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02/27 映画「ヒア アフターを」観て
02/15 映画三昧
02/12 「カリスマ塾講師の忘れられない生徒」を読んで
02/06 卑弥呼の歯がい〜ぜ
02/01 映画「ソーシャル・ネットワーク」を観て
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院長のブログ

映画「ヒア アフターを」観て

 先日クリント・イーストウッド監督の映画「ヒア アフター」を観に行った。ヒア アフターとは「来世」と言う意味であるが、私は何故か「前世」とか「来世」に興味がある。
と言うのも私は5歳の夏に池で遊んでいて深みにはまり、九死に一生を得た経験がある。
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 この映画のはじめにパリで活躍するジャーナリストの女性が東南アジアで休暇中に津波にのまれ死にかける。その時水の中を浮遊する画面があったが、私が溺れた時、体がどんどん水の中に沈んでいき、もがきながら「助けて」と叫ぶが口から泡がぶくぶく出て上のほうへ上がっていくのを今でも鮮明に覚えおり、その記憶と重なるものがあった。どれほどの時間が経ったか解らないが私も映画の女性のように息を吹き返した。只その時映画のように不思議な光景が見えたわけではない。
さらに私が小学校の4年生で昭和32年1月18日学校から帰宅途中、突然に母方の祖父が死んだのでは無いかと思った。確かに祖父は胃がんで入院していたが今にも死にそうな話は聴いていなかった。家に帰ったら祖父が危篤だという電報が来ていた。母はその日の夜行で石川県の祖父のところに行く用意をしていたが、夕食時に祖父死亡の電報が配達されてきた。その電報には、死亡時刻が書いてあったが、正に私が祖父は死んだのでは無いかと思った時間と一致していた。「虫の知らせという」言葉があるが本当にそうなのだと思った。
祖父には生まれて以来2回しか会っていない。一度目は1歳の頃、母が里帰りした時で、私の記憶には無い。小学1年生の夏休みに石川県に遊びに行って祖父に遊んでもらったことしか覚えていない。それでも私に「虫の知らせが」ありとても不思議に思った。
 そんなこともあり、立花隆著「臨死体験(上・下)」、ブライアン・L・ワイス著「前世療法」、飯田史彦著「生きがいの創造」などの本を読んだ。臨死体験は脳の為せるわざとも言われるし、実際前世や来世があるか解らないが、現代科学で説明できないものがあるように思う。
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 前世については、いろいろの人が子供たちが覚えていると証言しているので一番上の孫娘に「お母さんのお腹の中から生まれてくる前どこにいたのか、どうだったか」聞いたが返事は無かった。そろそろ2番目の孫の聞いてみようとおもう。
 そんなわけで興味を持って映画を観た。
内容は映画を観てのお楽しみだがパリで活躍するジャーナリストのマリーが恋人との休暇を楽しんでいた東南アジアで津波に巻き込まれ死を垣間見る、そして帰国してからも呼吸が停止した時に見た不思議な光景が忘れられずその正体を突き止めようとする。
一方サンフランシスコにはかって霊能者として死者との対話をしていたが今では対話に疲れて工場で働きながら人生を変えようとする男ジョージが居る。
またロンドンで母と双子の兄と暮らすマーカスが突然の交通事故で兄を亡くす。そしてもう一度兄と話したいと霊能者を訪ね歩くが本物は居ない。ある日マーカスはジョージの古いウェブサイトに行きあたる・・・・・・
 日本では恐山のイタコが霊能者で死者との対話をするといわれている。やはり何か有るのだろう。
ただクリント・イーストウッド監督は「死後の世界があるかどうか、真実は誰にも分からない。ただ、人は誰も与えられた人生を精一杯生きるべきだと、僕は信じている」と述べている。
 私も「今ここ」が総てだと思う。

2011年02月27日

映画三昧

2月3日から2月11日までの間で7本の映画を観た。現在上映は修了したが最初が「アンストッパブル」で暴走列車を止めるべく色々の手立てをしていく過程がスリリングで結構手に汗握る面白い映画であった。次が「ウォール・ストリート」、これは正月に韓国仁川空港から福岡空港までの間で観ていた映画で、途中切れになっていて非情なマネーゲームの果てに何があるのか是非最後の結末が観たいと思っていたもの。最後はやはり血のつながりがお金に勝るようだ。


