこの御影堂は1999年より10年の歳月をかけ親鸞聖人750回大遠忌法要に合わせ大修復工事が終わり見事なたたずまいを示していた。
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 このたびは少しゆっくりし広い境内を見て廻る。中に本願寺の大銀杏といわれる銀杏の木が有り、その枝の素晴らしさに感心した。
ここに来ると何かしら心の平安が得られるようでほっとする。
 ところで、大谷本廟から帰る途中の階段のところで朝市の露店があってその中に似顔絵を書いている若者がいた。丁度子供さんを画いていたのを観ていると、大人でもよいということで、家内と二人それぞれに書いてもらった。家内の場合は年齢に詐称アリほどの若さに仕上げてもらっていて随分ご満悦であった。私は少し若振りにハンサムに仕上げてもらったようだ。
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 そのほか箒やタワシなどを売っているお店も有り、私は垢すり用に背中をこするタワシを買った。 
 西本願寺の参拝を終え、タクシーで今夜の宿屋「花月」に向かった。
最近はホテルに泊まることが多く、久方ぶりの日本宿と思っていたのだが、最近改装したのか、京都の古風さには似つかわしくないような和式と洋式が折衷したようなつくりであった。それでも露天風呂や、檜の湯船があり落ち着くことが出来た。食事も部屋で食べれたし、料理も美味しかった。
大役を終わらせたせいか、ビール2本で酔っ払い、早めに寝る。ニュースによると台風16号が大分近づいてきているようで、明日の観光が出来るかどうか不安である。

2012年09月20日

雨漏り

 少し前の話になるが、6月の半ば梅雨時、食後、院長室で仕事をしていた時の事、その夜は少し強めの雨が振っていた。突然家内から「おとうさんたいへん上がってきて」と内線電話が入る。
何事かと思って上がってみると、何と、天井から大粒の水滴がぼたぼたと落ちてきている。急いでバケツや洗面器で受ける。雨漏りがしているのである。しかも雨漏りは天井の明り取りの部分からである。夜遅かったが急遽S工務店のNさんに電話し、明日見てくれるように頼む。
 昔、小さい頃、雨漏りのため、親に夜中起こされ、寝る場所を移動し、雨漏りがしている所に、洗面器や鍋などを置いていた光景を急に思い出す。
幸い雨は1時間ほどで小降りになり、雨漏りもしなくなる。
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 翌朝、Nさんが瓦屋さんと一緒に来て、屋根を点検してくれた。私の家の屋根は寄棟型で、東と西の面にドーム型の明り取りがある。ドーム部分は銅版で覆われており、瓦屋根とドーム部分の境目も銅版で処理をしている。
ところで歯科医院を建てた時、屋根だけは瓦で無いといけないと、設計士の方が譲らなかった。ただドーム部分は半円状なので瓦が使えず銅版処理となった経緯がある。しかし屋根に銅版を使うことは日本では神社などの屋根に使われ何百年もの歴史がある。
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 ところがNさん達が調べた所、屋根とドームの間のつなぎ部分の銅版に穴があいていた。そのためそこから雨漏りがしたのだと言う。とりあえず応急処置をしてもらい、修理することにした。そして先日修理が終わった。
こんどは屋根とドームのつなぎ目をステンレスにしてもらう。
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 それにしても築25〜6年で銅版に穴があくなんて信じられない。原因を考えてみたが、一番は酸性雨だと思う。それと国道脇にあるため、自動車の排気ガスも影響しているかもしれない。
 酸性雨の大半は中国大陸からのものだと思う。昔40年以上も前、日本では工場からの煙には公害対策がなされて無かったので、随分と酸性雨があり、山の松などが枯れた時代があった。今ではそのような工場は皆無である。一方、今の中国大陸の工場では脱硫装置などを施して公害対策をした工場は無と聞いている。そのため亜硫酸ガスなどが日本海を渡りやってきて、硫酸の雨となって降ってくる。「そんな、大陸からここまで亜硫酸ガスがやってくるなんて」と思われるかもしれないが、それが証拠に春先、黄河流域で発生した黄砂が日本上空にやってきて車などに降り注いだり、洗濯物を汚したりする。いとも簡単に大陸のものがやってくる。昔なら何百年ももつはずのものが、25年やそこらで駄目になる。由々しきことである。
 今度治したステンレスは硫酸には強いが塩酸には弱いと言う欠点がある。また25年後には修理が必要なのかな?

