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06/27 映画「星守る犬」と「もしドラ」を観て
06/21 老後のキャッシュフローと相続対策
06/13 甥っ子の結婚式
06/06 金子みすゞ「こだまでしょうか」
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院長のブログ

映画「星守る犬」と「もしドラ」を観て

 先日映画「星守る犬」と「もしドラ」を観に行った。「星守る犬」は「泣けた本ランキング1位」に輝いただけあって、なんとなく物悲しい物語であった。その物悲しさや共感性が何に由来するのかしばらく理解できなかった。
ストーリーの一部をパンフレットや公式サイトから引用すれば

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『夏・・・・
北海道のとある田舎町。キャンプ場に通じる林道わきの草むらで、ナンバープレートも車体番号も外されて放置されたワゴン車が見つかった。車内には、死後半年も経った中年男性と思われる遺体と死後間もない犬の遺体があった。
市役所福祉課に努める京介はこうした遺体を引き取って弔うのも福祉課の仕事のひとつなのだ。遺体は50代の中年男性であり、放置されたワゴンのなかで発見されたという。だが、男の身元を示すものは何ひとつなかった。ワゴンのそばの盛り土に気づいた京介は、警官からそれが死んだ男性に寄り添っていた秋田犬を弔った墓だと聞かされる。その時、吹き抜けた風が、京介の足下に数枚の紙片を運んできた。それはレシートやリサイクルショップの買取り証であった。おそらく、死んだ男の所持品なのだろう。偶然なのか、運命なのか、わずかな手掛かりが、京介に男と犬の「ものがたり」に興味を持たせるきっかけとなった。京介は有給休暇を使って、偶然出合った少女・有希と共に男と犬の足取りを追う旅に出る。

 男は「おとうさん」、犬は「ハッピー」という。ふたりの旅は、東京から始まり、北海道へ・・・
「おとうさん」と「ハッピー」は、行く先々で出会った人びとの心にしっかりとその姿を焼き付け、忘れられない思い出を残していた。

「おとうさん」と「ハッピー」の旅路を通して、人生の夢と挫折、老いと孤独、不況、リストラ、熟年離婚、無縁死など、現代の孕む問題に鋭く切り込みながら、人と人の絆、人と動物に育まれた愛情を描いた物語とあった。』

 しかもこの映画には3月11日以前の美しい東北地方が映し出されていたが、いわきの海岸にあったコンビニエンスストアーは今どうなっているのだろうと思いをめぐらした。
観終わってこの作品の切り口が、現代の問題をより一層浮き彫りにしており、私の年齢がより共感を覚えさせたのかもしれない。

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 「もしドラ」は正式名称は「もし高校野球部の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という長い題名の映画である。
ストーリーはパンフレットから引用させていただくと、『永年、予選一回戦負けの都立程久保高校野球に、病気の親友の代わりにマネージャーとして入部した川島みなみ。みなみは、親友を励ますつもりで、「野球部を甲子園に連れて行く」と監督と部員の前で宣言してしまう。マネージャーの仕事の参考にと、勘違いから手にした経営学の父・ドラッカーの名著「マネジメント」に不思議に感動し、そこに書かれている教えを野球部の中で実践していく。次第にやる気のなかった部員や、監督の意識・行動、さらに高校野球において長く常識とされてきた古いセオリーを変革させていく。』

 ドラッカーの理論をどのように応用するのか興味があった。そして私の医院にも応用できるものがあるのでは無いかと思い観賞していた。一部応用しても良いなと思うものがあった。それと主役の「川島みなみ」は、つい先日行われたAKB48総選挙で1位に返り咲いた前田敦子が演じているのも興味があった。
映画はエンタテイメントではあるが心に響く物がやはり良い。