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その次が掘北真希主演の「白夜行」これもストーリーに引き込まれ固唾を呑んで観ていたように思う。そしてその日はもう一本「僕と妻の1778の物語」を観た。この映画は癌で余命1年と宣告された妻に夫として何が出来るかと考えた末に1日1編の短編小説を書くことにして実行していく。1年が過ぎ2年、3年と経つうちに妻の容態は悪化していく。妻が死んだ日に1778編目の物語を死んだ妻が読めるようにと原稿用紙に空書きし、それを空に投げて風に舞い上がらせる。癌を扱った映画のため少し重たい感じがしたが、自分だったらどうなのだろうかと考えてみたが結論は出ない。

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そして2月11日には夕方16時半に夕食を食べて、エーガル8シネマズに行き、17:20から3本映画を観た。終わったら24:05であった。最初が「毎日かあさん」で、あまり笑うような場面は無かったがなんとなく憎めないほのぼのとした映画であった。映画の最後はキャストの名前が出てくるがこの映画ではスチール写真を挿入しながら映し出されていた。そして一番最後の写真は作者、西原理恵子さんとご主人がカンボジアのアンコールワットをバックに写した写真であったため、12月にアンコールワットを訪れたときの事を思い出させてくれた。次いでトイレ休憩後、同じ劇場で「ジーンワルツ」を見た。パンフレットには『“生命誕生の現場”崩壊の一路をたどる産科医療に潜む闇に迫るとある。代理母出産に挑む産婦人科医の戦いを描く医療ドラマで、妊娠受け入れ拒否や地方の医師不足などの医療問題を背景に、不妊治療のエキスパートの主人公が生命誕生に全力を尽くす姿を描く。壊滅寸前の産婦人科医療の現実に圧倒されながらも希望につながるラストが感動を呼ぶ』とあった。正にその通りでいずれも最近の話題が組み込まれており、私も一医療人であることから興味を持って鑑賞した。

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またトイレ休憩の後、3本目の映画「太平洋の奇跡」を観た。この映画は太平洋戦争の激戦地サイパン島で、たった47人の兵力で4万5,000人ものアメリカ軍を翻弄(ほんろう)し続け200人の民間人を守りぬき、アメリカ軍から恐れられた実在の日本人、大場栄大尉の実話を映画化したものだ。この物語は歴史の中に埋もれていたが、かって銃を交えた元アメリカ海兵隊員のドン・ジョーンズが書いた一冊の本「OBA、the LAST SAMURAI」により広く知られるようになった。サイパン戦とは1944年6月、日本の重要な基地であったサイパン島に米軍が上陸、激戦となった。追い詰められた日本軍は、7月7日、約4000名の兵士で最後の総攻撃(バンザイ突撃)を敢行。捨て身の攻撃で、日本軍はほぼ全滅玉砕した。一方、島の北部に残された民間人はマッピ岬から次々と海に身を投げ命を絶った(その後この崖は「バンザイ・クリフ」と呼ばれている)。その数8000人とも12000人とも言われている。サイパンが落ちて以後、B29による本土爆撃が可能となった。2005年天皇・皇后陛下がバンザイ・クリフを慰霊されている。日本軍による民間人虐殺などの話がある中でこのサイパンでの大場大尉の行為は賞賛される。観終わって熱い物がこみ上げてきた。「ジーンワルツ」と「太平洋の奇跡」はお勧めである。

2011年02月15日

「カリスマ塾講師の忘れられない生徒」を読んで

 私が10年来読んでいる月刊誌の「致知」3月号に素晴らしい記事が掲載されていた。それは「感動の力が運命を好転させる」と題したカリスマ塾講師の木下春弘氏の一文である。そして致知出版社からのメールマガジンにもその記事が紹介されていた。読んでいてこみ上げてくるものがあり、その記事の前半部を転載させていただく。
http://www.chichi.co.jp/monthly/201103_index.html
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 『私が学習塾講師になって間もない頃、S君という中学三年生の生徒が入塾しきました。
無口で少し変わった子でした。授業の時にノートを出さない。数学の問題はテキストの余白で計算する。だから計算ミスばかりしているのです。
たまりかねた私は、ある時、彼を呼び出して言いました
「ノートはどうした」
しかし、S君は黙ったままうつむいています。
次の日は必ずノートを持ってくるように約束させましたが、
それでも彼はノートを持ってきませんでした。
私はカチンときて思わず怒鳴りつけました。
「反抗する気やな。よし分かった。先生がノートをやるわ」
私は五百枚ほどのコピー用紙の束を 机にボンと投げ出しました。
するとS君は「ありがとうございます」と御礼を言うのです。