 ところで世の中では原発反対、原発をやめて自然エネルギー(再生可能エネルギー)をと言っている人たちが多い。その中には太陽光発電を推奨する人も多くいらっしゃる。しかし今回、我が家の屋根で起こったことを考えると、大丈夫なのかと少し心配になる。
 と言うのも太陽光パネルは常に表面がクリーンで無いと発電効率は落ちる。
春先の黄砂や日頃の埃でパネルが汚れれば所期の発電量が確保出来ない。そうかと言って毎日屋根の上に上がってパネル表面を掃除することも難しい気がする。まして掃除中に誤って屋根から落ちたら死ぬかも知れない。それに酸性雨などのため、太陽光パネルの部品などがさびて寿命が短くなる恐れもある。発電した電気を電力会社に売ることでパネル代金をチャラに出来るなどとPRされているが、そのような事も考慮して説明されているのだろうか?
もう少し我が家では太陽光パネルの導入は様子見である。

2012年09月12日

台北旅行 PART 6

 最終日、飛行機の出発時間は16:55である。午前中は少し自由時間が有る。そこで、家内の旅行目的「マッサージ」を完璧に達成するために、もう一度マッサージをして帰国することにした。昨日行ったマッサージ屋に電話した所、11時から開店であったが、帰国する事情を話すと10:20に来て下さいと言われ、10時にホテルをチェック・アウト。荷物はホテルに預かってもらい、マッサージ屋に直行。
 私は若い男性であった。力だけが強くあまり気持ちよくはなかった。やはりある程度年齢のいったベテランで無いと駄目だな。家内は女性にしてもらい、今回の旅行の中で一番良かったとか。膝や足のほうもかなり良くなったようだ。終わりよければすべてよしである。
 昼食はマッサージ屋に近いこともあり、また「大和」に行き「焼き鯖定食」と「納豆巻」を食べる。ちゃんと味噌汁や大根おろしなどがあり美味しかった。納豆巻は納豆がきざんでなく、そのままだったので興ざめである。
 タクシーでホテルに帰るが道路の関係で簡単に左折や右折が出来ない。あちこち曲がりながらホテルに着いたら結構予定していた金額よりも高くなる。小銭で払った。これが後で失敗だと解る。
 飛行場行きの乗り合いバスは隣のリーゼントホテルの前から出る。30分に1本くらいらしい。バスの時刻表は無い。
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バス停から見たリーゼントホテル、        私が泊まった部屋からのリーゼントホテル
 発車した後なら30分、外で待つ覚悟でとりあえずホテルを後にしてバス停に行く。幸い15分ほど待ってバスが来る。空港までは90元、先ほどのタクシーで小銭を使っていたので100元の札を料金箱に入れたがお釣りはくれない。仮に500元札を入れても同じ扱いだ。タクシーでお札を出しておつりをもらっておけばよかった。日本では考えられないシステムである。
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 空港には出発3時間前に到着。従業員へのお土産などを買い搭乗。今までこの飛行機には2回ほど搭乗したが時間通りに搭乗したことが無い。今回は何故か定刻どおりに搭乗できた。ところが待てど出発しない。乗り継ぎ便が遅れているとか。結局40分遅れでテイクオフ。途中四国松山付近?で花火が上がっているのが見えた。かなり下の方に見え、直径3センチくらいで可愛かった。花火を飛行機から見たのは初めて。飛行機から初めて花火を見た。何とか無事に広島空港に到着
今回の旅行の目的を、私も家内も達成できて大満足である。

 次の日16日から私は仕事が始まる。そこで家内に「魏さん」との約束の一つ、広島市にお住まいのMさんへ、お土産を預かっている旨メールで問い合わせをしてもらう。私が台北に大叔父・東方孝義が編纂した「台日新辞書」買いに行って魏さんとの出会いがあった事など経緯を書いてもらった。Mさんのお返事では、彼が独力で台湾語を勉強し、今も勉強し続けていること、そして大叔父の「台日新辞書」を座右にし、今なお使用していると書かれていた。また台湾で復刻した「台湾習俗」もお持ちとのこと。
改めて大叔父の偉業が時空を超えて今なお生き続け、しかもこの広島で活躍していることに大いに驚いた。
M様には無事魏さんのお土産をお届けすることができた。
後はグラフ誌「HIROSIMA」を探すことだがかなり難しいかも知れない。時間を見つけて古本屋を当って見ようと思う。

余話
 ところで日本で復刻した「台湾習俗」と南天書局の復刻した「台湾習俗」を帰国して改めて対比したところ、本の大きさだけでなく、中身に少し違いがあった。
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日本で復刻したP165                    台湾で復刻したP165
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日本で復刻したP173                    台湾で復刻したP173
 日本で復刻したものは途中の文章に墨が入れられていたり、あるページの一部が白紙のままだったりしていた。多分、戦後大叔父たちが台湾から引き上げる時に検閲を受けてそのように成ったのではなかろうかと思う?
そういう意味で南天書局の復刻本がよりオリジナルに近いのではなかろうか。

今回の台北旅行なかなか有意義な旅であった。また行きたいと思う。

2012年09月02日

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