2011年06月27日

老後のキャッシュフローと相続対策

 先日尾道歯科医師会の6月例会があった。毎回例会時には例会行事と称して外部から講師をお招きして1時間ほどお話を聞くことになっている。
今回はプルデンシャル生命保険(株)福山支社のライフプランナーのN氏による「老後のキャッシュフローと相続対策」と題してお話をいただいた。
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 私も来年3月には前期高齢者になる身で、そろそろ老後のことや、医院継承の問題を考えなくてはと思っていたので時期を得た講演であった。
 ところで講演中に老後の生活資金がどれくらい必要かを考えるための計算式が出された。そこには現在の生活資金を記入する欄があるが、我が家では現在いくら生活資金がかかっているのか全く判らない。
昔から給料袋そのままを家内に渡してそれで終わりだったので、その場で数字を入れて計算しろといわれても全く駄目であった。
最も家内自身も1ヶ月の生活費がいくらか正確には分からないのではないかと思う。というのも家内が家計簿を付けているのを見たのは結婚して3ヶ月くらいで後は見たことがない。家内の性格はいたって大らかと言うか大雑把というか、とても家計簿なんかに縛られる性分ではない。
それでも何とか結婚38年あまり困らないでやって来れたのだから良しとしよう。
 計算式では老後は現在の生活費の7割程度が必要で、男の平均寿命の79歳までは夫婦で生活、その後は女の平均寿命から79歳を引くと6〜7年間は家内だけの生活費になるが、概ね現在の生活費の5割程度が必要なのだそうだ。
ただ老後は公的年金である国民年金だけで夫婦2人の生活がまかなえないことがはっきりした。
 この式を見ながらふと考えたのは、俺の人生は平均値でいけば後15年、もうそこではないかと気が付き情けなくなってしまった。
今までの人生で何を達成し何に満足したのか直ぐに答えられない。
残り15年でやりたい事ってなんだろう。
おいしいものを食べることなのか? 海外旅行をすることなのか? 何か人様にお役に立てるような事をすることなのか? 読書三昧をする事なのか?
全くもって分からない。早急に捜さなくてはならない。猶予時間は無いのである。
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 ところで相続の話になった時、講師の先生が仰った事は、自分の思いをいかに伝え継承させるかが大事だといわれた。私にとって、私が初代で始めたこの歯科医院に対する思い入れには相当なものがある。これをいかに継承させ継がさせていくかに尽きるような気がした。
それこそ銭金の問題ではない。単に建物や設備のことではなく、歯科医院の経営理念、患者様に対する私の立ち位置、心、総てが相続になると思う。それこそが私の遺言状なのかもしれない。

正に「命短し恋せよ乙女・・・・」
これからは1分1秒が大事な時の流れであり、無駄にしてはならないと改めて気付かされた。

2011年06月21日

甥っ子の結婚式

 先日、家内の妹の長男が結婚しその式と披露宴に出席した。当日は朝方雨であったが、式開始ごろには薄日が差し、披露宴が終わった頃にはすっかり晴れた。正に「雨降って地固まる」のたとえが相応しい門出であったのかも知れない。披露宴は招待客も多くて立派なものであった。
妻は4人兄妹で、私の息子たちを含めて7人の甥っ子・姪っ子がいる。最初の甥っ子が結婚したのは今から19年前で今回が甥っ子・姪っ子の最後の結婚式となった。最初の甥っ子の結婚式の時は他の甥っ子や姪っ子は高校生、中学生、小学生であった。それが次第に結婚し子供たちが生まれて家族が増えて行った。
そのため今回の結婚式には甥っ子・姪っ子とその伴侶に子供たちが加わりとても賑やかな結婚式になった。
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既に他界した妻の両親からみれば、2人から出発して子供・孫とそれぞれの伴侶にひ孫と総勢32人もの親族に恵まれたことになる。
命の繋がりを強く感じた。
当日は何しろ0歳から5歳までの子供たちが多く、泣いたり、途中で歩き回ったり、疲れて寝たりと甥っ子・姪っ子は落ち着いて食事が出来なかったらしい。これだけ一族が集まるのは恐らく今回が最初で、最後かもしれない。
ところで結婚式に出席するとついつい自分たちの結婚式の時はどうであったかと思い出す。
私達の結婚式は今で言う「地味婚」であった。最近は媒酌人を立てずに結婚式をするケースが多いいようであるが、私は大学時代の研究室の教授に媒酌人をお願いした。招待客も上司・恩師・友達・先輩と親戚、家族、総勢39人のごく小規模であった。
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しかも結婚式の披露宴は総て手作りで、私が進行のタイムスケジュールを書き、挿入すべき音楽を指定し、司会は同級生(現在、義妹の夫でこのたびの結婚式の花婿の父親)にお願いした。当然招待状も私と家内の連名で出し、費用も二人で工面し、親を招待する形であった。更に二人のプロフィールも義妹に手伝ってもらい、ガリ版刷りで写真を貼って作った。
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極めつけは、披露宴が終わり招待客や親戚・家族全員を送り出し、家内と二人で式場・披露宴の会計を済ませてから会場を後にした。
私もそうだったが、とりわけ家内は披露宴ではあまり食べれなかったので、その足で当時広島駅の前にあった広島百貨店の食堂に行き、焼肉定食を二人して食べたことを覚えている。その後満開の桜咲く平和公園を散歩したことを思い出した。
今にして思えばなんとも侘しい感じがするが、当時は「今日から新しい人生の門出だ」と思って気持ちは高揚していたように思う。
結婚したその年にオイルショックが起こり、暖房の石油が無いとか、トイレットペーパーが無いとか、甘い新婚生活などは吹っ飛んだようであった。
あれから38年経過した。でも何とか今日まで夫婦二人で協力してやって来れたことに感謝である。