 夏になると、周囲の生徒からS君に対する苦情が寄せられるようになりました
彼がいつもているヨレヨレのTシャツと ジーパンが臭うというのです。
この時も私は彼を呼んで毎日着替えるよう言いましたが、それからも服装は相変わらずでした。
私は保護者面談の時、S君の母親にこのことを話しておかなくてはと思いました。生活態度を改めるよう注意を促してほしいと訴え掛ける私に、母親は呟くように話を始めました。
「あの子は小学校の頃から、この塾に通ってK学院に進学するのがずっと夢だったんです。でも先生、大変申し訳ないのですが、うちにはお金がありません……」
S君が早くに父親を亡くし、母親が女手一つで彼を育て上げてきたことを知ったのはこの時でした。
塾に通いたいというS君をなだめ続け、生活を切り詰めながらなんとか中学三年の中途で入塾させることができたというのです。
私はしばらく頭を上げることができませんでした。
S君に申し訳なかったという悔恨の念がこみ上げてきました。
そして超難関のK学院合格に向けて一緒に頑張ることを自分に誓ったのです。
 K学院を目指して早くから通塾していた生徒たちの中でS君の成績はビリに近い状態でしたが、この塾で勉強するのが夢だったというだけあって勉強ぶりには目を見張るものがありました。
一冊しかない参考書がボロボロになるまで勉強し、私もまた、他の生徒に気を使いながら、こっそり彼を呼んで夜遅くまで個別指導にあたりました。
すると約二か月で七百人中ベストテンに入るまでになったのです。
まさに信じがたい伸びでした。
S君はそれからも猛勉強を続け、最高水準の問題をこなせるようになりました。
K学院の入試も終わり、合格発表の日を迎えました。
私は居ても立ってもいられず発表時刻より早くK学院に行き、合格者名が張り出されるのを待ちました。
真っ先にS君の名前を見つけた時の喜び。
それはとても言葉で言い尽くせるものではありません。
「S君に早く祝福の言葉を掛けてあげたい」。
そう思った私は彼が来るのを待ちました。
しかし一時間、二時間たち、夕方になっても姿を見せません。
母親と一緒にやって来たのは夜七時を過ぎてからでした。
母親の仕事が終わるのをずっと待っていたようでした。
気がつくとS君と母親は掲示板の前で泣いていました。
「よかったな。これでおまえはK学院の生徒じゃないか」
我がことのように喜んで声を掛けた私に彼は明るく言いました。
「先生。僕はK学院には行きません。公立のT高校で頑張ります」
私は一瞬「えっ」と思いました。
T高校も高レベルとはいえ、K学院を辞退することなど過去にないことだったからです。
しかし、その疑問はすぐに氷解しました。
S君は最初から経済的にK学院に行けないと分かっていました。
それでも猛勉強をして、見事合格してみせたのです。
なんという健気な志だろう。私はそれ以上何も言わず、S君の成長を祈っていくことにしました。
この日以来、S君と会うことはありませんでしたが三年後、嬉しい出来事がありました。
東大・京大の合格者名が週刊誌に掲載されその中にS君の名があったのです。
「S君、やったなぁ」。私は思わず心の中で叫んでいました。・・・・・』

  世の中受験シーズン真っ最中、何にでも恵まれているお子さんが多いなかこの母子の頑張りには頭が下がる。
 昔は東大や京大など国立大学にはこのような学生が多かったと聞くが、今では経済的に恵まれた家庭の子弟がほとんどだと調査結果が新聞紙上を賑わしている昨今である。S君のような子供たちが大勢いれば日本の未来も明るいはずだと思う。

2011年02月12日

卑弥呼の歯がい〜ぜ

 先日「広島県歯と口腔の健康づくり推進条例(仮称)」の素案が発表され、広くパブリックオピニオンが募集されている。
この条例は我々歯科医にとっては非常に有りがたい画期的なものである。
その推進条例の目的を要約すれば「歯と口腔の健康づくりが、全身の健康を保持又は増進させ、県民の健全な食生活の実践などに重要な役割を果たしているため、色々の施策を行い生涯にわたる県民の健康的な生活の実現を目指します。」と有った。
 その内容を見ていくと「8020運動」、「噛ミング30運動」など県民運動を推進するとあった。「8020運動」は多くの方がご存知のように80歳になった時においても、20本以上の歯を保つことを目指す運動である。一方「噛ミング30」は十分にそしゃくして味わいながら食べることにより、健全な食生活の実践を図ることを目的として、1口当たり30回以上かんで食べる生活習慣の定着を目指す運動を言う。
 この「噛ミング30」の言葉を見たとき思い出したのが「卑弥呼の歯がい~ぜ」である。
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これは日本咀嚼学会が出した標語である