2011年06月13日

金子みすゞ「こだまでしょうか」

東日本大震災直後TVのコマーシャルには企業広告が無く、総て公共広告機構の広告であった。その中で

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。
そして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

という金子みすゞの詩がバックの映像と共に放送されると心を揺さぶられ、なんともいえない優しさに包まれ強く心に響いた。
 何か懐かしく、優しく心が落ち着くのだが、しかしそれが何故なのか深く考えることも無く日々の生活に追われていた。
ところが今月発売された月間誌「致知」7月号に矢崎節夫氏(金子みすゞ記念館館長)が「金子みすゞの詩を読む」と題して4ページに渡る一文を執筆されておりそれを読んで胸のつかえが取れた。

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 記事から抜き出させていただくと

『 五百十二篇ある金子みすゞの詩を俯瞰(ふかん)した時、全篇を優しく包み込むような作品がこの『こだまでしょうか』ですと、私はずっと言い続けてきました。
それだけに今回の東日本大震災を受けて、CMでこの詩が流れたと聞いた時は本当に驚きました。
この詩で私が注目したいのは、「こだまでしょうか」という呼び掛けに「いいえ、誰でも」と答えている末尾の一文です。
よいことも悪いことも、投げ掛けられた言葉や思いに反応するのは「こだま」だけではなく、万人の心がそうだとみすゞは言っているのです。
 この詩を耳にした日本人は、被災された多くの方々が味わった悲しみや辛い思いに対して、こだまする自分でいられるかどうかと考えたのではないでしょうか。
一人ひとりがこの震災がもたらした被害を、自分のこととして感じる一つのきっかけを与えたのが『こだまでしょうか』の詩だと思います。
こだまというのは、山から投げ掛けた言葉がそのまま返ってくるわけですから、大自然の懐に包まれたような安心感を生み出し、私たちの心を優しくしてくれるのです。
この詩に触れ、心の内で何度もこだましているうちに、どこか優しくなれた自分を見つけることができたのでしょう。
 募金活動がこれほどの大きなうねりとなり、また多くの日本人がボランティアとして被災地へと向かう後押しをしてくれたのが、「こだまでしょうか」という言葉だったのだと思います。
言葉にはこれほどの力があるということを、私は改めて教えられた気がしました。』
とあった。
 本当に心の中でこだまが跳ね返りながら増幅して行き心の中で自問自答していく過程で消化しきれずに私の心に引っかかっていたのだと気付いた。
今ほど日本人の中に「絆」という言葉が当てはまるのも、この詩の影響かもしれない。 致知7月号に感謝である。

2011年06月06日

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