食物をよく噛んで食べることは8つの効果がありその頭文字を集めたものである。
@ 卑(ひ)・・・肥満の予防 
A 弥(み)・・・味覚の発達 
B 呼(こ)・・・言葉を正しく発音 
C の・・・・   脳の発達 )
D 歯(は)・・・歯の病気予防 
E が・・・・・・・ 癌の予防 
F い〜・・・・  胃腸快調
G ぜ・・・・・  全力投球

 なぜ卑弥呼なのかと言うと神奈川歯科大学の斉藤滋教授らが卑弥呼(邪馬台国)のいた弥生時代から現代までの食事を復元して咀嚼回数を調べている。その結果、弥生時代は食事一回分の噛む回数は平均3990回で時間も50分かかっていた。それに比べ現代人の噛む回数は620回で時間もたったの10分しかかけていない。
いかに現代人が物を噛んでいないかがわかる。

  復元食による咀嚼回数と食事時間  
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         (齊藤 滋神奈川歯科大学教授による)

 食品の加工技術の進歩、加熱調理法などの進歩もあいまって咀嚼回数は大幅に減少し、人間の咀嚼力低下による健康問題が出てきた。それがこのたびの条例に繁栄されているのだと思う。
ちなみに私自身が一口何回噛んでいるかを数えてみたら10〜15回程度で飲み込んでいた。目標の1/2〜1/3である。最初なれるのは大変かもしれないがこれからは意識してしっかり噛んで、ボケを防止し健康で豊かな高齢者生活をしなくてはと思った。

2011年02月06日

映画「ソーシャル・ネットワーク」を観て

  先日、第83回アカデミー賞にノミネートされている今話題の映画「ソーシャル・ネットワーク」を観た。この映画はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)“フェイスブック”を創設したマーク・ザッカーバーグらを描いたドラマ映画である。彼はハーバード大学中退後、24歳の時史上最年少で「ビリオネア(10億ドル長者)」になる。
  内容の一部を映画のパンフレットから引用すると『2003年、ハーバード大学に通うマーク・ザッカーバーグは、親友のエドゥアルド・サベリンと共にある計画を思いつく。それは、大学内で友達を増やすため、学内の出来事を自由に語り合えるサイトを作ろうというもの。閉ざされた“ハーバード”というエリート階級社会で、「自分を見くびった女子学生を振り向かせたい」そんな若者らしい動機から始めたこの小さな計画“フェイスブック”は瞬く間に大学生たちの間に広がり、ハーバードからアイビー・リーグ、シリコンバレー、そして全世界へと山火事のように広がっていった。けれど、IT界の伝説、ナップスター創設者のショーン・パーカーとの出合いを経て、彼に傾倒するマークと、彼を警戒するエドゥアルドの間には次第に亀裂が生まれ始めていく。

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  映画「ソーシャル・ネットワーク」は今世紀における最も画期的な社会現象になった“フェイスブック”が立ち上がるまでと、その後の2つの裁判を通して“フェイスブック”創設の裏側にあったカオスを描いている。』
  私のように60歳を超えた人間にはネットだ、Web、SNSと言われても良く解らないことが多い。SNSとは要するに自分の友人・知人を通して人から人へのコミュニケーションを円滑にサポートしたりするもので、タモリのいう「友達の友達は皆友達」といったつながりを通じて新たな人間関係を構築する場を提供しているのだと理解する。
 そう思った途端、訳のわからないSNSがこれは単なる口コミではないかと思った。
私の医院でも問診表に来院動機をチェックする欄があって知人、家族からの紹介と言う項目がある。まずAさんが来院し、「さいだ歯科医院」の治療を気に入ってくれればBさんを紹介していただける、さらにBさんがCさんを紹介してくれる。この連鎖が大々的に全世界に広がったものだと理解した。現在フェイスブック利用者は2010年7月現在で日本を含む全世界の登録者数が5億人を突破したとの事。

  今アラブ諸国が不安定化し先般チュニジアではジャスミン革命が起こった。これは別名「フェイスブック革命」とも言われている。またエジプトでも暴動が起こっているが、これもフェイスブックを通じてあっという間に情報が民衆に伝わっているようだ。アメリカ政府がエジプトに対してフェイスブックのサイトを遮断しないようにと言っているとメディアが報じていた。
 これからの社会はインターネットなしには存在し得ないと思う。その中で取り残されないように日々アンテナを張る必要があると感じた。

2011年02月01日

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